34-29041

商品番号 34-29041

通販レコード→JP CBS/SONY前1960年代リリース初出盤

マーラーの音楽の本質をつく、芳醇で雄大な名演。ワルター初のステレオ録音であり、コロムビア・ステレオ最初期の名録音として今でも光り輝いています。

巨匠ブルーノ・ワルターはナチスに追われアメリカに亡命する以前、ウィーンでマーラーの副指揮者を務め、さまざまなアドバイスを受けました。この出会いはワルターの人生に少なからぬ影響を与え、彼はマーラー後期の作品の初演なども手がけました。本盤は、マーラーをあたかも師であるかのごとくリスペクトし続けたワルターのみに可能な、マーラーの音楽の本質をつく、芳醇で雄大な名演です。

一時は引退を表明して80歳を越えた晩年のブルーノ・ワルターは米国は西海岸で隠遁生活送っていたが、米コロムビア社の若き俊英プロデューサー・ジョン・マックルーアに説得されドイツ物中心にステレオ録音開始。この『復活』は、その彼のステレオ録音の最初の1枚となったものです。マーラーの弟子であったワルターが、それまでの手兵ニューヨーク・フィルハーモニックを指揮してステレオで最初にとりあげたのが『復活』だったというのはまさに僥倖であったといえるでしょう。日本の北斎に譬えられたように、まさに80歳にして立つと言った感じ。引退していたワルターを引っ張り出し、『マーラー直弟子のワルターが伝えるマーラー解釈の神髄。』とコピーが常套句になっていますがワルターの心情はどうだったのか、と考えます。この録音はニューヨーク・フィルとウェストミンスター合唱団。あとに続くレコードのためのオーケストラのとは違ったんじゃないか。ドイツものとしてマーラーを録音できることに特別な思いを強くしたのではないか。録音は穏和な表情の中にどことなく哀感が漂うような、独特の味わいがあります。低音域を充実させたドイツ的なスタイルで、ロマンティックな情感を適度に盛り込みながら柔らかくたっぷりと歌わせたスケール感豊かな名演。マーラーも、巨匠ワルターの芸風に最もしっくりと馴染む作曲家の一人だったように思う。マーラー直系の愛弟子ですから、当然と言えば当然ですが、同じユダヤ人として時代を共有したものでなければなし得ない強い共感に満ちあふれた演奏を聴かせている。歴史的名盤といえる録音だ。ワルターのステレオ録音が聴けるとは、米コロムビア社の英断に感謝せずにはいられません。
  • Record Karte
  • エミリア・クンダリ(ソプラノ)、モーリン・フォレスター(アルト)、ウェストミンスター合唱団
  • 1958年2月17,18,21日ニューヨーク、カーネギー・ホール録音。
  • CBS/SONYになる前の1960年代、日本コロムビアからのリリース初出。

販売レコードの写真

  1. JP CBS|COLUMBIA OS322-3 ブルーノ・ワルター …
  2. JP CBS|COLUMBIA OS322-3 ブルーノ・ワルター …

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マーラー:交響曲第2番「復活」
ブルーノ・ワルター
SMJ
2022-01-26


マーラー:交響曲「大地の歌」
ヘフリガー(エルンスト)
ソニー・ミュージックレコーズ
1999-07-23




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CD時代になって一時期レコード業界は過去最大の売り上げを記録したこともありました。判らないではありません。以前は、200枚もLPレコードを保有しておればマニアの部類に近かったのです。それがCD時代になると、高校生でも200枚や300枚のCDを保有しているのが当たり前になりました。レコード、CDは、ここ何十年も価格は変わっていません。むしろ安くなっているほどです。それで安易に保有数が増えたのです。LP時代は、所得との比較で、レコードはやはり高い買い物で、そのため大事に保管し、大事に使用していました。また、不要・不急のレコードを購入することは無かったのです。それだけに大事に取り扱い、真剣に音楽も聴きました。アルトゥーロ・トスカニーニやヴィルヘルム・フルトヴェングラーの演奏がいかによくても、音盤はモノラルばかり。家庭用の一体型ステレオ装置から出てくるステレオ録音の音響は、非常に魅力的であった時代に宝物のように大事にされたのが、音のよいステレオ録音のブルーノ・ワルターのコロムビア盤だった。しかしその時代は、おいそれと新譜レコード盤が買えなかったから、友達の家にあるのを頼み込んで繰り返し貸してもらったりした。それでもなんとしてもワルターのレコードが欲しくてたまらなく、思いが強く残ったのか、CBSコロムビアからSONYになって発売された音盤だとかで聴き揃えていった。それに比べてもCD初期に発売になった、いずれのワルターの音盤も、少年期の家庭用のステレオ装置から、出てきた音に勝ることが無かった。それがステレオ録音に最初に接したという、非日常的体験がもたらした錯覚、幻想の思い出だったとされればそれまでだが、未だ記憶の中の瑞々しい音響は聴けていない。CDはどれも高音域と低音域が分離して中音部が薄い感じに聞こえるものだ。そんな音でモーツァルトを聴いていいはずもなく、どうしてワルターのコロムビア盤での芸術が理解できないのだと思っていたほどだ。クラシックというのは同じ音源が何度も手を変え品を変え出てくる。どれも同じと思っている方も多いが、実はぜんぜん別物というほど音が違っているケースもある。音によってその演奏のイメージはかなり変わる。明治8年生まれの指揮者の最晩年がステレオ録音初期に重なったのは幸運だった。ワルター晩年の指揮を〝温厚〟と評言される傾向があるが、〝篤実〟と対になる四字熟語の意味は、温かで情が厚く、誠実なさま。ワルターのリハーサルは、最晩年でも青年のように頭の回転が速く、早口で情報量が多い。フレージング、音価、強弱の注文が多く気に入らないと何度も裏声も交えてリアルに歌って指示するが、総じて進みのテンポが速いのは、コロムビア交響楽団が録音のための臨時編成で、発売する曲を限られたリハーサル時間でこなさざるを得なかったからだろう。曲に必要な楽器奏者を近隣のオーケストラから雇って製作された。ピアニストだったワルターは、リスト、ワーグナー、ブラームスと深く交わったハンス・フォン・ビューローの指揮を聴いて指揮者になる決意をした。マーラーの弟子でもあった彼が米国に渡ってコロムビア響と残した録音は、オーケストラの定位が当時としては良く、悪くいえば楽器があちこちから聞こえる感じがあるが、これがオーケストラピットの中からのイメージであり、ワルターの造りたかったバランスが良くわかる。

