NL DEC SXDL7604 キリ・テ・カナワ カントルーブ・オーヴェルニュの歌Vol.1

商品番号 34-19387

通販レコード→蘭シルヴァー青文字盤 DIGITAL RECORDING

これほどまでに美しく歌われた「オーベルニュの歌」が、かつてあっただろうか ... ディム・キリの最高傑作 ― 話題の美貌のソプラノ、テ・カナワの名声を確立した。蠱惑のカントルーブ。テイトの指揮がまた聴かせます。フランスのオーヴェルニュ地方の民謡を題材にした名曲の決定盤。よく〝クリーミー・ヴォイス〟と称えられるその輝かしい声と美しい歌唱様式により、ドイツをはじめ欧米各国で人気を博したキリ・テ・カナワ(Kiri Te-Kanawa)。各国でベストセラーとなった世にも美しいフランス民謡アルバムからのセレクション。中でも陶然とするばかりの『バイレロ』は有名で、映画やテレビなどでもよく使用されていました。ジェフリー・テイト指揮するイギリス室内管弦楽団の演奏も絶品です。とは言え久しく、サントリーブランデーのコマーシャルでキャスリーン・バトルが歌ってブームになった、オンブラ・マイ・フほどには記憶されていないかもしれない。おそらく、この曲を愛好する日本人の中で、意識してオーヴェルニュ地方に訪れた人はいるだろうか。そもそもオーヴェルニュに立ち寄った人で、この曲の持つ普遍的な美しさに浴した人はどのくらいいるだろう。マドレーヌ・グレイやネタニヤ・ダヴラツ、ヴィクトリア・ロス・アンヘレス、またジェラール・スゼーなども含めて少なからぬ名歌手らが取り上げている名唱レコードを宝にしている人は少なく無いだろうが、往年のレコード・コレクターだろうし、そもそもオーヴェルニュがきっかけでこの曲を知る人よりも、むしろお気に入りのソプラノ歌手が歌っているのを聴いて知るという人の方が多いのではないか。ダヴラツ、ロス・アンヘレスのレコードは聴いていたけれども、わたしはヴァンサン・ダンディを好んで聞いていた頃、フレデリカ・フォン・シュターデが好きで新譜で登場した「オーヴェルニュの歌」を聴いたことが親しむきっかけとなった。〝琥珀色のラブリー・ボイス〟と呼ばれたその素適な歌声は、このオーヴェルニュの歌でたっぷりと味わえる。ちょっとなまめかしく、でも気品があって、なめらかな声はいつ聴いても心和ませてくれる力がある。冒頭の有名な『バイレロ』からして、もう身も心もとろけるような気分に誘ってくれる。『バイレロ』を聴きながら、わたしの心は広いアルプを吹き来る風を感じ、心から癒される思いである。フランス南東部のオーヴェルニュは山岳地帯で、山あいにある牧草地で、遠く離れた2人の羊飼いが歌っているのを聴いてカントルーブが書き留めたものだそうだ。「農民の唄というものは、形式の点ではともかくとしても、情緒や表現においては、最も純粋な芸術の水準にまでしばしば到達している」という彼の言葉は、楽しい曲でも、この歌曲集には哀愁と儚さが紙一重になっていて、山岳地方の風土の厳しさや、そうした自然の中で育まれた男女の仲の身につまされるような関係が巧みに描き出されている。フォン・シュターデは、そうした音楽の意外な深みをさりげなく歌うことで聴き手の想像力を刺激してくれる。
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作曲者のジョゼフ・カントルーブ(Joseph Canteloube)こと本名マリー=ジョゼフ・カントルーブ・ド・マラレー(Marie-Joseph Canteloube de Malaret, 1879.10.21〜1957.11.4)は、フランスのオーヴェルニュ地方に生まれ、ショパンの教え子だったアメリー・デゼールにピアノを習い、バカロレアを取得したのちボルドーの銀行に勤めるが、病気のためマラレーの実家に戻る。