ケルビーニの宗教音楽の最高傑作!
9月14日
イタリア生まれのパリで活躍した作曲家、ケルビーニが生まれた日(1760年)。作曲の腕前はベートーヴェンが「当代一のオペラ作家」と評すほど。また教育面でもパリ音楽院の院長として指導に尽力した。対位法の教科書を執筆し、後にドビュッシーやラヴェルも同書で学び、現代でもなお多くの対位法学習者に支持されている。
FR VSM 2C 069-03.950 リッカルド・ムーティ アンブロジアン・シンガーズ フィルハーモニア管弦楽団 ケルビーニ レクイエム ハ短調 ルイ16世の追悼に寄せて
FR COLOR STAMP DOG, 120㌘重量盤.
- Record Karte
- 1981年7月17.18日、ロンドン、キングズウェイ・ホール。Chorus Master – John McCarthy, Art Direction – John Mordler, Engineer – Neville Boyling.
ベートーヴェンが「当代一のオペラ作家」と評した腕前。
― ルイージ・ケルビーニは、イタリア出身のフランスの作曲家・音楽教師。本名はマリア・ルイージ・カルロ・ゼノービオ・サルヴァトーレ・ケルビーニ(Maria Luigi Carlo Zenobio Salvatore Cherubini)。ケルビーニの作品で1797年3月13日にパリで初演された『メデア』は最も有名なオペラでしたが、1820年代にジョアキーノ・ロッシーニの、華々しい声楽の技巧を凝らした輝かしく熱っぽいオペラがパリに上陸すると、古典的な厳粛さをそなえたケルビーニのオペラは、クリストフ・ヴィリバルト・グルックやガスパーレ・スポンティーニらの作品と同様に、時代遅れになった。
しかし『メデア』は、主役を演じられる歌手が間に合えば、時々復活することもある。現代でこの作品の復活に最も貢献したのは、1953年にヴィットリオ・グイの指揮で主役を演じたマリア・カラスのフィレンツェ公演とされる。
彼の理想主義や独立不羈といった気骨や、作品のとりわけ厳粛で高邁な性質のために、当時のパリ音楽院院長であったことが知られるくらいで、錚々たる音楽家からの尊敬を勝ち得た人物であることを想像するのは難しいかもしれません。しかし、モーツァルト、ガブリエル・フォーレ、ジュゼッペ・ヴェルディの作品を3大レクイエム、そこにケルビーニとベルリオーズを加えて5大レクイエムと呼んでいます。ロッシーニのフランス進出後にオペラ界での名声が凋落したため、今日さほど著名ではないものの、同時代の人々には高く評価され、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはケルビーニを、当時の最もすぐれたオペラ作曲家と見なした。またケルビーニが執筆した『対位法とフーガ講座』は、フレデリック・ショパンやロベルト、クララ・シューマン夫妻も用いたほどであった。今日さほど著名ではないものの、ケルビーニはベートーヴェンとそれに続く時代のあいだ ― クロード・ドビュッシーやモーリス・ラヴェルでさえ例外ではありません。― に生きた、音楽の覇者です。
しかし『メデア』は、主役を演じられる歌手が間に合えば、時々復活することもある。現代でこの作品の復活に最も貢献したのは、1953年にヴィットリオ・グイの指揮で主役を演じたマリア・カラスのフィレンツェ公演とされる。
彼の理想主義や独立不羈といった気骨や、作品のとりわけ厳粛で高邁な性質のために、当時のパリ音楽院院長であったことが知られるくらいで、錚々たる音楽家からの尊敬を勝ち得た人物であることを想像するのは難しいかもしれません。しかし、モーツァルト、ガブリエル・フォーレ、ジュゼッペ・ヴェルディの作品を3大レクイエム、そこにケルビーニとベルリオーズを加えて5大レクイエムと呼んでいます。ロッシーニのフランス進出後にオペラ界での名声が凋落したため、今日さほど著名ではないものの、同時代の人々には高く評価され、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはケルビーニを、当時の最もすぐれたオペラ作曲家と見なした。またケルビーニが執筆した『対位法とフーガ講座』は、フレデリック・ショパンやロベルト、クララ・シューマン夫妻も用いたほどであった。今日さほど著名ではないものの、ケルビーニはベートーヴェンとそれに続く時代のあいだ ― クロード・ドビュッシーやモーリス・ラヴェルでさえ例外ではありません。― に生きた、音楽の覇者です。
