34-13634
商品番号 34-13634

通販レコード→ 蘭レッド・レーベル白文字盤 DIGITAL
オーケストラの名手ぶりに目(耳)を見張るととも第2充実期のプレヴィンが到達した驚きの名演 ―  アンドレ・プレヴィンの演奏は、あくまでも淀みのない流れと瑞々しいリズムが信条。ロンドン交響楽団時代のプレヴィンこそ、若き日にジャズピアニストとして培ったリズム感と、ハリウッド映画の作曲を通して身に付けた音楽のわかり易さと手際良さ、そして指揮法の師であるピエール・モントゥー譲りのオーケストラを自在に操るテクニックとが一気に開花した絶頂期にあった。本盤の演奏はいかにも、この曲に相応しい爽やかなテクスチュアと無理のないテンポが心地よく、奇を衒ったところのない素直なフレージングがどこまでも続きますが、さりげなく施されている内声の絡み合いの充実ぶりにプレヴィンの天才的な冴えを感じずに入られません。SPレコード、LPレコード通して〝チャイコフスキーの交響曲第4番〟は名演盤が目白押し。ヘルベルト・フォン・カラヤンの巧さやレナード・バーンスタインの情熱、エフゲニー・ムラヴィンスキーの透徹感、そうしたものとは全く無縁のプレヴィンのチャイコフスキーは魅力。プレヴィンの指揮もロンドンを離れ、表現の幅を増し、個性を増したように感じる。ドイツ的な音色を持つピッバーク響の影響もあろうが、焦らず、急がず、じっくりと演奏している。この演奏ではプレヴィンはチャイコフスキーの持ち味である美しいメロディラインを際だたせるために、かなりレガートをかけた響きをオーケストラに求めていて上品さを保った中でピッツバーグ響も伸びやかに演奏しています。ここに鳴る音楽はプレヴィンが感じたチャイコフスキーの抒情とメロディメーカーとしての旋律美の表出の見事な結晶だ。ロンドン響を辞めた後はアメリカに帰り、1970年代後半からピッツバーグ交響楽団の音楽監督となった。ヨーロッパでの足場はロンドンからウィーンに移している。ピッツバーク響での録音は少ないながら、イギリスEMI から オランダPHILIPS にも録音するようになり音楽のイメージが変わりつつあった時期でもある。EMI 録音がすべて悪いわけではないが PHILIPS に移っての録音は爽やかさ、すっきり感はそのままに音に深みと重厚さが加わった。
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1980年9月の録音でアコースティックの良い音で有名なハインツ・ホール。その名称は、愛好しているケチャップのハインツがピッツバーグの有力企業であり、スポンサー故。ピッツバーグ交響楽団は嘗てはフリッツ・ライナーが鍛え、アンドレ・プレヴィンの前任がドイツの重鎮 ― ナチスにドイツを追われた悲運の名指揮者ウィリアム・スタインバークで、プレヴィン後はロリン・マゼールにマリス・ヤンソンスという具合に実に恵まれた指揮者運があるある。ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー( Pyotr Il'yich Tchaikovsky )は1840年生まれ。1893年没。ロシア出身。官吏となったあと、ペテルブルク音楽院の第1期生となる。ヨーロッパ各地に滞在し、フォン・メック夫人の援助を受け作曲に専念。指揮活動も行ない米国にも渡る。作風は西欧の伝統を受け継いだ折衷派と呼ばれるもの。圧倒的にポピュラーな交響曲第5番や第6番《悲愴》に比べると、第4番は同列に並べられるほど人気があるとはいえない。ただ、チャイコフスキーの交響曲を知れば知るほど第4番の存在がどうしようもなく気になってくる。この作品が持つ真摯さ、烈しさに惹かれずにいられなくなる。作曲時期は1877年。この年、チャイコフスキーの人生にとって大きな出来事が2つあった。ひとつはアントニーナとの結婚と破局、もうひとつはフォン・メック夫人による経済的援助のはじまりである。また、1877年といえば、ロシア・トルコ戦争が起こっていた時期とも重なる。チャイコフスキーの手紙には、この戦争に対する憤り、不安などが綴られていて、こんな時に「自分のことで涙を流すのは恥ずかしいことです」とまで書いている。交響曲第4番は、このような精神的、物理的状況下で生まれた。この交響曲はベートーヴェンの交響曲第5番にヒントを得て、暗い運命との闘争から勝利へ、という図式に則っている。チャイコフスキーが己を押しつぶそうとするものに抵抗し、逆巻き、燃え上がる創作意欲の発露がある、第5交響曲や第6交響曲のような語り口の巧さとはまた違う、彼の作品中でも屈指の力作だ。
