テラークはワンポイントステレオ録音で、
その優秀さが売り物でした。
エリック・カンゼル指揮のチャイコフスキー「大序曲1812年」は、
レコード時代、そのレコードの溝に、
自分のステレオのカートリッジがちゃんとトレースできるのか?
大砲の音でスピーカーを飛ばしてしまうのではないか?
という、凄まじいものでした。
オーディオに関心の高いクラシックファンのお宅でしたら、
たいがい1枚はあったように覚えています。
その優秀さが売り物でした。
エリック・カンゼル指揮のチャイコフスキー「大序曲1812年」は、
レコード時代、そのレコードの溝に、
自分のステレオのカートリッジがちゃんとトレースできるのか?
大砲の音でスピーカーを飛ばしてしまうのではないか?
という、凄まじいものでした。
オーディオに関心の高いクラシックファンのお宅でしたら、
たいがい1枚はあったように覚えています。
アナログレコード派、オーディオファンを虜にした
超優秀録音のレーベル・テラークの名盤。
超優秀録音のレーベル・テラークの名盤。
ステレオ録音が本格的にデジタル・レコーディングと変遷していることを認識されだした頃、アナログLP派、オーディオファイル双方に十分に普及させることに大きな働きとなった。新進のレーベルだったが、日本では知られていなかったアメリカの指揮者を紹介する一方で、ロリン・マゼールや小澤征爾、アンドレ・プレヴィンら日本でも人気のある指揮者のレコードの登場で一気に浸透していった。
テラーク(Telarc)は1977年 ジャック・レナーとロバート・ウッズにより、オハイオ州クリーブランドに創設された、優秀録音で知られるレコード・レーベルです。当初はダイレクト・カッティングのLPレコードを発売していましたが、1978年4月4日アメリカのレコード会社としては初めてデジタル録音を行ない、それをソースとしたLPレコードの発売を開始しました。当時の使用機器は米サウンドストリーム社製のデジタル録音機で、サンプリング周波数は50kHz、16ビットというCD規格よりも高品位なもので、4チャンネルのマルチ録音仕様となっていました。
テラークが一躍世界的に有名になるのは1980年、エリック・カンゼル指揮、シンシナティ交響楽団によるチャイコフスキー作曲の「序曲1812年」他を発売したときです。このレコードは、非常に高いカッティング・レヴェルでの大砲実射音入りのオーディオ・ファイル・レコードで、ハイエンド・オーディオ専門店が目抜き通りにオープンしていく時期と重なって、デモンストレーション盤として大量の輸入盤が日本に輸入された。カートリッジのトレース能力、スピーカー能力を問う〝試金石〟としてオーディオ・ファンの心をつかみ、クラシック・レコードとしては当時としては異例の全世界で約10万枚の売り上げを記録しました(1983年時点)。
その後、1981年にソニーとフィリップスの両社がコンパクトディスク(CD)を発表したのを機に(ハード、ソフトの発売は翌年の1982年10月)、テラークはサウンドストリーム社でのデジタル録音を止め、録音機材をソニー製のデジタル録音機(PCMプロセッサーはPCM-1610を使用)及び編集機(DAE-1100)を使ったデジタル録音(16ビット直線量子化、サンプリング周波数:44.1kHz)に切り替えて、1980年代後半には20ビットのA/Dコンバーターを採用、1996年には24ビット録音、1998年にはDSD方式による録音を開始するなど、常に最新の録音技術に挑戦し、多くの名録音を生み出してきました。
そのような半世紀前の背景を知っていようが、初めて知ろうが、ベルリオーズの《幻想交響曲》、ベートーヴェンの交響曲5番《運命》。両曲ともクラシック音楽の王道交響曲。音楽面・録音面とも素晴らしい内容ですので、LP派のすべての音楽ファン、オーディオ・ファンにおすすめしたいと思います。
