34-29261


通販レコード→US "Shaded Dog" - Black on red labels with "RCA Victor" in arc at top, and "Nipper" just above spindle hole, "Stereo Dynagroove" at label bottom オーディオファイル盤

商品番号 34-29261

飄々として、常に軽みを失わず。難しいところもさも簡単そうにサラリと弾き熟してしまう。聴き手に難曲と感じさせないピアニズム。

20世紀アメリカ音楽界の屋台骨を支え続けた大ピアニスト、レナード・ペナリオのRCA録音。若き日の小澤征爾指揮ロンドン交響楽団、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス、そして異色のルネ・レイボヴィッツ指揮ロンドン響など、綺羅星のごとき指揮者が共演しています。また晩年にあったヤッシャ・ハイフェッツが共演を希望した数少ないピアニストの一人であり、室内楽奏者としても卓越した手腕を持っていたペナリオはハイフェッツとグレゴール・ピアティゴルスキーとの貴重な室内楽録音に結実しています。ソロ・アルバムでは、ドビュッシーの前奏曲集全曲や小品集における緻密かつ巧みな技が光ります。

フィギュアスケート好きなら、その定番曲として聴く機会の多い「パガニーニの主題による狂詩曲」(ラフマニノフ)のピアノの音色が耳に染み付いているであろう。― 2024年には生誕100年を数えるが、1990年代に演奏活動・録音活動から引退していたレナード・ペナリオ(Leonard Pennario, 1924.7.9〜2008.6.27)は、ラフマニノフ本人以外でラフマニノフの「ピアノ協奏曲全曲」と「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した最初のピアニストでもあった。ラフマニノフの死後、最初に協奏曲のすべてを録音した業績を残したピアニストでありアメリカでは絶大な人気があって、彼によるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」の録音は、ジョーン・フォンテイン主役の映画『旅愁』に利用されている。1958年では、ワルター・ギーゼキングと並んで最もレコードが売れるピアニストであった。
誰もレナード・ペナリオほどピアノを上手く弾く者はない。アンドルー・ポーター(1952年)

アメリカが未来を信じて疑わなかった一番前向きだった頃に活躍したピアニスト、ペナリオはハリウッド系のオーケストラや野外コンサートへの出演も多く、アディンセルの「ワルソーコンチェルト」のような作品もうまいし、当然ガーシュインの演奏も得意。「ラプソディー・イン・ブルー」はかなり素晴らしい。他にもガーシュインの「第2ラプソディ」や「アイ・ガット・リズム変奏曲」もあり、これらの作品は内容も充実していて優れた印象。さらにはジャズ風な自作の曲も大いに楽しめる。また、ゴットシャルクの擁護者としても知られていた。そのように同時代の音楽だった、ラフマニノフ、バルトーク、ガーシュウィン、プロコフィエフ、ロージャを得意とした。
ペナリオは1952年に米キャピトルへの録音を開始し、その10年後にRCAに移籍。3年という短い間でしたが注目すべきアルバムを続々と録音しました。エーリヒ・ラインスドルフやウラジミール・ゴルシュマン、小澤征爾、アンドレ・プレヴィンらとの共演でペナリオが得意としたラフマニノフ、リスト、シューマン、リストなどのロマン派の精髄を伝える名作協奏曲(および協奏的作品)が選ばれ、ハイフェッツの変態に応えきる、その見事なアンサンブル能力はハイフェッツやピアティゴルスキーとの貴重な室内楽録音を残してきた。ソロ・アルバムでは、ドビュッシーの前奏曲集全曲や小品集における緻密かつ巧みな技が光ります。60枚以上のLPを遺しているが、そのほとんどがショパン以降の作品である。
ハイテクニックを発揮した和音のクリアな響きと、どんなに難しいパッセージでも流れが淀まない抜群の安定感。持ち味としては、この淀みなく流れる音楽の内には内省的な深みを感じさせる。そんな懐の大きさがペナリオの音楽にはある。
20世紀前半の覇者がウラディミール・ホロヴィッツとルービンシュタインの時代を受けて、20世紀後半にバイロン・ジャニスとレナード・ペナリオの時代を迎えるのも期待できたろう。アメリカでの評価はかなり高いと聞くし、室内楽でもハイフェッツらとの共演盤がある。
また室内楽では一転して協調性を発揮し、他の独演者より控えめに振舞う傾向から、1960年代初頭にヤッシャ・ハイフェッツならびにグレゴール・ピアティゴルスキーに共演相手として好まれてピアノ三重奏団として演奏を行う。ルービンシュタインと似た音楽性を持ち、テクニックは勿論申し分なし。しかも初見が利くピアニストを招いてのレコード会社肝いりの「ハイフェッツ&ピアティゴルスキー・コンサート」にペナリオは持って来い。そのうちの一つは1962年にグラミー賞を獲得した。また、ミクローシュ・ロージャにピアノ協奏曲を書いて貰い、ズービン・メータ指揮ロサンジェルス・フィルハーモニックとの共演でその初演を行なった。

