34-28483
商品番号 34-28483

通販レコード→US 米国エンジェル社製初出, STEREO 160㌘盤, 英国EMI同一スタンパー使用手書きマトリックス盤
大富豪指揮者の『わがまま』な贅沢を叶えた文化遺産

天下一品

ロンギヌスの槍が重要なキーワードのオペラの話をしていたら、日本人に西洋の宗教音楽がわかるはずがない、そう男に言われた。日本人が全員仏教徒ではないし、あなたは違う宗教観なのだろうか。アメリカ人が月面歩き回った時の各宗教の反応ってのがちょっと調べてみたいという声も有る。その宗教に対する姿勢が、敬虔な演奏家には大きなフィルターとなるのかな、と感じたのがこのレコードの演奏だった。大富豪の家に生まれたビーチャムは、その持っていた財力をすべて大好きだった音楽に注ぎ込むことのできた幸福な人だった。彼は自身の財産を投じてオーケストラや合唱団、歌劇組織を創設したが、それが現在でも活動を続けているロンドン・フィルやロイヤル・フィル、ナショナル・オペラだ。ビーチャムは音楽を正式に学んだことは一度としてなく、全て独学だったが、それでいて、指揮者として楽員に心底尊敬され、どちらのオーケストラもイギリス屈指のオーケストラに育て上げた。ここは大事なところ。趣味の拡大ではなくて天性の音楽家が、たまたま大金持の家に生まれ、好きなだけ使えたお金を「正しく」使ったということだ。半世紀以上にわたって活動を続け、彼の「財力と指揮活動」によってイギリスに紹介された作品も数多い。いや、偉大な趣味人だったのかも。ビーチャムは職業指揮者ではないので、ビーチャムの音楽観でまとめられた録音ばかりだ。批評家が何を書こうが怖くなかったし、人気と支持を受け続ける必要などなかった。自分が育てた庭の果実を味わうだけで良かったのだから。そうした指揮者にとって、ペール・ギュントのお話ってどう心に刺さるんだろう。などと思ったけど、特別な空間で生きている大物だったから、その伸び伸びとした音楽を満喫できるんだろうな。大富豪指揮者の『わがまま』な贅沢を叶えた録音です。英国音楽界を牛耳っていたとも言われるほどの存在だった怪物、サー・トーマス・ビーチャムが子供の頃から好きだった冒険メルヘンを劇音楽にしたグリーグの「ペール・ギュント」からビーチャムの好きな音楽だけを選んで編曲、録音されたレコードです。全曲盤とも有名な2つの組曲版とも違います。演奏にはソプラノや合唱団まで動員してまで、凄い中途半端な音楽になっています。全曲盤を聴いたことがあれば、どうしてこの曲はないの?どうしてこの曲を選んだの?って、思うことでしょう。だけれども組曲版が好きで、でも全曲盤はストーリーがわからないし、と思っているならきっと楽しめますよ。プチ贅沢でなく、秀吉の黄金の茶釜や金箔をふんだんに使った屏風絵が圧倒するだけの金持ちのおもちゃには思えないように、数ある指揮者や歌手のわがまま、自己満足、力を誇示するために録音されたレコードの中でもツタンカーメンの黄金のマスクに匹敵する文化遺産になるレコードです。録音のためのスタジオから、当時最新だった録音機まで気配りも怠りなかっただけに面白いサウンドに仕上がっています。ステレオ録音が未だ実験段階だった時期の録音なのですが、それがにわかに信じがたいほどの優秀録音です。

