通販レコード→JP 東芝EMI前身東芝音楽工業製 英国直輸入メタル使用盤 2枚組
JP 東芝音楽工業 EAA93121B ジャクリーヌ・デュ・プレ ジャクリーヌ・デュ・プレ チェロ協奏曲集(Ⅱ) /バルビローリ/サージェント/バレンボイム/ロンドン響/ロイヤル・フィル/イギリス室内管 ハイドン/ボッケリーニ/エルガー/ディーリアス チェロ協奏曲
商品番号 34-24260
デュ・プレの名盤を厳選した豪華ベスト・アルバム!!
1987年10月19日、42歳で夭折したジャクリーヌ・デュ・プレのレコード。バルビローリとサージェントのエルガー、ディーリアスの協奏曲にバレンボイムと共演したハイドンとボッケリーニとセットした2枚組。
手指の故障を発表して、1971年に入った休養は1年以上に及んでいた。そんななか、1973年1月、突如として彼女の来日が公表された。東京で4月10日から18日にかけて、夫でピアニスト・指揮者のダニエル・バレンボイム、ヴァイオリニストの盟友ピンカス・ズッカーマンと共演し、さらに同時来日するイギリス室内管弦楽団とも、NHK交響楽団とも演奏するのだという。
病気快癒を喜ぶ気持ち、何度もレコードで繰り返し聴いて来た、ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」が実際に聴ける。切符の入手は困難を極めた。しかも、その協奏曲の演奏会についてはそれぞれNHK響と都民劇場の会員になる手続きが必要だったそうだ。そんな、NHKルールは今も変わらない体質だな。でもスライド的に、NHK交響楽団定期演奏会の会員となるのも、祝儀代わりとして吝かでなかったろう。
色めきだった。レコード会社もこの機を逃せない。「全盛期のカザルスに匹敵する」「デュ・プレとエルガーの協奏曲はお互いのために存在しているようだ」と大絶賛されたエルガーとディーリアスの協奏曲は1965年録音。バレンボイムと録音したハイドンも、1967年だから、人気チェリストを売り込みやすい有名協奏曲は、5年以上も絶えていた。地味なショパンとフランクの二重奏曲のレコードを一生懸命に売り込むだけの日々だった。そのソナタのレコードは、コンディションのとても良いものがオリジナル盤市場に多く出回っている。
見開きジャケットに「ACEシリーズ」の変形帯に、『来日記念盤!!』とある赤帯が追加されている。発売直後にコレクションされたのか。そんな時代の記憶に思いが駆け巡る。
期待高まる、2月、3月。『来日記念盤』の帯が各レコード店に配られた。あわせて休符が売り込まれたのは確かだ。ところが来日に先立つ、1973年1月、アメリカで行った公演旅行の評価を、われわれは知る由もなかったのだ。観客はいつもどおり熱狂的に迎えたが、批評家たちは彼女の演奏が以前の柔軟さと輝きを失ったことに懸念を表明した。両手の痺れは回復するどころかむしろ進行しており、闊達なボウイングや指板での円滑な移動の妨げとなった。
日本公演直前、体調不良のため急遽出演がすべてキャンセルとなりました。そして4月初め。新聞紙上に彼女の来日公演がすべて取り止めになるとの急告が掲載された。彼女が出演するはずだった演奏会は内容が大幅に変更になった。NHK響とのドヴォルザークのチェロ協奏曲はバレンボイムによるブラームスのピアノ協奏曲第1番に。ハイドンの協奏曲はズッカーマン独奏によるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番に。「三重奏の夕」「ソナタの夕」は中止して、バレンボイムのピアノ独奏会に変更してチケットを払い戻しされたが、NHK響との協奏曲演奏会は定期演奏会としてプログラムされていたものだったために、払い戻しはないルールだった。しかし彼女は入院や、帰国していたわけでなく、バレンボイムと同行していたという。
哀れデュ・プレはこの年の秋に「多発性硬化症」と診断され、演奏活動からの引退を余儀なくされた。発症から2年という短期間で音楽家生命を断たれることになりました。その後数年はチェロの教師として後進の指導を行いました。
