DE DGG 2740 128 ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 エディト・マティス リゼロッテ・レープマン ヴェルナー・ホルヴェーク メンデルスゾーン 交響曲全集
- Record Karte
DE BLUELINE, 1971〜73年の優秀録音です。
- 演奏:エディト・マティス(ソプラノ)、リゼロッテ・レープマン(ソプラノ)、ヴェルナー・ホルヴェーク(テノール)、ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)。
- 録音:1973年9月9日、11月1日(1番)、1972年9月7-11日/1973年2月23日(2番)、1971年1月(3番、4番)、1971年1月2,8,22日/2月17日(5番)1971,72年ベルリン、ダーレムのイエス・キリスト教会でのスタジオ録音。
- プロデューサー:ハンス・ヒルシュ
- ディレクター:ハンス・ウェーバー
- エンジニア:ギュンター・ヘルマンス、クラウス・シャイベ
《カラヤンの名盤セレクト・トップ10》
カラヤン唯一のメンデルスゾーン ― 1971年録音の絶頂期カラヤン&ベルリン・フィルによる、とにかく美しいメンデルスゾーン。
カラヤン=ベルリン・フィルは20世紀クラシック界最高の組合せでした。1956年ベルリン・フィルの終身常任指揮者に就任して以来、カラヤンはこの超一流オーケストラを完全に手中に収め、素晴らしい名演を世に送りつづけます。
125年の歴史がある世界で最も有名なクラシック音楽レーベルの一つであるドイツ・グラモフォン(Deutsche Grammophon)は、1898年の創立以来、常に最高峰の芸術性と音質を確立してきました。イギリス・グラモフォン社を経営母体とする、ドイツの豊富な労働者を雇用したレコード・プレス工場でした。
アルトゥール・ニキシュがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した。(ベルリン・フィルは1882年の創立。)ベートーヴェンの交響曲第5番の初めての全曲録音が行なわれたのは1913年。ベルリン・フィルはドイツ・グラモフォンに録音したレコードを発売して行きます。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮してドイツ・グラモフォンでの初めての録音(ベートーヴェンの交響曲第5番とウェーバーの歌劇《魔弾の射手》序曲)を行なったのは1926年。ラジオ放送とレコードで、ベルリン・フィルの演奏は多くの聞き手に届くようになります。1938年、ヘルベルト・フォン・カラヤンが初めてドイツ・グラモフォンで録音した。
ドイツの優秀な技術力で、ドイツ・グラモフォンは音の大小でレコード溝の間隔を可変させるカッティング方式を発明して1950年、片面の演奏時間が9分まで収められる78回転レコードが登場。翌年、最初の33回転の長時間レコード(LPとして知られている)をリリースした。
フルトヴェングラーが没するとカラヤンは、戦後ドイツ・グラモフォンが古典派、ロマン派のレパートリーにおいて確固たる地位を確立する上で重要な役割を演じた。1959年から1989年までの30年間の間にドイツ・グラモフォンで3つのベートーヴェンの交響曲全集、ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》をはじめとした330枚のレコードを制作することになる。
アルトゥール・ニキシュがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した。(ベルリン・フィルは1882年の創立。)ベートーヴェンの交響曲第5番の初めての全曲録音が行なわれたのは1913年。ベルリン・フィルはドイツ・グラモフォンに録音したレコードを発売して行きます。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮してドイツ・グラモフォンでの初めての録音(ベートーヴェンの交響曲第5番とウェーバーの歌劇《魔弾の射手》序曲)を行なったのは1926年。ラジオ放送とレコードで、ベルリン・フィルの演奏は多くの聞き手に届くようになります。1938年、ヘルベルト・フォン・カラヤンが初めてドイツ・グラモフォンで録音した。
ドイツの優秀な技術力で、ドイツ・グラモフォンは音の大小でレコード溝の間隔を可変させるカッティング方式を発明して1950年、片面の演奏時間が9分まで収められる78回転レコードが登場。翌年、最初の33回転の長時間レコード(LPとして知られている)をリリースした。
フルトヴェングラーが没するとカラヤンは、戦後ドイツ・グラモフォンが古典派、ロマン派のレパートリーにおいて確固たる地位を確立する上で重要な役割を演じた。1959年から1989年までの30年間の間にドイツ・グラモフォンで3つのベートーヴェンの交響曲全集、ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》をはじめとした330枚のレコードを制作することになる。
カラヤンが遺した演奏はレコードとして今も美しさは変わらない。
ヘルベルト・フォン・カラヤン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の全盛期の録音。1970年代前半の超名盤として知られるメンデルスゾーンの交響曲全集です。彼らならではのゴージャスかつ色彩感豊かなサウンドは録音から約半世紀経った現在もその輝きは健在。一点の曇りもなければ弛緩もない、明るさと暗さを持ち合わせたメンデルスゾーンだ。
