数ある「ラ・ボエーム」の中でも、他を大きく引離す名盤。

若きパヴァロッティの声を聴いた後は、誰彼歌うロドルフォを聴いても物足りなさを感じます。ミミはフレーニがまた良い!
セールスポイントはカラヤンのデッカへの復帰第1弾、ベルリン・フィルのデッカ初登場としても話題になった注目盤でした!
2024年の今年の漢字一文字は〝金〟でしたが。本盤レコーディングは。デッカ制作陣もカルーショーの系譜一級のレイ・ミュンシャル、ジェームス・マリンソン、ゴードン・パリー、ジェームス・ロック、コーリン・マーフォートの5人そう揃いでベルリン・聖キリスト教会に送り込む力の入れよう。なんとも経費無視してのこと。名盤となること予見していたかのような〝金〟のかけ方でした。
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  • Record Karte
  • 日本初出、全面SET565-6と全く同一輸入スタンパー使用盤2枚組
      • 1972年10月ベルリン、イエス・キリスト教会でのレイ・ミンシャル、ジェームズ・マリンソン、ゴードン・パリー、ジェームズ・ロック、コリン・ムアフットによるセッション、ステレオ録音。

カラヤン初の、そして唯一のデッカ録音。若き画家とお針子、パリのボヘミアン達の青春を描き出すプッチーニの傑作ラ・ボエームの汎ゆる点で理想的な名盤。

数々の話題を集めてカラヤンがせつせつとうたいあげた美しくも悲しい恋の物語

― カラヤンのロンドンレコード復帰第一弾。ベルリン・フィルのロンドンレコード初登場。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。これを以って、〝オペラはロンドン〟とした謳い文句は、堂々たる金看板となった。もしオペラの上演に古典的・規範的名舞台というのがあるとすれば、1963年にミラノ・スカラ座で生まれたフランコ・ゼッフィレルリ演出、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のジャコモ・プッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》はその好例として真っ先に挙げられる。1965年には舞台の映像化も行なわれ映画として各地で上映され、主役のミミを可憐に演じたミレッラ・フレーニとともに《ラ・ボエーム》というオペラのイメージを最も鮮明な形で具現化した舞台として定着しました。それから7年、フレーニのミミはそのままに、オーケストラをベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に持ち替え、さらに新進気鋭のルチアーノ・パヴァロッティをロドルフォに迎えて録音が実現したのがこのデッカ盤です。乳母が同じ(?)であったと言う伊パドヴァ出身の幼なじみ故パヴァロッティとフレーニの甘く柔らかな声は見事に溶けあい、プッチーニの若き画家とお針子さんを歌うために生まれたのではないかと思えるほど。レコーディング・エンジニアのジェームズ・ロックによると、カラヤンは、このオペラに慣れていなかったベルリン・フィルにオーケストラだけの綿密なリハーサルを行なうことでプッチーニの語法を習熟させ、さらに歌手には暗譜で歌うことを求め、基本的に場面ごとの大きなテイクを録ることで、作品のドラマの流れを途切れさせないように配慮したとのことです。カラヤンがベルリン・フィルのダイナミックかつ繊細な表現力を最大限に生かして、プッチーニがオーケストラ・パートに託したドラマを完璧に再現していくさまは鮮やかなほど。そのオーケストラの豪華なカンバスの上で、適材適所の歌手がみずみずしい情感あふれる歌を披露しています。主役の二人はもちろんのこと、マルチェッロにヴェテランのロランド・パネライ、コルリーネにニコライ・ギャウロフ、ムゼッタにはドイツ・グラモフォン録音のフランツ・レハールのオペレッタ「メリー・ウィドウ」の主役を歌わせたエリザベス・ハーウッドなど、心憎いまでに配慮の行きとどいたキャスティングです。カラヤンはその後20年に幾度となくこの上演を指揮し、美しく細やかな音色と効果に満ちたカラヤンの指揮、フレーニのみずみずしい情感、4人のボヘミアンたちの個性的な歌、すべて申し分ない出来栄えである。録音が行なわれたイエス・キリスト教会は、ベルリン郊外のダーレム地区にあって1950年代初頭から1972年までドイツ・グラモフォンによってベルリン・フィルの録音がほぼ独占的に行なわれていた教会です。デッカがこの教会でベルリン・フィルを録音するのはこの《ラ・ボエーム》のセッションが初めて ― そして現在に至るまで唯一のことで、その意味でも歴史的な録音といえるでしょう。ステレオ初期から〝ソニックステージ〟を標榜してオペラ録音には一家言を持つデッカの総力を結集した録音に相応しく、教会の豊かな響きを十分に生かした大きな空間の中で、スケールの大きな音像を展開させています。特に第2幕で独唱・合唱・少年合唱や別働隊のバンダなどのさまざまなアンサンブルが動員される時の遠近感の付け方の見事さや、第3幕冒頭の冬の戸外の静謐な情景など、舞台が鮮明に眼に浮かぶような音づくりがされています。録音から半世紀以上経ているが、カラヤンは、聴き手が望んでいることを完全に読み取ることができたのだろう。そして、真実はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を起用できなかったことでの苦肉の策からのことではあったが、自分が意とする響きを出してくれるベルリン・フィルという最高の楽器によって実現出来たのである。そうした姿勢がアンチカラヤンを作ってしまったのだろうが、カラヤンがやってきたことは、他の指揮者は出来るのだろうか? 自分の思い通りにオーケストラをドライブするという技術において、カラヤンの右に出る者はいないと本盤を聴くたびに思います。
ジュゼッペ・ヴェルディの流れをくみ。19世紀末から20世紀初期にかけて活躍したイタリア最大の歌劇作曲家であるジャコモ・プッチーニ(1858.12.22 〜 1924.11.29、イタリア)は、世界中の人の心を打つ唯一の歌劇作曲家だ。ミラノ音楽院でマスカーニとともにポンキェッリの薫陶を受けた後、1873年に歌劇の第3作「マノン・レスコー」で初めて大成功を博し、1896年「ラ・ボエーム」、1900年「トスカ」、1904年「蝶々夫人」、1910年「西部の娘」、1918年に1幕ものの三部作、1926年に最後の作品「トゥーランドット」を発表して、イタリア歌劇界の王座に君臨した。プッチーニの歌劇の題材は、万人の胸を打つ人情味豊かなものが多く、その音楽は、極めて美しく、劇的効果の盛り上げ方が優れている。今日、プッチーニの作品は、リヒャルト・ワーグナー、ヴェルディとともに、世界の歌劇場のレパートリーに欠かすことの出来ないものになっている。
プッチーニの旋律は、しばしば息が長いにもかかわらず覚えやすく、しかも口ずさみやすい。しかも、とってつけたようなぎこちなさがまったくなく自然で滑らかに流れていく。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の重厚極まりない音色は、プッチーニの音楽に相応しいとは言い難いが、ある種のシンフォニックなそのアプローチは、ユニークな美しさを生み出している。カラヤン&ベルリン・フィルのドラマティックな演奏の上手さに驚かされる。ミミはフレーニがまた良い。音楽のイニシアティブはヘルベルト・フォン・カラヤンが握っているが、フレーニの精妙な役作りには、カラヤンさえもがその覇権を譲る。ミレッラ・フレーニは最上のミミの演唱であり、ルチアーノ・パヴァロッティのロドルフォも彼の最高の歌唱。ロドルフォを歌う、まだ若きパバロッティの声で聴いたら、それからは誰彼歌うロドルフォを聴いても物足りなさを感じます。カラヤンが録音したプッチーニ録音の中でも随一の名盤であり、フレーニ、パヴァロッティというこの時代を代表する名歌手の声の絶頂期の素晴らしい記録である。数ある《ラ・ボエーム》の中でも、他を大きく引き離す名盤。そして、英DECCAの録音は、鮮度が高く素晴らしい録音です。制作陣も、ジョン・カルショウの教え子勢揃い、レイ・ミンシャル、ジェームズ・マリンソン、エンジニアは、ゴードン・パリー、ジェームズ・ロック、コリン・ムアフット其々数頭立ての豪華布陣。
  • フレーニ&パヴァロッティ・カラヤン・ベルリンフィル プッチーニ・ボエーム全曲 LONDON SLC7191
  • SLC-7191