恢復後にパリに上京して音楽の道に進むことを決心、1901年にパリのスコラ・カントルムに入学してヴァンサン・ダンディに師事。オーヴェルニュ民謡に管弦楽法を纏わせた歌曲集によって就中高名である。ダンディの音楽を知る人なら、聴いてすぐにダンディ的な色彩豊かで瑞々しい雰囲気を感じ得ると思う。当然民謡の収集に力を入れたカントルーブはフランス各地を探訪し、オーヴェルニュの他にも、バスク地方や高地オーヴェルニュ、高地ケルシーなどの民謡集も作っているし、またケルト音楽の研究にも寄与するなど民謡への理解が非常に深い音楽家でもあった。そんなカントルーブの代表作が、故郷の歌を集めて管弦楽伴奏とソプラノのための歌集に仕上げた「オーヴェルニュの歌(Chants d’Auvergne)」である。地方の山や草原のあるところで、ゆっくりと時間が流れ、素朴で美しい世界が広がっている。そんな雰囲気に満ちた歌の数々だ。フィールドワークで得た素材と、ダンディ譲りの確かなオーケストレーション、そして多地方の音楽の巧みな混合・折衷のテクニックがあって、この傑作が生まれた。オーヴェルニュ地方の民謡は歌謡だけのグランド(Grandes)と踊りを伴うブーレから成り、羊飼いか貧しい農民、特に前者の生活を主題とするものが大半を占める点に特徴がある。原曲は羊飼いの笛やハーディ・ガーディ、バグパイプといった単純な楽器を伴奏とするが、カントルーブはその特色を残しながらもダンディ流の、例えば金管はホルンとトランペットのみ、またハープではなくあえてピアノを効果的に用いるなど色彩感あふれるオーケストレーションを施して編曲している。「野原の羊飼いのおとめ」、「バイレロ」、「3つのブーレ」がセットの第1集に始まり、全部で第5集まで計30曲ほどが収録された。その全てが完成するまでに30年程を費やしたという力作中の力作である。時に過剰なほどに思い入れの詰まったこの歌曲集はオーヴェルニュの風景をオーケストラの煌びやかな音色に写し出し、フランス民謡の鄙びた旋律を知らしめるのに一役買っている。山岳地帯で休火山もあって地沃には恵まれない厳しい土地に湖や牧草地帯が広がっているオーヴェルニュは、豊富に良質な地下水を産出する事で有名。日本でもお馴染みのミネラルウォーターであるヴォルヴィックは、この地方で採水されたもの。歴史的にはケルト文化が根付いていてフランス語ではゴールと呼ぶ、ブリュターニュ地方と通じるものがある。風土的・文化的に、アイルランドにも近い。
羊飼いさん、川の向こうでは、楽しいことががほとんどないの?ねえ。バイレロ・レロ・レロ・ロ …
ほとんどないね、で、君の方はどう?バイレロ・レロ・レロ・ロ …
羊飼いさん、牧草は花盛りよ、こっちに羊を連れてきたら?ねえ。バイレロ・レロ・レロ・ロ …
こっちの牧草の方がいいよ。バイレロ・レロ・レロ・ロ …
羊飼いさん、川があるんですもの、渡れないわ。ねえ。バイレロ・レロ・レロ・ロ …
待っててよ。迎えに行くから。バイレロ・レロ・レロ・ロ…
最も有名なバイレロ(Baïlèro)は、カンタル県ヴィック=スール=セール地方の民謡。羊飼いの乙女が、川を挟んで向こう側にいる羊飼いの男に呼びかける問答歌です。日本で言えば牛追い歌や馬追い歌に近く、この旋律がなんとも美しい、とても親しみやすさがある。言葉は、オック語というフランス語の古方言で「バイレロ」の意味するものはなく、羊飼いたちの間で使われていた呼び声・合図のようなものだったとも言われている。カントルーブは前奏の冒頭で高音の弦楽とピアノの響きを用い、明るい陽射しが川面に煌めいているような風景を一瞬で描き出す。そしてオーボエの長閑で牧歌的な音に導かれて、乙女は歌い出すのだ。繊細で透明感のあるピアノ、間奏で顔を出すフルート、それら全てが美しい歌をいっそう引き立てている。ただただ、この美しさに酔いしれるのみだ。「野原の羊飼いのおとめ」では、羊飼いの娘と、おそらく他所の土地から来た紳士とのやりとりが歌われる。