34-13606
商品番号 34-13606

通販レコード→米レッドシール黒文字盤
悲しみに溢れたヴァイオリンの響きのなかに希望の光がみえ、深刻さよりも清冽な瑞々しさや希望が表現される。 ― 愛妻クララへの誕生日プレゼントとして作曲された、トリオとってもシューマンらしい演奏。既に神経障害の兆候があったシューマンが、鬱状態の中で書いた曲であると言われている1番。ルービンシュタイン、シェリング、フルニエ ― 黄金の名手3人が揃った室内楽録音史上に残る名盤。巨匠ルービンシュタインが、名手シェリング、フルニエと組んで1972年と1974年にジュネーヴで録音したシューベルト、シューマン、ブラームスのピアノ三重奏曲のそれぞれに、ルービンシュタイン最晩年の滋味あふれるピアノが、清新なシェリングのヴァイオリン、甘やかなフルニエのチェロに寄り添い、ドイツ・ロマン派の最高峰のピアノ三重奏曲の手本を示さんと言わんばかりに極上の名演を成し遂げている。85歳から87歳にかけて取り組んだ演奏ですが、「枯山水」と一言で評されるぐらいに特に室内楽のルービンシュタインのセンスがすばらしい。音楽性を引っ張る、出るところは出る、他の楽器を引き立てるべきところは伴奏に徹するなどピアノの理想的な役割を果たしています。
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僕がルービンシュタインを何故嫌いかというと姿勢が良いわけ。 ということは上半身の力が全部鍵盤にかかるわけ。すると、もう割れんばかりの強い音が出るけれども、汚い音になる ― 坂本龍一がグレン・グールドの演奏から聴こえ出るピアノの音と姿勢の関係を語るところで、引き合いに出されている。20世紀のアメリカが求めたショーマンシップもシンボリックすぎるほど見事だった世紀の巨匠、アルトゥール・ルービンシュタイン。1935年の初来日の後、2度目に彼がやって来たのは1966年6月、すでに79歳の高齢であったが、その舞台のなんという素晴らしさだったことだろう。演奏も舞台姿も円熟の極み、風格豊かで一切の無駄と虚飾を取り去った音楽の本質がそこにあった。しかも、どんなに枯れていても若い頃の道楽者には艶福の名残りがあった。「私は40歳までは女ばっかりだった」とルービンシュタインは指揮者の岩城宏之に語ったそうだが、まあ話半分としても求道者よりはプレイボーイ的な演奏であることは確かだ。しかし、そうした遊びを芸の肥やしにして壮年から老年にかけてのルービンシュタインの深まり方は只事でなく、ほとんど奇蹟のような出来事であった。SP時代はもちろんだがモノーラル時代、そしてステレオ時代に入ってからも、その初期の頃のルービンシュタインには大味なイメージが強い。そんなアメリカの外面的なヴィルトゥオーゾが、70歳代も半ばを超えてから急速に円熟への道を歩み始めた。若い頃は放蕩と道楽の限りを尽くし、60歳代に至るまで効果を狙うだけのピアノを弾いていた最も人間臭い人間ルービンシュタインが、やっとその脂ぎった演奏に抑制を効かせ過度に華やかだったタッチを是正した結果が、ピアノを弾くのが楽しくてたまらない。という風情で、まさに人生の達人の姿がそこにあった。いかなる激しい演奏場面においても背骨がピンと伸びきって、身体のあらゆる部分に無駄な動きが全くないのには驚かされる。そんなルービンシュタインの演奏にはいやらしさが寸毫も感じられない。それは歌舞伎の名優が舞台上で大見得を切っても、演技が少しも下品にならないのと似ている。華のあるステージであり、華麗な音楽創りをしているのに思わせ振りがない。1世紀に一人か二人しか出現しない、この人はまことに「大名人」としか表現しようのない音楽家であった。
怪人プロデューサーの自宅アパートで深夜、部下の事業部長が打ち合わせをやっていたら、ガサゴソと音がして食堂の大型冷蔵庫の扉が開いた。手に何か食べ物と飲み物を抱えてベッドルームへ去ろうとしている小柄な男がいた。斯くも、世紀の巨匠は人懐っこい人柄であった。アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887〜1982)はポーランドのユダヤ人家庭に生まれ、1898年にベルリンでデビューした。ヨーロッパで長く活動した後、第二次大戦前にアメリカへ渡り世界的な名声を得た。祖国愛、政治的亡命、アメリカでの成功と、いかにもアメリカ人が喜びそうなサクセス・ストーリーが見え隠れしている。彼の祖国への愛に嘘偽りがあるとは思わないが、どうもプロモーション上、そういうイメージが作られていたような気がする。1940年代に結成した「百万ドルトリオ」も然り。ルービンシュタインは、この呼び名を嫌ったらしい。アルフレッド・コルトー、ジャック・ティボー、パブロ・カザルスのトリオと同じだろう、やがてヤッシャ・ハイフェッツとグレゴール・ピアティゴルスキーのコンビとは袂を分かちている。名伯楽フレッシュ門下のヘンリク・シェリングが世界の舞台へ躍り出る契機を作ったのは、メキシコに演奏旅行をし、当地で彼と共演しその才能に驚嘆した同国人ルービンシュタイン。メキシコに帰化していたシェリングは、ルービンシュタインが世に知らしめたことをきっかけに世界的な名手とみなされるようになりました。シェリングはよく“成熟”というタームで語られがちですが記念すべき彼らの最初の共演たるこの録音を聴けば、様式的な構想力においてシェリングには最初からから頭抜けたものが備わっていたことは明白でしょう。