テラーク(Telarc)は1977年 ジャック・レナーとロバート・ウッズにより、オハイオ州クリーブランドに創設された、優秀録音で知られるレコード・レーベルです。当初はダイレクト・カッティングのLPレコードを発売していましたが、1978年4月4日アメリカのレコード会社としては初めてデジタル録音を行ない、それをソースとしたLPレコードの発売を開始しました。当時の使用機器は米サウンドストリーム社製のデジタル録音機で、サンプリング周波数は50kHz、16ビットというCD規格よりも高品位なもので、4チャンネルのマルチ録音仕様となっていました。
テラークが一躍世界的に有名になるのは1980年、エリック・カンゼル指揮、シンシナティ交響楽団によるチャイコフスキー作曲の「序曲1812年」他を発売したときです。このレコードは、非常に高いカッティング・レヴェルでの大砲実射音入りのオーディオ・ファイル・レコードで、ハイエンド・オーディオ専門店が目抜き通りにオープンしていく時期と重なって、デモンストレーション盤として大量の輸入盤が日本に輸入された。カートリッジのトレース能力、スピーカー能力を問う〝試金石〟としてオーディオ・ファンの心をつかみ、クラシック・レコードとしては当時としては異例の全世界で約10万枚の売り上げを記録しました(1983年時点)。
その後、1981年にソニーとフィリップスの両社がコンパクトディスク(CD)を発表したのを機に(ハード、ソフトの発売は翌年の1982年10月)、テラークはサウンドストリーム社でのデジタル録音を止め、録音機材をソニー製のデジタル録音機(PCMプロセッサーはPCM-1610を使用)及び編集機(DAE-1100)を使ったデジタル録音(16ビット直線量子化、サンプリング周波数:44.1kHz)に切り替えて、1980年代後半には20ビットのA/Dコンバーターを採用、1996年には24ビット録音、1998年にはDSD方式による録音を開始するなど、常に最新の録音技術に挑戦し、多くの名録音を生み出してきました。
そのような半世紀前の背景を知っていようが、初めて知ろうが、ベルリオーズの《幻想交響曲》、ベートーヴェンの交響曲5番《運命》。両曲ともクラシック音楽の王道交響曲。音楽面・録音面とも素晴らしい内容ですので、LP派のすべての音楽ファン、オーディオ・ファンにおすすめしたいと思います。
幻想交響曲

通販レコード→JP 1982年日本フォノグラフ社製初出盤
テラーク創立20周年(1997年当時)記念シリーズ第1回発売分。かつてポストカラヤンの有力候補とされていた1930年代生まれの指揮者たち。なかでも最も脅かす存在だったマゼール。クリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務めていた最後の年の録音で、ロリン・マゼール2度目の「幻想交響曲」(ベルリオーズ)。1度目のCBSへの録音から5年しか経たたないままで、再録音の機会を得たのは、いくら売れっ子指揮者といえどもそうそう無いことであろう。テラーク・レーベルの期待の強さも感じられる。
第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」の〝鐘〟は、オーケストラのいるセヴェランスホールから1キロ以上離れたコヴェナント教会の鐘楼にマイクを設置、ここからホールまで1500フィートものケーブルで結び、直径1メートル以上の巨大な鐘をオーケストラと同時進行で叩きながらレコーディングしたと宣伝された個性的な録音。そのアイディアにマゼールも乗り気になって取り組んだのだろうか。現在なら鐘の音はトラックダウンの段階でタイミングまであわせて仕上げるのだろうが、デジタル録音のダイナミズムを味わえるものではあるが、当時のPCM録音機は編集ができなかったのと、ダイレクトカッティング盤も行われていたことでもある。
エンジニアの考え、プロデューサーの目論見はあっただろうがマゼールとしては珍しくヴァイオリンを対抗配置にした、CBS盤。第2楽章「舞踏会」にはコルネットを採用、2台のハープを左右に分けてステレオ効果を出すなど、音響効果的な演出はそのままに、テラーク盤ではオーケストラは通常配置。