ナンパをあしらったり、またときにはちょっと付き合ってあげたりする様子が、楽しい旋律に乗せて歌われている。「3つのブーレ」は「泉の水」、「どこに羊を離そうか」、「あちらのリムーザンに」の3曲が、曲間に木管楽器のソロが挿入されて途切れのない構成がされている。これらの曲の伴奏はバグパイプのドローンを模しているように聞こえるし、かなりケルト音楽の影響が大きい。このオーボエ・ソロやクラリネット・ソロを聴くだけでも、ケルト音楽の香りを感じることができるだろう。のどが渇いているのならワインを飲みに行こう、と年頃になったなら、と娘たちを諭す「泉の水」、羊を原っぱに離して、その原っぱで恋人と逢引するのを楽しみにしている「どこに羊を離そうか」、「あちらのリムーザンに」は8分の3拍子で、ほとんどジーグのような舞曲。リムーザン(オーベルニュ西の地名)にはかわいい娘と優しい男がたくさんいるぞというリムーザンの娘の自慢に対して、オーベルニュの男が、いやいやこちらにもいい男が負けじといるぞ、と自慢を競い合う。キリ・テ・カナワがジェフリー・テイトと録音したデッカ盤は、フレデリカ・フォン・シュターデ盤で、この曲が忘れられないものになっていたからイメージの違いに戸惑った。表現するアプローチが異なるものだから、とわかっていても歌曲は歌手が違えば、優れた歌手ほど違って聴こえるものだと実感したものです。アントニオ・デ・アルメイダ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のオーケストラの音色の美しさに加えて、フォン・シュターデの声は絶品だった。その後になって聴いた本盤での、テイトの指揮の音楽的なこと。プライヴェートな表現で歌唱される、カントリーソングとして忘れられないレコードだった愛着を一掃した。テ・カナワの余裕たっぷりの声も、カントルーブの音楽を一段と奥行きのあるものとしていた。テ・カナワの高度な技巧で歌唱される、繊細で透明感のある歌声が美しい歌をいっそう引き立てている。
数奇な人生の始まり ― キリの養父母であるトム&ネル・テ・カナワは、キリが養女として貰われる数年前から、ニュージーランドのギズボーンで暮らしていた。ネルの祖先は19世紀にニュージーランドへ渡ってきたイギリス人で、彼女の大伯父は喜歌劇作曲家として著名なサー・アーサー・サリヴァンだった。ネルは1938年に、マオリ族のトム・テ・カナワと結婚した。トムはマオリ族の名門の出であった。トムは道路工事の仕事をしていたが、後にトラック請負業を始めた。ネルは明るい性格で、家がだだっ広かったので学生に部屋を貸し、いつも家の中には若者たちの笑いが聴こえていた。夫妻は自分たちの子供を欲しがっていたが、40歳代のネルはもう子供を生める齢ではなかった。そこで地元紙に男の子の養子を求める広告を出した。1944年の4月、ソーシャル・ワーカーが生後5週間の女児を抱いて、テ・カナワ家を訪れた。夫妻は男の子でないという理由で断った。あとで夫のトムが「あの可哀想な女の児のことを思ってごらん。あの児は家がないんだよ。うちで育てようじゃないか」とネルにもちかけた。「あら、男の子がほしいっておっしゃったのは、あなたじゃありませんか。あなたがそうおっしゃるなら、私には異存がありませんわ」とネル。こうして、そのベイビイ・ガールはテ・カナワ家の養女となり、「キリ」と命名された。マオリ語で「鐘」の意味だそうである。キリは1944年3月6日、ギズボーンで生まれた。両親はテ・カナワ家と同じく異民族同士のカップルで、母はヨーロッパ系、父はマオリ族である。母は牧師の娘だったので、マオリ族の父と正式に結婚できなかったが、生涯夫に尽くした。非常に生活が貧しかったため、娘を養女に出したのだという。キリの実父は肺結核のため35歳で没し、実母はキリが注目される数年前オーストラリアで亡くなったが、キリは2人に会ったこともないし、その係累と接触したいとも思っていない。