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ハイドンの精神で演奏しながら、表現上の抑揚はロマン派のマーラーに相応しいスタイル ― 交響曲第4番(SB2081)とともに数少ないフリッツ・ライナーのマーラー録音であり、ライナーならではの新鮮な視点が光るマーラー解釈。ライナーは決してマーラー指揮者ではなかったし、作曲者との直接のコンタクトもなかったようだが、2曲のマーラー作品は、彼らしいストレートな解釈で貫かれたユニークな名演です。それはシカゴ交響楽団のパワフルで底力のある響きと木管や金管の見事なソロ・ワークの表出を魅力としていて、表層的にはそこを評価される傾向が厚いですが、オーケストラの機能性重視の、完璧なアンサンブルをもってして、意外なほどシンフォニックに傾かないのは、若き日にオペラハウスの経験を積んだベテラン指揮者ならではでしょう。それもことさら文学性に耽溺することなく、オットー・クレンペラーとは別な意味で、感傷を廃した骨太のロマンティシズムを感じ取らされます。包容力溢れるカナダ出身のコントラルトのモーリン・フォレスター(Maureen Forrester)と、明るい音色で歌い上げるテノールのリチャード・ルイス(Richard Lewis)は、ともにブルーノ・ワルターからも信頼を得ていた《大地の歌》(THE SONG OF THE EARTH)の当時最高の解釈者2人の歌唱も聴きもの。このコンビは、ワルターとのアメリカ・コロムビア録音は当然、ライヴ録音も数々あることから、ワルターを介したマーラー解釈は揺るぎない一家言を持つものだったと想像がつく。歌手にフォレスター、ルイスを得たのも大きな美点となっていて、この〝ライナー・大地の歌〟の細部における抑揚から聴き取れる呼吸は、マーラー演奏として決して場違いな印象はありません。《大地の歌》単独を、LPレコード1枚に詰め込んだレコード発売もあったが、初版の本盤は2枚組でカッティングにゆとりがあり、第4面にハイドンの《交響曲第88番》が収録されている。奇異に思わされるがライナーのマーラーを聴くとハイドンと組み合わされたことで、彼の演奏解釈の個性が把握しやすくなっている。吉田秀和が『世界の指揮者』で、「ハイドンだけをきかせて、現代人を心から満足させるのは容易ではない」と提唱し、その満足できる数少ない演奏として、ジョージ・セルとライナーを挙げている。この2人の指揮するハイドンは知的で、美しく整っている。ことさらライナーが指揮した《V字》の明晰度は一度聴けば記憶に残る。快刀乱麻を断つ、清新な響きに満ち、多声的構造が手に取って感じられるようなほど立体的で、アンサンブルにデフォルメがなく筋肉質だ。感受性が未熟だったらフレームだけに思われるだろう。《V字》の録音の名盤は多い。しかもアルトゥーロ・トスカニーニ、ワルター、クレンペラー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ハンス・クナッパーツブッシュ、フリッツ・ブッシュ、クレメンス・クラウス、カール・ベームと思い出すまま列挙して改めて驚くほど巨匠たちの録音を聴くことができる。ハイドンの交響曲を指揮して一流の人は、指揮者としても一流である、という話を聞いたことがあるが、ハイドンの音楽は彼等を魅了してきた。この〝V字(Letter V)〟という副題には意味はない。ロンドンのフォースター社がハイドンの交響曲の選曲集を出版する際、選出された23作品にA〜Wのアルファベットを付け、第88番に〝V〟が割り当てられた、というだけのことである。ハイドンの楽風の魔力はその基調たる自由さと歓喜にある。抑えきれない、まったく素直な心の高揚はまずそのアレグロを支配している。これは荘重な部分にも、アンダンテにも認められる。《V字》第1楽章で16小節からなるアダージョの序奏部から続く、アレグロは一つの楽想を巧みに展開させた構成で、とってつけたアダージョの序奏におわらず、その卓越した和声法、ダイナミクスの対比として楽しい。素朴さと穏やかさが心地よいラルゴの変奏曲が展開される途中、突然ティンパニとトランペットが登場してアクセントとなる第2楽章。第3楽章はトリオで民族舞曲のような味わいが出ている明るいメヌエット。第4楽章は再び第1楽章と同じく、一つの楽想を手際よくさばき、楽しげに起伏を描くアレグロ・コン・スピーリト。