JP LONDON SLC1232
Wilhelm Backhaus - Hans Schmidt-Isserstedt - The Vienna Philharmonic Orchestra - Beethoven - Piano Concerto No.5 "Emperor"
JP LONDON SLC1232 ヴィルヘルム・バックハウス ハンス・シュミット=イッセルシュテット ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベートーヴェン ピアノ協奏曲5番《皇帝》 BEETHOVEN EMPEROR
- Record Karte
- 日本LONDON 最初期 FFSS 盤
- Recorded 27 - 28 June 1959 in the Sofiensaal, Vienna.
- Engineer [Uncredited] – James Brown
- Producer – Erik Smith.
〝一ぱいに水を湛へた大湖の靜けさ〟を乱さずに〝鍵盤の最高音部から最低音部まで同質の音色が快い諧調をつくって〟整列する、バックハウスの超然性の極致。
バックハウスさん、暇な時に何をしているのか? ― とあるパーティーで気乗りしてなさそうな若い青年にご婦人が話しかけた。『ピアノを弾いています』と質問に答えたのは有名な話。SPレコード鑑賞会でヴィルヘルム・バックハウスとウィルヘルム・ケンプで『月光ソナタ』を聴き比べした(2012年7月22日開催、第291回)時に解説したのは随分と前ですが、まさにピアノ一筋の人で〝鍵盤の獅子王〟にふさわしいエピソードです。戦前から戦後にかけて長く音楽評論家として活動した野村光一は1921年9月から1923年3月まで私費で外遊し、ロンドンで多くの演奏家と接している。バックハウスを聞いた「嬰ハ短調演奏会」について、バックハウス歿後の1969年に回想を残している。
当時は威厳に充ちた晩年と違って、彼は風采も上がらず、またあまり気品も備わっていなかったようである。見たところ、戦争中の兵士か、さもなければ牢獄の囚人みたいな五分刈りのいがぐり頭をしていて、そのうえ、なんとなく意気上がらぬ顔には、いささか悄然とした雰囲気さえも漂っていた。それでも、ピアノの前に坐って、曲目劈頭の「月光」の、それもその第一楽章の最初の単音をぽつん、ぽつんと弾き出したとき、わたしはたちまち世にこんなに美しく澄明で、しかも確乎たる音を出すピアニストがあるのかと思ったほど驚いてしまったのである。ヴラディーミル・ド・パハマンの「柔和、繊細」な音の美しさと対比して、バックハウスの音は
明確そのもので、しかも毅然としていた。それでいて、よく音が抜けている余韻嫋々たる響の鐘を想わせるものがあった。しかも、鍵盤の最高音部から最低音部まで、同質の音色が快い諧調をつくって小気味よく整列するのであると評している。さらに、
彼はまるで曲の内容がどうなどというようなことはすこしも意に介しないらしく、まことに正確な拍子と速度で、なんの屈託もなく、ベートーヴェンだろうが、ショパンだろうが、リストだろうが、なんでも同じような態度で弾きのけていた。凡庸なピアニストだったならば、こんな調子ではちっとも面白くない、器械的な無味乾燥な音楽になってしまう。それが、バックハウスだと、洗練され切った完璧な技巧のためか、かえってさっぱりした、すがすがしい感興を催させるのである。殊に、魅力的だったのは、ピアニシモであって、それもカデンツァ風の細かい装飾音で一杯になっているパッセージのところへくると、軽妙、明快なタッチの連続が絶妙な弧線を描きながら空中に飛翔してゆくのだった。それが人々の魂を虜にしていった、といわずにいられない。少なくとも戦前から戦後の早い時期までは、〝鍵盤(上)の獅子王〟の渾名は讚辞として、バックハウスの批評においては必ず言及されるほどであった。この渾名の最も早い紹介として、1930年代のあらえびすや神保璟一郞の著作が挙げられる。1950年代の批評に多く見受けられる〝超然たるピアノの哲人〟はこれと対になる。〝一ぱいに水を湛へた大湖の靜けさ〟に比すべき落ち付きと深さという言葉も、この演奏家の超然性をよく表現している。音色が平凡で〝鍵盤の最高音部から最低音部まで、同質の音色が快い諧調をつくって〟整列するという、色彩がなく華美な効果はよく出し得ない、聴く者にまったく技巧を感じさせない爽快な演奏と、そこに漂う一種の静謐さ、澄明さを、戦前・戦時中の実演と録音との双方に接した評者らはこうした印象的な評言で言い当てたものと見受けられる。そして、技巧家としてのバックハウスの速い演奏が平明な落付きと謂うような磊落ささへ感じさせるのも作為を通り越した名人肌の面影がある為であろう。
ベートーヴェンを聴く者にとって最初に選ぶべきレコード。ベートーヴェンを弾く上でピアニストにとっても意識せざるを得ない録音。ヴィルヘルム・バックハウスが生涯愛してやまなかったオーケストラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのこの演奏もまた、ベートーヴェンの音楽の集大成として今なお不滅の輝きを放ち続けています。彼は幼時から母親の手ほどきでピアノを始め、1900年12月、イタリアのアルト歌手カミッラ・ランディの演奏会でロンドンに初登場したのを皮切りに、翌1901年にかけてイギリス各地に演奏旅行をして成功を収める。彼は早くから録音に熱心で、1908年からピアノ・ロールやSPレコードに録音をしている。グリーグの『ピアノ協奏曲』は協奏曲の録音(1910年)として世界初、ショパンの『練習曲』全曲の録音(1928年)も世界最初であった。