ドヴォルザークの「ユモレスク」は、毎月開いてきたレコード鑑賞会でも、クライスラーが演奏して、録音したSPレコード盤が人気だ。「この曲はドヴォルザークが、蒸気機関車に乗っていて楽想を得ました。彼は無類の機関車好きで、毎日乗るほどで。運転手や、車掌の名前まで覚えていたということです。あるとき、ガタンゴトンというレールのリズムがおかしいと気がついて、事故を未然に防ぐことができました。そうした、機関車のリズムを頭において鑑賞してみましょう…」と、前置きして鑑賞しています。30年前から定番化している解説ですが、「ユモレスク」は「新世界より」を作曲後、祖国に戻ってスランプに陥っていたドヴォルザークが、プレッシャーを乗り越えて作曲、新境地を開いたマイルストーンです。
人気の漫画「青のオーケストラ」がNHKでテレビまんが化されて放送された。その第1シーズンを締め括るエピソードで、主人公が一人、ドヴォルザークの「ユモレスク」を弾く場面がある。不思議と早く起きた早朝、まだ暗い中から朝日が差してくる過程に、練習室の奥に片付けられてしまっていた楽譜の束から、選んだ1曲。(主人公は高校生男子。就学前はヴァイオリンの神童ともてはやされ、軒並みヴァイオリンコンクールを制覇していた。しかし、有名ヴァイオリニストだった父親がソプラノ歌手と不倫していることがスクープされる。両親は離婚、母親を悲しめるのはヴァイオリンのせいだと、小学、中学とヴァイオリンを手にすることはなかった。偶然に、学生オーケストラに衝撃を受けた彼が、オーケストラ部で有名な高校に進学するストーリー。)数ヶ月前の彼だったら頭から拒絶したであろう、父親の書き込みを踏まえた上で、「しかし、僕はこう弾く」とヴァイオリンにボウを入れる場面で第1シーズンを終える。彼を変わらせたのは同学年の少女とのふれあいだ。彼の母親とは、違うタイプを見せる姿に心揺らがせる場面がちらほらしていたが、やがて知ることになるのだろう。この少女は、母親から父親を奪った女性に似ていることを。…そんな先読みをしたくなるのも、ドヴォルザークの心のプレッシャーに成っていたことは、長年連れ添った妻にも言えないことで、実はそれを妻は知っていたのです。渡米して「新世界より」をドヴォルザークが作曲していた頃には、すでに。
閑話休題。このレコードは、「エリーゼのために〜ピアノをかこんで」の邦題で、1964年にダイナグルーブ・ソサエティ(日本ビクター)から発売された(SHP-2358)、〝楽しいピアノ小曲集!〟。どの演奏も華やかだが手堅い感じで過不足はないもの。
レナード・ペナリオとアルトゥール・ルービンシュタインは、どうやら師弟関係ではなさそうだが音楽の作りが似ている。奇をてらわずに、いかにも〝華麗なるピアノ〟といった風情。しかし、どの曲も「違和感なく普通に弾ける」ということに、どれだけの底力が必要とされるかを知るべきである。ペナリオは、華麗なテクニックだけでなく、幻想的なしっとりとした作品においては、その詩的なニュアンスと人肌のぬくもりを自然に漂わせることができる稀なピアニストの一人ですが、リヒテルのような極限の深さを志向した演奏ではないので、ちょっと聴いただけでは普通の演奏にしか感じられないかもしれませんが、この連綿と流れしたたるロマンティックな曲想から美しい余韻を引き出すのは、やはり並大抵のセンスではありません。
ぺナリオは、キャピトル・レーベルの看板ピアニストとして名を馳せましたが、戦前のモーツァルト演奏や、戦後も過ぎて、1960年代から70年代にかけてカラヤンに向けられた評価が重なるくらいに ― ライトなイメージが付きまとい日本では軽視され続けてきました。しかし、シューマンやラフマニノフをじっくり聴けば明らかなように、彼の持つロマンティシズムはそんなイージーなものではなく、深い共感と見識に裏づけられたものとして、決して軽視することはできません。前述したようにラフマニノフの死後、最初に協奏曲のすべてを録音した業績の大きいピアニストであり、アメリカでは絶大な人気があって、グラミー賞なども受賞している。フィギュアスケートの伴奏にペナリオがピアノを弾いた「パガニーニの主題による狂詩曲」が心を捉えたのも、また音楽に流れているヒューマンな温かみも手伝っている可能性は特筆すべきものだ。至難の業が連続されるフィギュアスケートが華麗にも見えるとおり、ペナリオのタッチの美しさ、表現の素直さが演奏に潤いをもたらしている。