メンデルスゾーンというと、メンデルスゾーン作品の大きな特徴である貴族的優雅さ、明朗で知的な美しさ、類稀なメロディの豊かさといったものが、あたかも短所であるかのように論じられさえした。
長い間、「軽い曲を作った幸せな音楽家」「サロン的音楽家」といったマイナスイメージがもたれていて、しかもそういった誤解はあなどれない。そうしたところが影響した演奏がジャンルを問わず実に多いのは、嘆かわしいことだが。
さてこのカラヤンによる交響曲全集はそうした観念を吹き飛ばす、端正なフォルムと美しさ、そしてマッシヴな力強さが一体となった、会心の演奏である。この時期彼はシューマンの交響曲全集、新ウィーン楽派といった、それまで敬遠してきたレパートリーを積極的に録音したのは周知の通りだが、メンデルスゾーンのシンフォニーでは第5番ニ短調作品107《宗教改革》だけは実演では振っていないようだ。が、しかし構成的にも良くできた曲ですし、これが素晴らしい演奏になっている。
1973年3月録音のヴェルディ・歌劇「オテロ」からベルリン・フィルハーモニーでの録音に代わり、これらのレコーディングまでが、ベルリン、ダーレムのイエスキリスト教会が録音ロケーションになっていました。なかなか臨場感があり、カラヤンも颯爽としたときのもので、 推進力あふれるカラヤンの指揮が見事にマッチした演奏です。
メンデルスゾーンらしいかどうか、それはメンデルスゾーンの音楽に求めているものが聞き手それぞれだからなのだけれども、ただ、フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ本人は自分がユダヤ人であるとかそのようなことは全く気に留めておらず、信仰心の篤いキリスト教徒であり、ドイツの民族主義的な音楽家だったと言われています。
これが《宗教改革》の出来栄えに反映したのか、カラヤンが録音するにあたって、作曲の背景にある《とある人類が引き起こした悲しい歴史》の生々しい記憶に触れようとしたのかは想像の域をでないが、この演奏は鳥肌もの。ダイナミックにして流麗、推進力に満ちた演奏が楽しめる。
カラヤンはメンデルスゾーンの交響曲を録音したがらなかったが、つまりレコード会社のカタログ充実に一肌脱いだ感じだが、いざ録音してみたらやっつけ仕事に堕さず、これほど素晴らしい「芸術品」に仕上げている点、なんだか悩ましい。1971年1月2日、メンデルスゾーンの交響曲第4番イ長調作品90《イタリア》からセッションは始まり、同じ色合いを持つシューマンの交響曲第1番変ロ長調作品38『春』、4番ニ短調作品120とを交互に録音。ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーのバレエ音楽、ジョアキーノ・ロッシーニ歌劇の序曲集の録音を挟んで、ロベルト。シューマンの交響曲第3番ホ長調作品97『ライン』、メンデルスゾーンの序曲《フィンガルの洞窟》、交響曲第3番イ短調作品56《スコットランド》は録音された。こちらもトーンは類似点が多い。それぞれ交響曲全集として先に発売。その後から、3番、4番、5番は分売された。
レコーディングは翌1972年、5番、1番、2番で完成。全集となるとどれも、作曲家の若い意欲で空回りしているところのある「第1番ハ長調作品11」は、手抜きなさのカラヤンらしい真剣演奏が、かえってこの曲の若さを浮き彫りにしてしまった興味深い演奏。第3楽章にあらわれるコラール的雰囲気、第4楽章でのバロック時代のフーガを思わせる書法の表現でカラヤンは、実に見事な世界を作っている。この交響曲全集は私の大の愛聴盤です。
メンデルスゾーンというと、メンデルスゾーン作品の大きな特徴である貴族的優雅さ、明朗で知的な美しさ、類稀なメロディの豊かさといったものが、あたかも短所であるかのように論じられさえした。
長い間、「軽い曲を作った幸せな音楽家」「サロン的音楽家」といったマイナスイメージがもたれていて、しかもそういった誤解はあなどれない。そうしたところが影響した演奏がジャンルを問わず実に多いのは、嘆かわしいことだが。
さてこのカラヤンによる交響曲全集はそうした観念を吹き飛ばす、端正なフォルムと美しさ、そしてマッシヴな力強さが一体となった、会心の演奏である。この時期彼はシューマンの交響曲全集、新ウィーン楽派といった、それまで敬遠してきたレパートリーを積極的に録音したのは周知の通りだが、メンデルスゾーンのシンフォニーでは第5番ニ短調作品107《宗教改革》だけは実演では振っていないようだ。が、しかし構成的にも良くできた曲ですし、これが素晴らしい演奏になっている。
1973年3月録音のヴェルディ・歌劇「オテロ」からベルリン・フィルハーモニーでの録音に代わり、これらのレコーディングまでが、ベルリン、ダーレムのイエスキリスト教会が録音ロケーションになっていました。なかなか臨場感があり、カラヤンも颯爽としたときのもので、 推進力あふれるカラヤンの指揮が見事にマッチした演奏です。
メンデルスゾーンらしいかどうか、それはメンデルスゾーンの音楽に求めているものが聞き手それぞれだからなのだけれども、ただ、フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ本人は自分がユダヤ人であるとかそのようなことは全く気に留めておらず、信仰心の篤いキリスト教徒であり、ドイツの民族主義的な音楽家だったと言われています。
