34-15592

通販レコード→AU ORANGE WITH SILVER LETTERING, STEREO 140㌘重量盤 1W/1W

AU DECCA SXL6419(SXLA6419) ヴィリー・ボスコフスキー ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Vienna Imperial ニューイヤーコンサート 1970

商品番号 34-15592


《真空管アンプで聴くことにこだわりたいDECCA優秀録音盤》

「ニューイヤー・コンサート」の顔として知られるボスコスキーが、ヨハン・シュトラウスやウィーンで活躍した作曲家のオーケストラ曲やオペラの序曲をセッションを組んでウィーン・フィルと録音した充実サウンド。

観客を魅了する軽快な演奏、典型的なウィーン人の愛想のよさで、他のどの指揮者よりもニューイヤー・コンサートの伝統を人々の意識の中に根付かせたその功績は偉大なボスコフスキーの代表盤。

クレメンス・クラウスの後を継いで、25回も「ニューイヤー・コンサート」の指揮台に立ったヴィリー・ボスコフスキーが勝手知ったるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とセッション録音した序曲集です。まさにタイトル通りの古き良きウィーンが凝縮された1枚。この録音は、ムジークフェラインでのライヴでは無く、ゾフィエンザールでのセッションによるものです。オーディオファイル向け高音質盤でもある。

ウィンナ・ワルツの伝統を20世紀に伝承し、その粋を伝え続けた名匠ボスコフスキー。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサートの指揮者として、四半世紀にわたって「ウィーンの新年の顔」だったヴィリー・ボスコフスキー。新年を迎えるこの時期には、アニヴァーサリーの音楽家が話題にのぼります。ヴィリー・ボスコフスキーは、1909年ウィーン生まれ。生誕115年を迎えました。1939年から同楽団のコンサートマスターを30年も務めるかたわら指揮活動も行い、時に指揮棒をヴァイオリンに持ち替え、ソリストとしてオーケストラをリードしましたが、これはヨハン・シュトラウス2世たちが生前に行なっていた演奏スタイルに重なり、いわば往年のウィンナ・ワルツの演奏の姿を20世紀に蘇らせたものともいえ、「ニューイヤー・コンサート」はウィーン新年の名物として大変な人気を博しました。ボスコフスキーが、ニューイヤー・コンサートの創始者であった指揮者クレメンス・クラウスの急逝を受けて、同コンサートを指揮するようになったのは1955年のこと。クラウスのもとでオーケストラをリードしてきた、コンサートマスターに委ねる窮余の一策でしたが、ヨハン2世のようにヴァイオリンをもち、弓で拍子をとり表情をつけ、コンサートは大成功。オーケストラの魅惑の音色と、しゃれたフレージングを生かしながら、前任者クラウスとは違う、ちょっと速めで活力がある流れを特徴にしている。観客を魅了する軽快な演奏、典型的なウィーン人の愛想のよさで、現在まで続く名物コンサートで、ともかく20世紀のヨハン・シュトラウスの生まれ変わりとして、他のどの指揮者よりもニューイヤー・コンサートの伝統を人々の意識の中に根付かせたその功績は偉大です。それ以来、1979年までちょうど25年間、ウィーンの華やかな新年を告げるこの特別な演奏会の指揮台に立ち続けました。イギリス・デッカはそれと並行する形で1957年からボスコフスキーとウィーン・フィルによるシュトラウス一家やその周辺作曲家のワルツ・ポルカの録音プロジェクトを開始し、1979年の〝ニューイヤー・コンサート〟のライヴ録音に至るまで、シュトラウスだけでLPにして17枚分、全156曲にものぼるアンソロジーを築き上げました。ウィーン音楽アカデミーで学び、生粋のウィーン楽派を受け継いだソロ・ヴァイオリニストであったのみならず、また弟でクラリネット奏者だったアルフレートと組織した「ウィーン八重奏団」、「ボスコフスキー四重奏団」、「ウィーン・フィルハーモニー四重奏団」を組織して室内楽の活動も盛んに行いました。ボスコフスキーこそが、楽団と共に成長した叩き上げのコンサートマスターといえる存在で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の面々は、いってみれば家族のようなもの。そんなこともあって、名手揃いのウィーン・フィルの面々が、いつになくリラックスした様子でシュトラウス作品の演奏に取り組むさまが、本盤を聴く度に目に浮かびます。英デッカのスタッフはオペラ・プロジェクトと同じように力を尽くしている。ウィーン・フィルの数あるオペラの優秀録音は、ボスコフスキーの魅力が全開する毎年のシュトラウス・ファミリーの録音で磨き上げられたと思えてしまいます。その1975年と1979年のコンサートは録音史にも残るものとなりました。1975年にデッカは〝ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサート〟を初めてライヴ録音し、また1979年のコンサートはデッカ初のデジタル録音となりました。