コーダも痛快。軽快でありながらも、緊密で力強い構成感が印象に残る傑作である。簡潔さの中に音楽的内容の充実度と自由度がある《V字》には、非常に高い中毒性がある。ハイドンの美質がきれいに無駄なく詰まっていて、指揮者の力量や気性を知る上でも、聴きやすい。ハイドンの音楽に感動するということは、指揮者のテクニックに感動しているのだ。〝ハイドンの精神で演奏しながら、表現上の抑揚はロマン派のマーラーに相応しいスタイル〟と称されるライナーらしいマーラー解釈の典型的な例である。ところで、巷では《大地の歌》は「左右の音が逆になっている」と、間違った認識がレビューに特記として掲げられているものがある。これは1970年代に説明される時に、わかりやすく言い換えられたところが短絡的な理解のままに、ネット時代になっても続いてきたものだろう。「左右の音が逆になっている」なら、出力を左右差し替えるだけでよい。1959年11月7日と9日の録音された、ライナー指揮シカゴ響による「大地の歌」はコントラルトのフォレスターが歌う楽章と、テノールのルイスが歌う楽章とで、オーケストラのサウンドが異なる。ソリストの歌はどちらも中央にはっきりと定位する。3チャンネルのうちソリストの歌は、ソロ用のマイクでセンター・チャンネルに収録されたため問題はなかったが、11月7日の初日のセッション後に3チャンネルのうちの一つのチャンネルが、誤って逆の位相で録音されていたことが発見されたようで、2日後に行われた2回目のセッションでは正しく修正された。フォレスターとルイス、それぞれのセッションで録音されたのだろうが、一つの楽章間で両日のテイクが繋ぎあわされている箇所があったことで、結果として全曲を通じて間歇的にオーケストラの音が変化することになってしまったというわけだ。
  • Record Karte
  • モーリン・フォレスター(コントラルト)、リチャード・ルイス(テノール)。1959年11月7,9日シカゴ、オーケストラ・ホール(3トラック録音)、プロデューサー:リチャード・モア、エンジニア:ルイス・レイトン
  • US RCA LSC6087 ライナー マーラー:大地の歌、ハイドン…
  • US RCA LSC6087 ライナー マーラー:大地の歌、ハイドン…
  • US RCA LSC6087 ライナー マーラー:大地の歌、ハイドン…
マーラー:大地の歌
ライナー(フリッツ)
BMG JAPAN
2007-08-22

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20世紀オーケストラ演奏芸術の一つの極点を築き上げた巨匠フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888.12.19〜1963.11.15)は、エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)、オットー・クレンペラー(1885〜1973)、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)、エーリヒ・クライバー(1890〜1956)、シャルル・ミュンシュ(1891〜1968)らと同世代にあたる名指揮者のなかで、19世紀の名残であるロマンティックな陶酔よりも、20世紀の主潮である音楽の客観的再現に奉仕した音楽家です。ブダペスト音楽院でバルトークらに作曲、ピアノ、打楽器を学び、1909年にブダペストで指揮デビュー。第一次世界大戦以前から、ブダペスト歌劇場(1911〜1914)、ザクセン宮廷歌劇場(ドレスデン国立オペラ)(1914〜1921)を経て、1922年に渡米しシンシナティ交響楽団(1922〜1931)、ピッツバーグ交響楽団(1938〜1948)の音楽監督を歴任。その後メトロポリタン歌劇場の指揮者(1949〜1953)を経て、1953年9月にシカゴ交響楽団の音楽監督に就任し、危機に瀕していたこのオーケストラを再建、黄金時代を築き上げました。その後、1962年まで音楽監督。1962/1963年のシーズンは「ミュージカル・アドヴァイザー」を務める。