録音のワルターは穏和な表情の中にどことなく哀感が漂うような独特の味わいがある。

ワルターはポートレイトから受ける温厚な紳士のような印象で、その音楽を記録したレコード、CD。特にCDはかなりの割引感で受け止められているんじゃないかしら。一度で良いからSPレコード盤で聴いて欲しい演奏家です。気持ちを入れるには、まずは形からと言いますけれども、フォーマル、カジュアル、ファッション次第で仕草から変わってきます。 着ているもの、それを着ていく場所にふさわしい動きがあると言ったらいいでしょうか。オーケストラは指揮者にとって、着るものではないかしら。指揮者、ワルターはオーケストラを変わる度に、音楽が変わっていった指揮者ではないでしょうか。 いや、オーケストラに会わせた音楽を生み出す指揮者だったのでしょう。 極端な表現かも知れないけれども、SP時代とLPレコードの時代のワルターは別人のようです。 ワルターを語る時に、どの時代のワルターを聞いていたのかで印象が違うようで面白いものです。

〝戦前の典雅、戦後の雄渾、晩年の枯淡〟

ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876年9月15日〜1962年2月17日)はドイツ、ベルリン生まれの大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院でピアノを学び、9歳でデビュー。卒業後ピアニストとして活動したが、後に指揮者に転向した。指揮デビューは1893年にケルン歌劇場で。その後1896年ハンブルク歌劇場で指揮をした時、音楽監督を務めていたグースタフ・マーラー(1860〜1911)に認められ決定的な影響を受ける。交友を深め、ウィーン宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)にもマーラーに招かれる。その後はバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。戦後、1947年から2年間ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽顧問を務めたほかは、常任には就かず欧米で精力的に活躍を続けたが、1958年に心臓発作で倒れてしばらく休養。1960年暮れにロスアンジェルス・フィルハーモニックの演奏会で当時新進気鋭のヴァン・クライバーンと共演し、演奏会から引退した。80歳を越えた晩年のワルターは米国は西海岸で隠遁生活送っていたが、米コロムビア社(CBS)の若き俊英プロデューサー・ジョン・マックルーアに説得されドイツ物中心にステレオ録音開始するのは1960年から。日本の北斎に譬えられたように、まさに80歳にして立つと言った感じだ。録音は穏和な表情の中にどことなく哀感が漂うような独特の味わいがあります。ベートーヴェンも、巨匠ワルターの芸風に最もしっくりと馴染む作曲家の1人だったように思う。しかしアルトゥール・トスカニーニの熱情や烈しさ、ウィルヘルム・フルトヴェングラーのような即興性を持たなかったし、テンポを誇張するスタイルでなかったが抒情的な美しさと気品で我々聴き手を包み込み、活気に欠けることはなかった。こうした特徴は数多く存在するリハーサル録音耳にすると判りますが、少しウィットに富んだ甲高い声で奏者と自分の間の緊張感を和らげ、その反面集中力を最高に高めるという共感を持った云わば対等の協力者として通したこと独裁者的巨匠が多い中で稀有な存在であったのでは無いか、また、それがSPレコード時代に聴き手に、しっかりと伝わっていたのではないか。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団での〈パストラル・シンフォニー〉以来、評判と人気の源は、そこにあったかと想像できます。ワルターのスタイルは低音域を充実させたドイツ・タイプの典型的なスタイルで、ロマンティックな情感を適度に盛り込みながら柔らかくたっぷりと歌わせたスケール感豊かな名演を必然的に産む。こうしたスタイルを86年の生涯最後まで通したワルターは凄い才能の持ち主だったことは明らか。なにかと戦前の演奏をSP盤で聴いてしまうとニューヨーク・フィル時代、ステレオ時代のワルターは別人に思えてしまうのです。ワルターの演奏スタイルの変遷を簡潔な言葉で表すと、〝戦前の典雅、戦後の雄渾、晩年の枯淡〟ということになると思う。コロムビア交響楽団時代がなければ埋もれた指揮者に成ったかもしれないが、彼は20年間で成熟をし続け、枯れることなく円熟に円熟を重ねることができた。しかも老人の音楽にならず、アンサンブルの強靭さ、柔軟さ、懐の深さ、いずれの面でも不足はない。天才は凡人の想像を超えるものとはいえ、それにしても音楽家としての器がよほど大きくなければ、そして芯の部分が柔軟でなければ、こういう円熟の仕方は出来ない。ワルターの変容ぶりには戸惑わされる。
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