私はあくまでヴァイオリニストが本職で指揮は趣味である。 ― と言ったヴィリー・ボスコフスキーが60歳になったとき、〝この歳はヴァイオリニストとしては老年と言えるでしょうが、指揮者なら80歳で充実した年齢と言えるでしょう。したがって、私はこれから指揮することに次第に重点を置くでしょう〟と述べた。

彼はことにモーツァルトの曲を愛し、戦前はピアニストのリリー・クラウスとモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲を録音している。ボスコフスキーはモーツァルトをウィーン風に軽快に明るく何とも言えぬ美しい音色で演奏する。しかし、彼は何にもまして〝ワルツ王〟ヨハン・シュトラウスを好み、その音楽の権威であると自負している。1970年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を退団したが、かつてのシュトラウスのように〝立ち弾き〟で人気を博した新年コンサートの指揮は続けた。名手揃いのウィーン・フィルの面々が、いつになくリラックスした様子でシュトラウス作品の演奏に取り組むさまが、ライヴ盤を聴く度に目に浮かびます。20世紀の、ヨハン・シュトラウス2世の生まれ変わりとしてウィーン楽壇にもたらしたボスコフスキーの功績は大きい。しかし、1979年秋に健康上の理由でこれを辞退したあとは伝統あるヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者として活躍した。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団は19歳の〝ワルツ王〟により結成されました。若きシュトラウスは「美しく青きドナウ」など自作ワルツを携え、欧州のツアーを行いました。結果、大成功をおさめ、作曲家とともに楽団はヨーロッパ中の的となりました。現在の楽団は、かつてエドゥアルト・シュトラウス1世が解散したシュトラウス管弦楽団を再建するという建前で、ウィーン放送交響楽団を中心としたウィーンの名だたるオーケストラから選抜された楽団員で、1966年に結成された。そこでシュトラウス一家の伝統の継承者として、エドゥアルト1世の孫であるエドゥアルト・シュトラウス2世が創立者として招かれた。1969年にエドゥアルト・シュトラウス2世が早世すると、その後楽団はウィーン・フィルのコンサートマスター、ボスコフスキーの時代にその名声を確立。その後もヴァルター・ゴールドシュミット、クルト・ヴェス、アルフレート・エシュヴェ、マルティン・ジークハルト、オーラ・ルードゥナーといった著名な指揮者を招いています。ことウィンナ・ワルツの演奏に関してはウィーン・フィルに次いで権威あるオーケストラとなっている。〝ワルツ王〟シュトラウス一族が築いたウィンナ・ワルツの伝統を今に受け継ぎ、聴衆を魅了し続けています。

ヴィリー・ボスコフスキーは時に指揮棒をヴァイオリンに持ち替え、ソリストとしてオーケストラをリードしましたが、これはヨハン・シュトラウス2世たちが生前に行なっていた演奏スタイルに重なり、いわば往年のウィンナ・ワルツの演奏の姿を20世紀に蘇らせたものともいえ、ウィーン新年の名物として大変な人気を博しました。それほど現在も続いているのはヨハン・シュトラウスの音楽構造の魅力に有るのでしょう。軽やかな娯楽音楽の代表格であるヨハン2世(1825~1899)とヨーゼフ(1827~1870)のシュトラウス兄弟。ヨハン2世のワルツは、リヒャルト・シュトラウスの交響楽章に引けをとらない実の詰まった音楽。生涯を通じて象徴的なものに憧れ続け、それを糧として地道な努力を積み重ねたヨハネス・ブラームス(1833~1897)とは、親交があり、かたや世界苦を一身に背負ったかのような交響曲を書いたグスタフ・マーラー(1860~1911)は、1898年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者となる。華やかにスカートが舞う中で、斯くも水と油の関係にも思える彼らは、実のところ「世紀末ウィーン」という点で密接に関わっている。19世紀に入ってからのヨーロッパでは、それまで主に宮廷や上流階級のものであった舞踏音楽が市民階級にも広がって行きます。中でもワルツは、メヌエットやガヴォットとは異なり、男女が体をくっつけて踊れる最初のものであったので、急速に広まることになります。こうしたワルツの多くがウィーンで生まれ、殊にウィンナ・ワルツの創始者とされる、ヨーゼフ・ランナー、ヨハン・シュトラウス1世がウィーン風な洒落たスタイルに仕上げた事で一世を風靡します。ヨハン1世は3人の息子が音楽家になることを嫌いますがヨハン2世、ヨーゼフ、エドゥアルトも音楽家となり、この時代を牽引します。その他では、フランツ・フォン・スッペ、カール・コムサク、カール・ミレッカー、カール・ミハエル・ツィラー等がウィーンの宮廷・貴族社会を中心にウィーンの舞踏音楽を支えます。ウィーン・フィルのコンサートマスターを長年勤め。ヴァイオリンを弾きながら、ウィンナ・ワルツを指揮するボスコフスキーには音楽と一体になった喜びが溢れている。やや速めのテンポ、軽やかなリズム、そして優美な情感を発散するアーティキュレーションはウィーンの人々の生活感情と一致するものであろう。レコードの演奏にもそれがはっきりと出ていて、ボスコフスキーの明るい洗練された演奏に引き込まれる。彼らの演奏は、現在世界各地に溢れているヴィルトゥオーゾ・オーケストラによるモダーンで、洗練された感覚の演奏とはやや性格を異にしている。それはもっと素朴で、ゴツイ手触りをしているとでも形容すればいいのかもしれない。しかし、そこには他のオーケストラではきけない独特の味わい深さがあり、魅力十分だ。

