JP 東芝AA93037-8 ハイドシェク・ヴァンデルノート・パリ音楽院管 モーツァルト p協奏曲20・23・25・27番(輸入メタル使用盤・弐枚組)
商品番号 34-22037
通販レコード→初期東芝音楽工業 輸入メタル使用盤
最高級ワインのコク!!ハイドシェックのモーツァルトはまさにその味!! ― 音楽が教会や宮廷から離れ、市民社会の中に根を下ろし始めるのは、モーツァルトの時代と相前後している。今日にみるような音楽会の形態は、従ってこの時期以降のことであり、平行して交響曲や協奏曲といった曲種が重要な意味を持ち始める。モーツァルトが作曲家としての個性を遺憾なく発揮し始めた25歳過ぎ辺りから、ピアノ協奏曲がまとまって作曲され始めるのも、実のところ、上のような事情と全く無縁ではないのだ。ザルツブルクの大司教ヒエロニムス・フォン・コロレドと袂を分かったモーツァルトは、1881年以降ウィーンで独立し、近代的な職業音楽家としての生活を開始する。今日残された27曲の協奏曲のうち、実に半数以上の協奏曲が1882年以降に作られた当の事情は、演奏会で彼自らが弾き、喝采を勝するためだったわけである。モーツァルトは、こうした目的でピアノ協奏曲を次々と作曲し、演奏し続けた。同じ時期に作られた交響曲の数が、僅か35歳以降の6曲にすぎないことを考えに入れると、ピアノ協奏曲がモーツァルト器楽曲の王座を占めることは明らかだろう。また、モーツァルトの素晴らしい先輩の一人であるハイドンは、彼自ら、「私は、いずれの楽器も魔法使いのように演奏出来ない」と語り、事実協奏曲に目立った作品を残さなかったが、一方モーツァルトのピアノ協奏曲の世界はそのまま古典派協奏曲の昇華となった。モーツァルトは、文字通り、近代的なピアノ協奏曲の系譜の先端で、素晴らしい作品の数々を、私たちのために残してくれている。初来日から50周年という記念の年を迎え、3年ぶりとなる今年7月の来日公演は、エリック・ハイドシェックが「いま一番弾きたいプログラム」という、モーツァルトのピアノ協奏曲第14番、16番の第2楽章や、第12番、21番の第2楽章など、モーツァルトのコンチェルトの第2楽章を中心に交響曲第29番、41番の第2楽章で構成された。オーケストラは、田部井剛指揮のカメラータ・ジオン。これらの緩徐楽章は得も言われぬ美しい旋律と憂愁と悲哀の表情が含まれ、ゆったりとしたテンポで語りかけるように奏される。80歳を超えてなお、自由闊達で情感溢れるピアニズムを披露するハイドシェックの真価が発揮された。英EMIのパリでのオーケストラ録音がよく行なわれていた音響の良い体育館、サル・ワグラムで1960年6月に行われた、ピアノ協奏曲第20番と23番、同年9月の第25番、27番の各々の面に揃えた本盤以前にもハイドシェックとアンドレ・ヴァンデルノート指揮するパリ音楽院管弦楽団は、第21番と24番をステレオ録音黎明期の1957年12月にモノラル録音している。
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アンドレ・ヴァンデルノートもエリック・ハイドシェック同様、若い頃は大変に注目され、30歳にして、EMIからモーツァルトの交響曲録音をリリースしていることからも将来を嘱望された指揮者です。ところが、これからという時期に彼は故郷のベルギーに引き籠り、地元のオーケストラを細々と振りながら復活もなく、とうとう1991年に亡くなってしまいました。モーツァルトの交響曲の、色合いの濃い木管のノーブルな響き、きびきびと進む弦セクションを聴くだけでも、彼の才能の高さは窺い知れる。1960年前後にモーツァルトのピアノ協奏曲を ― 若い頃に師・コルトー譲りの自由奔放な、しかし霊感に満ちた弾きっぷりで一躍、スターダムに登りかかったものの、その後の技巧第一主義的な風潮の中で飽きられ、長く忘れられていた不遇のピアニスト・ハイドシェックと録音したというのは、何か偶然でない必然性のようなものを感じます。そしてこの因縁めいた巡り合わせの演奏は、その素晴らしさに思わず感嘆せずにはおれないような出来栄えのものになりました。序奏からオーケストラが緊迫感を孕みながらスケールの大きな演奏を展開し、聴いていて胸が空く。緩徐楽章で音楽は緊張から解放されますが、翳りを帯び、ただし暗鬱に過ぎることはなく、テンポから強弱に至るまで非常に細心の注意を払いながら、淡白に終わらない。