グレン・グールドの辣腕プロデューサーとして知られたアンドルー・カズディンが手がけただけある、斬新なアイディアに満ちた才気溢れるマゼールならではの意表を突いた演奏。 ― 明晰、緻密でありながら、大きなダイナミズムを持つマゼールならではの熱狂と狂気に没入することから楽しむことへと変化。この曲全体のもつ多彩な要素をパノラマ的に展開していくことに重きを置いた演奏。 ― 違いを生み出そうとアプローチの変遷がじつによくわかる。カラヤンの幻想交響曲を再現するように、敢えて流麗なベルリオーズを描いているような、最高に興味深い演奏です。
第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」の〝鐘〟は、オーケストラのいるセヴェランスホールから1キロ以上離れたコヴェナント教会の鐘楼にマイクを設置、ここからホールまで1500フィートものケーブルで結び、直径1メートル以上の巨大な鐘をオーケストラと同時進行で叩きながらレコーディングしたと宣伝された個性的な録音。そのアイディアにマゼールも乗り気になって取り組んだのだろうか。現在なら鐘の音はトラックダウンの段階でタイミングまであわせて仕上げるのだろうが、デジタル録音のダイナミズムを味わえるものではあるが、当時のPCM録音機は編集ができなかったのと、ダイレクトカッティング盤も行われていたことでもある。
エンジニアの考え、プロデューサーの目論見はあっただろうがマゼールとしては珍しくヴァイオリンを対抗配置にした、CBS盤。第2楽章「舞踏会」にはコルネットを採用、2台のハープを左右に分けてステレオ効果を出すなど、音響効果的な演出はそのままに、テラーク盤ではオーケストラは通常配置。
グレン・グールドの辣腕プロデューサーとして知られたアンドルー・カズディンが手がけただけある、斬新なアイディアに満ちた才気溢れるマゼールならではの意表を突いた演奏。 ― 明晰、緻密でありながら、大きなダイナミズムを持つマゼールならではの熱狂と狂気に没入することから楽しむことへと変化。この曲全体のもつ多彩な要素をパノラマ的に展開していくことに重きを置いた演奏。 ― 違いを生み出そうとアプローチの変遷がじつによくわかる。カラヤンの幻想交響曲を再現するように、敢えて流麗なベルリオーズを描いているような、最高に興味深い演奏です。
- 録音時期:1982年5月10日
- 録音場所:クリーヴランド、セヴェランス・ホール及びコヴェナント教会(鐘のみ)。
小澤の運命

通販レコード→JP 1981年日本フォノグラフ社製初出盤
若き小澤征爾40歳代の録音から。38歳(1973年)でボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任後、1981年と1982年にテラークへ録音した名盤。
フランスのオーケストラでカラヤンの秘蔵っ子、アンネ=ゾフィー・ムターと。或いはヘルベルト・フォン・カラヤンがレパートリーにしていないスペイン音楽を録音したり、小澤征爾がカラヤンのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音した、でカラヤン薬籠中のチャイコフスキーの録音は今でも耳に鮮やかに蘇ってくる。
1980年代に入ると、小澤征爾は次代を担う指揮者と評されて活動の国際化も進み、レコーディングもさらに増えることに。 シカゴ交響楽団との録音から13年過ぎて脂が乗り切ったばかりでなく、世界中から評価され、自信を深めた時期の演奏といえます。
実のところ小澤とボストン響は何度もベートーヴェンの交響曲全集を作成する計画があったそうです。が、所属レーベルのドイツ・グラモフォンでは師レナード・バーンスタイン=ウィーン・フィルの全集(1977~79年)が発売されたばかり。小澤が体調を崩したりでレコーディングのタイミングを逃していた。
それを慰めるようにテラークの録音が登場した。 テラーク・レーベルからのお誘いもカラヤンのバックアップとして注目を受けていた時期でもあり、デジタル録音の発展に関心を注いだのだと思う。時にカラヤン風に見栄をきったりと、発展途上の若い指揮者に期待を寄せて、その成長を追っていくのは面白い。