これが《宗教改革》の出来栄えに反映したのか、カラヤンが録音するにあたって、作曲の背景にある《とある人類が引き起こした悲しい歴史》の生々しい記憶に触れようとしたのかは想像の域をでないが、この演奏は鳥肌もの。ダイナミックにして流麗、推進力に満ちた演奏が楽しめる。
カラヤンはメンデルスゾーンの交響曲を録音したがらなかったが、つまりレコード会社のカタログ充実に一肌脱いだ感じだが、いざ録音してみたらやっつけ仕事に堕さず、これほど素晴らしい「芸術品」に仕上げている点、なんだか悩ましい。1971年1月2日、メンデルスゾーンの交響曲第4番イ長調作品90《イタリア》からセッションは始まり、同じ色合いを持つシューマンの交響曲第1番変ロ長調作品38『春』、4番ニ短調作品120とを交互に録音。ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーのバレエ音楽、ジョアキーノ・ロッシーニ歌劇の序曲集の録音を挟んで、ロベルト。シューマンの交響曲第3番ホ長調作品97『ライン』、メンデルスゾーンの序曲《フィンガルの洞窟》、交響曲第3番イ短調作品56《スコットランド》は録音された。こちらもトーンは類似点が多い。それぞれ交響曲全集として先に発売。その後から、3番、4番、5番は分売された。
レコーディングは翌1972年、5番、1番、2番で完成。全集となるとどれも、作曲家の若い意欲で空回りしているところのある「第1番ハ長調作品11」は、手抜きなさのカラヤンらしい真剣演奏が、かえってこの曲の若さを浮き彫りにしてしまった興味深い演奏。第3楽章にあらわれるコラール的雰囲気、第4楽章でのバロック時代のフーガを思わせる書法の表現でカラヤンは、実に見事な世界を作っている。この交響曲全集は私の大の愛聴盤です。
最も輝かしく楽壇の帝王カラヤンらしさという点では最右翼の70年代録音。
ベルリンから南西、シュテーグリッツ=ツェーレンドルフ区のダーレム地区にあるイエス・キリスト教会。この福音主義教会は反ナチ運動を担った告白教会の中心的存在であった。その伝統は現在も受け継がれており、迫害を受けた政治亡命者や、国外追放処分を受けた者たちの避難所ともなっている。最近でも難民たちの避難所としての機能を持っているこの教会はベルリンにおける文化施設の一つでもある。1929年秋、礼拝のための音響に取り組んだヨハネス・ビーレ教授は22㍍に及ぶ高い天井に着目。この天井の高さからもたらされる音響効果の良さは尋常ではなく、礼拝においても、音楽演奏においても教会堂入場者数の多寡に左右されない素晴らしいものであった。この驚くべき効果から礼拝以外にこの教会はクラシック音楽の録音スタジオと演奏会会場としての役割も担っている。演奏される曲目やアーティストの知名度は全く問われないが、有力なオーケストラ、合唱団、国際的なソリスト、指揮者、そして大きな世界シェアを有するレコード会社、ラジオ局、放送局の録音会場として使われている。終戦直後の1950年から1970年代にかけてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の録音場所としてたびたび使われました。外装の印象とは裏腹に内装は大分こじんまりとしている建物で、大きすぎないことが録音に適していたのかもしれません。良好な音響に加えて、教会堂内の長椅子を後方に移動させて、オーケストラと合唱団のための配置スペースを広く確保できること、騒音の無いセントラルヒーティングや優れた室内照明で演奏家や録音技術者たちから評価されている。ここで数々の名録音が生み出されました。ドイツ・グラモフォン, EMI, デッカ・レコード, フィリップス・レコード等のレコードレーベル、レコード会社、とりわけ、西ベルリン・アメリカ軍占領地区放送局(略称、リアス放送局) とドイツ文化ラジオはこの教会を録音会場として高く評価した。
ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルと1971、72年に録音したシューマン、メンデルスゾーンの交響曲全集、チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」「眠れる森の美女」組曲、ロッシーニ歌劇の序曲集、ヴェルディ歌劇のバレエ音楽もここでのもの。
狭めの教会だからでしょうか、割りと残響が残っています。
カラヤンの録音で一番充実しているのは1970年代の録音。再録音の多いチャイコフスキー、ドヴォルザーク、ベートーヴェンと1970年代の演奏は緊張感が違う。この時期の録音こそ、カラヤン節の極みとでも言える。ドイツ・グラモフォンの名エンジニアチームに委ねた録音は、ダイナミック・レンジが非常に大きい。弱音部では繊細きわまりない音楽を作り出し、強奏部分では怒濤の迫力で押してくる。
その較差、落差と云ってもいいのかな、他の指揮者ではなかなか見られないカラヤン流の演出。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とだと、カスケーディング・ストリングスがあざとく表に出るときもあるが、弦楽器、木管、金管楽器の名手ら居並ぶ、ベルリン・フィルの迫力も頂点に達している時代だったことも功を奏した。個々の楽器が当然のように巧いし、全体がよく揃っている。
ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルと1971、72年に録音したシューマン、メンデルスゾーンの交響曲全集、チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」「眠れる森の美女」組曲、ロッシーニ歌劇の序曲集、ヴェルディ歌劇のバレエ音楽もここでのもの。