人生の酸いも甘いも噛み分けた人生の達人から、 この世の生き方を教えられる ― 大ヒットしたワルツのメロディーに、人生の機微を表した歌詞を載せて歌われる。

ヘルベルト・フォン・カラヤン、ヨーゼフ・クリップス、ハンス・クナッパーツブッシュ(以上、イギリスDECCA)、ルドルフ・ケンペ(イギリスEMI)、カール・ベーム(ドイツ・グラモフォン)など、この時期にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とウィンナ・ワルツの名盤を残している指揮者はいるものの、ヴィリー・ボスコフスキーほどの規模で継続的に取り組んだ例はなく、ウィンナ・ワルツやポルカといえばボスコフスキー盤が最も安心して購入できる定盤として長らく親しまれてきました。 ボスコフスキーは長年ウィーン・フィルのコンサートマスターをつとめ、ウィンナ・ワルツが骨の髄までしみ込んだ指揮者だ。指揮者としても活動しており、殊に1955年から〝ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサート〟の創設者クレメンス・クラウスの死に伴い、その後を継いでその指揮を行う様になり、ヴァイオリン片手のソロを交えながら指揮をする、その洒脱な演奏スタイルを含め人気を博します。長い間、このオーケストラのコンサートマスターとして、クラウスの棒で弾いていたわけだから、雰囲気も十分に承知しており、リーダーとして最適の人選だったのだろう。自らヴァイオリンをもつシュトラウス当時のスタイルによる演奏は、それなりの味をもつ。その音楽はクラウスよりいくぶん硬さがあるようだが、ウィーン気質・ウィーン情緒(Wiener Blut)は伝わってくる。その意味で職人気質のうまさを身につけているが、決してそれがマンネリにならず、いつも生気を帯び、そこから生きる喜びが伝わってくる。リズムは精妙で自在、フレーズの隅々まで血の気が通い、あたたかみとほほえみ、やさしさと爽快さがひとつとになり、華麗であると同時に哀感を帯びている。そして人生の酸いも甘いも噛み分けた人生の達人から、この世の生き方を教えられる。20世紀のヨハン・シュトラウスの生まれ変わりとしてウィーン楽団に齎したボスコフスキーの功績は大きい。名手揃いのウィーン・フィルの面々が、いつになくリラックスした様子でシュトラウス作品の演奏に取り組むさまが、聴く度に目に浮かんだものです。

レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。それはちょうど社運をかけたプロジェクト、ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』全曲盤の録音期間に当てはまる。ヴィリー・ボスコフスキーがコンサート・マスターとして、ソロと指揮を兼ねたヨハン・シュトラウス・ファミリーのレコードも同様だ。〝指環〟の録音が行なわれたのと同じウィーンのゾフィエンザールで、ジョン・カルショーやエリック・スミス、ゴードン・パリーやジェームズ・ロックといったデッカの名プロデューサー、エンジニアたちが総力を結集して取り組んだ一連の録音であり、演奏・録音面では一切の手抜きが見られない点に大きな特色があります。その録音、臨場感、演奏全てが、満足できる域に達していることは言うまでもない。そして、1979年の「ボスコフスキー ニューイヤー・コンサート」が、同社初のデジタル録音として発売されている。斯くあるオペラのプロジェクトに、ヨハン・シュトラウスの録音が前哨戦と成っていることを思い巡らせながら試聴すると興味深いです。貴方の部屋が写真のウィーンのソフィエンザールの録音セッション会場に様変わりするくらい鮮明な録音です。