小澤征爾&ボストン響は1981〜84年にかけてテラークにベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を録音しています。ルドルフ・ゼルキン79歳、小澤47歳。あの巨匠ゼルキンが自ら小澤を指名したという噂も聞こえてきたこともあり、録音が発売されるとレコード芸術誌でも、日頃小澤に対して厳しい評をくだす宇野功芳氏も、「小澤の伴奏指揮も素晴らしく、音楽性の高さが評価される」と応援を露わにした。そのゼルキンとの録音の流れで録音がされたような、ボストン響とのベートーヴェン交響曲録音はこの第5番《運命》のみです。
40歳代の小澤征爾による生気みなぎる《運命》は、小澤征爾にとって2度目の録音。オーケストラの絶妙のアンサンブルを操り、端正で純音楽的な、しかも動的で躍動感に溢れる指揮で、ベートーヴェンの古典美を見事に表現しています。
ベートーヴェン作品の構造をひとつひとつ丁寧に解きほぐしながら、しかも冷たくならない情熱的な語り口。小澤のベートーヴェン像を打ち立てようという気概が感じられます。
ボストン響は恰幅の良さで応えている、ゆとりを感じる演奏。興味を惹く面白みはありませんが、スタンダードな分聴きやすさに満ち溢れた演奏を聴くことができる。緻密でありながらダイナミックという、難しいバランスを両立させた名演で感動しました。想定外でした。
ベートーヴェンの交響曲全集録音は、1990年代からサイトウ・キネン・オーケストラと共に本格的に取り組み始めた小澤征爾。その後半に録音されたものになるほどに特に感じられる、その聴きやすさに傾けたアプローチ。それが小澤のベートーヴェン。しいては西欧クラシック音楽なのではあるけれども、ボストン響時代にサンフランシスコ交響楽団やシカゴ交響楽団時代に録音したものの再録音が欲しかった。
さてテラーク盤での少し包み込むような音場感は好悪が分かれるようですが、ボストン・シンフォニーホールの実際の音もかくや、と思える臨場感の溢れるものです。
フランスのオーケストラでカラヤンの秘蔵っ子、アンネ=ゾフィー・ムターと。或いはヘルベルト・フォン・カラヤンがレパートリーにしていないスペイン音楽を録音したり、小澤征爾がカラヤンのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音した、でカラヤン薬籠中のチャイコフスキーの録音は今でも耳に鮮やかに蘇ってくる。
1980年代に入ると、小澤征爾は次代を担う指揮者と評されて活動の国際化も進み、レコーディングもさらに増えることに。 シカゴ交響楽団との録音から13年過ぎて脂が乗り切ったばかりでなく、世界中から評価され、自信を深めた時期の演奏といえます。
実のところ小澤とボストン響は何度もベートーヴェンの交響曲全集を作成する計画があったそうです。が、所属レーベルのドイツ・グラモフォンでは師レナード・バーンスタイン=ウィーン・フィルの全集(1977~79年)が発売されたばかり。小澤が体調を崩したりでレコーディングのタイミングを逃していた。
それを慰めるようにテラークの録音が登場した。 テラーク・レーベルからのお誘いもカラヤンのバックアップとして注目を受けていた時期でもあり、デジタル録音の発展に関心を注いだのだと思う。時にカラヤン風に見栄をきったりと、発展途上の若い指揮者に期待を寄せて、その成長を追っていくのは面白い。
小澤征爾&ボストン響は1981〜84年にかけてテラークにベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を録音しています。ルドルフ・ゼルキン79歳、小澤47歳。あの巨匠ゼルキンが自ら小澤を指名したという噂も聞こえてきたこともあり、録音が発売されるとレコード芸術誌でも、日頃小澤に対して厳しい評をくだす宇野功芳氏も、「小澤の伴奏指揮も素晴らしく、音楽性の高さが評価される」と応援を露わにした。そのゼルキンとの録音の流れで録音がされたような、ボストン響とのベートーヴェン交響曲録音はこの第5番《運命》のみです。
