通販レコード→米ピンク黒文字盤
US RCA VIC6119 イオネル・ペルレア ヴェルディ・アイーダ
商品番号 34-17054
《左腕の指揮者。 ― モノラル録音には意外と知られていないオーケストラ物の名盤が幾つかある。期待して頂ける内容です。》 ヨネル・ペルレア(Ionel [or Jonel] Perlea, ルーマニア→アメリカ 1900.11.30-1970.7.29)は歌劇の指揮者としては要領がよく、全体をまとめるのがうまい。ヴェルディの「アイーダ」が代表レコード。オグダラに生まれミュンヘンでベーア・ワルブルンに、ライプツィヒでオットー・ローゼに師事した。ブカレスト、ロシュトックの指揮者を経て、1934年にブカレスト国立歌劇場の音楽総監督に就任した。第2次世界大戦後はミラノ・スカラ座をはじめ、イタリア各地で活躍した後、49年にアメリカへ渡り、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、「トリスタンとイゾルデ」を指揮してデビュー、サンフランシスコ歌劇場、シカゴ・リリック歌劇場などでオペラの指揮を行うとともに、クリーヴランド管、デトロイト響、ボルティモア響、ロサンジェルス・フィル、サンフランシスコ響、NBC響などを指揮し、コネティカット交響楽団の音楽監督も務めたが、57年より健康を害し、心臓発作と脳溢血のため右半身不随となっており、以来左腕のみで指揮活動を続けた。さらにニューヨークのマンハッタン音楽学校で指揮の教授を務めました。ヴォックスとRCAから、おびただしいレコードを出し、中ではオペラが比較的好評だったが、歌手やソリストに隠れて大きな注目を浴びるようなことはなかった。音楽に関しては最も後進国と言っていいルーマニアは演奏家の方では気にかかる存在である。ドイツ、イタリア、フランス、あるいは北欧諸国などの華やかな音楽史に隠れたルーマニアではあるが、優れたピアニストは生まれた。クララ・ハスキルであり、ディヌ・リッパティであり、現代ではラドゥ・ルプー。でもそれ以外となると、作曲家で指揮者でもあったジョルジェ・エネスコ、それに個性的な大巨匠セルジュウ・チェリビダッケである。カラヤンより8歳年長で21年はやく先立った。カラヤン以前にも膨大にレコードを録音しリリースした指揮者が居た。ヨネル・ペルシアは要領よく録音を進め、珍しい楽曲まで録音した。カラヤンの生涯はレコード録音の発達に恵まれていた。ペルシアが生まれた頃に蓄音器が登場し、レコードが一般的市場に育つ頃には成人している。ステレオ録音が市場化する頃に健康を害している。代わりにカラヤンがレコードを最大限に活用して全世界に知られる存在になっていった。それでも数多いレコードを残したのだから録音に直感的才能をカラヤン同様に持っていたのだろう。フルトヴェングラーのジレンマは時代が用意したように思える。モノラル時代にトスカニーニ盤と並び称された『アイーダ』の名盤。これは今では余り話題になりませんが、当時アメリカではトスカニーニ盤と並んで良く売れたようです。何といっても聴きものはスウェーデンの名テノール、ユッシ・ビョルリンクの知的で気品のある表現、しなやかで、透き通るように美しい歌声でしょう。惜しくも49歳という若さで他界しましたが、その叙情の深さと表現の見事さは今も語り継がれています。ビョルリンクの最盛期の輝きが刻印されたラダメスのほか、ジンカ・ミラノフのアイーダ、フェドーラ・バルビエーリのアムネリス、レナード・ウォーレンのアモナスロなど、1950年代メトロポリタン・オペラの舞台を飾った名歌手が勢ぞろいしています。指揮にはイタリア的な解放感も感じさせますし、ローマの名歌劇場のオールディーズが上手く後押して更に魅力を出しています。1955年、ローマ歌劇場におけるモノラル・セッション録音。ステレオ録音はないが、スタジオセッションだけに各部明瞭に仕上がっています。カラヤン、テバルディ盤以前を知らない人にも、聞いてもらいたい、白熱した録音です。
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