34-17515

商品番号 34-17515

通販レコード→伊ブラック・アンド・ホワイト黒文字盤

カーネギーホールの歴史的ライヴ。 ― ワーグナー〝にも〟旨味を発揮したトスカニーニの至芸がぎっしり詰まっている。今世紀最大のワーグナー指揮者としての本質を明らかにする貴重なアルバム。引き締まった響きで雄弁に物語を語るオーケストラ。当時メトロポリタン歌劇場で活躍していた名テノール、ラウリッツ・メルヒオールとヘレン・トローベルらとともにワーグナーの愛と死の激情を描き切っています。音楽の流れの緩急の妙や、ジークリンデ、ジークムントのフィナーレの喜こばしさ。録音は古いが、音楽はどこを取っても、決して古くありません。音楽が前へ進む、生命力あふれるワーグナーだ。キビキビしたテンポは聴き手を引きつけて離さないのです。一般的にトスカニーニといえば猛烈なテンポの早さが耳をよぎりますが、ここでは決してそれだけではないのです。オーケストラはテンポが速い所も指揮者に引っ張られて付いて行っているのが良くわかります。しかもギシギシと軋むようなボウイングです。力一杯弦楽器を弾かないと指揮者に怒られそう。チェロ、コントラバスの恐怖に満ちた刻み。強弱の表現力。そこに雪崩のように重なってくるヴァイオリン。壮麗な金管楽器。楽劇《ワルキューレ》第1幕の前奏曲を聴いただけで、嵐に翻弄される青年が森の中、一軒の家の灯りに導かれるように飛び込んでくる情景が浮かぶ。コントラバスで細かく速いパッセージを弾くのは至難の業で、しかも低音でこういう走句を奏でても聞こえるわけもない。作曲家は単なる効果音としてこういう音符を書いているケースがよくある。たとえば『田園』(ベートーヴェン)の第4楽章の嵐の部分。チェロが五連符でF#からCまで動く間にベースは16分音符でF#からBまで動く。和声上は当然、破壊的な響きだが、猛り狂う嵐の感じがでればよいのである。メルヒオールとトローベルの得難い味。トローベルは高音が自由で、ポンポン出すので、恐ろしいほど心地良い。但し高音の味わい自体は薄い気がします。そこが娘らしさに転じているので、青年をリードしている印象は感じさせない。1941年2月の録音とありますから、この時はまだメトロポリタン歌劇場に1935年に登場しワーグナー歌手として活躍するキルスティン・フラグスタートは米国内にいたものと考えられます。エルヴィン・ロンメル将軍のドイツ軍が北アフリカ戦線でイギリス軍を撃破する4月になると彼女は、リスボン経由でノルウェーに戻りました。このことはトスカニーニの神経を逆なでてしまい、フラグスタートの声の黄金期は失われました。ノルウェー帰国は夫がナチス・ドイツに協力していたのを説得してやめさせるためとされ、ワグネリアンでもあったアドルフ・ヒトラーの影響力が強かった当時のバイロイトではノルウェー人のフラグスタートはさほど重用されなかったこともあって、1947年までの間ほとんど演奏活動は行っていない。ヴェルディの歌劇「オテロ」は激しい嵐に遭難しかけた、ムーア人で、ヴェネツィア領キプロスの総督が、島の住民が待ちわびる港に帰還する場面から始まる。一切の弛緩なく、最後まで緊張感をもって進められる音楽の素晴らしさ。トスカニーニ率いるオーケストラの響きは、絶大なる力とエネルギーの放出をもって僕たちの魂を鷲づかみにする。本盤は劇場上演の制約を受けない、演奏会形式のライヴ収録だけに、この楽劇《ワルキューレ》はトスカニーニの名演だと言える。→コンディション、詳細を確認する
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20世紀最大の指揮者の一人、アルトゥーロ・トスカニーニは4歳のときに初めてオペラを聴き、9歳でパルマ王立音楽院に入学しチェロと作曲を学び、イタリアの巡回歌劇団のチェロ奏者となりました。帰国後はミラノ・スカラ座のチェロ奏者に就任し、同時にイタリアやスペインで指揮活動も開始。1887年のヴェルディの歌劇「オテロ」の歴史的な初演のチェロ演奏を担当していた若きトスカニーニは実家のパルマに戻っても興奮が冷めやらず、母親をたたき起こして素晴らしさを叫んだという。ヴェルディの指揮で歌劇「オテロ」が初演された時、トスカニーニは第2チェロを弾いていた。第1幕のオテロとデズデモナの愛の二重唱はチェロの四重奏によって導かれるが、そこでヴェルディが「第2チェロ!」と声を上げた。名指しされたトスカニーニは驚いた。老巨匠は若き第2チェロ奏者に言った。「君の音は柔らかすぎる。もっと大きく弾きなさい」。楽譜にはピアノと書かれていたが、ヴェルディはもっとはっきりとした音を欲していたのだ。あるいは、実際の劇場では大きめに弾くべきだと教えたのかもしれない。このヴェルディとの直接のコンタクトは、トスカニーニに強烈な印象を残した。歌劇「オテロ」は、シェークスピアの「オセロ」を原作としている。嫉妬と猜疑心が死を招く悲劇。宗教曲の体験や、和声の研究をはじめ幾つもの準備をしていたヴェルディ。続く喜歌劇「フォルスタッフ」も名作ですが、オペラ的なものとしては歌劇「オテロ」を頂点とします。