GB EMI ASD3449 リッカルド・ムーティ フィルハーモニア管弦楽団 チャイコフスキー 交響曲3番「ポーランド」
- Record Karte
- 英モノクロ切手ドッグ盤
- 1977年6月24,25日、7月20日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオにて、プロデューサー、エンジニア:ジョン・モードラー、ネヴィル・ボイリングによるステレオ録音。
ムーティの見事なカンタービレの感覚が生み出す旋律美も魅力的で、輝かしい表現が聴きもの。気迫たっぷりにグイグイと進めていくダイナミックな音楽が印象的。
気迫たっぷりにグイグイと音楽を進めていくダイナミックな音楽が印象的。
― リッカルド・ムーティが若き日に録音したチャイコフスキーの交響曲はどれも高水準な演奏で一貫性が強い。くわえてフィルハーモニア管弦楽団との交響曲はどれも熱演で、気迫たっぷりにグイグイと音楽を進めていくダイナミックな音楽が印象的。
アビーロード・スタジオで収録されていますが、仕上がりはティンパニが克明に捉えられているのがまず特徴的。それが恣意的なものでなく、確信に満ちた表現の結果として迫るので説得力が絶大。ブラスとティンパニの角の立った音が音楽を否応なく引き締める。終結の畳み掛ける迫力は唖然。容赦ないダイナミズムは、セッション録音の冷たさなど微塵も感じさせない濃密で熱い演奏です。
ムーティならではの見事なカンタービレの感覚が生み出す旋律美も魅力的で、輝かしい表現は聴きものとなっている。1977年録音の交響曲「第3番」(ポーランド)はチャイコフスキーの初期交響曲とあって、地味な印象を払拭するに十分過ぎる名演奏。後期の3曲の完成度と比べてしまうと、「第3番」の全5楽章という構成と、間延びしていて交響曲としてのまとまりという点でいささか分が悪い曲とは言え、ロシア音楽というよりメンデルスゾーン的なメルヘンチックな雰囲気が漂っている。
そこがムーティの体質にあっていたことで、いたるところでチャイコフスキーらしい美しいメロディが顔を出すので、非常に親しみやすい。甘い導入から活力ある展開へ。フレーズが力感を伴い歌われるのが心地よい。民謡を使ったこの曲の歌謡性はイタリア人ムーティにぴったりだ。規律が守られた軍隊のような心地よさ。終結に向かいドンドン加速しワクワク感が爆発する。
アビーロード・スタジオで収録されていますが、仕上がりはティンパニが克明に捉えられているのがまず特徴的。それが恣意的なものでなく、確信に満ちた表現の結果として迫るので説得力が絶大。ブラスとティンパニの角の立った音が音楽を否応なく引き締める。終結の畳み掛ける迫力は唖然。容赦ないダイナミズムは、セッション録音の冷たさなど微塵も感じさせない濃密で熱い演奏です。
ムーティならではの見事なカンタービレの感覚が生み出す旋律美も魅力的で、輝かしい表現は聴きものとなっている。1977年録音の交響曲「第3番」(ポーランド)はチャイコフスキーの初期交響曲とあって、地味な印象を払拭するに十分過ぎる名演奏。後期の3曲の完成度と比べてしまうと、「第3番」の全5楽章という構成と、間延びしていて交響曲としてのまとまりという点でいささか分が悪い曲とは言え、ロシア音楽というよりメンデルスゾーン的なメルヘンチックな雰囲気が漂っている。
そこがムーティの体質にあっていたことで、いたるところでチャイコフスキーらしい美しいメロディが顔を出すので、非常に親しみやすい。甘い導入から活力ある展開へ。フレーズが力感を伴い歌われるのが心地よい。民謡を使ったこの曲の歌謡性はイタリア人ムーティにぴったりだ。規律が守られた軍隊のような心地よさ。終結に向かいドンドン加速しワクワク感が爆発する。
今日では帝王とも呼ばれるリッカルド・ムーティが本盤をはじめとするチャイコフスキーやメンデルスゾーンの3曲の交響曲を録音したのは、まだ30歳代の前半ですが当時の手兵だったフィルハーモニア管弦楽団は低迷期だったと言われる。
英・ロンドンを本拠とするオーケストラ。1945年に英レコード会社EMIのプロデューサー、ウォルター・レッグによって設立されたフィルハーモニア管弦楽団は1964年に活動停止・解散の通告を受けた後に、1964~77年まで自主運営で活動した。
録音当時はニュー・フィルハーモニア管弦楽団と名乗っていた名門も、ここでは優れたパフォーマンスを示している。時として情緒豊かにメロディを鳴らし、時として熱くオーケストラを語らせるイタリア人ムーティの自在な、しかし落ち着いたタクトがこの曲想に良くあっている。ロシア指揮者以外で、これほど終始緊張を持続させてドラマチックに描ききった指揮者がいるでしょうか。
チャイコフスキーは最初の二つの交響曲では国民楽派的な音楽作りをしていたのですが、そこからの脱却を目指したのがこの第3番の交響曲でした。しかし、「思いはあっても力は及ばず」という事は否定できず、結果として非常に中途半端な作品になってしまいました。休符の多様が間延びする演奏となってしまう録音が多い第1楽章は、長い序奏部から来るべきドラマの予兆を孕み、夜露を思わせる色彩も印象的。主部の突入の仕方は、それまでの流れをばっさり断ち切るような突進力を発揮。
こんなに音楽が沸き立っては、しっとりとした第2主題へどうやって繋げるかと思うと、これがセンスの塊としか言いようなの意見事な移行。その第2主題後の疾走の鮮やかさと力感の高め方は、ムーティの最良の資質を出し切った箇所として忘れられません。オーケストラの鉄壁なアンサンブルにもご注目。
