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通販レコード→JP 日本コロムビア社製, STEREO 150㌘重量盤

古典主義的ともいえる端正さを基本としながらも、所々にロマン主義的な自由な解釈をも聴かせるワルター一流の晴朗なリリシズムは未だに凌ぐものがありません。

20世紀の巨匠ワルター。聴く者に限りない音楽の愛の力を与えてくれた、滋味深い最晩年のステレオ録音。孫のようなプロデューサー・マックルーアのセンスが光る仕上がりは60年の時空超えて感動もたらす。

響きの明晰性より音楽的な意味の明晰性を

人気曲ゆえに名演も多いベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調作品55『英雄』にあって、ここに聴かれるワルター一流の晴朗なリリシズムは未だに凌ぐものがありません。古典主義的ともいえる厳格で端正な音楽づくりを基本としながらも、所々にロマン主義的な自由な解釈をも聴かせるブルーノ・ワルター晩年の名演です。ただそこには付帯条件がつきまとう。
確かに迫力だけではヴィルヘルム・フルトヴェングラーや最近の古楽器系演奏に劣り、造形の厳しさと言う点ではギュンター・ヴァント等に劣るだろう。しかし、なんともよく歌い、流れが実に自然な良い演奏で素直に感動できる。ワルターのベートーヴェンは、音のエッジが丸く柔らかく総じて暖かい。
ベートーヴェンの古典派を代表する交響曲として〈英雄〉作曲の背景にあるものの受け止め方が理由だが、激しく燃えるような演奏が好みの人には、この演奏は合わないだろう。特に、この「英雄」は実に暖かく、穏やかな表情をもつ演奏になっている。決してセカセカしておらず豊かな心地になる音楽そのものを味わえるのは、大いにコロムビア交響楽団の響きの明るさも寄与している。
テンポは速過ぎず遅すぎず、メロディ・ラインが優先されるので、フレーズの変わり目ではリズム感は乱れていると感じられるかもしれない。弦楽器群の減速と管楽器が縦一線ではないので表層的には、そう感じられる。エーリッヒ・クライバーとカルロス・クライバーが共有しているものに、ワルターも共通しているようだ。ワルターのステレオ録音は全般に編成の小さなことで目立って聴こえるのか、コロムビア響の〝ストコフスキー・スタイル〟の配置に慣れていなかったのかもしれない。
ワルターとオットー・クレンペラーのレパートリーはモーツァルトとマーラーの音楽が大きな柱の一つになっている。周知の通り、ともにユダヤ人であるワルターとクレンペラーはマーラーの直弟子にあたり、マーラーを熱心に取りあげていた。ワルターの演奏は情緒的とされながら、音の出し方は似ている。ただしワルターはアルトゥーロ・トスカニーニのようにオーケストラに対して威圧的な態度をとることがなく、穏和とか柔和というイメージがついているが、当の本人は「私の関心は、響きの明晰性よりもっと高度の明晰性、即ち音楽的な意味の明晰性にある」とか「正確さに専念することで技術は得られるが、技術に専念しても正確さは得られない」と述べているように、音楽的な「明晰性」と「正確さ」を得るためであればアポロンにでもディオニュソスにでもなれる人だった。