この時期には不機嫌な老人ぶりには拍車がかかり、気難しさもこの上ない。シェイクスピアという題材がなければ、意欲に火がつかなかったかもしれません。ヴェルディはワーグナーの歌劇「ローエングリン」を観てから、更に不機嫌オヤジになったという。晩年にヴェルディはワーグナーを知ったらしい。それも楽劇「トリスタンとイゾルデ」などではなく、歌劇「ローエングリン」です。この努力と苦闘が作品を比類のないものとしています。肉体的にはやけに元気だった。特に愛人テレーザ・シュトルツ(ボヘミア出身のソプラノ歌手)にサンターガタから10キロほど離れたベセンツァーノという小さな村に家を借りてやり、そこから毎日のようにサンターガタに通わせていた時には、彼女が訪問してくると、とにかくまずは事をいたしてから、レッスンにしても打合せにしても始まったという。これは当時の下男の手紙で明らかなのだという。「シュトルツ様がお出でになると、マエストロはまず、シュトルツ様のムタンデ(サスペンダー)をおとりになるのが仕事始めでした」と書いてあるそうである。還暦を過ぎても精力絶倫だったのだ。そのエネルギーがあるからこそ、フラストレーションも大きい。ワーグナーの真似なんてやる気もない。ふたりの存命中、「ヴェルディがワーグナーを模倣している」という批評が多かった。
これは、ワーグナーが従来のオペラ形式を否定し、音楽劇に革命を起こすと標榜していたことが大きい。伝統的なイタリア・オペラの土台に立ち、その上に独自の世界を構築していったヴェルディは、ワーグナー側から見れば守旧的で攻撃対象にしやすかった。チェンバロの簡単な伴奏のみで物語の説明をするレチタティーヴォを排し、隅々まで物語の進行に意味ある音楽を付けていったヴェルディのスタイルは、ワーグナーが編み出した無限旋律と似通っている。しかし、ヴェルディが試みはじめたのは、1849年の歌劇「ルイーザ・ミラー」からで、ワーグナーの革新的作品が世に出る前のことだ。ヴェルディはたしかにワーグナーを意識していた。1871年、ワーグナー作品のイタリア初上演となる歌劇「ローエングリン」に、ボローニャの街はワーグナー一色となった。ヴェルディは密かにこの公演を観に行っている。そして、感じたことをこまかくメモしていったという。イタリアでは並ぶものなきもので、それを自覚していたヴェルディは、ワーグナーの楽劇直前のロマンティックなオペラにドイツに天才がいることを知ってショックを受け、ますます不機嫌で扱いにくい老人となります。ワーグナーに対するライバル心が見て取れる。しかし、それは自作とは異質なものであり、その攻勢に打ち勝つには、自らのスタイルをかえって固く守ることだと思い極めていたのである。現代に目を転じればアメリカ大統領トランプ氏だ。劇場や出版社などとの契約を人任せにせず、交渉には人一倍気を使った。報酬の受け取り方に至るまで、事細かに取り決めた。そうして得られた収益を不動産に換え、ブッセート郊外のサンターガタの土地を農場とする。オペラ作曲家として世に出て以降は、有能なビジネスマンさながらだった。歌劇「オテロ」にいたる過程とは、ワーグナーが死んで、よき台本をなすアリーゴ・ボーイトとの共同作業、歌劇「シモン・ボッカネグラ」の改訂や、歌劇「ドン・カルロ」など、周到な準備の上でのコンプレクスの克服でした。ヴェルディは、ワーグナーの真似なんてやる気もなかったと言うが、歌劇「オテロ」第4幕、デズデモーナの哀しい愛が見事に投影される「アヴェ・マリア」の美しさ。また、妻を殺し、そして自死する最後のシーンの「デズデモーナ、デズデモーナ」とうなる恐るべき官能。似通って見えるのは、両者が物語にふさわしい音楽を追究した結果であって、模倣ではない。愛と死の同期するこの場面は、方法こそ違え、ワーグナーの魂と相通ずる。
世界的指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤンは来日した際に、「君が代」を聴いて、「世界の国歌の中で最も荘厳な曲」と評価した。1973年にカラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて来日公演を開いた初日では、まず君が代、続いて西ドイツ ― 当時 ― 国歌が演奏された。戦時中は演奏会の最初や最後に『星条旗』 ― 星条旗よ永遠なれ ― を演奏することも多かった。『星条旗』を演奏する際アルトゥーロ・トスカニーニは、リハーサルや録音であっても、チェロを含む全員を起立させて演奏したと言われている。イタリアへの母国愛を終生抱き続けたトスカニーニであったが、だからこそ米国人にとっての母国である米国への愛を尊重していたのだと思われ、トスカニーニの人となりがわかる。トスカニーニは戦前・戦中・戦後初期を代表する大指揮者で、ヨーロッパではヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アメリカではトスカニーニと人気を二分した。フルトヴェングラーのロマンティックの極みに対してトスカニーニは、イタリアのエミリア・ロマーニャ州の県都パルマ出身ということから当地で高名なワイン、弱発砲性赤ワイン・ランブルスコのようにすっきり系ですが、すっきりまとめているからといって、そこには軽さは感じられず力強さが感じ取れます。