ムーティとフィルハーモニア管弦楽団
リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti)は専制君主的なマッチョのイメージがあるが、楽団の美点を十分に発揮させているのが好ましい。
このオーケストラの持つ弦の柔らかさと緻密なアンサンブル、マイルドな金管といった個性はヘルベルト・フォン・カラヤン以来の特徴でしたが、ムーティは在任期間、それらに磨きをかけ、さらに敏感なまでのリズム感と強靭なカンタービレを持ち込んで素晴らしい成果を残した。
それはオットー・クレンペラー亡き後にムーティを後任として選出した、当時のニューが付いていた頃のフィルハーモニア管弦楽団が、歌心あふれる演奏を取り戻す、思えば極めて大胆な決断を行ったものです。
本盤録音時35歳のムーティの熱血かつ、情熱と表現意欲に富んだオーケストラが見事。イギリスのオーケストラとは思えない、強靭なカンタービレと歌をニューが付いていたころのフィルハーモニア管から引き出してます。名門、フィルハーモニア管は当時は低迷期だったと言われるが、本盤では優れたパフォーマンスを示している。
このオーケストラの持つ弦の柔らかさと緻密なアンサンブル、マイルドな金管といった個性はヘルベルト・フォン・カラヤン以来の特徴でしたが、ムーティは在任期間、それらに磨きをかけ、さらに敏感なまでのリズム感と強靭なカンタービレを持ち込んで素晴らしい成果を残した。
それはオットー・クレンペラー亡き後にムーティを後任として選出した、当時のニューが付いていた頃のフィルハーモニア管弦楽団が、歌心あふれる演奏を取り戻す、思えば極めて大胆な決断を行ったものです。
本盤録音時35歳のムーティの熱血かつ、情熱と表現意欲に富んだオーケストラが見事。イギリスのオーケストラとは思えない、強靭なカンタービレと歌をニューが付いていたころのフィルハーモニア管から引き出してます。名門、フィルハーモニア管は当時は低迷期だったと言われるが、本盤では優れたパフォーマンスを示している。
なぜムーティがケルビーニにぞっこんなのか
現代の巨匠で、ケルビーニの蘇演にかけているのがナポリ生まれの熱血漢リッカルド・ムーティ。
イタリア全土から集まった30歳以下の若者で構成され、3年間のみ在籍が認められるユースオーケストラを組織して、ルイージ・ケルビーニ管弦楽団と命名するほど。ムーティがフィルハーモニア管弦楽団にいた頃から構想をあたためてきたというケルビーニ管の誕生は、自分のキャリアの中で得た知識を若い音楽家たちに伝えたいという、ムーティの意思と強い希望に着想を得たものである。
「特に、幸運にも一緒に仕事をしてこれた素晴らしいオーケストラと」築いてきたキャリアの中で得たものを、伝えたいというムーティの意思と希望である。1760年9月フィレンツェに生まれたケルビーニ(1760〜1842)の近年ますます注目を浴びる合唱作品を、ガブリエレ・フェッロの同志と共に、その音楽史上の重要性をアピールすることに情熱を注ぐムーティの思いをしっかり汲んだ、オーケストラの鉄壁なアンサンブルにもご注目。
この曲を指揮するムーティやフィルハーモニア管弦楽団・合唱団は、1981年時点で最早この曲の長所を如何なく引き出す事に成功している。
イタリア全土から集まった30歳以下の若者で構成され、3年間のみ在籍が認められるユースオーケストラを組織して、ルイージ・ケルビーニ管弦楽団と命名するほど。ムーティがフィルハーモニア管弦楽団にいた頃から構想をあたためてきたというケルビーニ管の誕生は、自分のキャリアの中で得た知識を若い音楽家たちに伝えたいという、ムーティの意思と強い希望に着想を得たものである。
「特に、幸運にも一緒に仕事をしてこれた素晴らしいオーケストラと」築いてきたキャリアの中で得たものを、伝えたいというムーティの意思と希望である。1760年9月フィレンツェに生まれたケルビーニ(1760〜1842)の近年ますます注目を浴びる合唱作品を、ガブリエレ・フェッロの同志と共に、その音楽史上の重要性をアピールすることに情熱を注ぐムーティの思いをしっかり汲んだ、オーケストラの鉄壁なアンサンブルにもご注目。
この曲を指揮するムーティやフィルハーモニア管弦楽団・合唱団は、1981年時点で最早この曲の長所を如何なく引き出す事に成功している。