そして、1950年、イギリスのデッカと専属契約を結んで以降、ベートーヴェンの『ソナタ』全曲録音が、スイスのジュネーヴにおいて1950〜1954年のモノラル版と1958〜1969年のステレオ版の2回行なわれ、今日に至るまでこの作品の規範的演奏とみなされている。鍵盤の獅子王と異名を得た茶色の髮の毛を長く伸ばした彼は、巖丈な身體の持主だ。其の彈き方は磊落、豪放 ― 当時の演奏家には必要な要素ではあるが、眞摯、剛健という形容詞が適して居る。感情に流されることのない、頭よりは指の人。眼も眩むような技巧家であり、歯切れのよいリズムと陰影のある音色を持ち、最も早い経過句でも明瞭さを失うことのない名人。バックハウスのピアノは言い尽くされている通り、特徴が無いのが特徴といえるでしょうか。要は、テクニックをひけらかすわけでもなく、その澄んだ音色ともあいまって、ひどくシンプルなのです。でも、繰り返し聞いていると何か、そのピアノが、まるで、融通無碍の境地で、自由にベートーヴェンの音符と戯れているように、静かな所は静かに、激しいところは激しく聴こえて来るところが、彼の魅力と言えるでしょうか。超人的な技巧で彈き去られさえすれば完全に聽く者を滿足させるたぐいの演奏家であろう。当全集はバックハウスにとって二度目のものですが、堅牢な構築性と知的な解釈に裏打ちされた明晰な合理性、そのうえで示される雄大なスケール感と豊かな風格が醸し出す深い味わいは、古くから絶賛の声を浴び続けています。このバックハウスを土台からしっかり支えているのが、壮年期で充実しかけたハンス・シュミット=イッセルシュテット。後年、同じデッカにウィーン・フィルとセッション録音したベートーヴェンの交響曲全集では、端正なスタイルを志向した演奏を聴かせていただけに意外な気もしますが、それだけバックハウスに刺激を受けていたということでしょうか。ピアノ協奏曲第3番や第5番での、低弦が唸りを上げるほどの荒っぽい激しさを聴かせる。シュミット=イッセルシュテットは実演では思い切ったアプローチをみせることで知られていますが、ここでの演奏もまるでライヴ録音のような迫力がある一方、セッションならではの各楽器の克明な質感も味わえる点で、当時のウィーン・フィルの魅力をフルに味わえる点が魅力です。晩年の「ピアノ・ソナタ全集」とともにバックハウスが遺したもう一つの遺産「ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集」。英デッカの録音は、バックハウスとウィーン・フィルのもっともよい響きの勘所を熟知、音圧が高く、音に密度と力がある。高域の空間と伸びは適度。低域は空間が広く、密度のある音。チェロをはじめとする弦楽器も温かい音色で、高低の分離も良いアコースティックな響きを伴って迫ってくる。ピアノの音色は気品に満ち、タッチの一粒、一粒が、その音色の一つ一つの変化が分かるまでに明瞭です。昔から定評あるセットで優れた演奏として信頼度の高さには絶大なものがあります。1958年〜1959年の間に録音された全集ですが、その音質は全く古さを感じさせず、各曲共に統一された音質で時間の隔たりを感じさせません。第3番、4番、5番は1950年9月、1951年5月にカール・ベーム、クレメンス・クラウス指揮、ウィーン・フィルとのモノラル版があった。当時のウィーン・フィルは、木管楽器も金管楽器も独特の音がしていましたが、そのことを最もよく伝える録音として有名なのがデッカのffrrサウンドでした。ステレオ録音の時代となり、1958年4月16〜19日に録音した4番(SXL2010)を、皮切りに8月リリースでスタートしたピアノ協奏曲録音は全曲録音へと発展、1958年4月16〜22日と、1959年6月29、30日に1番と2番(SXL2178)、1959年6月27、28日に5番『皇帝』(SXL2179)を録音。発売順は最後になったが、1958年10月22〜27日録音の3番(SXL2190)では《悲愴ソナタ》と録音した《月光ソナタ》を合わせている。バックハウス晩年のステレオ録音による比類なく美しい名演です。テンポも速く、劇的な演出はどこにもないが、曲が進むに連れて熱気を帯びてくる。
この巨匠にとって最後の「ベートーヴェン・協奏曲全集」になるであろうことを指揮者もオーケストラも噛みしめて、最高のサポートをしています。高名な老巨匠であるから、数えきれない回数演奏を重ねてきたはずですが5曲の協奏曲の個性が活き活きとしている。もちろん「皇帝」が、その名の通りの出来で、山ほどあるレコードの中でも最高峰のうちの一つ。1958年ステレオ録音。バックハウスの洗練されたテクニックと、シュミット=イッセルシュテットの解釈であろうが、ウィーン・フィルの奏者達のバックハウスへの献身こそが活気を呼び起こしているのかもしれないと常々思います。この巨匠にとって最後のベートーヴェン協奏曲全集になるであろうことを指揮者もオーケストラも噛みしめて、最高のサポートをしています。指揮を受け持つシュミット=イッセルシュテットも純正なドイツ音楽の響きを十全にオーケストラから引き出しており、まさに三位一体。王道をいく名演といえます。
CDはアマゾンで購入できます。
バックハウス(ヴィルヘルム)&シュミット=イッセルシュテット(ハンス),ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ユニバーサル ミュージック クラシック
2008-10-08
関連記事とスポンサーリンク
YIGZYCN
.
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。