Johann Strauss II - Willi Boskovsky, Vienna Philharmonic Orchestra ‎– Vienna Imperial New Year's Concert 1970

Side-A
  1. Franz Josef I, Jubel Marsch, Op. 126 ― 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世救命祝賀行進曲 Op.126
  2. Lagunen Walzer, Op. 411 ― 入江のワルツ Op.411(喜歌劇『ヴェネツィアの一夜』より)
  3. Orpheus Quadrille, Op. 236 (Formal Quadrille Version In Strict Tempo) ― オルフェウス・カドリーユ Op.236
  4. Schneeglöckchen Walzer, Op. 143 ― 松雪草 Op.143
Side-B
  1. Waldmeister - Overture ― 喜歌劇『くるまば草』』より序曲
  2. S'Gibt Nur A Kaiserstadt, S'Gibt Nur A Wien. Polka, Op. 291 ― 帝都はひとつ、ウィーンはひとつ Op.291
  3. So Ängstlich Sind Wir Nicht. Polka Schnell, Op. 413 ― 私たちは平気!Op.413
  4. Orpheus Quadrille, Op. 236 (Concert Version) ― オルフェウス・カドリーユ Op.236
  • Record Karte
    • 演奏:ヴィリー・ボスコフスキー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
    • 録音:1969年ウィーン、ゾフィエンザール。
    • 本盤オーストラリア盤ですが、当時盤自体は英国本国のデッカ社から輸入して著作権の関係からラベルのみオーストラリアで印刷・貼り付けたそうです。本盤はステレオ盤ですが、ラベルはオレンジ・レーベルでSXLA6419。ジャケットも直輸入でSXL6419となっています。

CDはアマゾンで

古き佳きウィーンの調べ
ボスコフスキー(ウィリー)
ポリドール
1994-10-26


ラデツキー行進曲~シュトラウス:ポルカ&マーチ集
ヴィリー・ボスコフスキー/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
Universal Music
2009-04-22


Dances of Old Vienna
Willi Boskovsky Ensemble
Musical Concepts
2014-02-04


Lehar: Waltzes
Vienna Strauss Orchestra
Capitol
1990-10-25


Overtures
Boskovsky
Decca Eloquence
2000-10-16


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ヴィリー・ボスコフスキー(Willi Boskovsky, 1909.6.16〜1991.4.21 オーストリア)

精妙で自在、血の通ったリズム、優しさと爽快さ、そして華麗でありながら哀感を帯びた達人の世界を表現した、その音楽はマンネリに陥らずいつも生気に満ち、生きる楽しさ、喜びを伝えてくれる。ボスコフスキーは、ウィーンの純美な音楽伝統の化身ともいうべき、まさに〝ウィーン気質〟の音楽家であった。ウィーンに生まれ、ウィーン音楽アカデミーに学び、1932年にウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団、翌年からウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーとなり、1939年から1970年までコンサートマスターを務める傍ら、ボスコフスキー四重奏団(ウィーン八重奏団に発展)、ウィーン・フィル四重奏団を組織して室内楽演奏に勤しみ、母校で後進の指導にも当たった。1969年にウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者に就任、さらにウィーン・モーツァルト合奏団やボスコフスキー合奏団を指揮して活躍した。ボスコフスキーの存在を忘れがたくさせているのは、何よりも1955年から1979年までウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートを弾き振りした時の、これぞウィンナ・ワルツの神髄ともいうべき優雅で爽快な名演によってである。1975年と1979年のライヴ録音盤を含む「ウィンナ・ワルツ大全集」(1957〜1979年、DECCA, LONDON)と、ウィーン・モーツァルト合奏団を指揮したモーツァルトのセレナード&ディヴェルティメント全集(1967〜78年、DECCA, LONDON)は、ともに永遠の遺産といえる。
ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。第2次世界大戦勃発直後の1941年頃に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その際に、潜水艦の音を聞き分ける目的として開発された技術が、当時としては画期的な高音質録音方式として貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSPレコード盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLPレコード盤を発売する。特にLP時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。日本では1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLP盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。