名曲、名演、名録音を満喫。
マルティノンとパリ・コンセルヴァトワール・オーケストラによる、オール・フランスならではの名盤。
ジャン・マルティノン パリ音楽院管絃楽団 ベルリオーズ 序曲集 GB LONDON CS6101
- Record Karte
GB WIDE BAND GROOVED ED1相当, STEREO 160㌘重量盤, ブルーバックジャケット、優秀録音、名演、名盤
- 1958年11月3、4日 パリ、メゾン・ド・ラ・シミ録音。
- マルティノンとパリ・コンセルヴァトワール・オーケストラによる、オール・フランスならではの名盤。
- デッカSXL2134のLONDONレーベル盤、英国デッカ・プレスの最初期ED1相当です。
サン=サーンス、ビゼー、ドビュッシー、ラヴェルなどと並んで、ベルリオーズも、われわれ愛好家にとって、フランスの本場の香りを感じさせる一連の名録音だったのです。
サン=サーンス、ビゼー、ドビュッシー、ラヴェルなどと並んで、ベルリオーズも、われわれ愛好家にとって、フランスの本場の香りを感じさせる一連の名録音だったのです。
マルティノンとパリ・コンセルヴァトワール・オーケストラによる、オール・フランスならではの名盤。瀟洒でエレガント。本盤は、ジャン・マルティノンが残した録音の中でもひときわ高く評価されているレコード盤だと思います。フランス出身の作曲家・指揮者のマルティノンは、第二次大戦後から本格的な指揮活動を始め、1976年に惜しまれつつ世を去るまでシカゴ交響楽団やフランス国立管弦楽団の常任指揮者を務めるなど国際的に活躍しました。常にセンスのよさを失わない知的な音楽作りが持ち味で、フランス音楽の佳品を収録したこのディスクでも、シャープで冴えた演奏を繰り広げています。色彩設定と音響造型にみせる鋭敏なセンスといい、あらゆるフレーズに注入された絶妙なニュアンスといい、その目ざましい魅力はいまだに失われていません。残響を効果的に収めた録音も非常に雰囲気豊か。フランス人でなければ、出せないコクが滲み出ています。本盤ベルリオーズやマスネーやマイヤベーアの音楽は、絶対にフランス人が振らなければ、駄目だとハッキリ認識致しました。マルティノン面目躍如の名録音盤。個人的にはこうした色彩豊かなフランスものの録音はハッとするほど良くなければ退屈で聴く気がしませんが、本盤はすぐ聴きたくなるような魅力盤。個人的には、数ある名録音の中でもベスト盤としてお勧め出来ます。
収録曲:ハンガリー行進曲、序曲/ローマの謝肉祭、ベアトリスとベネディクト、ベンヴェヌート・チェッリーニ、海賊。
近代フランス音楽の演奏において別格の存在感を示した指揮者ジャン・マルティノン。モノラル時代からデッカには数々の録音を遺しましたが、ステレオ録音の数は決して多くはありませんでした。その中から得意のフランス音楽を集めたアルバムです。ジャン・マルティノンはシカゴを去った後、ヨーロッパを中心に盛んな演奏活動を続けたが、フランスに戻ってからのマルティノンは以前にも増して意欲的で、その活躍は実に目覚ましかった。シカゴでの制限された窮屈なプログラムから一気に解放されたかのように、この時期の彼は特に母国フランスの作品への集中的な取り組みが注目される。マルティノンの芸風は生涯に渡って明晰なものだったが、フランスに戻ってからのマルティノンは以前にも増して意欲的で、その活躍は実に目覚ましかった。アメリカからヨーロッパに戻った1968年以降はスケール感も増し、オーケストラ・コントロールに長け、ダイナミックな要素と色彩的な要素が巧みなバランスで同居した見事な演奏を行うようになった。1968年から首席指揮者をつとめるようになったフランス国立放送管弦楽団(ORTF)とともに演奏活動を行うようになる。個性の確立された管楽器セクションの活躍により色彩豊かなサウンドを聴かせるORTFを巧みに統率、オーケストレーションに秀でたフランス音楽の魅力を明確に打ち出している。それだけに録音活動も水を得た魚のように精力的に行っていて、マルティノンの音楽性が縦横に発揮されたアルバムになっている。マルティノンはいかにもフランス人らしい指揮者のひとりだが、彼の音楽がもっているきりりと引き締まった造型性、情緒的なものに流されてしまうことなく、余剰なものはすっぱりと切り捨てていく決然とした表現力、緩急強弱といった要素の対比の妙の鮮やかな際立たせ方などは、フランス人指揮者の中では〝硬派〟のタイプに属するマルティノン独自の音楽性である。このような、フランスの指揮者としては珍しいような〝硬派〟な個性をもっていたからこそ、このベルリオーズが特別に聴こえるのだろう。1974年にORTFは改組され、フランス国立管弦楽団となるが、それに伴いマルティノンはそのポストを去り、ハーグ・レジデンティ管弦楽団の常任指揮者に就任。しかしながら、不運にも健康に恵まれず、わずか2年後の1976年にまだ66歳という働き盛りと言ってもいい年齢で鬼籍に入ってしまった。
戦争兵器の技術がもたらした音楽の快楽。
― 世界大戦への気配の最中、潜水艦ソナーのために開発された〝Hi-Fiサウンド〟はレコード・マニアに大いに喜ばれ「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。第2次世界大戦勃発直後の1941年頃に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その際に、潜水艦の音を聞き分ける目的として開発された技術が、当時としては画期的な高音質録音方式として貢献して、レコード好きを増やした。