ムーミントロールや、エルフの魔法使い、葬送のフリーレンが隣り合わせて居る。

北欧のショパンと称された北欧ノルウェーを代表する国民的作曲家エドヴァルト・グリーグ(Edvard Grieg)が住んでいた家は、その名も「トロルハウゲン」。トロルの丘、という意味です。グリーグが作曲に必要としていたものは、大自然の中にぽつんとたたずむ小屋でした。中はシンプルにピアノと机、ベッドだけ。 たった一つの窓から見えるのは、今にもトロルが忍び寄りそうなノルウェーの大自然。ノルウェーでは、自然を象徴するものの一つに神秘的な北欧の自然に息づく不思議な生き物「トロル」という存在があります。グリーグはトロルをこよなく愛し、ノルウェーの伝説にしばしば登場するこの森の精霊になぞらえ、自らを「小さなトロル」と呼んでいました。ヘンリック・イプセンが1867年に作った戯曲。「ペール・ギュント」は夢見がちで自由奔放な男、ペールが一攫千金を夢見て世界へ旅立つ冒険物語です。かつての恋人イングリを結婚式から奪取して逃亡する。しかしイングリに飽きたら彼女を捨て、トロルの娘と婚礼寸前まで行くが逃げ出す。純情な女ソルヴェイと恋に落ちるが、彼女を待たせたまま放浪の旅に出る。山師のようなことをやって金を儲けては無一文になったり、精神病院で皇帝になったり遍歴した後に老いて帰郷する。死を意識しながら故郷を散策しているとボタン職人と出会うが、彼は天国に行くような大の善人でもなく地獄に行くほどの大悪党でもない「中庸」の人間をボタンに溶かし込む役割の職人だった。「末路がボタン」というのだけは御免だとペール・ギュントは善悪を問わず自分が中庸ではなかったことを証明しようと駆けずり回るが、トロルの王も「やせた男」もそれを証明してくれなかった。彼は最後の証人として会ったソルヴェイに子守唄を歌ってもらいながら永眠する。この作品の舞台化に伴い1874年、付随音楽の作曲がグリーグに依頼される。元来小品に向いていた作曲家は、この途方もない「ほら話」が自分向きではなく作曲がむずかしい、と一旦は断ろうとした。しかし民族的な題材を取り上げたいとも思っていた彼は結局承諾。ノルウェーの伝統楽器ハーディングフェーレがインスピレーションを与えた。独唱と合唱を含む全26曲のスコアを書き上げた。1876年の上演は成功を収め、とりわけその音楽が好評をはくした。グリーグは原曲の第13、12、16、8曲の4曲を選び、1891年に声楽のパートや台詞を省き第1組曲を、翌1892年に原曲の第4、15、21、19曲の4曲を選び第2組曲に編曲した。「ソルヴェイグの歌」では歌唱のパートを器楽に置き換えている。民俗音楽のエッセンスを取り入れたこの作品は当時、聴衆に斬新な印象を与えたそうです。現在ではグリーグを代表する作品として、よくコンサートでも取り上げられます。

本盤は第2曲「結婚行進曲」、第4曲「イングリッドの嘆き」、第8曲「山の魔王の宮殿にて」、第13曲「朝」、第12曲「オーセの死」、第15曲「アラビアの踊り」、第19曲「ソルヴェイグの歌」、第16曲「アニトラの踊り」、第21曲「ペール・ギュントの帰郷」、第26曲「ソルヴェイグの子守唄」の10曲を選んでいる。ソプラノのソリストから合唱団まで動員して、ビーチャム版と云いたい不思議な選曲。妙に気合いの入った「抜粋盤」ですが、組曲盤では食い足りなくなったら圧倒的に面白い。

満足できる音楽を自由にやりたいように演奏、録音をした指揮者がイギリスの指揮者、サー・トーマス・ビーチャムです。ストコフスキーを初めとして1950年代にレコードをたくさん録音した指揮者は、楽譜にはない演奏を良くしていますけれども、ビーチャムのレコードもそういった演奏がとても多くあって新鮮に楽しむことが出来ます。レコード録音のレパートリーのスタンダードも構築したような業績もあるので、親しんでいる曲からでもビーチャムの録音盤と聴き比べるのは面白く勉強に成る事でしょう。『朝』、『オーセの死』、『アニトラの踊り』、『ソルヴェーグの歌、子守歌』など、小学校の音楽の授業でもお馴染みの『ペール・ギュント』は最初の試みに良いと思ってます。多くの愛好家が居ることも、誰もが楽しんでいるからではないかしら。わたしの通った小学校、中学校では『朝』は掃除時間の音楽として毎日聴いていました。『ソルヴェーグの歌』は松本零士のアニメ『銀河鉄道999』でも良く使用されているのでお馴染みですね。ペール・ギュントはノルウェーの劇作家、イプセンの戯曲。わたしの考え方として有名な『人形の家』には影響も受けているところがあります。あの強大な存在である怪物が至って真面目な音楽を聴かせてくれる。ただし、そこは独墺系の演奏家ほど重厚ではありませんが、渋い中にもビーチャムのセンスが光っています。録音されたのは1957年。当時欧米ではプレスが絶えかけていたのにSP盤でも発売されています。そうした面でも随分とビーチャムが手広く働きかけたのが感じられます。英 EMI のカタログから消えることなく、50年間以上も多くのクラシック愛好家が代々忘れずに愛聴しているのですから、評価の方も高いことは証明されているでしょう。サー・トーマス・ビーチャムは82歳まで生きた長寿だけども、このレコードの発売の翌年1960年に自分の為に創設、編成したロイヤル・オーケストラ後継者にルドルフ・ケンペを指名して引退。1961年に他界しています。現在でも世界4番目と言われる製薬会社の御曹司に産まれたビーチャムは、やりたいことをやって生き抜いた音楽家として満足でしょう。

