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天国と地獄を前にして ―  ベートーヴェンの〝第九〟交響曲が、日本で初めて演奏されて昨年で百年目になるそうだ。ただし、日本の演奏団体が初演したわけではない。大正3年、第一次世界大戦に参戦した日本は、ドイツの租借地であった青島を攻撃し、約1,000人のドイツ兵を鳴門市大麻町の板東俘虜収容所に送りました。この収容所を管理していた松江豊寿所長をはじめとした人々は、俘虜たちの人権を尊重して、できるかぎり自主的な運営をみとめたため、自由で快適な収容所生活を楽しむことができ、所内に80軒余りの商店街、レストラン、印刷所、図書館、音楽堂、科学実験室、公園、別荘群などの施設を造るほか、健康保険組合、郵便局などの互助的活動も行いました。また、学習、講演、スポーツ、音楽、演劇など文化活動も盛んで、地域の人々は、俘虜たちを親しみを込めて「ドイツさん」と呼び、俘虜たちの進んだ技術や文化を取り入れようと牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・音楽・スポーツなどの指導を受けました。戦時中でありながらも、この板東地域には、人を尊重する心と、長年培われてきたお接待の心が、このような交流を支えました。とりわけ音楽活動では、複数のオーケストラや様々な楽団が100回を超える演奏活動を行いました。そして、1918年6月1日に、ドイツ兵捕虜により「第九」全曲演奏されたのが、日本における初演とされています。年末に〝第九〟交響曲が演奏されるようになるのは、第二次世界大戦中のこと。貧困している楽団員の餅代を稼ぐためでした。合唱団員が参加するというので家族がやって来る。近所の人や友だちも誘って、合唱団員一人が10人誘ったとして、単純計算で、100人の合唱団員が誘った、1000人の聴衆がホールいっぱいに満たす。5月にベートーヴェンの指揮で初演されたが、ヨーロッパでも年末に多く演奏される。〝第九〟交響曲と呼ばれて親しまれているものの、直筆の楽譜を活字化した出版譜の表紙に交響曲第9番とはどこにも記されていない。〝シラー作、頌歌『歓喜に寄す』を終末合唱にした、大管弦楽、四声の独唱、四声の合唱のために作曲され、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世陛下に最も深甚な畏敬をもって、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによって奉呈された交響曲、作品125〟と長い題名だ。ベルリオーズを有名にしている〝幻想交響曲〟も、原題は『ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲』。とかく管弦楽曲のみが取り上げられることが多いベルリオーズだが、オペラもまたすばらしい。本盤の「ベアトリスとベネディクト」は、オッフェンバックがオペレッタの元祖となる「地獄のオルフェ(天国と地獄)」を初演して爆発的な人気を得て、パリを席巻していた時代に生まれた「オペラ・コミック」です。
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本盤の歌劇『ベアトリスとベネディクト』(Béatrice et Bénédict)は、1860~62年にかけてルイ・エクトル・ベルリオーズ(1803-1869)が作曲した序曲と2幕からなるオペラである。シェイクスピアの喜劇「から騒ぎ」が原作ですが、ベルリオーズ自身によって書かれたフランス語の台詞がたっぷり入った、よりオペレッタに近い作品です。ベアトリスとベネディクトは、お互い気があるのに素直になれず喧嘩ばかりしているカップル。「あんな人と結婚するくらいなら修道院に入る方がマシ!」「万一彼女と結婚するようなことがあれば、『結婚した男ベネディクトここにあり』と看板を掲げてやるさ!」と心とは裏はらの悪態ばかり。そんな2人にジレンマを感じて、それぞれに相手が恋焦がれていると耳打ちするのが、相思相愛で結婚間近のエローとクラウディオのカップル。この熱々カップルに軍の上司やエローの父や侍女が結託して、企みは成功して最後はめでたく二人がくっつきハッピーエンド。皆に「結婚した男ベネディクトここにあり!」と笑われて、二人は「今日は休戦とするけど、でも明日になったらまた敵よ!」と負け惜しみを言って幕となります。