狭めの教会だからでしょうか、割りと残響が残っています。
カラヤンの録音で一番充実しているのは1970年代の録音。再録音の多いチャイコフスキー、ドヴォルザーク、ベートーヴェンと1970年代の演奏は緊張感が違う。この時期の録音こそ、カラヤン節の極みとでも言える。ドイツ・グラモフォンの名エンジニアチームに委ねた録音は、ダイナミック・レンジが非常に大きい。弱音部では繊細きわまりない音楽を作り出し、強奏部分では怒濤の迫力で押してくる。
その較差、落差と云ってもいいのかな、他の指揮者ではなかなか見られないカラヤン流の演出。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とだと、カスケーディング・ストリングスがあざとく表に出るときもあるが、弦楽器、木管、金管楽器の名手ら居並ぶ、ベルリン・フィルの迫力も頂点に達している時代だったことも功を奏した。個々の楽器が当然のように巧いし、全体がよく揃っている。
「人間味」と「完璧さ」という相反する引き合いが、素晴らしい相乗効果を上げる。
ある対談の中でヘルベルト・フォン・カラヤンは、『自分が指示を出さない時にオーケストラが群れをなす鳥のように天空を羽ばたく瞬間がある』と言っています。このレコードでも命令に従う集団以上の自発性がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にはあり、指揮者もある程度それを楽しんでいる。
ただ、カラヤンの理想の振り幅の中にあるから、カラヤンの音楽になっている。カリスマ的芸術性と器用な職人気質を併せ持ったカラヤンは、一回性の熱情と、それに相反する録音芸術としての綿密な音楽設計を両立できた指揮者でした。
ある録音でホルン奏者の音の上ずりに気がついたエンジニアが、録り直しを確認したらカラヤンは、その自然さを良しとした話が象徴している。
ただ、カラヤンの理想の振り幅の中にあるから、カラヤンの音楽になっている。カリスマ的芸術性と器用な職人気質を併せ持ったカラヤンは、一回性の熱情と、それに相反する録音芸術としての綿密な音楽設計を両立できた指揮者でした。
ある録音でホルン奏者の音の上ずりに気がついたエンジニアが、録り直しを確認したらカラヤンは、その自然さを良しとした話が象徴している。
絶頂期ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏らしく、迫力も美しさも兼ね備えた圧倒的なサウンド。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karakan, 1908~1989)は、レコード録音に対して終生変わらぬ情熱を持って取り組んだパイオニア的存在であり、残された録音もSPレコード時代からデジタル録音まで、膨大な量にのぼります。その中でも、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との結び付きがいよいよ強固なものとなり、続々と水準の高い録音が続々と行われた1970年代は、カラヤンの録音歴の中でも一つの頂点を築いた時代といえます。
ヨーロッパの音楽界を文字通り制覇していた「帝王」カラヤンとベルリン・フィルと、ドイツでの拠点を失ってしまった英H.M.V.の代わりとなったドイツ・エレクトローラとの共同制作は、1970年8月のルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのオペラ『フィデリオ』の録音を成功させる。カラヤンのオーケストラ、ベルリン・フィルの精緻な演奏は、ヘルガ・デルネシュ、ジョン・ヴィッカースの歌唱を引き立てながら繊細な美しさと豪快さを併せ持った迫力のある進め方をしています。有名なベートーヴェンのオペラが、ただオペラというよりオラトリオのように響く。カラヤンは1972~76年にかけてヨーゼフ・ハイドンのオラトリオ『四季』、ヨハネス・ブラームスの『ドイツ・レクイエム』、さらにベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』という大曲を立て続けに録音しています。
ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はリヒャルト・ワーグナー、アントン・ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。
ベートーヴェン唯一のオペラ録音を成功裏に成し遂げた、カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルをオーケストラ・ピットに入れることを考えました。
カラヤンのオペラにおける英EMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののジュゼッペ・ヴェルディが入りました。英EMIがドイツものだけでなく、レパートリー広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」というのが実際の状況だったようです。
この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、「美」がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。ベルリン・フィルの魅力の新発見。