終楽章は冒頭から弦楽器群が縦の線を異様なまでに完璧に揃えながら突進を続ける様に鳥肌もの。第1エピソードを管楽器が奏でている最中も弦楽器群が決死の覚悟でそれを支え、緊張感は更に高まります。そして驚異のコーダがこの曲の極めつけの名演です。
このオーケストラの持つ弦の柔らかさと緻密なアンサンブル、マイルドな金管といった個性はヘルベルト・フォン・カラヤン以来の特徴でしたが、ナポリ生まれの熱血漢というイメージをまったく感じさせない、流麗でなめらかな演奏となっている。
ムーティは在任期間、それらに磨きをかけ、さらに敏感なまでのリズム感と強靭なカンタービレを持ち込んで素晴らしい成果を残した。それはオットー・クレンペラー亡き後にムーティを後任として選出した、当時のニューが付いていた頃のフィルハーモニア管弦楽団(1964年に楽団の名誉総裁に就いたクレンペラーの指揮によるベートーヴェンの交響曲「第九」から始動し、翌年にはイーゴリ・ストラヴィンスキー指揮による自作自演プログラムほか意欲的な演奏活動を展開。クレンペラー引退間近にはクルト・ザンデルリンクが首席客演指揮者に就き、その後、ムーティが常任指揮者・音楽監督を歴任。)が、歌心あふれる演奏を取り戻す、思えば極めて大胆な決断に応えた。
ムーティ時代の1977年より再びフィルハーモニア管弦楽団として活動を継続。2008年に首席指揮者に就任したエサ=ペッカ・サロネンと集大成ともいえる活発な演奏会を繰り広げている。
英・ロンドンを本拠とするオーケストラ。1945年に英レコード会社EMIのプロデューサー、ウォルター・レッグによって設立されたフィルハーモニア管弦楽団は1964年に活動停止・解散の通告を受けた後に、1964~77年まで自主運営で活動した。
録音当時はニュー・フィルハーモニア管弦楽団と名乗っていた名門も、ここでは優れたパフォーマンスを示している。時として情緒豊かにメロディを鳴らし、時として熱くオーケストラを語らせるイタリア人ムーティの自在な、しかし落ち着いたタクトがこの曲想に良くあっている。ロシア指揮者以外で、これほど終始緊張を持続させてドラマチックに描ききった指揮者がいるでしょうか。
チャイコフスキーは最初の二つの交響曲では国民楽派的な音楽作りをしていたのですが、そこからの脱却を目指したのがこの第3番の交響曲でした。しかし、「思いはあっても力は及ばず」という事は否定できず、結果として非常に中途半端な作品になってしまいました。休符の多様が間延びする演奏となってしまう録音が多い第1楽章は、長い序奏部から来るべきドラマの予兆を孕み、夜露を思わせる色彩も印象的。主部の突入の仕方は、それまでの流れをばっさり断ち切るような突進力を発揮。
こんなに音楽が沸き立っては、しっとりとした第2主題へどうやって繋げるかと思うと、これがセンスの塊としか言いようなの意見事な移行。その第2主題後の疾走の鮮やかさと力感の高め方は、ムーティの最良の資質を出し切った箇所として忘れられません。オーケストラの鉄壁なアンサンブルにもご注目。
終楽章は冒頭から弦楽器群が縦の線を異様なまでに完璧に揃えながら突進を続ける様に鳥肌もの。第1エピソードを管楽器が奏でている最中も弦楽器群が決死の覚悟でそれを支え、緊張感は更に高まります。そして驚異のコーダがこの曲の極めつけの名演です。
このオーケストラの持つ弦の柔らかさと緻密なアンサンブル、マイルドな金管といった個性はヘルベルト・フォン・カラヤン以来の特徴でしたが、ナポリ生まれの熱血漢というイメージをまったく感じさせない、流麗でなめらかな演奏となっている。
ムーティは在任期間、それらに磨きをかけ、さらに敏感なまでのリズム感と強靭なカンタービレを持ち込んで素晴らしい成果を残した。それはオットー・クレンペラー亡き後にムーティを後任として選出した、当時のニューが付いていた頃のフィルハーモニア管弦楽団(1964年に楽団の名誉総裁に就いたクレンペラーの指揮によるベートーヴェンの交響曲「第九」から始動し、翌年にはイーゴリ・ストラヴィンスキー指揮による自作自演プログラムほか意欲的な演奏活動を展開。クレンペラー引退間近にはクルト・ザンデルリンクが首席客演指揮者に就き、その後、ムーティが常任指揮者・音楽監督を歴任。)が、歌心あふれる演奏を取り戻す、思えば極めて大胆な決断に応えた。
ムーティ時代の1977年より再びフィルハーモニア管弦楽団として活動を継続。2008年に首席指揮者に就任したエサ=ペッカ・サロネンと集大成ともいえる活発な演奏会を繰り広げている。
プロダクト・ディテール(オリジナル盤)
- オーケストラフィルハーモニア管弦楽団
- 指揮者リッカルド・ムーティ
- 作曲家ピョートル・チャイコフスキー
- タイトルリッカルド・ムーティ チャイコフスキー・交響曲3番「ポーランド」 EMI ASD3449
- レーベルEMI
- レコード番号ASD3449
- 録音年月日1977年6月24,25日、7月20日
- 録音場所ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ
- 録音チームジョン・モードラー、ネヴィル・ボイリング
- 録音種別STEREO
- 製盤国GB(イギリス)盤
- 製造年1978
- レーベル世代WHITE&BLACK STAMP DOG
- レコード盤重量130㌘
- カルテ(交響曲)クワドラフォニック盤
レコードのカバー、レーベル写真
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