大富豪にして名指揮者のビーチャム卿が自ら設立したロイヤル・フィルを率いてイギリスEMIに録音した名盤。庶民には及びもつかないロマンが漂うビーチャム盤。録音から60年、それほど進歩してないなと思わされる優秀録音。さすがは「お金持ち」のやることは違う。指揮者トーマス・ビーチャムと手兵ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるステレオ録音。録音も素晴らしくオーディオファイルにも推薦します。

ビーチャムと言う往年のこの指揮者をどれだけの人が好んでいるだろうか?
80歳を過ぎたとは思えないこの若々しさ。齡い85歳を過ぎて、ロンドン交響楽団の首席指揮者になり死去するまでその地位にいたピエール・モントゥーや84歳で演奏会から引退、CBSレコード(現在はソニー・クラシカル)から乞われて、85歳に心不全で没するまでロサンジェルス付近の音楽家により特別に結成されたコロムビア交響楽団とレコード録音をし続けたブルーノ・ワルター、91歳で引退を表明93歳で没したエイドリアン・ボールト、94歳でCBSレコードと契約更新して100歳まで現役を続けて、デジタル録音も予定されていたレオポルド・ストコフスキーらとは少し違った意味でも、いつもビーチャム卿のレコードを聴くと元気を貰っています。
卿は20世紀前半のイギリス音楽界に君臨した大立て者で、大金持ちだった為に自らオーケストラを組織し大活躍した人である。又、その行動も個性を極めたような人だったらしい。この個性は金持ちから来る余裕というか、ゆとりの人生観を見せていて当時の演奏会常連衆であるヨーロッパ上流社会に受け入れやすかったのではないか。しかし、スイスのエルネスト・アンセルメと並んで同時期、クラシック音楽をレコード録音して広く大衆に普及に寄与した貢献は称賛する事実です。
ビーチャムは幅広いレパートリーを誇り、1937年に世界初録音したモーツァルトの歌劇「魔笛」はじめ、ヘンデルの「メサイア」、ハイドンからベルリオーズやシューマンなどロマン派の作曲家、ロシア国民楽派、プッチーニ、グリーグ、シベリウス、そしてディーリアスといった正規レコーディングだけでも採り上げた作曲家の数は69人、そして録音曲の数は477曲を数えたという。ロシアものに関しては主要な作品はことごとくレコーディングしている。リヒャルト・シュトラウス、シベリウスも親交の篤かった作曲家であり、一説にはイギリスでシベリウス演奏をメジャー化する嚆矢となったのがビーチャムだと言われている。ビーチャムは1907年以来ディーリアスと親交を結び、ディーリアスの詩情あふれる音楽を高く評価し、数多く演奏してイギリスのコンサート・プログラムに定着させた。
「未完成」や「ザ・グレート」の有名曲だけでなく隠れたシューベルトの交響曲普及にも尽力。フランスのクラシック音楽専門誌「ディアパゾン(Diapason)」が推薦する必聴録音として編んだシューベルトの交響曲選集にビーチャムの交響曲第3番ニ長調 D.200(1958〜1959年録音)を選んでいる。
自慢の財力と持ち備えたセンスで、若い頃から大々的な活動を繰り広げたビーチャムを突き動かしたのは、ある意味「音楽の開拓者」という使命感だったと言われている。
ビーチャムの演奏は常に生き生きとした演奏をして、聴衆を大いに喜ばせた。 ― 英国EMIには、ブルーノ・ワルターやフェリクス・ワインガルトナーら、さらに売れ筋アーティストがSPレコード時代にはいたため。サー・エイドリアン・ボールト、サー・マルコム・サージェント、サー・ジョン・バルビローリら後輩のイギリスの指揮者のレコードもよく売れ、概してステレオ黎明期に残した曲は、何故かテンポの速い軽快な名曲が多くが、使命感を負わされずにビーチャムが走っている感じ。ジョン・エリオット・ガーディナーは『アート・オブ・コンタクティング』の中で「彼の演奏は玉のような宝石があふれ出てくるようである」と評している。
