US RCA VICS1265 フリッツ・ライナー シカゴ交響楽団 リヒャルト・シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」Op.30
商品番号 34-23077
通販レコード→US DARK PLUM WITH SILVER LETTERING, 2S/1S盤
パイプで煙草を燻らせて、アルコール臭も漂わせながら男らしく仕事を仕上げていく。 ― ライナー=シカゴ響にとって最初のステレオ・セッションとなった記念碑的名盤。最小限のマイクロフォンで収録されながら、1954年という年代が信じられないほどの臨場感のある超絶録音。強い意欲と並々ならぬ緊張感がわき起こる作品。第2次世界大戦中のドイツ楽壇を背負って大編成オーケストラで圧倒する続々と作曲したリヒャルト・シュトラウスの絢爛豪華な音響に酔える名曲を、一世を風靡した名指揮者フリッツ・ライナーが指揮した。だけでなく、そのメリハリのある指揮ぶりに機敏に反応したシカゴ交響楽団との黄金時代をもたらした、このRCA LIVING STEREOのライナーが振る交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》は、まさに永劫回帰の英雄のなすもので、リヒャルト・シュトラウスの録音史上における結びつきにも定評があります。ピッツバーグ交響楽団音楽監督時代にすでに4つのオーケストラ作品 ― 交響詩『ドン・ファン(1941年1月9日)』『ドン・キホーテ(1941年11月15日、チェロ独奏は、グレゴール・ピアティゴルスキー)』『英雄の生涯(1947年11月10日)』、組曲『町人貴族(1946年2月4日)』をCOLUMBIAにSPレコード録音していますし、1953年にシカゴ響の音楽監督に就任し、1954年3月6日と8日、RCAへの最初の録音に選んだのも交響詩『英雄の生涯』と『ツァラトゥストラはかく語りき』でした。かつてライナーがドレスデン宮廷歌劇場の指揮者を務めていた時期(1914〜1921)にはすでに交流があり、『影のない女』のドイツ初演をはじめ、『エレクトラ』『サロメ』『ばらの騎士』といったリヒャルト・シュトラウスの主要オペラを積極的に紹介していました。また1949年からのメトロポリタン歌劇場時代の幕開けを飾ったのが『サロメ』であり、このセンセーションナルな上演と成功こそが、アメリカにおけるライナーの名声を確固たるものとし、シカゴ響の音楽監督就任への道を作ったとも言われています。以後、ライナーは米RCAにシカゴ響との多くの名録音を残しましたが、それ以外のオーケストラとの録音を英デッカにも残しました。ただし、ハンガリー出身のライナーの厳格な造型性は、恣意的な崩れを許さない。〝十八番〟にしていた現代ではとても味わえないようなリヒャルト・シュトラウスだけに、ツボにはまってしまうと、彼等の演奏でなければ満足出来ない境地に陥ること間違いなし。早速、羊飼い無き迷える幾万の子羊が奏でる音を聞く前に、古き良き時代の演奏だと侮らずに聞いて欲しい。
- Record Karte
- 1954年3月8日シカゴ、オーケストラ・ホールでの最初となったセッション、ステレオ録音。
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20世紀オーケストラ演奏芸術の一つの極点を築き上げた巨匠フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888.12.19〜1963.11.15)は、エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)、オットー・クレンペラー(1885〜1973)、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)、エーリヒ・クライバー(1890〜1956)、シャルル・ミュンシュ(1891〜1968)らと同世代にあたる名指揮者のなかで、19世紀の名残であるロマンティックな陶酔よりも、20世紀の主潮である音楽の客観的再現に奉仕した音楽家です。ブダペスト音楽院でバルトークらに作曲、ピアノ、打楽器を学び、1909年にブダペストで指揮デビュー。第一次世界大戦以前から、ブダペスト歌劇場(1911〜1914)、ザクセン宮廷歌劇場(ドレスデン国立オペラ)(1914〜1921)を経て、1922年に渡米しシンシナティ交響楽団(1922〜1931)、ピッツバーグ交響楽団(1938〜1948)の音楽監督を歴任。その後メトロポリタン歌劇場の指揮者(1949〜1953)を経て、1953年9月にシカゴ交響楽団の音楽監督に就任し、危機に瀕していたこのオーケストラを再建、黄金時代を築き上げました。その後、1962年まで音楽監督。1962/1963年のシーズンは「ミュージカル・アドヴァイザー」を務める。ライナー着任時のシカゴ響には、すでにアドルフ・ハーセス(トランペット)、アーノルド・ジェイコブス(チューバ)、フィリップ・ファーカス(ホルン)、バート・ガスキンス(ピッコロ)、クラーク・ブロディ(クラリネット)、レナード・シャロー(ファゴット)といった管楽器の名手が揃っており、ライナーはボルティモアからオーボエのレイ・スティルを引き抜いて管を固め、またメトロポリタン歌劇場時代から信頼を置いていたチェロのヤーノシュ・シュタルケル、コンサートマスターにはヴィクター・アイタイという同郷の名手を入団させて、「ライナー体制」を築き上げています。このライナーとシカゴ響は、ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ジョージ・セル&クリーヴランド管弦楽団、ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団などと並び、20世紀オーケストラ演奏芸術の極点を築きあげたのです。
