34-26774
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JP DGG 28MG0567 アマデウス弦楽四重奏団 シューベルト:弦楽四重奏曲14番「死と乙女」

商品番号 34-26774

不動のメンバーで長年に渡り名演奏を披露し続けた、名門アンサンブルの演奏スタイルの変化がわかる。

70年前に結成されたアマデウス四重奏団は、20世紀で最も成功し、注目された四重奏団です。アマデウス四重奏団は1948年1月10日ロンドンのウィグモア・ホールでデビューし熱狂的に歓迎されました。以来、ヨーロッパ、カナダ、アメリカ、日本、南アフリカなど世界を旅して、多い時には1年のうち8ヵ月は海外で活動していました。アマデウス四重奏団の主なレパートリーはハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど、オーストリア・ドイツの偉大な作曲家たちのものですが、ほぼ40年近くにわたって200の録音を成し遂げましたが、そのほとんどがドイツ・グラモフォンに行われています。
その中のいくつかの作品はそのキャリアの中で複数回録音しています。またバルトークやブリテンは彼らのために3つの四重奏曲を作曲しており、こうした作品を積極的に聴衆に紹介してきました。他の四重奏団とは活動の仕方も異なり、メンバーは一人も交代することはありませんでした。第1ヴァイオリンのノーバート・ブレイニン、第2ヴァイオリンのジークムント・ニッセル、ヴィオラのペーター・シドロフ、チェロのマーティン・ロヴェットによって1951年から録音を開始し、シドロフが亡くなる1987年まで録音を続けました。

これ以上我々に何が書けるのだろう。

シューベルトには15番まで番号が付けられた弦楽四重奏曲が残っていますが、中でもひときわ有名で、魅力的な作品が、《弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」》です。
この作品は、第2楽章に、自身の歌曲《死と乙女》を基とした変奏曲が置かれており、そのことから「死と乙女」の愛称で呼ばれます。また、第1楽章冒頭の非常に印象的な冒頭のリズムモチーフは、この歌曲《死と乙女》の伴奏の変形によるもので、第2楽章に限らず、曲全体に歌謡的な主題が多く顔を出します。
ベートーヴェンの存命中に、彼の《弦楽四重奏曲第14番》を聴いて、「これ以上我々に何が書けるのだろう」と心中を語ったシューベルトですが、彼の弦楽四重奏曲のその全てが、彼がベートーヴェンの《第14番》を聴くよりも前に作曲されています。彼の謙虚さ、ベートーヴェンへの畏怖を汲み取れる言葉です。
シューベルトの弦楽四重奏曲は、初期作品は家庭内 ― 家庭演奏用ということでなく、純粋に家族での合奏を楽しむために書かれたものだといえます。二人の兄はヴァイオリンをかなり上手に演奏したと伝えられていますし、父親はチェロを演奏しましたが、それほど優秀な演奏家とはいえなかった技量を考慮してチェロパートが易しく演奏できるように配慮されていることからも明らかです。第7番までが、そうした弦楽四重奏曲が多産されたものです。第10番は、それ以前の作品と比べると格段に充実した内容になってはいますが、サリエリに作曲技法を学ぶようになったためでした。
1814年、20歳を過ぎたシューベルトは助教授の生活を送りながら、プロの作曲家として生きていくことを考え始めます。弦楽四重奏曲第8番、9番、11番がそうして作曲された中期作品です。プロを目指し始めたシューベルトは明らかにハイドンからモーツァルトへといたる古典派の道を学び、完全にプロの演奏家を想定して書かれたものであることは明らかで、演奏に難のあった父への配慮はすっかり姿を消しています。シューベルトは明らかに「歌曲」の人です。その「歌」を「弦楽四重奏曲」という、最も強固な構造が必要とされる形式の中でいかにして咀嚼していくかという課題に挑戦して、1816年に書かれた11番は、古典派音楽を学びそれを自らの中に取り入れていくという過程の中では一つの到達点を示すすぐれた作品だといえますが、彼の中でしっくりしなかったのでしょう。シューベルトはこのジャンルにおいて4年という沈黙の時期をむかえることになります。
スランプではなくて4年間のブランクのあと、弦楽四重奏曲第12番《四重奏断章》は作曲します。これは一楽章の〝未完成〟作品でしかないのではなく、4年間の自己問答の中間報告と言えるプロの作曲家としての重要なものです。わずか1楽章しか残されていないこの作品には、私たちがよく知るシューベルトの姿をはっきりと認めることができます。それは、着心地の悪かった「古典派」という衣装を脱ぎ捨てて、自分の「歌」を存分に歌い上げ、しかも、その歌が散漫なものにならないように、全体の構成は古典派の決まり事に縛られることなく独自のスタイルを模索していることがはっきりとうかがえます。
さらに4年のブランク。ベートーヴェンがその最晩年において弦楽四重奏曲の分野で独自の作品を次々と生み出していた、1824年から26年に古典派音楽の一つの集大成とも呼ぶべき作品群をシューベルトも書き上げます。シューベルトをロマン派の音楽家に数え入れていいのかは少しばかり躊躇いがありますが、ベートーヴェンによって完成された弦楽四重奏曲というジャンルに新たな局面を切り開き、ロマン派へと大きく扉を開けたということでロマン派の音楽家とされるのは認めます。シューベルトは友人に宛てて書いた手紙に、僕はこの世で最も不幸で、哀れな人間だと感じている。と人生に対する悲観的な見方を吐露しながらも、歌曲のほうでは、あまり新しいものは作らなかったが、その代わり、器楽の作品をたくさん試作してみた。ヴァイオリン、ビオラ、チェロのための四重奏曲を 2曲、八重奏曲を1曲、それに四重奏をもう1曲作ろうと思っている。こういう風にして、ともかく僕は、大きな交響曲への道を切り開いていこうと思っている。とある。「ヴァイオリン、ビオラ、チェロのための四重奏曲を2曲」というのは弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」と本盤の第14番「死と乙女」を指し、「それに四重奏をもう1曲作ろうと思っている」というのは第15番の事です。