モーツァルトのレクイエムよりも優れている『レクイエム ハ短調』 ― Requiem en do mineur à la mémoire de Louis XVI
ルイ16世の処刑を悼んでミサを行うために、ルイ18世の命によって作曲された、厳粛で劇的な名曲『レクイエム ハ短調』(1816年)は、非常に大きな成功をおさめた。
ベートーヴェンは「もしレクィエムを書けと言われたら、ケルビーニの曲だけを手本にしただろう」と言ったというのは、よく知られているが、ベートーヴェンはこの作品をモーツァルトのレクイエムを凌ぐ作品と考えていたし、ハンス・フォン・ビューローはこの作品を「モーツァルトのレクイエムよりも優れている」と評価した。この作品はベートーヴェンだけでなく、エクトール・ベルリオーズ、シューマンやヨハネス・ブラームスにも絶賛されている。なお、ケルビーニ自身がヨーゼフ・ハイドンやヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの支持者だった。
ベートーヴェンは「もしレクィエムを書けと言われたら、ケルビーニの曲だけを手本にしただろう」と言ったというのは、よく知られているが、ベートーヴェンはこの作品をモーツァルトのレクイエムを凌ぐ作品と考えていたし、ハンス・フォン・ビューローはこの作品を「モーツァルトのレクイエムよりも優れている」と評価した。この作品はベートーヴェンだけでなく、エクトール・ベルリオーズ、シューマンやヨハネス・ブラームスにも絶賛されている。なお、ケルビーニ自身がヨーゼフ・ハイドンやヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの支持者だった。
革命の犠牲となって、断頭台上の露と消えたルイ16世の運命はケルビーニ自ら目の当たりに見たところであったから、ケルビーニは並々ならぬ感動をもって作曲に取り組んだと言われる。全体の渋い色調と深い劇的表現にゲルマン的な力強さが漂っていて。的確な形式感にフランスの巨匠の洗練された感覚がうかがわれ、美しい合唱旋律がみなぎる運命的な迫力がある。地上の光輝も権勢も神の前には無にすぎぬことを、王の悲惨な運命ほど如実に教えるものはないとでも言うのか。華やかさを排し、「怒りの日」の劇的な迫力。奉納唱(オッフェルトリウム)での激しいリズムによって地獄を描写した管弦楽。不穏な予感と神秘的な雰囲気の「入祭唱とキリエ」。ヴァイオリンの優しい響きと共に歌われる女声2部合唱にテノールが加わり、清純さと天上的な3部合唱で素晴らしい世界を待ち望む。革命に批判的であったケルビーニはこの曲にルイ16世ばかりでなく、革命の犠牲となった多くの死者への思いを託したに違いない。
モーツァルト、フォーレ、ヴェルディの3大レクイエムにケルビーニとベルリオーズを加えて5大レクイエム。
「入斉唱とキリエ」ではじまる、全7曲のうち最初の2曲では、ヴィオラ以下の低弦のみで奏される。これを導入として合唱が微かな祈りを始める。呟くような低弦と合唱が対話をしているように曲は進行する。神秘的な響きの中で、永遠の安息を願う祈りは次第にくっきりとしてくる。華やかさはないものの、低音中心の渋い響きの音楽は、まろやかで豊かな、暖かくふくよかな響きに魅了される。ケルビーニは〈19世紀のパレストリーナ〉と言われていたことも頷ける。
混声合唱ながら独唱はなく、合唱もユニゾンで歌われる部分が多いのが特徴。オーケストラにはフルートが使われていないため、音色が暗めになっており、バスーンとヴィオラの働きに重みが担われている。前2曲の静けさから一転し、「怒りの日」は力強く迫力ある合唱で緊張感が一気に高まる。「怒りの日」を告げる金管楽器が豪壮に鳴らされ、タムタムの不気味な強打によって、強い印象がもたらされると迫力ある合唱がそれに続く。ヴァイオリンを伴ったソプラノの優美な歌は、テノール、ソプラノ、バス、ソプラノと受け継がれ、やがて4部合唱となる。速度が徐々に早まり、さらに、激しい展開となり裁きの火の恐ろしい業火の描写、主の憐れみを乞うかよわい呼び声がこだまするなか、「嘆きの日」がしみじみと歌われる。
ミサの音楽的中心となる大規模な「奉納唱」は、
「聖なるかな」は死せる王者 ― ルイ16世の世俗的光輝な力が「怒りの日」と「奉納唱」に対峙する短い楽曲だが、非常に神々しい力感に溢れた賛歌。