戦争兵器の技術がもたらした音楽の快楽。


― 世界大戦への気配の最中、潜水艦ソナーのために開発された〝Hi-Fiサウンド〟はレコード・マニアに大いに喜ばれ「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。

ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。第2次世界大戦勃発直後の1941年頃に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その際に、潜水艦の音を聞き分ける目的として開発された技術が、当時としては画期的な高音質録音方式として貢献して、レコード好きを増やした。
英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSPレコード盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLPレコード盤を発売する。
特にLPレコード時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPレコードと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。
日本では、1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLPレコード盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。
繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。
1958年にヨーロッパや米RIAAのステレオ・レコードの規格として45/45方式を採用したのを期に、DECCAは自社で開発したV/L方式を断念し、ステレオ・レコードの標準規格となった45/45方式による同社初のステレオ・レコードを7月には、発売。
その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。ffrr技術を受け継いだffss(Full Frequency Stereophonic Sound, 全周波数立体音響)を発表。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。
録音自体は早く1955年7月、世界初のステレオによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全4部作を録音を皮切りに、米RCAビクターへの録音をステレオで開始してLiving Stereoシリーズは大成功する。
レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。

プロダクト・ディテール(日本オリジナル盤)

  1. 演奏者
    ミレッラ・フレーニ ルチアーノ・パヴァロッティ
  2. オーケストラ
    ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  3. 指揮者
    ヘルベルト・フォン・カラヤン
  4. 作曲家
    ジャコモ・プッチーニ
  5. タイトル
    歌劇「ラ・ボエーム」全曲
  6. 録音年月
    1972年10月
  7. 録音場所
    ベルリン、イエス・キリスト教会
  8. 録音チーム
    レイ・ミンシャル、ジェームズ・マリンソン、ゴードン・パリー、ジェームズ・ロック、コリン・ムアフット
  9. レーベル
    LONDON
  10. レコード番号
    SLC7191
  11. 録音種別
    STEREO
  12. 製盤国
    JP(日本)盤
  13. 製造年
    1973
  14. レーベル世代
    日本初出
  15. スタンパー
    1G/2G/2G/2G, 日本初出全面SET565-6と全く同一輸入スタンパー使用盤2枚組.
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プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」
ヘルベルト・フォン・カラヤン
ユニバーサル ミュージック
2018-03-07

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