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後世に残すべき価値を有するもの。

ベートーヴェンの「運命」の20世紀版といえる現代の名曲ショスタコーヴィチの交響曲第5番。かつてバーンスタインの演奏はモスクワの作曲者自身も感激でステージに駆け登らせた。このレコードは、バーンスタインのベスト・セラーの最上位を占める名演である。

作曲者から絶賛されたバースタインのショスタコーヴィチの『革命』交響曲。1959年8月、レナード・バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックは約8週間に渡るヨーロッパ・ツアー(1959年8月3日~10月13日)に出かけました。その途次である9月11日、モスクワで演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第5番は作曲者自身から大絶賛され、このニュースはたちまち全米を駆けめぐりました。コンサート後、臨席していたショスタコーヴィチがステージに駆け上ってバーンスタインと握手している光景のジャケット表紙で発売された米国盤LP(Columbia Masterworks ‎– MS 6115)は懐かしく、レコード史に留められた歴史的存在としても旧ソ連の存在を忘れずにすむ。スターリンの死後のフルシチョフの雪解け時代、そのチャンスを逃さずアイゼンハワー大統領が推し進めた、その政治的にも意義深いバーンスタインとニューヨーク・フィルの音楽外交の成功が生々しい10月に帰国した指揮者とオーケストラは、その熱狂と興奮をそのままに、わずか1日でこのディスクの演奏をセッション収録しました。演奏そのものは、スポーティーな快感を味わうのにはこの上ない。このテンポの演奏を作曲者のショスタコーヴィチ自身が絶賛した。ショスタコーヴィチが、スターリンやソビエト共産党相手に、どれほど恐怖と煩わしさに悩まされたかはさておき、ソビエト連邦といえども、音楽は「権威」よりも「爽快感」を求めた。バーンスタインの指揮したニューヨーク・フィルの演奏こそ、後世に残さねばならない名演である。如何にも歯切れがよく、快速なテンポも心地好い。コントラバスを際立たせるのはバーンスタインの演奏の特徴だが、コントラバスがオーケストラの根幹をつくる。バーンスタインの采配の上手さで、ニューヨーク・フィルの方に演奏をリードさせている。ソ連での成功を興奮冷めやらにままにレコードに刻んだ、とてもセッションとは思えないほど燃えに燃えたものですが、本盤ではその雰囲気が驚くほど生々しく再現されています。クラシックだのミュージカルだのポップスだのジャズだのと、ジャンルは問わず、気持ちのいい音楽、聴き手をワクワクさせる音楽が、いい音楽なのだ。当時大ヒットし、何年も連続して上映されていたミュージカル映画『ウエストサイド物語』の作曲者だったバーンスタインの指揮するニューヨーク・フィルの演奏には、そんな音楽が山ほどある。オランダ盤のジャケット表紙デザインは『ウエストサイド物語』のポスターを思い出させる。
ピアニスト、指揮者、作曲家のいずれであろうとレナード・バーンスタインは音楽の世界の色を変えました。「オン・ザ・タウン」によってブロードウェイで初めての素晴らしい成功を収め、「ウエストサイド・ストーリー」は世界的なヒットとなりました。音楽ジャンルの境界線を破り輝く指揮者となり世界中の観衆を驚かせ、彼が登場する場所では〝レニー〟の愛称でもって愛情と賞賛に歓迎された、魅力的で音楽的な天才といえるでしょう。晩年になるにつれ感情の高まりだけでなく全体へ細心の注意を払いながらも、演奏者と聴き手を高みへ誘導していくバーンスタインのスタイルが確立していきますが、然し、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任した当時のバーンスタインには、それとは違う特別な魅力がある。爽やかで楽しく、ワクワクする演奏だ。バーンスタインが1950年代から1970年代にかけてCBSに残した録音は、作曲家としての複眼的視点で緻密にアナリーゼされた解釈をもとに音楽の喜びを全身全霊で伝えようとする情熱に満ちている。この時代のニューヨーク・フィルハーモニックには、フルートのジュリアス・ベイカー、オーボエのハロルド・ゴンバーグ、クラリネットのスタンリー・ドラッカー、ホルンのジェームズ・チェンバーズ、トランペットのウィリアム・ヴァッキアーノ、打楽器奏者のソール・グッドマン、ウォルター・ローゼンバーガーらが名手として名高い。コンサートマスターはジョン・コリリアーノ、デイヴィッド・ネイディアンであった。1958年から1973年までバーンスタインが担当した『ヤング・ピープルズ・コンサート(Young People's Concert)』は、斬新なテーマの選定だけでなく楽曲の選定と構成、台本執筆とも自身で行っている充実した内容は、啓蒙家バーンスタインの面目躍如たるシリーズであり、彼の汎ゆる情熱と才能が指揮活動に向けられていた時期。ニューヨーク・フィルのスペックの高い機能的で現代的なトーンが実にマッチしている、切れのいいソリッドな演奏です。若きバーンスタインの魅力に溢れた一枚だ。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、本盤も含め米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。1968年には、CBSソニーレコード株式会社が設立。同年6月末日をもって、米コロムビアとの原盤供給使用契約が終結。これによって日本コロムビアは、EMIとCBSという二大メジャーレーベルの国内発売権喪失干されてしまいます。二大レーベルを失ったことにより、日本コロムビア社洋楽部門は、必然的に自主制作の道をたどって行くことなります。基本的に日本コロムビア社の製作は版権手放す1968年以前になります。本盤は「New Best Classics 100」でのCBSソニー社製初出。1978年にも「23AC 506」の番号で再発売され、現在CDでも同カップリングで発売され続けている。
  • Record Karte
    • ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 op.47『革命』:1959年10月20日ボストン、シンフォニー・ホールでの録音。Engineer – Fred Plaut, Producer – John McClure.
    • プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調 op.25『古典交響曲』:1968年3月5,19日ニューヨーク、フィルハーモニック・ホールでの録音。Engineer – Ed Michalski, Fred Plaut, Producer – John McClure, Thomas Z. Shepard.