エリザベス皇太后より〝ロイヤル〟の称号を贈られた名門オーケストラ ― ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)は1946年、当時イギリス随一の指揮者であったサー・トーマス・ビーチャムによって創設されました。ロンドンの格式あるオーケストラの中でも唯一その名称に〝ロイヤル〟を使うことを許され、エリザベス皇太后をパトロンに持つことを誇りとしています。その演奏は世界各地で絶賛され、独特の熟成した美しいアンサンブルとマイルドでエレガントな音色は、ビーチャムの時代から変わらぬ名演に満ちています。
大富豪の家に生まれたビーチャムは、その持っていた財力をすべて大好きだった音楽に注ぎ込むことのできた幸福な人だった。彼は自身の財産を投じてオーケストラや合唱団、歌劇組織を創設したが、それが現在でも活動を続けているロンドン・フィルハーモニー管弦楽団やロイヤル・フィル、ナショナル・オペラだ。
19世紀に発足した器楽コンサートを主催する協会が運営するオーケストラが「ロイヤル・フィル」を名乗っていましたが、これはビーチャムが1932年に創設したロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の母体となったものでしたが、第二次世界大戦中はアメリカとオーストラリアで活動を行ったことを理由に、戦後に帰国すると演奏を拒否されたため新たに組織、つまり、フィルハーモニック協会とも王室とも運営上の関係は無かったわけで、ビーチャムの死後、エリザベス2世から正式に「ロイヤル」の称号を使うことが許され、故エリザベス皇太后がパトロンになるという経緯を持っています。
ビーチャムは音楽を正式に学んだことは一度としてなく、全て独学だったが、それでいて、指揮者として楽員に心底尊敬され、イギリス屈指のオーケストラに育て上げた。ここは大事なところ。趣味の拡大ではなくて天性の音楽家が、たまたま大金持の家に生まれ、好きなだけ使えたお金を「正しく」使ったということだ。半世紀以上にわたって活動を続け、彼の「財力と指揮活動」によってイギリスに紹介された作品も数多い。いや、偉大な趣味人だったのかも。
ビーチャムは職業指揮者ではないので、ビーチャムの音楽観でまとめられた録音ばかりだ。批評家が何を書こうが怖くなかったし、人気と支持を受け続ける必要などなかった。自分が育てた庭の果実を味わうだけで良かったのだから。特別な空間で生きている大物だったから、その伸び伸びとした音楽を満喫できるんだろうな。
その手腕はコンサートに、オペラに発揮され、その音楽は魅惑とエレガンスに満ち、高揚すると火を噴くような激しいものとなりました。機知に富んだビーチャムの粋な音楽作りはここでも一際生彩を放っている。
  • Record Karte
    • イルゼ・ホルヴェーク(ソプラノ)、ビーチャム合唱協会(合唱指揮:デニス・ヴォーン)。
    • 1956年6月5,18,21,29日、1957年4月1日ロンドン、アビー・ロード・スタジオでのステレオ・セッション録音。

CDはアマゾンで

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ロイヤル・フィルは1813年ロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティの発足以来、その所属の管弦楽団で指揮者は初代のG.スマート以後、ウェーバー、メンデルスゾーン、ワーグナーらの大作曲家も指揮にあたりベートーヴェン、サン=サーンスをはじめ多くの作曲家が作品を寄せた。1946年、指揮者ビーチャムによって改組されてから独立して活動している。
蓄音機時代から言われていることかはわからないが、コロムビア盤をヴィクトローラで聴けというのがある。
ロイヤル・フィルの高雅そのものといった音は、EMIの機材、スタジオを使用した純然たるイギリス録音がアメリカ・プレスの「コロムビア・マスターワークス」のLPレコード初期盤で聴くと放縦な気風が加わった感触に変わる。そのことがビーチャムの演奏の印象を左右もしている。