ヴェルディの「ファルスタッフ」のような軽快な喜劇で、ベルリオーズの他のオペラのような長大で重苦しい雰囲気はない。ヴェルディよろしく、こちらもベルリオーズ晩年の作品だからでしょうか。台詞の多い喜劇であるにも関わらずドタバタ感はなく、美しい音楽、叙情的なアリアやデュエットに彩られた洒落たシェイクスピア劇という趣。シチリアの舞曲や結婚式の合唱などベルリオーズらしいノスタルジックなメロディーも豊富で、ときに静謐な崇高ささえ感じます。1860年の夏、ベルリオーズはバーデン=バーデンの劇場の音楽祭に赴いた折、音楽祭の主催者でカジノの支配人だったエドゥアール・ベナゼからの依頼で、このオペラは作曲された。パリへ戻ると彼は、ローマ留学を終えて間もない1833年に着想したきり、そのままになっていた『空騒ぎ』を題材にすぐに作曲に取りかかった。ドイツの温泉地バーデン=バーデンは当時フランスとロシアの貴族のお気に入りの保養地で、多くの人々が来訪したことから、音楽の重要な中心地となっていた。約1年半後の1862年2月オペラは完成し、同年8月9日、バーデン=バーデンで初演が行われ、演奏にはストラスブールの劇場の合唱団が参加した。初演は成功を収め、ベルリオーズを非常に喜ばせたが、パリでの上演の話はなかなかまとまらず、オペラ・コミック座でパリ初演されたのは、ベルリオーズ没後の1890年になってからのことだった。
サー・コリン・デイヴィスは、1927年イギリスのウェイブリッジ生まれ。1957年から本格的指揮者となりロンドン交響楽団、ロイヤル・オペラ・ハウス、BBC交響楽団、イギリス室内管弦楽団といった有数のオーケストラを指揮し特にモーツァルトやシベリウス、ベルリオーズといった作曲家の作品を得意とし数多くの名盤を残しました。1967年BBC響の首席指揮者、1971年ロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督、そして1982~1992年バイエルン放送交響楽団の首席指揮者、1995~2006年ロンドン響の首席指揮者を務めてきました。また1977年にはイギリス人として初めてバイロイト音楽祭で指揮しています。またボストン交響楽団の首席客演指揮者やシュターツカペレ・ドレスデンの名誉指揮者でもありました。デイヴィス自身「モーツァルトは人生そのもの」という言葉の通り、彼はモーツァルト作品に内包するドラマやパトスを表出することのできる数少ない音楽家でもありました。この時期にオランダ・フィリップスに録音した類まれなモーツァルティアンの名演奏は、そのほとんどが綿密に制作されたセッション録音である点も大きな特徴です。ロンドン響はワトフォード・タウン・ホールなど、ヨーロッパでも最も音響効果のよいホールで収録されており、そのバランスの取れたヨーロピアンな完熟のサウンドは、この時期のデイヴィスの音づくりを忠実に反映したものと言えるでしょう。そうしたデイヴィスの万全なサポートを得て、ベルギーの名ヴァイオリン奏者アルテュール・グリュミオーが甘美で艶やかな音色によって格調の高い演奏を聴かせている一連のフィリップスの録音は、20世紀モーツァルト演奏の金字塔と言えるでしょう。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家が犇めき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から1960年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
ジャネット・ベイカー、ロバート・ティアー、クリスティアーヌ・エダ=ピエール、ヘレン・ワッツ、トーマス・アレン、ジュール・バスタン、ロバート・ロイド、リチャード・ヴァン・アラン、ジョン・オールディス合唱団、ロンドン交響楽団。1977年12月、ステレオ録音。2枚組。
NL PHIL 6700 121 コリン・デイヴィス ベルリオーズ・…
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NL PHIL 6700 121 コリン・デイヴィス ベルリオーズ・…
ベルリオーズ:管弦楽曲、声楽曲集
コリン・デイヴィス
UNIVERSAL ITALY
2013-08-05

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