ライナー着任時のシカゴ響には、すでにアドルフ・ハーセス(トランペット)、アーノルド・ジェイコブス(チューバ)、フィリップ・ファーカス(ホルン)、バート・ガスキンス(ピッコロ)、クラーク・ブロディ(クラリネット)、レナード・シャロー(ファゴット)といった管楽器の名手が揃っており、ライナーはボルティモアからオーボエのレイ・スティルを引き抜いて管を固め、またメトロポリタン歌劇場時代から信頼を置いていたチェロのヤーノシュ・シュタルケル、コンサートマスターにはヴィクター・アイタイという同郷の名手を入団させて、「ライナー体制」を築き上げています。このライナーとシカゴ響は、ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ジョージ・セル&クリーヴランド管弦楽団、ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団などと並び、20世紀オーケストラ演奏芸術の極点を築きあげたのです。
フリッツ・ライナー(Fritz Reiner 1888.12.19〜1963.11.15)は、ブダペスト生まれ。生地のリスト音楽アカデミーで学び、卒業後ブダペスト・フォルクスオーパーの楽団員となった。ここで声楽コーチを兼任した彼は1909年にビゼーの歌劇「カルメン」を指揮してデビュー。翌年ライバッハ(現リュブリャーナ)の歌劇場に移り、翌1911年ブダペストに戻りフォルクスオーパーの指揮者となり、1914年にはワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」のハンガリー初演を行う。1914年からはドレスデン国立歌劇場の指揮者として活躍。ヨーロッパ各地に客演した。1922年米国に渡ってシンシナティ交響楽団の常任指揮者となり、この楽団の水準を高めたが、厳しいトレーニングと妥協を許さない方針への反発から1931年に辞任。同年カーティス音楽院の教授に就任。1936年にオットー・クレンペラーの後任としてピッツバーグ交響楽団の音楽監督となり、このオーケストラをアメリカ屈指の水準に高めた。1948年からはメトロポリタン歌劇場の指揮者を務め、1953年にラファエル・クーベリックの後任としてシカゴ交響楽団の音楽監督に迎えられた。ここでも彼の厳格なトレーニングと妥協しない頑固さは様々な対立を産み出したが、確かにこの時代にシカゴ響は世界最高水準の実力を持つ黄金時代を迎えたのである。同時にヨーロッパでも活躍。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも密接な関係を保った。先ずバルトークが代表的な名演奏、「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。管弦楽のための協奏曲はオーケストラの力量も相まって古典的な名盤(1955,1958年)。ドレスデン国立歌劇場時代以来最も得意としたリヒャルト・シュトラウスは交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(1954,1962年)、「英雄の生涯」(1954年)、「ドン・ファン」(1954,1960年)などがある。ベートーヴェンの交響曲は第2番のみ録音しなかったが、厳格で直截な力のある表現が快い。他のムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(1957年)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」(1957年)、レスピーギの交響詩「ローマの松、ローマの噴水」(1959年)などがあった。オーケストラの小品にも引き締まった演奏が多い。オペラ録音はメトロポリタン歌劇場時代の「カルメン」のみなのが長く歌劇場で活躍したライナーだけに惜しい。同曲も独特の厳密な音楽作りがユニークである。晩年にウィーン・フィルと録音したアルバムはいずれも円熟した芸風。シカゴ響の緻密さとは違った柔軟さがあった。ブラームスの「ハンガリー舞曲」&ドヴォルザークの「スラブ舞曲」(1960年)、ヴェルディの「レクイエム」(1960年)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」&「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(1956年)などがある。