「ニュージーランドでは、マオリの子供が貰われた場合、誰も出生のことなどを口にしない風習がありますの。そのほうがむしろビューティフルじゃございません!?」とキリ・テ・カナワ(Kiri Te Kanawa)は言っている。2017年9月に「自分の声を聴きたくない」と引退を表明。最後の公演となったのは、2016年10月に豪メルボルン近郊のバララットで開かれたコンサートだった。2013年放送の『ダウントン・アビー』シーズン4に、オーストラリア出身の歌手ネリー・メルバ役で出演した。
イルジー・ビエロフラーヴェクの訃報に接した記憶がまだ新しいばかりだが、今度はイギリスの指揮者ジェフリー・テイト(Jeffrey Tate CBE, 1943.4.28〜2017.6.2)が亡くなった。享年74歳。旅先のベルガモの美術館で鑑賞中に発作で斃れたという。テイトといえば、イギリス室内管弦楽団(English Chamber Orchestra)の指揮者として、よく知られていた。モーツァルトなどの古典派以外にもリヒャルト・シュトラウスも得意としており、当時最盛期のソプラノ、キリ・テ・カナワとの共演が多かった。テイトは、1943年、イギリス、ソールズベリー生まれの指揮者、鍵盤楽器奏者(ピアノ・チェンバロ・オルガン)。生まれつき二分脊椎症を患っており、1989年より英国ASBAH(二分脊椎症と水頭症の患者と家族のための慈善団体)の会長を務めた。1961年から1964年までケンブリッジ大学クライスト・カレッジにて医学を専攻し、ロンドンのセント・トーマス病院で研修を積むが、間もなく1970年に医療の道を断念して、ロンドン・オペラ・センターに学ぶ。その後はもっぱら現場で地道な経験を積み重ね、ゲオルク・ショルティ、コリン・デイヴィス、ルドルフ・ケンペ、カルロス・クライバー、とりわけヘルベルト・フォン・カラヤンとピエール・ブーレーズの許で修業を積み、ブーレーズがバイロイトでワーグナーの《ニーベルングの指環》四部作の新演出を指揮し、パリのオペラ座でベルクの《ルル》三幕完成版を初演した際、ともに副指揮者を務めた。1978年イェーテボリ歌劇場でビゼーの《カルメン》を振ってデビュー、その後はコヴェントガーデンのロイヤル・オペラ、パリのオペラ座、メトロポリタン歌劇場やミラノ・スカラ座のピットで数多くのオペラを指揮した。なかでもパリのオペラ座で彼が振った《ニーベルングの指環》四部作、《ルル》、ストラヴィンスキーの《放蕩者のなりゆき》、ブリテンの《ビリー・バッド》の成功は未だに語り草だ。1985年にイギリス室内管弦楽団の初代首席指揮者に就き、同時にロイヤル・オペラ・ハウスの首席指揮者も務めている。2005年にはナポリのサン・カルロ劇場の音楽監督、2008年からはハンブルク交響楽団の首席指揮者に就任している。モーツァルトからシェーンベルクに至る18世紀から20世紀初頭のドイツ音楽を得意としており、協奏曲の伴奏や器楽曲、オペラのいずれにおいても、自然な表現と緻密な構成力により、数々の演奏を残してきた。録音も数多い。
第1集より 野原の羊飼いのおとめ、バイレロ、3つのブーレ(泉の水、どこへ羊を放そうか、あちらのリムーザンに)、第2集より 羊飼いのおとめ、アントゥエノ、羊飼いのおとめと若旦那、捨てられた女、2つのブーレ(わたしには恋人がない、うずら)、第3集より 紡ぎ女、牧場を通っておいで、背中の曲がった男、こもり歌、女房持ちはかわいそう。1982年8月ロンドン、キングスウェイ・ホールでの録音。Producer - Paul Myers, Engineer - John Dunkerley
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カントルーブ / オーヴェルニュの歌
カナワ(キリ・テ)
ポリドール
1995-08-02