他指揮者の真似できないボキャブラリーで標題音楽を見事に表現するマゼールの名盤 ― カラヤンとの因縁深いマゼール。作曲家でもある資質と卓越したヴァイオリンの腕前といった、カラヤンがコンプレックスを抱えていた才能のある ― ムターがウィーン・フィルとの録音でチェンバロを弾き、ヨーロッパ参加を作曲したのはカラヤンの抵抗だったとしたらマゼールはなかなかの存在だったと思える ― 指揮者。冴えた閃きでカラヤンの苦手としたレパートリーを攻めてくるのだからたまらない。しかもそれが、カラヤンに負けない変態ぶり。後世に残す手本と成る録音を残そうと頑張っていたカラヤンには、そうしたマゼールの気ままぶりも辛抱ならなかったかもしれない。歌ものでも非凡さを発揮したラヴェルの資質に肉薄しえた、30歳代前半のマゼールの演奏は聴きものので、卓越したキャストに加え、冴えた音質で立ち上がる精緻な演奏に驚かされる屈指の名演である。馴染みの薄いラヴェルのオペラでしょうが、この『子供と魔法』については先ずは、訳など気にせず音楽を楽しむところから入っていいのではなかろうか。子供と子供が破壊したさまざまなモノたちの織りなす短いドタバタ・オペラ。これだけ楽しく、また美しい音楽に自然と何を言っているのか気になってくる。音楽はオーボエによる穏やかな節回しの「ところはノルマンディーの片田舎。ここに6歳か7歳くらいでしょうか、悪戯好きな子供がおりました。」という前口上で始められる。オーボエ2本による子供に母親が話しかけるラヴェルの着想の素晴らしさ。ラヴェルのオーケストレーションの見事さと、面白いコロラトゥーラも含むモノたちの多彩な歌が聴きものです。聴き手は摩訶不思議な世界に自然と入っていくことができる。言うことを聞かないので母親から叱られる。しかし子供は叱られて意気消沈どころか動物をいじめ暖炉をかき回し壁紙や本をボロボロに破くなど、やりたい放題。やがて悪戯に飽きた子供がソファーに座ろうとすると、なんとソファーが後ずさり。ここから舞台は幻想の世界に入り件の子供は、反対に家具、食器、暖炉の火、お姫さま、小さな老人、木、昆虫、動物といったものから追い回されたり、罵倒されたり。ついに動物たちは、この残酷な子供を罰してやろうと決心。だが動物たちが子供そっちのけで取っ組み合いをしている最中、一匹のリスが怪我をしてしまう。その時、思いがけないことに当の悪戯っ子が身につけていたリボンを外して怪我をしたリスを介抱してあげる。そのまま気を失ってしまった子供を前に困惑する動物たち。動物たちは「あの子はいい子。賢い子だ。」と口々に言い子供を支えて家まで連れて行ってあげる。子供は両手を伸ばし最後に或る言葉を口にした後、幕が下りる。どんなことがあろうと、子供は『ママ( Maman! )』が大好き。わがままするのも、ママの気を引きたいから。普遍的な、よくある顛末。ラヴェルは日常を見つめた音楽家だった。そしてラヴェルはきれいごとだけの音楽ではないところが魅力のはず。もちろん、マゼールの指揮も素晴らしい。標題音楽を見事に表現するマゼールの名盤の一つで、「音の錬金術師」ラヴェルの華麗かつ複雑な楽譜を、艶っぽい音色、中盤から後半へのダイナミックで熱気を帯びた盛り上げていきます。オーケストラとの相性も抜群で、マゼールの感性と一致し、マゼールらしい演出を見事に呼応した名演によって、粋で洒落たフランス音楽の精華が満喫できます。マゼールの曲者ぶりが実にうまく効果を発揮した、他者にまねのできないボキャブラリーでラヴェルを聴かせてくれている大変素晴らしい出来栄えとなりました。名歌手カミーユ・モラーヌまで出演した豪華なキャストです。