主にひれ伏して慈悲を乞う祈りの歌がソプラノとテノールによってしみじみと歌われ、クラリネットのソロの悲哀をおびた旋律が流れる第6曲「ピエ・イエス」から、永遠の平和を願う低い呟きが余韻を受け継いで最終曲「アニュス・デイ」。弱く緩やかに弦楽器が奏でる深い苦悩は次第にクレッシェンドしていき、劇的に盛り上がり、合唱の悲痛な叫びが堰を切ってクライマックスをつくる。永遠の安息を願う静かな祈りがこれに続くと、ルイ16世を暗示するハ音があらゆる声部に現れて全曲を終える。最後は長々と続くハ音の残響が運命的な影を落としているかのように静かに結ばれる。
この曲は、ベートーヴェンの葬儀の後の追悼ミサでも演奏されたというエピソードからも、当時いかに高い評価を受けていたかがわかろうというものである。
混声合唱ながら独唱はなく、合唱もユニゾンで歌われる部分が多いのが特徴。オーケストラにはフルートが使われていないため、音色が暗めになっており、バスーンとヴィオラの働きに重みが担われている。前2曲の静けさから一転し、「怒りの日」は力強く迫力ある合唱で緊張感が一気に高まる。「怒りの日」を告げる金管楽器が豪壮に鳴らされ、タムタムの不気味な強打によって、強い印象がもたらされると迫力ある合唱がそれに続く。ヴァイオリンを伴ったソプラノの優美な歌は、テノール、ソプラノ、バス、ソプラノと受け継がれ、やがて4部合唱となる。速度が徐々に早まり、さらに、激しい展開となり裁きの火の恐ろしい業火の描写、主の憐れみを乞うかよわい呼び声がこだまするなか、「嘆きの日」がしみじみと歌われる。
ミサの音楽的中心となる大規模な「奉納唱」は、
ベートーヴェンが《第九》 の最終楽章を書く際に参考にしたのではないだろうかと解説される壮大な二重フーガ。「主がその昔、アブラハムとその子孫に約束し給うたごとく。 ― 主よ、深き淵より、獅子の口より、我らを救い給え」と合唱はキリストの栄光を歌い、管弦楽は激しい付点のリズムによって地獄を描写する、対位法技術の粋が最も高度に昇華された音楽だ。この楽章だけでも、如何な有名レクイエムだろうと太刀打ちできまい。
「聖なるかな」は死せる王者 ― ルイ16世の世俗的光輝な力が「怒りの日」と「奉納唱」に対峙する短い楽曲だが、非常に神々しい力感に溢れた賛歌。
主にひれ伏して慈悲を乞う祈りの歌がソプラノとテノールによってしみじみと歌われ、クラリネットのソロの悲哀をおびた旋律が流れる第6曲「ピエ・イエス」から、永遠の平和を願う低い呟きが余韻を受け継いで最終曲「アニュス・デイ」。弱く緩やかに弦楽器が奏でる深い苦悩は次第にクレッシェンドしていき、劇的に盛り上がり、合唱の悲痛な叫びが堰を切ってクライマックスをつくる。永遠の安息を願う静かな祈りがこれに続くと、ルイ16世を暗示するハ音があらゆる声部に現れて全曲を終える。最後は長々と続くハ音の残響が運命的な影を落としているかのように静かに結ばれる。
この曲は、ベートーヴェンの葬儀の後の追悼ミサでも演奏されたというエピソードからも、当時いかに高い評価を受けていたかがわかろうというものである。
本作はケルビーニの宗教音楽の最高傑作と見られている。20年の時を隔てて「レクイエム ニ短調」を完成している。どちらのレクイエムもソロはなく合唱とオーケストラの演奏なので、純粋に合唱を聴きたいと仰る方にとっては、合唱のための美しいハーモニーが多く聴けるこの2曲はお薦めできます。男声合唱と管弦楽ための「レクイエム」で、比較的珍しい男声合唱用のレクイエムですが、ケルビーニ自身の葬儀のために作曲されたもので、実際に1842年の彼の葬式で歌われたようです。男声合唱ならではの力強さと重厚さがあり、「怒りの日」の激しさ、盛り上がり、また、「サンクトゥス」 の旋律など魅力がある。そして壮大な「アニュスデイ」と。混声合唱の 「レクイエム ハ短調」 より、こちらを好む方が多いかもしれません。リッカルド・ムーティとアンブロジアン・シンガーズの演奏は合唱のハーモニーを重要視した演奏で、実に聴きごたえがあります。「レクイエム ハ短調」同様、「レクイエム ニ短調」も機会があれば、こちらも聞いていただきたい「レクイエム」です。
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品番 | 17143 |
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商品名 | リッカルド・ムーティ ケルビーニ・レクイエム VSM 2C069-03950 |
YIGZYCN
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