〝温厚篤実〟

CD時代になって一時期レコード業界は過去最大の売り上げを記録したこともありました。判らないではありません。以前は、200枚もLPレコードを保有しておればマニアの部類に近かったのです。それがCD時代になると、高校生でも200枚や300枚のCDを保有しているのが当たり前になりました。レコード、CDは、ここ何十年も価格は変わっていません。むしろ安くなっているほどです。それで安易に保有数が増えたのです。LP時代は、所得との比較で、レコードはやはり高い買い物で、そのため大事に保管し、大事に使用していました。また、不要・不急のレコードを購入することは無かったのです。それだけに大事に取り扱い、真剣に音楽も聴きました。アルトゥーロ・トスカニーニやヴィルヘルム・フルトヴェングラーの演奏がいかによくても、音盤はモノラルばかり。家庭用の一体型ステレオ装置から出てくるステレオ録音の音響は、非常に魅力的であった時代に宝物のように大事にされたのが、音のよいステレオ録音のブルーノ・ワルターのコロムビア盤だった。しかしその時代は、おいそれと新譜レコード盤が買えなかったから、友達の家にあるのを頼み込んで繰り返し貸してもらったりした。それでもなんとしてもワルターのレコードが欲しくてたまらなく、思いが強く残ったのか、CBSコロムビアからSONYになって発売された音盤だとかで聴き揃えていった。それに比べてもCD初期に発売になった、いずれのワルターの音盤も、少年期の家庭用のステレオ装置から、出てきた音に勝ることが無かった。それがステレオ録音に最初に接したという、非日常的体験がもたらした錯覚、幻想の思い出だったとされればそれまでだが、未だ記憶の中の瑞々しい音響は聴けていない。CDはどれも高音域と低音域が分離して中音部が薄い感じに聞こえるものだ。そんな音でモーツァルトを聴いていいはずもなく、どうしてワルターのコロムビア盤での芸術が理解できないのだと思っていたほどだ。クラシックというのは同じ音源が何度も手を変え品を変え出てくる。どれも同じと思っている方も多いが、実はぜんぜん別物というほど音が違っているケースもある。音によってその演奏のイメージはかなり変わる。明治8年生まれの指揮者の最晩年がステレオ録音初期に重なったのは幸運だった。ワルター晩年の指揮を〝温厚〟と評言される傾向があるが、〝篤実〟と対になる四字熟語の意味は、温かで情が厚く、誠実なさま。ワルターのリハーサルは、最晩年でも青年のように頭の回転が速く、早口で情報量が多い。フレージング、音価、強弱の注文が多く気に入らないと何度も裏声も交えてリアルに歌って指示するが、総じて進みのテンポが速いのは、コロムビア交響楽団が録音のための臨時編成で、発売する曲を限られたリハーサル時間でこなさざるを得なかったからだろう。曲に必要な楽器奏者を近隣のオーケストラから雇って製作された。ピアニストだったワルターは、リスト、ワーグナー、ブラームスと深く交わったハンス・フォン・ビューローの指揮を聴いて指揮者になる決意をした。マーラーの弟子でもあった彼が米国に渡ってコロムビア響と残した録音は、オーケストラの定位が当時としては良く、悪くいえば楽器があちこちから聞こえる感じがあるが、これがオーケストラピットの中からのイメージであり、ワルターの造りたかったバランスが良くわかる。

ブルーノ・ワルターは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の楽員によく極端な対象を要求した。例えばモーツァルトの交響曲のピアニッシモのところで、オーケストラがまだ弾きはじめないうちに中断して、『皆さん、もう大きすぎます』と言うことがあった。またオペラ『フィガロの結婚』の序曲の練習では、やはりオーケストラが弾き始める前に中断して、『皆さん、もうテンポが遅すぎますよ』というのであった。
「先ず、ただきっちり弾け!」ということをワルターは如何なる箇所であれ要求していたわけだが、こうしたことはワルターの個性というより同世代の指揮者の特徴である。ワルターはアメリカのオーケストラに多大な影響を及ぼした最重要人物の一人である。ワルターの演奏スタイルを簡潔な言葉で表すと、戦前の典雅、戦後の雄渾、晩年の枯淡ということになると思う。1930年代の名録音はワルターが60歳前後のときのものであり、コロムビア交響楽団と一連の録音を行ったときは80歳になっていた。にもかかわらず、彼は20年間で成熟をし続け、枯れることなく円熟に円熟を重ねることができた。
天才は凡人の想像を超えるものとはいえ、それにしても音楽家としての器がよほど大きくなければ、そして芯の部分が柔軟でなければ、こういう円熟の仕方は出来ない。どれも魅力があるが、ニューヨーク・フィルハーモニックとのモノラル録音では固まりとなってぶつかってくるような音は出さず、その出す音色は綺麗に磨き抜かれていることを強く感じる。
ワルターはグラマラスなサウンド傾向にあるアメリカのオーケストラを使って、ヨーロッパのオーケストラの熟成された深みのある響きへと、自分なりのやり方で練り上げた。ニューヨーク・フィルと言わなければヨーロッパのオーケストラの演奏だと錯覚しそうな仕上がりで、コロムビア響の明るくやや野太い音色は一頃のハリウッド映画音楽的なサウンドだがワルターの特徴がよく出た演奏に仕上がっている。

ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876年9月15日〜1962年2月17日)はドイツ、ベルリン生まれの大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院でピアノを学び、9歳でデビュー。卒業後ピアニストとして活動したが、後に指揮者に転向した。指揮デビューは1893年にケルン歌劇場で。その後1896年ハンブルク歌劇場で指揮をした時、音楽監督を務めていたグースタフ・マーラー(1860〜1911)に認められ決定的な影響を受ける。交友を深め、ウィーン宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)にもマーラーに招かれる。その後はバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。戦後、1947年から2年間ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽顧問を務めたほかは、常任には就かず欧米で精力的に活躍を続けたが、1958年に心臓発作で倒れてしばらく休養。1960年暮れにロスアンジェルス・フィルハーモニックの演奏会で当時新進気鋭のヴァン・クライバーンと共演し、演奏会から引退した。80歳を越えた晩年のワルターは米国は西海岸で隠遁生活送っていたが、米コロムビア社(CBS)の若き俊英プロデューサー・ジョン・マックルーアに説得されドイツ物中心にステレオ録音開始するのは1960年から。日本の北斎に譬えられたように、まさに80歳にして立つと言った感じだ。録音は穏和な表情の中にどことなく哀感が漂うような独特の味わいがあります。ベートーヴェンも、巨匠ワルターの芸風に最もしっくりと馴染む作曲家の1人だったように思う。しかしアルトゥール・トスカニーニの熱情や烈しさ、ウィルヘルム・フルトヴェングラーのような即興性を持たなかったし、テンポを誇張するスタイルでなかったが抒情的な美しさと気品で我々聴き手を包み込み、活気に欠けることはなかった。こうした特徴は数多く存在するリハーサル録音耳にすると判りますが、少しウィットに富んだ甲高い声で奏者と自分の間の緊張感を和らげ、その反面集中力を最高に高めるという共感を持った云わば対等の協力者として通したこと独裁者的巨匠が多い中で稀有な存在であったのでは無いか、また、それがSPレコード時代に聴き手に、しっかりと伝わっていたのではないか。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団でのベートーヴェン〈パストラル・シンフォニー〉以来、評判と人気の源は、そこにあったかと想像できます。ワルターのスタイルは低音域を充実させたドイツ・タイプの典型的なスタイルで、ロマンティックな情感を適度に盛り込みながら柔らかくたっぷりと歌わせたスケール感豊かな名演を必然的に産む。こうしたスタイルを86年の生涯最後まで通したワルターは凄い才能の持ち主だったことは明らか。なにかと戦前の演奏をSPレコード盤で聴いてしまうとニューヨーク・フィル時代、ステレオ時代のワルターは別人に思えてしまうのです。ワルターの演奏スタイルの変遷を簡潔な言葉で表すと、〝戦前の典雅、戦後の雄渾、晩年の枯淡〟ということになると思う。コロムビア交響楽団時代がなければ埋もれた指揮者に成ったかもしれないが、彼は20年間で成熟をし続け、枯れることなく円熟に円熟を重ねることができた。しかも老人の音楽にならず、アンサンブルの強靭さ、柔軟さ、懐の深さ、いずれの面でも不足はない。天才は凡人の想像を超えるものとはいえ、それにしても音楽家としての器がよほど大きくなければ、そして芯の部分が柔軟でなければ、こういう円熟の仕方は出来ない。ワルターの変容ぶりには戸惑わされる。

ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。レコード産業としては、英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。フィリップスは1982年10月21日コンパクト・ディスク・ソフトの発売を開始する。ヘルベルト・フォン・カラヤンとのCD発表の華々しいCD第1号はイ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディ作曲の協奏曲集「四季」 ― CD番号:410 001-2。1982年7月のデジタル録音。現在は、フィリップス・サウンドを継承してきたポリヒムニア・インターナショナルが、これら名録音をDSDリマスタリングし、SACDハイブリッド化しています。
  • Record Karte
    • (演奏)ブルーノ・ワルター指揮、コロムビア交響楽団。
    • 1958年1月20、23、25日ハリウッド、アメリカン・リージョン・ホールにて、エンジニアはリチャード・ブリッタン、ジョン・マクルーアがプロデュースしたステレオ・セッション録音。

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