ソロ弦楽器のみずみずしい音の魅力

弦楽四重奏曲は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ ― 弦楽器のソロの音色によるアンサンブルを楽しめる絶好の編成です。弦楽器のソロの持つ、直線的なみずみずしい音色。複数人では温かみがあり重厚で壮大な響きが、人数が増える=単純に音量が大きくなる、ということではなく、ソロを際立たてたり、アンサンブルに溶け込んだりと音色の変化が楽しめる。そして、同属の楽器によるアンサンブルであるがゆえに、純粋に音楽の骨格が楽しめることが魅力です。弦楽四重奏は小さなオーケストラとも言われるとおり、各作曲家の表現の豊かさ、それぞれの作曲技法の個性の様を存分にみられます。このアンサンブルのユニゾンとソロの音の魅力を存分に生かした作品が、シューベルトの《弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」》です。

演奏スタイルの変遷を確認するような記録。

通算4回目、最後の録音。初回は英HMV:ALP 1088(1953年発売)、2回目はDGG:LPM 18 191(1954~55年頃の録音、モノラル盤のみ発売)、3回目のDGG:SLPM 138 048(1960年録音、モノラル/ステレオ版で発売)。
そして本盤(1981年デジタル録音)。まるでアマデウス四重奏団の演奏スタイルの変遷を確認するような記録。
1947年ロンドンで発足し、1987年まで約40年にわたって同一メンバーで活動を続けた。彼らも年代とともに大きくスタイルを変える。デジタル期には逆に柔らかい表現を行うようになり、60年代の鋭角的な切り込みは後退。当時他の団体はメカニックを重視するトレンドとなり、古めかしい団体になっていったが。彼らなりに考え抜いた独自の意思表示のようだ。

映画「死と処女」サントラの本命盤。

アマデウス四重奏団の録音は、ロマン・ポランスキーがアリエル・ドーフマンの戯曲《死と乙女》を、映画化したスリラー『死と処女しとおとめ』(Death and the Maiden, 1994年のアメリカ・イギリス・フランス映画)に使用された。ストーリーの中心人物の女性が、手に持ったカセットテープをかけると、甘美な弦楽四重奏曲が静かに流れてくる。
しかし、ERATOレーベルよりサウンドトラック盤が発売されることになったため、1989年にHungarotonにレコーディングしたばっかりのケラー弦楽四重奏団の録音でサウンドトラック盤(1994年)は発売されました。
  • Record Karte
  • 1981年11月ミュンヘン、プレナールザールでのJoerg Iwaschutaによるデジタル録音。プロデューサー:Dr.Steven Paul。表紙原画:ゲルハルト・ノアック「Flaming June」英国ロイドライトン美術館所蔵。

CDはアマゾンで

シューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」&弦楽四重奏団「死と乙女」
ギレリス(エミール)&アマデウス弦楽四重奏団
ユニバーサル ミュージック クラシック
2007-11-21




モーツァルト:弦楽四重奏曲集「ハイドン・セット」全曲
アマデウス弦楽四重奏団
ポリドール
1992-12-10


ウィークエンドの室内楽
オムニバス(クラシック)
ポリドール
1996-09-01


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商品名DE DGG SLPM138 886 アマデウス四重奏団 HAYDN:EMPEROR/MOZART:HUNTING