録音史に残る名録音 ― LIVING STEREO
ライナー=シカゴ響のRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ交響楽団の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。フリッツ・ライナーのこの録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星のごときソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。いずれもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音「リビング・ステレオ」としてリリースされ、オーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。
フリッツ・ライナー(Fritz Reiner 1888.12.19〜1963.11.15)は、ブダペスト生まれ。生地のリスト音楽アカデミーで学び、卒業後ブダペスト・フォルクスオーパーの楽団員となった。ここで声楽コーチを兼任した彼は1909年にビゼーの歌劇「カルメン」を指揮してデビュー。翌年ライバッハ(現リュブリャーナ)の歌劇場に移り、翌1911年ブダペストに戻りフォルクスオーパーの指揮者となり、1914年にはワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」のハンガリー初演を行う。1914年からはドレスデン国立歌劇場の指揮者として活躍。ヨーロッパ各地に客演した。1922年米国に渡ってシンシナティ交響楽団の常任指揮者となり、この楽団の水準を高めたが、厳しいトレーニングと妥協を許さない方針への反発から1931年に辞任。同年カーティス音楽院の教授に就任。1936年にオットー・クレンペラーの後任としてピッツバーグ交響楽団の音楽監督となり、このオーケストラをアメリカ屈指の水準に高めた。1948年からはメトロポリタン歌劇場の指揮者を務め、1953年にラファエル・クーベリックの後任としてシカゴ交響楽団の音楽監督に迎えられた。ここでも彼の厳格なトレーニングと妥協しない頑固さは様々な対立を産み出したが、確かにこの時代にシカゴ響は世界最高水準の実力を持つ黄金時代を迎えたのである。同時にヨーロッパでも活躍。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも密接な関係を保った。先ずバルトークが代表的な名演奏、「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。管弦楽のための協奏曲はオーケストラの力量も相まって古典的な名盤(1955,1958年)。ドレスデン国立歌劇場時代以来最も得意としたリヒャルト・シュトラウスは交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(1954,1962年)、「英雄の生涯」(1954年)、「ドン・ファン」(1954,1960年)などがある。ベートーヴェンの交響曲は第2番のみ録音しなかったが、厳格で直截な力のある表現が快い。他のムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(1957年)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」(1957年)、レスピーギの交響詩「ローマの松、ローマの噴水」(1959年)などがあった。オーケストラの小品にも引き締まった演奏が多い。オペラ録音はメトロポリタン歌劇場時代の「カルメン」のみなのが長く歌劇場で活躍したライナーだけに惜しい。同曲も独特の厳密な音楽作りがユニークである。晩年にウィーン・フィルと録音したアルバムはいずれも円熟した芸風。シカゴ響の緻密さとは違った柔軟さがあった。ブラームスの「ハンガリー舞曲」&ドヴォルザークの「スラブ舞曲」(1960年)、ヴェルディの「レクイエム」(1960年)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」&「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(1956年)などがある。
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