40歳代の小澤征爾による生気みなぎる《運命》は、小澤征爾にとって2度目の録音。オーケストラの絶妙のアンサンブルを操り、端正で純音楽的な、しかも動的で躍動感に溢れる指揮で、ベートーヴェンの古典美を見事に表現しています。
ベートーヴェン作品の構造をひとつひとつ丁寧に解きほぐしながら、しかも冷たくならない情熱的な語り口。小澤のベートーヴェン像を打ち立てようという気概が感じられます。
ボストン響は恰幅の良さで応えている、ゆとりを感じる演奏。興味を惹く面白みはありませんが、スタンダードな分聴きやすさに満ち溢れた演奏を聴くことができる。緻密でありながらダイナミックという、難しいバランスを両立させた名演で感動しました。想定外でした。
ベートーヴェンの交響曲全集録音は、1990年代からサイトウ・キネン・オーケストラと共に本格的に取り組み始めた小澤征爾。その後半に録音されたものになるほどに特に感じられる、その聴きやすさに傾けたアプローチ。それが小澤のベートーヴェン。しいては西欧クラシック音楽なのではあるけれども、ボストン響時代にサンフランシスコ交響楽団やシカゴ交響楽団時代に録音したものの再録音が欲しかった。
さてテラーク盤での少し包み込むような音場感は好悪が分かれるようですが、ボストン・シンフォニーホールの実際の音もかくや、と思える臨場感の溢れるものです。
- 録音時期:1981年1月24、26日
- 録音場所:ボストン、シンフォニー・ホール
優秀録音の基準としたのは、
マーキュリー・サウンド。
マーキュリー・サウンド。
スピーカーのメーカーであるARC社の製品テスト・テープを作っていたのがきっかけでレコード会社として発足したテラークは音質について細心の注意を払っており、そのためプレスは、LPは原則として当時の西独のテルデック社のみ、CD、SACDは原則として米Sony DADCに限っていた。CD、SACD共にオリジナルと同一、日本盤のライナーノーツは添付される方式となっている。
そして、そのスローガンとしている「テラーク・サウンド」の音質が基準としているのは1950年代前半からアメリカのマーキュリー・レコードが発売した「リヴィング・プレゼンス」と銘打たれたシリーズで、全指向性マイクロフォンを左右+中央に配置して明瞭な定位を確保しリミッターやイコライザーに頼らない、デッカともRCAとも異なる音作りが行われている。マイクロフォンは小口径ダイヤフラムのSchoeps製モデルを採用。これも音質を特徴付けるものであった。
2009年2月にテラークは自社録音を停止、と同時にテラークの30年近くに及ぶ協力体制が続いたカンゼル&シンシナティ・ポップスのレコードシリーズに終止符が打たれることとなった。カンゼルとテラークの最後のアルバム「From the Top at the Pops」が発売されたのは、彼が他界する一週間前のことであった。
そして、そのスローガンとしている「テラーク・サウンド」の音質が基準としているのは1950年代前半からアメリカのマーキュリー・レコードが発売した「リヴィング・プレゼンス」と銘打たれたシリーズで、全指向性マイクロフォンを左右+中央に配置して明瞭な定位を確保しリミッターやイコライザーに頼らない、デッカともRCAとも異なる音作りが行われている。マイクロフォンは小口径ダイヤフラムのSchoeps製モデルを採用。これも音質を特徴付けるものであった。
2009年2月にテラークは自社録音を停止、と同時にテラークの30年近くに及ぶ協力体制が続いたカンゼル&シンシナティ・ポップスのレコードシリーズに終止符が打たれることとなった。カンゼルとテラークの最後のアルバム「From the Top at the Pops」が発売されたのは、彼が他界する一週間前のことであった。
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