通販レコード→JP 国内初出 フラット盤210㌘重量盤
JP VICTOR LS2002 ユーディ・メニューイン ウィルヘルム・フルトヴェングラー ルツェルン祝祭管弦楽団 ブラームス ヴァイオリン協奏曲
巨匠の窮地を救った恩人・友情が生んだ名盤
「ナチの音楽家」というレッテルを貼られ、裁判にもかけられたヴィルヘルム・フルトヴェングラーを擁護したのはユダヤ人名ヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインでした。彼の必死の弁護のおかげで無罪を勝ち取ったフルトヴェングラーのその後の活躍はご存じの通り。恩人メニューインとはまずベートーヴェンを録音し、その2年後にこの精魂込めたブラームスが録音されたのです。
オーケストラはフルトヴェングラーの演出で深淵たるスケールの大きさで、ソロはメニューインが、まだ若く線は細いが、情熱が迸り熱く雄弁だ。透明な音色による初々しい表現で第3楽章での感興の高まりは得も言われぬものがある。この曲を語るには避けて通れぬ名盤です。フルトヴェングラーの窮地を救った恩人メニューインとの友情が生んだ名盤。
第3楽章での感興の高まりは得も言われぬものがある。
ナチ協力者の嫌疑を掛けられたフルトヴェングラーと、ユダヤ人の身で彼を擁護し無罪に導いたメニューインの友情は音楽史に残る美談のひとつ。ドイツ音楽界の巨星に対して、メニューインの取った果敢な行動はそれ自体賞賛されるべきものだが、これが今なお好楽家の間で語り草となっているのは、二人の邂逅から生まれた芸術があまりに気高いものだからだろう。1949年8月、スイスのルツェルンで収録されたブラームスのヴァイオリン協奏曲は、メニューインのしなやかで艶っぽい音色が魅力的。少しも力むことなく自然体なのに緊張感溢れる入魂の演奏で、これぞドイツ音楽の真髄といった、自信に満ち溢れた演奏に思わず引きずり込まれてしまいます。
作品に精魂のかぎりを注ぐメニューインのヴァイオリンと、途方もなく土壌が広く渓谷のように深い管弦楽の響き。ブラームスの協奏曲は名ばかりで、どれも交響曲に独奏楽器が付随しているとでも言って良いが、シンフォニックで雄大なフルトヴェングラーの指揮が素晴らしい。二つが相呼応して築かれた世界は、私たちの常識をはるかに超えたもの。
メニューインは、10歳代でレコードデビュー。神童と褒めそやされた時期の基礎練習の不足が後々の欠点になっていくが、本盤の録音の頃がベストフォームにあったと言えるのかもしれない。ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、4大ヴァイオリン協奏曲の中でもオーケストラが特に分厚いことで知られており、オーケストラ演奏が薄っぺらだとそもそもどうにもならない。フルトヴェングラーの場合は、そのようなことはいささかも心配ご無用で、本演奏においても、粘ったような進行や重厚さが際立っており、楽曲の核心に向かって鋭く切り込んでいくような彫の深さも健在だ。オーケストラは、いつものベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ではなく、ルツェルン音楽祭の祝祭管弦楽団ではあるが、フルトヴェングラーの統率の下、持ち得る能力を最大限に発揮した最高のパフォーマンスを示しており、重厚さにおいても前述の両オーケストラと比較してもいささかも引けを取るものではない。
ファシズムや自由主義という名の狂気が猛威を振るった後で、このように清く純情な心がまだ人間に残されていたのかと思うと目頭が熱くなってしまう。人をまやかしたり、陥れることの出来ない ― 或いは知らない ― 実直な心をそこに感じる。誠実なブラームスは、そんな良心を棄てられない人のための音楽だろう。1949年8月29〜31日の録音セッション。当然SP録音でテープ収録ではない。
- Record Karte
- 1949年8月29〜31日、ルツェルン、クンストハウスでの録音。
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