トスカニーニは1898年31歳の時にはイタリア・オペラの総本山とも言うべきミラノ・スカラ座の指揮者に迎えられます。そのデビュー公演でワーグナーを取り上げ楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を1ヶ月以上に亘る猛烈な訓練の後に演奏、この公演はスカラ座の歴史に残る程の大成功を収めワーグナー指揮にみせるトスカニーニの才能のほどを内外に確認させる事となった。ドイツ系指揮者以外はまだ誰も足を踏み入れていないバイロイト音楽祭から1930年63歳の時に出演要請を受け歌劇「タンホイザー」と楽劇「トリスタンとイゾルデ」を指揮してバイロイト音楽祭始まって以来の外国人指揮者登場の第一歩を標す。そこにはアドルフ・ヒットラーを嫌い「バイロイトを人種の別なく音楽の聖域としたい」と考えていたリヒャルト・ワーグナーの忘れ形見ジークフリートの思想が働いていた。彼は外国人のトスカニーニに積極的に出演を要請して、このバイロイトを開かれたものとしたのですが生憎トスカニーニが初めてのデビューを飾った、この1930年の夏にジークフリートは突然亡くなってしまいます。ヒトラーへの敬愛を公言していたヴィニフレート夫人のもとバイロイトはナチスの牙城としての色彩を強めていく。トスカニーニは翌1931年には歌劇「タンホイザー」と舞台神聖祝典劇「パルジファル」を指揮し、更に翌々年の1933年にはバイロイトの名誉市民の称号も得て、いよいよ念願の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を指揮する予定になっていた。演奏会で指揮している分は良かったのですが、「是非今年の公演の折りには直接会ってナチス第三帝国の首相として御礼を申し上げたい」という大変遜った文面の手紙がナチスからトスカニーニに届く。
ヒットラーのユダヤ人政策に徹底して反対していたアルトゥーロ・トスカニーニは「現在のような状況のもとではバイロイトに足を運ぶわけにはいかない」と断っており、「この間バイロイトで指揮できたこと、それ自体が私にとっての報酬である。」として、この時のバイロイト音楽祭の出演料は一切受け取らなかった。この当時、利用するだけ利用されたブルーノ・ワルターは演奏活動が出来ないところまでナチスに追いつめられ、娘は娘婿だったナチス将校に銃殺される。危機を感じて帰宅しないで演奏会場に駆け込んだワルターの急場を救うべく指揮を代行したのがトスカニーニだった。程なくフランス経由でイギリスへの逃避行を手引した。1936年引退を決意してニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を辞任し、イタリアへ戻ったトスカニーニに翌1937年にはラジオ放送を通じて一度に何百万もの人々に演奏を聴いて貰おうと言うアメリカの放送局からの提案を受け入れ再びニューヨークに復帰すると、1937年トスカニーニのためにアメリカRCA社が創設したNBC交響楽団の指揮者となります。ワルターの晩年にアメリカ・コロンビア社が結成したコロンビア交響楽団の先駆けみたいですが、当時のアメリカの財力は有名指揮者にオーケストラをプレゼントするとは凄まじい。商魂逞しい米国のメディアが投資するトスカニーニには、剛毅で、集中力が高く、熱気にあふれ、人を引き付ける何かがあった証左であろう。後輩のヘルベルト・フォン・カラヤンでさえ持つことが出来なかった強大な影響力を生み社会現象になった初めてのマエストロではなかろうか。1954年4月4日、カーネギー・ホールでのコンサートを以て引退。1957年1月16日、ニューヨークの自宅にて脳血栓のため亡くなった。89歳でした。この「20世紀最大の指揮者」の音楽は、TV放送用の映像全てが残されていて、死後60年以上経過した今なお、多くのクラシック愛好家の心を震わせている。
  • Record Karte
  • ジークリンデ:ヘレン・トローベル(ソプラノ)、ジークムント:ラウリッツ・メルヒオール(テノール)、NBC交響楽団、アルトゥーロ・トスカニーニ(指揮)。楽劇「ワルキューレ」第1幕第3場(1941年2月22日, カーネギー・ホール)、楽劇「ワルキューレ」第3幕より「ワルキューレの騎行」(1952年1月3日, カーネギー・ホール)、楽劇「ジークフリート」第2幕第2場から「森のささやき」(1951年10月29日, カーネギー・ホール)、ジークフリート牧歌(1952年7月29日, カーネギー・ホール)モノラル録音。
  • IT RCA VL46008 トスカニーニ ワーグナー・ワルキューレ…
  • IT RCA VL46008 トスカニーニ ワーグナー・ワルキューレ…
ワーグナー:ヴァルキューレ 第
トスカニーニ(アルトゥーロ)
BMGメディアジャパン
1998-03-21

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