ルービンシュタインとシェリング、ポーランドが誇る二人の天才の共演によるブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集。端正なピアノと味わい深いヴァイオリンが融合し、ブラームスの重厚さを見事に描ききっている。70歳代であったルービンシュタインが、同じくポーランド出身で40歳代のシェリングと組んだ当ディスクは第3番の第3楽章で顕著なように、いささかピアノ主導型の演奏に傾斜しがちですが、しかし、シェリングの端正な音色と表現が力感と味わいを兼ね備えた老巨匠のピアノと巧みにマッチしており、両者ともに必要以上ののめり込みを感じさせないタイプだけにブラームスの世界を潤い豊かに描き出すことに成功しています。ピアニストでもあった作曲家のヴァイオリン・ソナタはピアノが雄弁に傾く傾向は強いが、ルービンシュタイン主導型の爆演でもなく。ヴァイオリンが真摯、ということでバランスがとれるのではないのか。
ヘンリク・シェリング(Henryk Szeryng, 1918〜1988)も同じくポーランド出身のユダヤ人だが戦前にメキシコに移住し音楽教師をやっていたところ、1956年に当地を訪れたルービンシュタインに見いだされアメリカ・デビューを飾った人物である。彼にとってルービンシュタインは恩人であるばかりでなく、室内楽演奏のパートナーとしてしばしば呼び出される大親分であった。シェリングのヴァイオリンは秀逸である。過度にロマンティックにならず、さりとて辛口過ぎることもない。中道を行く演奏である。シェリングは、ベートーヴェンやブラームスなどのドイツ物を得意としている。渋みと甘味の調和した音色で、精神的にも充実した格調高い演奏を繰り広げてくれる。やや速めのテンポだが、テクニックで捲し立てることはなく、むしろ軽やかな歌になっている。ソロのときのイメージと好い意味で違って、ルービンシュタインの室内楽もなかなかよく、シュリングも委縮していません。さて、この二人が録音したベートーヴェンとブラームスの 『ヴァイオリン・ソナタ』録音を時系列にスケジュールを並べると、ベートーヴェンの「スプリング」と「クロイツェル」ソナタの録音が、1958年12月30と31日。一年置いてブラームスのソナタは一番から番号順に録音。1960年12月28~29日に『ソナタ第1番』、30日に『ソナタ第2番』と『第3番』。年末年始を挟んで、翌1961年1月3日にブラームスの『ソナタ第3番』の続きと、ベートーヴェンの『ソナタ第8番』を録音して完成している。なにぶん年末年始である、ホワイトハウスで行われるパーティで演奏したり、ニューイヤー・コンサートに出演したりとリハーサルや録り直しを含めたスタジオ録音としてはやはり過密なスケジュールといえるのではないだろうか。録音スタジオに腰を落ち着かせてはいなかったことが想像に容易いし、演奏者の共演歴によって大きく異なるだろうが、二人の演奏家は息もピッタリと「覇気」も見せながらもブラームスの内省的な面にも迫っている。現代は誰もが見ているテレビ番組や音楽で共通性が希薄なので、パロディやものまねをするのがショーマンに悩みとなっているというが、こと70歳代の老巨匠と40歳代前半の若いヴァイオリニストには課題はなかったようだ。クレンペラーとバレンボイムの関係を思い出す。確かにピアノの音が少し大きいですが、第1番の出だしなんて、もう美しい以外に表現のしようがないほどで、それでいて嫌になることはない。ほどほどに抑えている。第3番の第3、4楽章ではピアノが暴走する凄みで、ちょっとかすれた音色の味わいが特徴のシェリングのヴァイオリンの音がマスキングされている。レコードのプレス技術の工場を示すが如く、ベートーヴェンもブラームスもLP両面に収まっている。最終日のベートーヴェンの8番のソナタも、当初は「スプリング」と「クロイツェル」でのリリース目的ではなかったのかと考える。音質も、録音年代を忘れるほど優良で名匠同士の音楽の対話を味わうに格好の一枚だ。
しかも彼の特質、迫力あるロングトーンや、豪快なボーイングによって聴き手を圧倒するのではなくて、密やかな静けさや、チェロ独自のなんか円やかな美音を味わうものとなっている。端正かつ気品あふれる表現で「チェロの貴公子」と評された名チェリスト、ピエール・フルニエなどと呼ばれるが、すなわち格調の高さ・気品は一貫して保たれており、それが本盤の独自の存在価値になっているように思います。
すっかり失望してしまい録音には懲りていました。 この年イギリスのH.M.V.レコードの代表者から録音の話を持ち掛けられましたが、以前の録音で懲りていたルービンシュタインは気が進みませんでした。 「気に入らなければレコードを発売しない」という条件で彼はその誘いを受け入れ非公開でショパンの舟歌Op.60を録音したところ、 その音質の良いのに驚きましたが改めてプレイバックを聴くと自分の演奏の音抜けやミスタッチがあまりに多いのに閉口しました。ルービンシュタインのピアノ演奏の技術的な精度は録音技術の発達と大いに関係があるようです。(未校了)。
1972年9月ジュネーブでの録音。
US  RCA  LRL1 7529 ルービンシュタイン&フルニエ&…
US  RCA  LRL1 7529 ルービンシュタイン&フルニエ&…