Leonard Pennario – Humoresque(エリーゼのために〜ピアノをかこんで)
  • Side-A
    1. Dvořák – Humoresque, Op. 101, No. 7(ドヴォルザーク:『8つのユーモレスク』Op.101より第7番 変ト長調)
    2. Tchaikovsky – Humoresque, Op. 10, No. 2(チャイコフスキー:『2つの小品』Op.10より第2番ユーモレスク)
    3. Rachmaninoff – Humoresque, Op. 10, No. 5(ラフマニノフ:『サロン的小品集』Op.10より第5番ユーモレスク ト長調)
    4. Rachmaninoff – Polichinelle, Op. 3, No. 4(ラフマニノフ:『幻想的小品集』Op.3より第4番「道化役者」嬰ヘ短調)
    5. Debussy – Golliwog's Cake-Walk (No. 6 From Children's Corner Suite)(ドビュッシー:『子供の領分』L.113より第6曲「ゴリウォーグのケークウォーク」)
    6. Gershwin – Three Preludes: (ガーシュウィン:『3つの前奏曲』)
      1. Allegro Ben Ritmato E Deciso
      2. Andante Con Moto E Poco Rubato
      3. Allegro Ben Ritmato E Deciso
  • Side-B
    1. Schubert – Moment Musical, Op. 94, No. 3(シューベルト:『楽興の時』D.780より第3番ヘ短調)
    2. Beethoven – Für Elise (Albumblatt), K Woo, No. 59(ベートーヴェン:『エリーゼのために』WoO.59)
    3. Tchaikovsky – Troïka En Traîneaux (Sleigh Ride), Op. 37a, No 11(チャイコフスキー:『四季』Op.37aより11月「トロイカ」)
    4. Grieg – Lyric Pieces, "To Spring," Op. 43, No. 6(グリーグ:『抒情小曲集』Op.43より第6番「春に寄す」)
    5. Grieg – Lyric Pieces, "Butterfly," Op. 43, No. 1(グリーグ:『抒情小曲集』Op.43より第1番「蝶々」)
    6. Falla – Andaluza (No. 4 From Spanish Pieces)(ファリャ:『4つのスペイン小品』より第4番「アンダルーサ」)
    7. Rubinstein – Romance In E-Flat Major, Op. 44, No. 1 (From Soirées De St. Pétersbourg)(アントン・ルビンシテイン:『ペテルブルグの夜会』Op.44より第1番「ロマンス」)
    8. Tchaikovsky – Scherzo Humoristique, Op. 19, No. 2(チャイコフスキー:『6つの小品』Op.19より第2番「ユーモラスなスケルツォ」)
  • Record Karte
    • 1964年4月14-15日、ニューヨーク、ウェブスター・ホール録音
    • 1964年 Release
    • Engineer – Bernard Keville, Producer – Peter Dellheim