プロコフィエフの音楽物語「ピーターと狼」にナレーターで参加した33歳で引退。14年の過酷な闘病生活の末、42歳の若さでの他界したジャクリーヌ・デュ・プレ。病気の進行で視力も衰え、最後は歩行や話すことも出来なくなっていた。1971年に「多発性硬化症」を発症。彼女が発症した当時は有効な治療法がなかった。その診断結果は心因性のノイローゼだと言われ、不治の病とは誰も思わなかった。5ヶ月間の休息を得て録音したショパンとフランクのソナタ(ASD2851、ダニエル・バレンボイムのピアノとのデュオ)が ― 彼女のパフォーマンスの正規版はこれが、最後になった。
本盤は、新曲のリリースが不可能になって旧録のカップリングになったのだろうか。ジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団演奏の〝エルガーはASD655〟、マルコム・サージェント指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団演奏の〝ディーリアスはASD644〟が初出。他曲(歌曲集「海の絵」、「告別の歌」、「日没の歌」)との組み合わせで発売されたそれぞれから、ジャクリーヌ・デュ・プレが ― ストラディバリが制作した60余りのチェロの中でも指折りの銘器と言われる1713年製ストラディヴァリウス 〝ダヴィドフ〟を駆使して、ソロをしたイギリス近代音楽の協奏曲だけをカップリング。マスタリングし直されているのでASD2764ではカラー切手ドッグ・ラベルが初版になる。本盤は、それを東芝EMIが〝Angel150〟シリーズにまとめた日本盤。
彼女は16歳でプロ・デビューすると瞬く間にスターになりましたが、人気絶頂の26歳で病気に襲われ2年後に引退を余儀なくされたことで、演奏活動の期間が短く残された録音が少なかったが、ジャクリーヌ・デュ・プレの独奏曲演奏との組み合わせのレコードも出ていたことからも、人気が高かったことがわかる。デュ・プレのレコードは人気があり、高価であるが、この盤はその中では比較的安価で手に入りやすい部類だ。彼女の愛好家には嬉しい限りだ。
エルガーは冒頭からチェロの見せ場で、デュ・プレの気迫溢れる激しい音が軸となりオーケストラが終始伴奏する感じなのだが、その伴奏もジョン・バルビローリの統一された指揮の下、オーケストラも伸び伸びと歌い上げる。彼女のために作曲されたと十分に納得させられる。
手指の故障を発表して、1971年に入った休養は1年以上に及んでいた。そんななか、1973年1月、突如として彼女の来日が公表された。東京で4月10日から18日にかけて、夫でピアニスト・指揮者のダニエル・バレンボイム、ヴァイオリニストの盟友ピンカス・ズッカーマンと共演し、さらに同時来日するイギリス室内管弦楽団とも、NHK交響楽団とも演奏するのだという。
病気快癒を喜ぶ気持ち、何度もレコードで繰り返し聴いて来た、ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」が実際に聴ける。切符の入手は困難を極めた。しかも、その協奏曲の演奏会についてはそれぞれNHK響と都民劇場の会員になる手続きが必要だったそうだ。そんな、NHKルールは今も変わらない体質だな。でもスライド的に、NHK交響楽団定期演奏会の会員となるのも、祝儀代わりとして吝かでなかったろう。
色めきだった。レコード会社もこの機を逃せない。「全盛期のカザルスに匹敵する」「デュ・プレとエルガーの協奏曲はお互いのために存在しているようだ」と大絶賛されたエルガーとディーリアスの協奏曲は1965年録音。バレンボイムと録音したハイドンも、1967年だから、人気チェリストを売り込みやすい有名協奏曲は、5年以上も絶えていた。地味なショパンとフランクの二重奏曲のレコードを一生懸命に売り込むだけの日々だった。そのソナタのレコードは、コンディションのとても良いものがオリジナル盤市場に多く出回っている。
見開きジャケットに「ACEシリーズ」の変形帯に、『来日記念盤!!』とある赤帯が追加されている。発売直後にコレクションされたのか。そんな時代の記憶に思いが駆け巡る。