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レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein, 1918.8.25-90.10.14)は、20世紀楽壇でヘルベルト・フォン・カラヤンと人気を二分したスター指揮者。アメリカが生んだ20世紀を代表する大指揮者であり、作曲家、ピアニスト、そして教育者、理論家など、音楽の多方面にわたって優れた業績を残した偉大な「音楽家」。熱い感情迸る魂の演奏は、多くの共感を呼び、カリスマ的な支持を得て多くの人に愛されました。1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任してからは、多くのアメリカ人作曲家の作品を紹介してきました。なかでも親交の深かったアーロン・コープランド(Aaron Copland, 1900.11.14-90.12.2)の作品は生涯を通じて演奏しました。ニューヨーク・フィルは、〝Big Five〟と言われるアメリカ5大オーケストラのひとつ。ニューヨークで唯一、常設されたコンサートオーケストラで創立はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と同じ1842年。その長い歴史の中で必ずしも常に最高の演奏水準を保ってきたわけではないが、伝統的に特に管楽器に名手を多く擁し、幅広いレパートリーに対応できる柔軟性を誇っている。そこには、ユージン・オーマンディやレオポルド・ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団、ゲオルク・ショルティとシカゴ交響楽団、セルゲイ・クーセヴィツキーや小澤征爾あるいはシャルル・ミュンシュとボストン交響楽団にみられる他のアメリカの主要オーケストラに比べると、特定の指揮者との長期間の結び付きはニューヨーク・フィルにはない。1909年にグスタフ・マーラーを常任に迎え、演奏レベルの向上に努め、楽団員をフルタイムの団員とした。第1次世界大戦中の1917年10月にはレコード録音も始める。1921年にナショナル交響楽団、1923年にはニューヨーク・シティ交響楽団を吸収し、ジョセフ・ストランスキーとウィレム・メンゲルベルクの2人が常任の地位を分け合う双頭体制がスタートした。1925年からの2年間、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがフィルハーモニーへ集中的に客演し、1927年からアルトゥーロ・トスカニーニとメンゲルベルクの双頭体制に代わり、1928年3月20日には最大のライバルであったニューヨーク交響楽団を吸収した。これによって名称はニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団となった。より人口の少ないロンドン、ベルリン、パリなどが5~7団体を擁しているのに比べ異例であるが、1団体にパワーを集中させる傾向は米国の他の大都市にも見られる。1936年にトスカニーニがニューヨーク・フィルの常任を退き、当時まだ30歳代だったジョン・バルビローリが引き継いだ。
1943年から1947年にかけてはアルトゥール・ロジンスキが常任のポストにつき、1943年11月14日には、当時副指揮者だったレナード・バーンスタインが、ブルーノ・ワルターの代役として〝ニューヨーク・フィル〟に伝説的なデビューを飾った。1947年から1949年にかけて、ワルターが音楽顧問という形でニューヨーク・フィルの中心的存在となっていた。1949年から1950年は、レオポルド・ストコフスキーとディミトリ・ミトロプーロスが同じ立場を継いだ。この1950年代にエヴェレスト・レコード社から、ストコフスキー、バーンスタイン、カルロス・チャベスなどが指揮する「ニューヨーク・スタジアム交響楽団」のレコードが発売されているが、これは契約上の関係からのニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の変名だといわれている。1957年、音楽監督ミトロプーロスは「首席指揮者」に肩書きが変わり、同じ地位を若きアメリカ人指揮者バーンスタインと分け合う体制となった。バーンスタインの華麗な指揮と明快な音楽解釈、そして何より豊かな音楽的才能は、この誇り高き扱いにくいオーケストラの楽員たちを瞬く間に手なずけた。彼のスター性と相まって、バーンスタインとニューヨーク・フィルとのコンビによるレコーディングやテレビ放送にも注目が集まり、ニューヨーク・フィルの黄金時代が到来した。彼はコンサートの回数を増やし、楽員の雇用形態も安定させ、レコーディングも積極的におこなった。バーンスタイン時代に、楽団の正式名称もニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団からニューヨーク・フィルハーモニックへと改められた。1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任した後は常任指揮者等の特定のポストには就かず、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団などに客演、その活動の軸足をヨーロッパに向けるようになった。ロンドン響とは、桂冠指揮者の関係を得て多くの録音や、音楽祭への出演があり、このオーケストラの豊かなフレキシヴィリティにバーンスタインが大いなる共感と親近感を抱いてました。1970年2月にバーンスタインは、そのロンドンに腰を据えて、「ヴェルディのレクイエム」のレコーディングには1週間に渡って密なる取り組みで臨みました。音楽解説者・教育者としても大きな業績を残し、テレビ放送でクラシック音楽やジャズについての啓蒙的な解説を演奏を交えて行い、音楽家として社会的なメッセージを発信する活動も数多く行ったが、時にはそうした行動が物議を醸すこともあった。
商品名JP CBS|SONY SOCL1034 レナード・バーンスタイン ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」