アンドレ・プレヴィンの出生名はドイツ名でアンドレアス・ルートヴィヒ・プリヴィン(Andreas Ludwig Priwin)といい、アンドレ(André)はフランス風の名乗りである。1929年4月6日、ドイツ・ベルリン生まれ。ベルリンのユダヤ系ロシア人の音楽家の家庭に生まれ、ベルリン高等音楽院でピアノを学び、一時期ナチス政権を逃れて9歳でパリ音楽院に入学。1938年から家族に連れられアメリカへと渡り、1943年に合衆国市民権を獲得した。10歳代の頃からジャズ・ピアニストとして演奏し、1940年代、当時黎明期にあった初期モダン・ジャズのビバップ・スタイルに影響を受けたプレイで「天才少年」として注目され、ライオンのイラストが可愛いピアノ・トリオでのアルバム『キング・サイズ』(King Size, 1958年)、ダイナ・ショアと共演した『ダイナ・シングス、プレヴィン・プレイズ』(Dinah Sings Previn Plays, 1960年)、シェリー・マン&ヒズ・フレンズでの『マイ・フェア・レディ』(Modern Jazz Performances of Songs from My Fair Lady, 1956年)などが代表盤に挙げられる。キャリア初期のロサンゼルス時代にはハリウッドの大手映画会社 MGM 専属となり、多くの映画において映画音楽の作曲や編曲、音楽監督を務めている。彼のその多彩な活動の当初は映画音楽の分野において頭角を現し、4回ものオスカー賞を獲得する傍ら、ピエール・モントゥーにも師事し指揮を学んで、1963年には指揮者としてもデビューします。『キス・ミー・ケイト』(1953年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973年)など時代の好みを反映させ、ハリウッドの著名人にはよくあるようにプレヴィンは結婚回数の多い人物であり、音楽家、男としての興味の衰えない姿を見せる存在だ。クラシック音楽の指揮者としては、その後アメリカ、イギリスのオーケストラ音楽監督を歴任し着実なキャリアを重ねた。管弦楽曲の演奏・録音が活動の中心であり、とりわけスラヴ系の音楽とイギリス・アメリカ近現代の音楽の録音で評価を得てきた。近年では、現在ウィーン・フィルを振って最もウィーン・フィルらしさを引き出させるなど、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との間に厚い信頼関係を築きあげています。クラシック音楽における自作品としては、ウラディーミル・アシュケナージへの献呈作『ピアノ協奏曲』やハインリヒ・シフに献呈された『チェロ協奏曲』、2002年に当時の新妻アンネ=ゾフィー・ムターのために作曲した『ヴァイオリン協奏曲』、ジョン・ウィリアムズのために書かれジャズバンドも加わる1971年の珍しい『ギター協奏曲』、金管アンサンブルでは『金管五重奏のための4つの野外音楽』、また声楽のジャンルでは最初のオペラとなった『欲望という名の電車』(1998年にサンフランシスコにて初演)や歌曲集『ハニー・アンド・ルー』、室内楽では『オーボエ、ファゴット、ピアノのための三重奏曲』などが挙げられる。一方ではジャズ・アルバムも制作し、また自らが作曲を手掛けた新作のオペラを録音するなど今日最もアグレッシヴな活動を展開しています。
チャイコフスキーは、ピッツバーグ交響楽団を全米のトップ・クラスに引き上げていったプレヴィン音楽監督時代の録音。きりっと引き締まった明快なチャイコフスキー像を作り上げている。プレヴィンのアナログレコード晩年の初期デジタル録音での演奏だが、上手い。堂々と大柄、シンフォニックな演奏。第4番はチャイコフスキーの「運命交響曲」ともいえる名作。この傑作交響曲の奥深い感情の吐露を、オーケストラの名手プレヴィンがピッツバーグ交響楽団を思う存分振って、分厚いハーモニーと輝くような響きの中に見事に描き出しています。プレヴィンの指揮する演奏は、息づかいが自然で無理がなく音楽が気持ちよく流れてゆく。作為が感じられずに、音楽そのものを楽しめる演奏になる。もちろん、聴かせどころではそれなりに工夫しているのだが、あざとくないので気持ちよく聴けてしまう。こと音楽を快適に聴けるということに関しては、この人以上の指揮者は誰だろうか。語弊覚悟で表現するとフィルム・スコアを手掛けるように楽譜が眼前に繰り広げられるようで、一見脳天気風な紙芝居にピタリとつけるピッツバーグ交響楽団の饒舌さとともに、指揮者プレヴィンの充実期の記録です。多少腰が重く真面目すぎるのが唯一の難点のドイツ系の音色のオーケストラだったが、ヨーロッパ風の柔らかな響きを引き出したプレヴィンが指揮すると軽やかでマイルドになった。録音はフィリップスだけに、ホールトーンが豊か。PHILIPS の熱心ぶりが伺える。最近では、ドイツ・グラモフォンで録音することに強い憧れを持っていたと言っていたのを思い出す。EMIでのロンドン交響楽団と、ピッツバーグ交響楽団での、こちらは同じ指揮者なのかと思うくらい落ち着き払った表情で、音響もかなり整理し尽くされている。低俗になりがちな部分とのスタンスが実にスマートなのだ。
1980年9月、ピッツバーグのヘインズホールでのセッション、ステレオ・デジタル録音。初発は1981年。
NL  PHIL  9500 972 アンドレ・プレヴィン チャイコ…
NL  PHIL  9500 972 アンドレ・プレヴィン チャイコ…