期待高まる、2月、3月。『来日記念盤』の帯が各レコード店に配られた。あわせて休符が売り込まれたのは確かだ。ところが来日に先立つ、1973年1月、アメリカで行った公演旅行の評価を、われわれは知る由もなかったのだ。観客はいつもどおり熱狂的に迎えたが、批評家たちは彼女の演奏が以前の柔軟さと輝きを失ったことに懸念を表明した。両手の痺れは回復するどころかむしろ進行しており、闊達なボウイングや指板での円滑な移動の妨げとなった。
日本公演直前、体調不良のため急遽出演がすべてキャンセルとなりました。そして4月初め。新聞紙上に彼女の来日公演がすべて取り止めになるとの急告が掲載された。彼女が出演するはずだった演奏会は内容が大幅に変更になった。NHK響とのドヴォルザークのチェロ協奏曲はバレンボイムによるブラームスのピアノ協奏曲第1番に。ハイドンの協奏曲はズッカーマン独奏によるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番に。「三重奏の夕」「ソナタの夕」は中止して、バレンボイムのピアノ独奏会に変更してチケットを払い戻しされたが、NHK響との協奏曲演奏会は定期演奏会としてプログラムされていたものだったために、払い戻しはないルールだった。しかし彼女は入院や、帰国していたわけでなく、バレンボイムと同行していたという。
哀れデュ・プレはこの年の秋に「多発性硬化症」と診断され、演奏活動からの引退を余儀なくされた。発症から2年という短期間で音楽家生命を断たれることになりました。その後数年はチェロの教師として後進の指導を行いました。
プロコフィエフの音楽物語「ピーターと狼」にナレーターで参加した33歳で引退。14年の過酷な闘病生活の末、42歳の若さでの他界したジャクリーヌ・デュ・プレ。病気の進行で視力も衰え、最後は歩行や話すことも出来なくなっていた。1971年に「多発性硬化症」を発症。彼女が発症した当時は有効な治療法がなかった。その診断結果は心因性のノイローゼだと言われ、不治の病とは誰も思わなかった。5ヶ月間の休息を得て録音したショパンとフランクのソナタ(ASD2851、ダニエル・バレンボイムのピアノとのデュオ)が ― 彼女のパフォーマンスの正規版はこれが、最後になった。
本盤は、新曲のリリースが不可能になって旧録のカップリングになったのだろうか。ジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団演奏の〝エルガーはASD655〟、マルコム・サージェント指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団演奏の〝ディーリアスはASD644〟が初出。他曲(歌曲集「海の絵」、「告別の歌」、「日没の歌」)との組み合わせで発売されたそれぞれから、ジャクリーヌ・デュ・プレが ― ストラディバリが制作した60余りのチェロの中でも指折りの銘器と言われる1713年製ストラディヴァリウス 〝ダヴィドフ〟を駆使して、ソロをしたイギリス近代音楽の協奏曲だけをカップリング。マスタリングし直されているのでASD2764ではカラー切手ドッグ・ラベルが初版になる。本盤は、それを東芝EMIが〝Angel150〟シリーズにまとめた日本盤。
彼女は16歳でプロ・デビューすると瞬く間にスターになりましたが、人気絶頂の26歳で病気に襲われ2年後に引退を余儀なくされたことで、演奏活動の期間が短く残された録音が少なかったが、ジャクリーヌ・デュ・プレの独奏曲演奏との組み合わせのレコードも出ていたことからも、人気が高かったことがわかる。デュ・プレのレコードは人気があり、高価であるが、この盤はその中では比較的安価で手に入りやすい部類だ。彼女の愛好家には嬉しい限りだ。
エルガーは冒頭からチェロの見せ場で、デュ・プレの気迫溢れる激しい音が軸となりオーケストラが終始伴奏する感じなのだが、その伴奏もジョン・バルビローリの統一された指揮の下、オーケストラも伸び伸びと歌い上げる。彼女のために作曲されたと十分に納得させられる。
商品名 | JP 東芝音楽工業 EAA93121B ジャクリーヌ・デュ・プレ ジャクリーヌ・デュ・プレ チェロ協奏曲集(Ⅱ) |
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