ブルックナーの聖地ザンクト・フローリアン修道院のあるリンツでは、毎年9月半ばから10月半ばにかけブルックナー音楽祭が行われている。音楽祭は1974年、ブルックナーの生誕150周年を記念して建設された新ホール「ブルックナー・ハウス」を拠点に演奏会が行われます。
夏の暑さも落ち着き、色づきの変化する木々を眺めながら長大な交響曲をゆっくり楽しむのもいい、10月。
オーストリアの作曲家、ブルックナーが没した日(1986年10月11日)。ワーグナーやブラームスと同時代に生まれ、優秀な教会のオルガニストとして活躍した。本格的に作曲家として活動し始めたのは40歳になってからで、かなり特異なパターンと言える。現代でも彼の交響曲は世界中のオーケストラのレパートリーとなっており、第4番の「ロマンス」始め、ロマン派の流れを受け長大な作品ながらもファンも多い。
Romantisch - Bruckner Symphony No.4
「ロマンス」としたのは書き間違いじゃない。アントン・ブルックナーの交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』(Die Romantische)は、1874年にその第1稿が完成した交響曲。「ロマンティック」という副題と比較的親しみやすい曲想、ブルックナーの作品としては演奏時間もそれほど長くない、といった理由から演奏頻度が高い。副題は原語では「Die Romantische」である。しかしこの副題は出版されている譜面には添えられていない点に注意しなければならず、ブルックナー自身が「Die Romantische」という標題を付けたかは分からない。英語では「Romantic」と訳され、これが日本語での副題としても一般的に用いられている。CD・実演に際しても、これらの副題がしばしば添えられる。
この「ロマンティック」という名称は、当初からブルックナー自身が使っていたものです。
現代の私たちが「ロマンティック」という言葉を聞くと、チャイコフスキーやラフマニノフのような、哀愁漂う、センチメンタルな音楽を想像するかもしれません。しかし、ブルックナーがここで使ったのは、そうしたものとはニュアンスが異なります。ドイツ語の「ロマンティッシュ(Romantisch)」という言葉は、18世紀の文学者のシュレーゲルが、均整がとれた格調高い古典的なラテン語文学(クラシック)に対して、中世の時代、冒険や恋愛を含む騎士物語などの市井の物語が、俗語であったロマンス語で書かれていたことから、こうした要素を持つ文学を「ロマンティッシュ」と表現したと言われています。ブルックナーが元々の意味でこの言葉を使ったのは、彼がこの作品について語った内容から明らかです。
弦楽器の弱音のトレモロの中から、ホルンの雄大なテーマが鳴り響く瞬間は何度聴いても本当に素晴らしいものです。この冒頭に関して、ブルックナーは「朝、町の庁舎から一日の始まりを告げるラッパを意図している」と語っています。第1楽章は中世の街の夜明け。市門から騎乗の騎士たちが駆け出してくる。彼らは森に分け入り、木々のざわめきや鳥の声を聴く。
第2楽章は「歌、祈り、夜の情景」と語っています。ため息のような弦楽器による音型に続き、チェロが嘆きの節を朗々と歌い始めます。この物悲しい主題が木管楽器に引き継がれひと段落すると、突如、弦楽器によってコラール(聖歌)が鳴り響きます。後半はクラリネットやフルートの鳥のさえずりが聞こえてきます。その後、過去の栄光を回顧するようなワーグナーのタンホイザー序曲を思わせる大きなクライマックスが形成されます。第2楽章の弦楽器によるコラールや何度も繰り返されるヴィオラの詠嘆の歌を聴いていると、騎士が亡き勇者たちに祈りを捧げる鎮魂シーンのように感じられます。