子供:フランソワーズ・オジェア(ソプラノ, Françoise Ogéas)、火、お姫様、うぐいす:シルヴェーヌ・ジルマ(ソプラノ, Sylvaine Gilma)、ママ、ティーカップ、とんぼ:ジャニーヌ・コラール(メゾ・ソプラノ, Jeannine Collard)、安楽椅子、白猫、リス、羊飼い:ジャーヌ・ベルビエ(ソプラノ, Jeanne Berbié)、こうもり、ふくろう、羊飼いの娘:コレット・エルゾグ(ソプラノ, Colette Herzog)、肘掛椅子、樹:ハインツ・レーフス(バス, Heinz Rehfuss)、振り子時計、黒猫:カミーユ・モラーヌ(バリトン, Camille Maurane)、ティーポット、数字のこびと、カエル:ミシェル・セネシャル(テノール, Michel Sénéchal)、ロリン・マゼール指揮フランス国立放送管弦楽団&合唱団。1960年11月パリ、サル・ド・ラ・ミュテュアリテでのステレオ・セッション録音。

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対峙する敵を一刀両断、返す刃で背後の敵をも倒すが如き、凄まじいキレとテンションの高さ、恐ろしくクリアな楽曲に対する読みはウィーン・フィルの楽団員に『譜面がまるごと頭のなかにあるようでした』と震え上がらせている。そして感情の起伏の大きさ。対極から対極への転 換の早さ。テンプの振りの速さと運動の大きさの力強さが、ひとつの狂気すら呼び起こす。若い頃から大作を得意としていたマゼールは、ベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』Op.17も各地で演奏、ライヴ録音も遺されていますが抜粋とはいえレコーディング・デビューまで『ロメオとジュリエット』だったというのは凄い話です。組み合わせのチャイコフスキー・幻想序曲『ロメオとジュリエット』とプロコフィエフのバレエ組曲『ロメオとジュリエット』よりの5曲も好んで指揮していた作品で、若い2人の主人公の劇的な恋愛と周囲の闘争を描き上げるという題材をマゼールが濃密に描きあげます。指揮台上の超絶技巧家(ヴィルトゥオーゾ)という言葉があるとすれば、マゼール以上に相応しいマエストロはいない。また、マゼールは英語のほかにドイツ語、フランス語、イタリア語に堪能で、そうした背景もあってかフランスのオーケストラを頻繁に指揮し、さらにフランス語のオペラの録音までおこなっていたといいますから、その活動範囲の広さは驚異的。どのようなオーケストラからも普段の何倍もの輝かしい音を、短時間で手際のいいリハーサルとともに引き出した。とりわけオペラの本番は様々な不確定要素が錯綜する演奏の現場となるので、ギョッとするほどの即興の面白さ、アクの強い表情の突出で、マゼールの器用さは尊ばれた。シャープな芸風だった若きマゼールは当時破竹の勢いだったカラヤンの対抗勢力として大いに注目を集め、ドイツ・グラモフォン、EMIに続いてデッカやフィリップス、コンサート・ホール・レーベルなどへも録音を開始、バロックから近代に至る幅広いレパートリーを取り上げ若手指揮者としては異例の活躍ぶりを見せていました。現在のロリン・マゼールに対する評価はいろいろとありますが、1970年代の前半におけるマゼールの評価は「風雲児」「天才」「鬼才」というものだった。カラヤンの録音で一番充実しているのは1970年代後半から80年代前半の録音。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」と念願込めて再録音の多いチャイコフスキー、ドヴォルザーク、ベートーヴェンと1970年代の演奏は緊張感が違うと思う。円熟してカラヤン節の極みとでも言える。ベルリン・フィルの迫力も頂点に達している。ウィーン・フィルとベルリン・フィルだけを相手に、ベートーヴェンの交響曲全集ばかりを4回も録音していた。カラヤンとの因縁深いマゼール。作曲家でもある資質と卓越したヴァイオリンの腕前といった、カラヤンがコンプレックスを抱えていた才能のある ― ムターがウィーン・フィルとの録音でチェンバロを弾き、ヨーロッパ讃歌を作曲したのはカラヤンの抵抗だったとしたらマゼールはなかなかの存在だったと思える ― 指揮者。冴えた閃きでカラヤンの苦手としたレパートリーを攻めてくるのだからたまらない。しかもそれが、カラヤンに負けない変態ぶり。後世に残す手本と成る録音を残そうと頑張っていたカラヤンには、そうしたマゼールの気ままぶりも辛抱ならなかったかもしれない。