英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSPレコード盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLPレコード盤を発売する。
特にLPレコード時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPレコードと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。
日本では、1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLPレコード盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。
繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。
1958年にヨーロッパや米RIAAのステレオ・レコードの規格として45/45方式を採用したのを期に、DECCAは自社で開発したV/L方式を断念し、ステレオ・レコードの標準規格となった45/45方式による同社初のステレオ・レコードを7月には、発売。
その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。ffrr技術を受け継いだffss(Full Frequency Stereophonic Sound, 全周波数立体音響)を発表。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。
録音自体は早く1955年7月、世界初のステレオによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全4部作を録音を皮切りに、米RCAビクターへの録音をステレオで開始してLiving Stereoシリーズは大成功する。
レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。
英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSPレコード盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLPレコード盤を発売する。
特にLPレコード時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPレコードと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。
日本では、1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLPレコード盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。
繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。
1958年にヨーロッパや米RIAAのステレオ・レコードの規格として45/45方式を採用したのを期に、DECCAは自社で開発したV/L方式を断念し、ステレオ・レコードの標準規格となった45/45方式による同社初のステレオ・レコードを7月には、発売。
その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。ffrr技術を受け継いだffss(Full Frequency Stereophonic Sound, 全周波数立体音響)を発表。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。
録音自体は早く1955年7月、世界初のステレオによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全4部作を録音を皮切りに、米RCAビクターへの録音をステレオで開始してLiving Stereoシリーズは大成功する。
レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。
プロダクト・ディテール(オリジナル盤)
- オーケストラパリ音楽院管絃楽団
- 指揮者ジャン・マルティノン
- 作曲家エクトル・ベルリオーズ
- 曲目
- 序曲:ローマの謝肉祭
- 序曲:ベンヴェヌート・チェッリーニ
- 『ファウストの劫罰』よりハンガリー行進曲
- 序曲:ベアトリスとベネディクト
- 序曲:海賊
- 録音年月日1958年11月3、4日
- 録音場所パリ、メゾン・ド・ラ・シミ
- レーベルLONDON
- レコード番号CS6101
- 録音種別STEREO
- 製盤国GB(イギリス)盤
- レーベル世代WIDE BAND GROOVED ED1相当
- レコード盤重量160㌘
- スタンパー1K/1K.
- ノートブルーバックジャケット、優秀録音、名演、名盤
CDはアマゾンで購入できます。
マルティノン(ジャン)
ユニバーサル ミュージック クラシック
2002-03-27
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