第3楽章は「狩りのシーン」とブルックナー自身が語ったように、白馬に乗った騎士が狩りのため、いきおいよく城から駆け出ていく姿を思わせる壮麗な楽章です。中間部のトリオは、ブルックナーが「狩人たちが森の中で食事し、手回しオルガンに合わせてダンスを踊る」と説明しているとおり、木管楽器群が田舎風ののんびりした音楽を展開します。
暗い情念と淡く美しい歌に満ちた長大な第4楽章。最後まで揺れ動き続ける長調と短調がせめぎ合い、「悲しみ」と「喜び」の中間のロマン派音楽の極致とも言える表情を見せる「盛大な村の祭」。
横溝正史が雑誌連載をした作品を文庫化するときや、短編・中編で発表したものを長編に改定した如く、この曲には複数の稿が残されており、ノヴァークは、1940年代になってコロンビア大学図書館で発見された手書き原稿で行われた小改訂を真正なものであると判断し、校訂譜に反映した。これは、1886年にアントン・ザイドルがアメリカで出版社を世話するという申し出にブルックナーが応えて送られたものである。ブルックナーは1874年に第1稿を書き上げた。1877年12月にブラームスの交響曲第2番の初演に先駆けて交響曲第3番を初演しますが、楽章が終わるたびに観客が帰りはじめ、第4楽章が終わった後に平土間に残っていたのはグスタフ・マーラーを含むたった7名という歴史的な大失敗を喫します。その2週間後、ブラームスの交響曲第2番に向けられる万雷の拍手、第3楽章がアンコールで演奏されるほどの大成功を目の当たりにして落胆、敗北感を感じたブルックナーは1878年1月18日からその改訂作業に着手し、特に第3楽章は全く新しい音楽に置き換えた。この1878年稿の第4楽章は、"Volksfest"(「国民の祭典」「民衆の祭り」等と訳される)と呼ばれることがある。初演は1881年。1886年にはアントン・ザイドルによるニューヨーク初演のために、わずかな改訂が加えられた。
改竄版と呼ばれるものや、マーラー版まであるが、カール・ベームはノヴァーク版を選んだ。
発売以来、長年に渡ってこの作品の代表盤として君臨してきた名盤。ベームも第一級のオーディオファイル盤輩出した証左盤。ウィーン・フィルの濃厚な音色を巧みな録音技術で見事に捉えきったアナログ黄金時代の優秀な音質は例えようがない。なによりも素晴らしいのはそのウィーン・フィルの演奏と、そしてベームの統率ぶりでしょう。真のオーストリア魂が宿る快演。この作品には、どの楽章にもどこか中世騎士物語的な雰囲気が漂っている。
第1楽章冒頭のウィンナ・ホルンからコクのある音色が実に素晴らしく、同様に美しい木管群との対話に魅せられながら、やがて壮麗なトゥッティになだれ込んでゆくというこの部分、ベームが示した構えの大きさにはかなりのものがあり、その毅然としたスケールの大きなフレームと、中身を埋める楽音の美しさが相乗効果を発揮して見事というほかない音楽を繰り広げています。
以後、やはりホルンが素晴らしい終楽章コーダにいたるまで万全の演奏が展開され、当時のウィーン・フィルの濃厚な音色によって翼を得たベームの厳しくシンフォニックな解釈を堪能することができます。
厳格なリハーサルゆえ、ウィーン・フィル楽員からの数々の恨み言も漏れ伝わるベームですが、その甲斐あってか、ここでは気楽な仲良し演奏とはまったく異なる峻厳で緻密な音楽を聴くことができるのです。
ベームとウィーン・フィルのコンビは、各社にかなりのアルバムを残しましたが、この演奏は、それらの中でも最良の遺産といえるものでしょう。1973年11月指輪セッションで高名なウィーン・ソフィエンザール録音、ミヒャエル・ウールコック&コーリン・マーフォートのデッカ制作陣。同じデッカに録音したブルックナーの交響曲第3番も立派な演奏でしたが、この第4番はそれをも凌ぐ高いレベルに達した演奏と考えられます。1974年度レコード・アカデミー大賞受賞。
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