ロリン・マゼール(Lorin Maazel)はクラシック界の巨匠と呼ばれる世界的指揮者。1930年3月6日、フランス・パリ近郊、ヌイイ=シュル=セーヌ(Neuilly-sur-Seine)生まれ。父はユダヤ系ロシア人、母はハンガリーとロシアのハーフ。生後まもなく一家でアメリカ移住。5歳頃からヴァイオリン、7歳頃から指揮の勉強を始める。8歳でニューヨーク・フィルを指揮。9歳でレオポルド・ストコフスキーの招きでフィラデルフィア管弦楽団を指揮。11歳でアルトゥーロ・トスカニーニに認められNBC交響楽団の夏季のコンサートを指揮。以後、10歳代半ばまでに全米の殆どのメジャー・オーケストラの指揮台に上がっている。ピッツバーグ大学在学中はピッツバーグ交響楽団の一員として活躍。イタリアでバロック音楽を研究といった楽団員経験、まだまだ未開だったバロック音楽にも作曲、演奏の両面から造詣があった。その経験を経て、1953年に指揮者デビュー。1960年、フェルディナント・ライトナーと交代で「ローエングリン」を指揮してバイロイト音楽祭に史上最年少でデビュー。1963年、ザルツブルク音楽祭にデビューしたチェコ・フィルとのコンサートではモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番を弾き振り、ヴァイオリンの腕前も魅せる。指揮者としての信頼厚かったことも、1965年にフリッチャイの後任として、ベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団の音楽監督を皮切りに、1972年にセル死去後空席だったクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に。そして、1982年のウィーン国立歌劇場総監督就任。マゼールはウィーンに行くまでの約10年の間に厳しいトレーニングによりクリーヴランド管弦楽団を以ってセル時代の規律を取り戻し、見事なオーケストラに戻すことに成功した。またボスコフスキーの後任としてニューイヤーコンサートの指揮者を1986年まで務めた経歴は良く知られる。1955年から25年にわたってニューイヤー・コンサートの指揮をしてきたボスコフスキーから引き継ぎ務めた、この7年という連続期間はボスコフスキー、クレメンス・クラウスに次ぐ長さであり、マゼール以降は1年毎の交代になりましたのでニューイヤー・コンサートを語る上では外せない重要な指揮者です。当時のマゼールは1982年からウィーン国立歌劇場の総監督に就任することもあり、ウィーンでは絶大な人気を博していました。だが1984年にウィーンのポストを追われてからは ― ウィーン・フィルとのコンサートは続きマーラー全集も89年には完成したが ― 、それまでとは一転して挫折の連続。ロサンゼルス・オリンピックが行われたこの年、4度目のベートーヴェンの交響曲全集を作り上げたが、うんざりしてきたベルリン・フィルと軋轢を大きくし始めたカラヤンがベルリン・フィルで予定していたヴィヴァルディ「四季」にウィーン・フィルを起用。最晩年になってカラヤンはウィーン・フィルとの関係を強めていった。カラヤンの晩年の輝きは魅力を増し、マゼールの影は薄れます。そしてついに、1989年10月。カラヤン亡き後のベルリン・フィルのシェフを選ぶ選挙でマゼールはアバドに敗れ、新譜発売も途切れてしまいました。この居座古座にマゼールは巻き込まれた形だ。ジョージ・オーウェルの小説「1984年」に基づく自作のオペラ「1984年」には、とばっちり経験への思いが皮肉られているのかもしれない。2002年からはニューヨーク・フィルの音楽監督に就任。初来日の1963年以降30回近く来日し、NHK交響楽団をはじめ日本の主要オーケストラを指揮。2014年5月のボストン交響楽団との来日公演をキャンセルしていたが、同年7月13日に米ヴァージニア州の自宅で肺炎のため逝去。享年84歳。