中間部のピアノが放つ突然のフォルテは、楔を打ち込むような印象が後味に残る。こういうところがハイドシェックは実に巧い。そして徒ではなく、ゆったりとした音楽であるが、緩徐楽章でもハイドシェックの音楽は少し速目のテンポで ― モーツァルトは〝アンダンテ(歩く速さで)〟と指示している。18世紀において一般的だったように、モーツァルトの場合にもアンダンテはまだ速いテンポ表示の一つであった。そして、モーツァルトの時代にアンダンテがゆっくりしたテンポを示すという意味上の変遷が始まった。同じ楽曲の速度表記について、モーツァルトが自筆の楽譜には演奏者に向けてアンダンティーノとし、「全作品目録」にはラルゲットと書き込んでいる例が見られるということで証明される。 ― テンポの速い勢いのある演奏だな、と油断しているとカデンツァで驚くほどスケールの大きいピアノが響きわたります。もうこうなると、ベートーヴェンの音楽を想起させます。本盤は従来の協奏曲の概念の殻をモーツァルトが打ち破ったことを、よく知らしめる演奏と言えます。
アルフレッド・コルトー(1877〜1962)の愛弟子のひとりであり、60年以上に亘る演奏歴を持っている。フランスの古都ランスのシャンパン王シャルル・エドシック家に生まれたエリック・ハイドシェックは、粋で洒脱で色彩感に富む個性的なピアノを奏でることで知られる。フランスの名ピアニスト。1936年生まれで、現在82歳になる現役。80歳を超えてなお、自由闊達で情感溢れるピアニズムを披露してくれている。その活動はもちろん国際的ではあるが、いわゆる世界トップクラスの超人気ピアニストというよりは、一部のファンに深く愛されるという印象がある。本盤は日本にもコアなファンが多く存在している、ハイドシェック若き日の名演集です。
確かに恵まれた子ども時代を過ごしましたが、私の時代は戦争があった。その苦難はいまでも忘れられません。明るく見える曲でも楽譜の裏に秘められた影や暗い部分を読み取るようになったのは、この経験があるからですこう語るハイドシェックは、6歳のときに偉大なピアニスト、コルトーに才能を認められピアノを始める。
コルトーも作品が内包する影を愛し、ほの暗い表現が好きでした。ですから私も作品に潜む哀愁や陰影を表現することを好みますタペストリーのように一音一音にこまやかな感情を込めて織り込んでいくハイドシェックのピアニズム故に、心に染み入る音楽が生まれるのに違いない。
エリック・ハイドシェックは、1936年に生まれたフランスのピアニストである。父はフランス北部の古都ランスを代表するシャンパン王、シャルル・エドシック、母はピアニストという恵まれた家庭に育った。5歳からピアノに親しみ、6歳の時、たまたま接した巨匠アルフレッド・コルトーの奨めで、正式にピアノを勉強し始める。8歳でエコール・ノルマル・ド・パリへ入学、1952年から、パリ音楽院でマダム・バスクールに師事し、卒業の翌年、パリのサル・ガヴォーでデビュー・コンサートを開いて、好評を博した。彼の名を一躍有名にしたのは、1957年、パリのシャンゼリゼ劇場で行ったリサイタルで、その後は、世界各国で演奏活動を続けている。1960年代のハイドシェックは、特に「モーツァルト弾き」として、数々のコンチェルトをレコーディングしている。コルトーには、その死の年(1962年)まで指導を受け続けた。このコルトー直伝の個性を優先する演奏法は、現在も彼の中で脈々と息づいている。フランス・ピアノ界を代表する演奏家で、日本では、1968年の初来日以来度々演奏会を開いて、真摯な姿勢と音楽の隠れた魅力を引き出す凄演で人々を魅了してきた。1997年6~7月の全11公演、1998~99年の3期に渡って行なわれた「ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ」演奏会は大盛況を極めた。その宇和島でのライヴ録音などを通してファンが多いが、3年ぶりになる2018年7月に、来日50周年特別公演を行った。
1960年6月3日、8日、1961年9月5,6日、8日パリ、サル・ワグラムでの録音。輸入メタル使用盤・2枚組
YIGZYCN
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