販売レコードの写真

  1. US RCA LSC2731 レナード・ペナリオ HUMORESQUE
  2. US RCA LSC2731 レナード・ペナリオ HUMORESQUE

クラシックを聴きたくて/10O’CLOCKのやさしい夜
ハリウッド・ボウル・オーケストラ
EMIミュージック・ジャパン
1991-06-21


魅惑のショパン&星空のコンチェ
ハリウッド・ボウル交響楽団
EMIミュージック・ジャパン
1999-08-25


11人の名ピアニストによるリスト:ラ・カンパネッラ
オムニバス(クラシック)
EMIミュージック・ジャパン
1999-12-24


映画を彩るピアノ協奏曲集
オドウィン
Naxos
1998-06-01


フランク&ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲
ハイフェッツ(ヤッシャ)
BMG JAPAN
2001-12-19


ブラームス:ピアノ三重奏曲第2番
ハイフェッツ(ヤッシャ)
BMG JAPAN
2001-12-19

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ハイフェッツ、グレゴール・ピアティゴルスキーらと、かつて100万ドル・トリオを組んでいたアルトゥール・ルービンシュタインは言った。「どうして誰でもがなれない演奏家に、誰でもなれる批評家が物申すか」と。

ラヴェルの「ラ・ヴァルス」やヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」のシュルツ・エヴラーの編曲、ペナリオ自身の編曲による「皇帝円舞曲」「シェルブールの雨傘」などを聴くといかにもアメリカらしい華麗流麗な演奏である反面「エンターテイメント」は「芸術性」がない、と云う風潮は音楽だけ出なく文学、映画あらゆる分野に共通する偏見を受け「技巧だけの無内容」「低俗」という批判もあった。シューマンやショパンはロマン派の作曲家であり、作品の解釈を定型化出来ないところに面白さのある音楽だと思う。モーツァルトやベートーヴェンが、どういう演奏をしていたのか知るすべはない。自由に発展させた解釈で演奏する前段階で、基本を把握する必要で作曲家の頭にあった演奏を探る行為は、ドビュッシーやラフマニノフに労は無い。ピアノロールや蓄音器の登場で演奏を録音として残している。ラフマニノフは大作曲家であると同時に、まれに見るピアノの達人であった。その技術は現代の我々が見ても抜群であり、アルフレッド・コルトーのような不満足な要素は存在しない。現代のピアノ演奏のレパートリーの殆どをラフマニノフ自身の演奏を手本に出来る。彼は自分の作品を弾くのに自分のイメージを忠実に描ける技術を持っていたし、自作の曲のあるべき姿を指し示している。それでも、誰よりも遅いテンポで始めるスビャトスラフ・リヒテルの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を批評家は同じまな板にあげようとしない。もっともラフマニノフがベンノ・モイセイヴィッチやウラディミール・ホロヴィッツの演奏を認めていたので、自作の多様な解釈の容認は許される。しかし、せっかくの手本となる演奏が残されているのだ。ラフマニノフを直接知る演奏家は少なくないし、唯一往年のレナード・ペナリオが、ラフマニノフを意識したルバートを使っている。もともとペナリオはラフマニノフを尊敬しているということで、その演奏の共通性も本来は容易に見出せるはずだ。デビュー録音のプロコフィエフの「つかの間の幻影」は純度の高い演奏で、このピアニストの質の高さを改めて認識した。シューマンの「幻想曲」やリストのソナタ、フランクの「前奏曲・コラール・フーガ」やラヴェルのラ・ヴァルス、バルトークのソナタ、さらにはジャズ風な自作の曲は、大いに楽しめる。チャイコフスキーやラフマニノフの第2協奏曲、グリーグ等の有名協奏曲のほとんどでエーリヒ・ラインスドルフらアメリカRCAレコードの看板指揮者と共演。他でもショパン以降の有名協奏曲、ラフマニノフの3番、ショパンの2番、リストの1番、プロコフィエフの3番、バルトークの3番と、どの演奏も華やかだが手堅い感じで過不足はないものだが、特徴のない普通で平凡なものとして片付けられてきた。むしろ知らない人の方が多いのは残念ながら、当時の批評家たちが自身のものさしの尺度に合わないペナリオを無いことにしようとしたからだ。
1924年バッファロー生まれ。その後ロサンジェルスで育ち、現役時代の活動もその地で全うした。幼少の時より神童とよばれ、12歳でグリーグの《ピアノ協奏曲》をユージン・グーセンスの指揮で、ダラス交響楽団と共演し名を馳せた。当初予定されていたピアニストが病気になったため、かねてよりペナリオ少年のピアノ演奏に注目していたグーセンスの推薦によって、本人がこの作品が分かると明言したこともあり独奏者に抜擢されたのだった。実際にはそれまでペナリオはこの曲を聴いたことも弾いたこともなかったが、わずか1週間で覚えてしまったという。
努力で希望を実現してしまうアメリカン・ドリームの一つだ。
第2次世界大戦中は米国空軍に配属され音楽活動を一時中断、航空部隊に従軍し中国、ビルマ、インドを転戦する。この間にピアニストとしての力量が知られ慰問団に加わって奉仕演奏を行ない1943年11月17日、アルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団との共演でリストの「ピアノ協奏曲第1番」を演奏して公式デビューした。その後のディミトリ・ミトロプーロスに招かれての「ラフマニノフ追悼演奏会」では、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を演奏。ペナリオは、ラフマニノフ本人以外でラフマニノフの「ピアノ協奏曲全曲」と「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した最初のピアニストでもあった。

晩年になって急に日本でホルへ・ボレ(ボレット)が有名になった例もあったが、メディアの取り上げられ方や宣伝によっては、ペナリオはわが国でももっと大スター的なピアニストになれたはずで残念だ。その当時のレコード芸術での評が、一言で言えば「通俗的で安っぽいピアノ」というものであった。そのまま現代、インターネット上でも「通俗的」を〝アメリカン〟と短絡してしまって流布している。即時性がネットの優れたところだが、古い話が何度も掘り返されることで残り続けるのもネットの特殊性。アメリカ盤はあまりにもヴィンテージレコードの市場に出てくることはないが、日本盤は中古盤店に片隅で見つける機会はあるだろうから聞いて、どれほどのものか判断してほしい。たとえ録音を聴き、自己判定出来なくても、ラフマニノフの死後、最初に協奏曲のすべてを録音した業績の大きいピアニストでありアメリカでは絶大な人気があって、グラミー賞なども受賞している史実は揺るがないのだが。