イギリス楽壇の名物男

アイロニー、ユーモア、ウィットに富んだサー・トーマス・ビーチャム准男爵。

サー・トーマス・ビーチャム(Sir Thomas Beecham, Bart., C.H.)は1879年4月29日、英国ランカシャー生まれの指揮者。また、アイロニー、ユーモア、ウィットに富んだイギリス楽壇の名物男でした。1961年3月8日ロンドンにて没。
オックスフォード大学を中退し、サー・ヘンリー・ジョゼフ・ウッドとモーリッツ・モシュコフスキに個人的に作曲を師事した他は、ほとんど独学で音楽を学んだ。1898年、急病のハンス・リヒターの代わりにハレ管弦楽団を指揮してデビュー。まずは巡業オペラ団を結成し、これは数年続いた。セルゲイ・ディアギレフが主宰した伝説的なバレエ団「バレエ・リュス」の指揮者も務めました。
同時代音楽の擁護者としてフレデリック・ディーリアスやリヒャルト・シュトラウス、ヤン・シベリウスとの交流はよく知られています。
1909年には大富豪であった父の財産をつぎ込んで、ビーチャム交響楽団を設立、リヒャルト・シュトラウスなどの作品を英国に紹介した。
1910年からはロイヤル・オペラ・ハウスを自腹で借り切って、自分の思うとおりのオペラ上演を開始した。半分以上はロンドン初演で当たり外れも大きく、決して充実した実入りにはならなかったものの、足らずと損失補填分は父に借財してどうにか凌いだ。
1915年にはイギリス・オペラ・カンパニーを創設、しばらくはオペラ指揮者として活動したが1932年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(The London Philharmonic Orchestra)を創設、1946年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(The Royal Philharmonic Orchestra)を組織し現在も活動している。
それ以前にも、1906年の新交響楽団(The New Symphony Orchestra)、1909年のビーチャム交響楽団(The Beecham Symphony Orchestra)を組織、ビーチャムは生涯4つのオーケストラを創設し亡くなるまで指揮者を務めた。
現在まで続く製薬会社・ビーチャム製薬(現:グラクソ・スミスクライン)創業家一家の御曹司であった彼は、その類まれなる行動力と潤沢な資金を元手に気儘にオーケストラを創設し、自腹で音楽祭でのオペラ公演やコンサートをしていた。
莫大な私財を投じて英国楽壇に貢献した功績は大きく、指揮者としては同時代の作曲家ディーリアスの作品の紹介に務めたことでも知られている。現在コンサートの前に演奏者などがプレトークと言って解説をすることもあるけれども、これもビーチャム卿が最初に始めた。
ヘルベルト・フォン・カラヤンより先駆けて初のステレオ・レコードとして発売され、英EMIのカタログから消えることなく50年間以上も多くのクラシック愛好家が代々忘れずに愛聴しているのですから、評価の方も高いことは証明されているでしょう。
ビーチャムは82歳まで生きた長寿だけども、1960年に自分の為に創設、編成したロイヤル・オーケストラ後継者にルドルフ・ケンペを指名して引退。1961年に他界しています。
現在でも世界4番目と言われる製薬会社の御曹司に産まれたビーチャムは、やりたいことをやって生き抜いた音楽家として満足でしょう。
あまりの才能と財産に恵まれすぎていたイギリスの生んだ最後の偉大な変人。― ウォルター・レッグ