そして、1976年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルは縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。
カラヤンのレコードでは、芸術という大目的の下で「人間味」と「完璧さ」という相反する引き合いが、素晴らしい相乗効果を上げる光景を目の当たりにすることができる。重厚な弦・管による和声の美しさ、フォルティシモの音圧といった機械的なアンサンブルの長所と、カラヤン個人の感情や計算から解き放たれた音楽でもって、音場空間を霊的な力が支配しており、聴き手を非現実の大河へと導く。
ヨーロッパの音楽界を文字通り制覇していた「帝王」カラヤンとベルリン・フィルと、ドイツでの拠点を失ってしまった英H.M.V.の代わりとなったドイツ・エレクトローラとの共同制作は、1970年8月のルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのオペラ『フィデリオ』の録音を成功させる。カラヤンのオーケストラ、ベルリン・フィルの精緻な演奏は、ヘルガ・デルネシュ、ジョン・ヴィッカースの歌唱を引き立てながら繊細な美しさと豪快さを併せ持った迫力のある進め方をしています。有名なベートーヴェンのオペラが、ただオペラというよりオラトリオのように響く。カラヤンは1972~76年にかけてヨーゼフ・ハイドンのオラトリオ『四季』、ヨハネス・ブラームスの『ドイツ・レクイエム』、さらにベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』という大曲を立て続けに録音しています。
ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はリヒャルト・ワーグナー、アントン・ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。
ベートーヴェン唯一のオペラ録音を成功裏に成し遂げた、カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルをオーケストラ・ピットに入れることを考えました。
カラヤンのオペラにおける英EMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののジュゼッペ・ヴェルディが入りました。英EMIがドイツものだけでなく、レパートリー広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」というのが実際の状況だったようです。
この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、「美」がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。ベルリン・フィルの魅力の新発見。
そして、1976年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルは縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。
カラヤンのレコードでは、芸術という大目的の下で「人間味」と「完璧さ」という相反する引き合いが、素晴らしい相乗効果を上げる光景を目の当たりにすることができる。重厚な弦・管による和声の美しさ、フォルティシモの音圧といった機械的なアンサンブルの長所と、カラヤン個人の感情や計算から解き放たれた音楽でもって、音場空間を霊的な力が支配しており、聴き手を非現実の大河へと導く。
プロダクト・ディテール(オリジナル盤)
- レーベルDeutsche Grammophon
- レコード番号2740 128
- 作曲家フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ
- 楽曲
- 交響曲第1番ハ短調作品11
- 交響曲第2番ロ長調作品52「讃歌」
- 交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」
- 交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」
- 交響曲第5番ニ長調作品107「宗教改革」
- 演奏者(2番のみ)
- エディト・マティス(ソプラノ)
- リゼロッテ・レープマン(ソプラノ)
- ヴェルナー・ホルヴェーク(テノール)
- ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
- オーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- 指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン
- 録音日
- 1973年9月9日、11月1日(1番)
- 1972年9月7-11日/1973年2月23日(2番)
- 1971年1月(3番)
- 1971年1月(4番)
- 1971年1月2,8,22日/2月17日(5番)
- 録音場所ダーレム、イエス・キリスト教会
- 録音プロデューサーハンス・ヒルシュ
- 録音ディレクターハンス・ウェーバー
- 録音エンジニアギュンター・ヘルマンス、クラウス・シャイベ
- 録音種別STEREO
- 製盤国DE(ドイツ)盤
- レーベル世代ブルーライン・レーベル
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