不滅の巨匠 ― 玉のような宝石があふれ出てくるようである。

わがまま、自己満足、力を誇示するために録音された文化遺産になるレコード。

ビーチャムと言う往年のこの指揮者をどれだけの人が好んでいるだろうか?
80歳を過ぎたとは思えないこの若々しさ。齡い85歳を過ぎて、ロンドン交響楽団の首席指揮者になり死去するまでその地位にいたピエール・モントゥーや84歳で演奏会から引退、CBSレコード(現在はソニー・クラシカル)から乞われて、85歳に心不全で没するまでロサンジェルス付近の音楽家により特別に結成されたコロムビア交響楽団とレコード録音をし続けたブルーノ・ワルター、91歳で引退を表明93歳で没したエイドリアン・ボールト、94歳でCBSレコードと契約更新して100歳まで現役を続けて、デジタル録音も予定されていたレオポルド・ストコフスキーらとは少し違った意味でも、いつもビーチャム卿のレコードを聴くと元気を貰っています。
卿は20世紀前半のイギリス音楽界に君臨した大立て者で、大金持ちだった為に自らオーケストラを組織し大活躍した人である。又、その行動も個性を極めたような人だったらしい。この個性は金持ちから来る余裕というか、ゆとりの人生観を見せていて当時の演奏会常連衆であるヨーロッパ上流社会に受け入れやすかったのではないか。しかし、スイスのエルネスト・アンセルメと並んで同時期、クラシック音楽をレコード録音して広く大衆に普及に寄与した貢献は称賛する事実です。
ヘンデルはユージン・グーセンス版の『メサイア』のほか、自身の編曲による楽曲もいくつか指揮している。ディーリアスは自身の作品に他人の手が入ることを極度に嫌っていたが、「ビーチャム校訂版」だけを例外としたほど親交を交わし、ビーチャムはディーリアスの印象を「枢機卿のようだ」と回想している。また、ウォルター・レッグ曰く「ディーリアスはビーチャムが完全に自己同化できる作曲家」だった。
ドイツの大作曲家のいわゆる「3大B」 ― バッハ、ベートーヴェン、ブラームスのことを少々意地悪に、音楽史上の「3大退屈男」と呼んだことがある。とはいえ、はなから拒絶したわけでもなくベートーヴェンは全交響曲や協奏曲をしばしば演奏し、レコーディングも行っている。現在では「トルコ行進曲」と序曲しかレコーディングされることがほぼない劇付随音楽『アテネの廃墟』全曲をレコーディングしている。
自慢の財力と持ち備えたセンスで若い頃から大々的な活動を繰り広げたビーチャムを突き動かしたのは、ある意味「音楽の開拓者」という使命感だったと言われている。その演奏は世界各地で絶賛され、独特の熟成した美しいアンサンブルにマイルドでエレガントな音色はビーチャムの時代から変わらぬ名演に満ちています。英国音楽界を牛耳っていたとも言われるほどの存在だった怪物だからこそ成し得た、満足できる音楽を自由にやりたいように演奏、録音をした。
その演奏内容の多彩さには驚くべきものがあります、定評あるディーリアスでは独特の空気感を伝える絶妙な美しい演奏をおこなう一方、フランス音楽やベートーヴェン、モーツァルトなどでは、ときに過激なまでの思い切った表情付けで楽想をえぐり、さらにハイドンではスケール大きく懐の深い演奏を聴かせるといった具合で、それぞれの作品に真摯に向き合う姿は実に感銘深いものがあります。
また、レオポルト・ストコフスキーを初めとして1950年代にレコードをたくさん録音した指揮者は楽譜にはない演奏を良くしていますけれども、ビーチャムのレコードもそういった演奏がとても多くあって新鮮に楽しむことが出来ます。
ビーチャムは幅広いレパートリーを誇り、正規レコーディングだけでも採り上げた作曲家の数は69人、そして録音曲の数は477曲を数えたという。ビーチャムの演奏は常に生き生きとした演奏をして、聴衆を大いに喜ばせた。ジョン・エリオット・ガーディナーは『アート・オブ・コンタクティング』の中で「彼の演奏は玉のような宝石があふれ出てくるようである」と評している。レコード録音のレパートリーのスタンダードも構築したような業績もあるので、親しんでいる曲からでもビーチャムの録音盤と聴き比べるのは面白く勉強に成る事でしょう。
プチ贅沢でなく、秀吉の黄金の茶釜や金箔をふんだんに使った屏風絵が圧倒するだけの金持ちのおもちゃには思えないように、数ある指揮者や歌手のわがまま、自己満足、力を誇示するために録音されたレコードの中でもツタンカーメンの黄金のマスクに匹敵する文化遺産になるレコードです。
録音のためのスタジオから、当時最新だった録音機まで気配りも怠りなかっただけに面白いサウンドに仕上がっています。ステレオ録音が未だ実験段階だった時期の録音なのですが、それが俄に信じ難いほどの優秀録音です。