没後150周年をむかえて、ベートーヴェンも古い衣を脱ぎ捨てました。 ― アメリカ音楽界の「ドン・ジミー」、ジェームズ・レヴァインがRCAに残した名演。レヴァインの初録音は1972年のイギリスEMIへのヴェルディ・歌劇『ジョヴァンナ・ダルコ』全曲盤(ロンドン交響楽団)ですが、レコード界でその手腕が高く評価されたのは、翌1973年8月録音のニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのヴェルディ・歌劇『シチリア島の夕べの祈り』全曲盤で、これがアメリカRCAへの初録音でした。このレコードでチェロを演奏しているリン・ハレルは、クリーヴランド管弦楽団の首席奏者を務めた後、1971年にこのオーケストラを去り、独奏及び室内楽の方面で活躍するようになったアメリカの気鋭の演奏家である。そして、独奏家として立ってからは、賞や奨励金を受けたほかに、シンシナティ大学のマスター・クラスでチェロを教えている。その上、アメリカばかりでなく、ヨーロッパの幾つかのオーケストラとも共演している。いわばアメリカのチェロ界の大きなホープであった。このハレルは、このレコードでピアノを担当しているレヴァインの指揮で初共演となった記念碑的録音 ― ドヴォルザークのチェロ協奏曲をレコーディングしている。協奏曲、ソナタ、いずれも若さに溢れた2人の演奏家の気概がぶつかりあった爽快なまでの名演だ。このレヴァインは、シンシナティの出身で、幼少からピアノを学び、10歳の時に早くもシンシナティ交響楽団とピアニストとして共演している。その後にジュリアード音楽院でピアノと指揮法の勉強をつづけ、それからクリーヴランド管でジョージ・セルの下に6年間指揮の実地の研修を行った。それ以後、各地の交響楽団を指揮し、やがてシンシナティ5月祭とシカゴ交響楽団の夏期の行事のラヴィニア音楽祭の音楽監督、メトロポリタン・オペラの指揮者に就任したのがちょうど1973年のことで、その後、1975年のイギリス・ロイヤル・オペラおよびザルツブルク音楽祭デビュー、1976年のメトロポリタン・オペラの音楽監督就任、1982年のバイロイト音楽祭デビューなど、RCAにおける10年間はちょうどレヴァインが新進の若手音楽家から、ズービン・メータ、クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティらと並んで、欧米で最も活躍する人気指揮者へと成長した時期に当たります。もちろん指揮者としてのほかに、ピアニストとして、特に室内楽のピアニストとしても、積極的な姿勢を見せている。1976年のラヴィニア音楽祭で演奏して高く評価され、同じ年の12月にニューヨークで一気に録音されたベートーヴェンのチェロ・ソナタ全曲。ハレルとレヴァインによる二重奏は、このレコードで知られるように、極めて息のよく合ったものである。そして、このアンサンブルの中に若さがみなぎっている。例えば、第3番のソナタの第1楽章でのリズムとアクセントの明快さは、たしかに若々しいものを感じさせる。レヴァインのピアノは一見豪放のようであるが、実はチェロとのバランスや駆け引きにも細かい神経を見せている。ハレルも、こうした協力者がいたので、このレコーディングはやりやすかっただろう。とにかく、この2人によるチェロ・ソナタは、活気にあふれた、やる気十分の演奏家の意欲を見せていて、それだけに新鮮さを感じさせるのである。
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ジェームズ・レヴァインとリン・ハレルとは、ハレルがジョージ・セルのもとでクリーヴランド管弦楽団の首席チェロ奏者だった時代に、レヴァインが同団で副指揮者をつとめていたころからの旧知の中。協奏曲と室内楽でたびたび共演し、アメリカRCAにはLPレコードにして5枚分の録音を残しています。レヴァインにとって、ハレルとの初録音となったのはシューベルトのアルペジオーネ・ソナタ&メンデルスゾーンのチェロ・ソナタ第2番LP。ハレルの誠実なチェロを支えるレヴァインの室内楽奏者としての卓越した手腕を味わうことが出来ます。ハイドンもモーツァルトも、チェロ・ソナタを残していない。チェロ・ソナタは、ベートーヴェンに至って音楽的に重要な意味を持つようになり、チェロの音楽を拡大し、チェロの機能や性格を活用したものとして本格的に登場してくるのである。ところが、このベートーヴェンがチェロを演奏したとか、チェロを特に愛好したということは伝わっていないようだ。これに対して、ベートーヴェンがヴァイオリンやヴィオラをかなり巧みに演奏したという記録は残っている。それでも、ベートーヴェンがチェロという楽器に若い頃から関心を示し、それを研究したというのは、事実のようである。このベートーヴェンは、《チェロ・ソナタ》を5曲残した。ほかにチェロとピアノ用の変奏曲を3曲書いた。しかし、ピアノ・ソナタとかヴァイオリン・ソナタほどに、ベートーヴェンが積極的にチェロ・ソナタに興味を向けたわけではない。5曲のソナタは、全て特定のチェロの演奏家或いはチェロの演奏に自信のある人物のために作曲された。極端に言えば、義理とか交流上で書いた作品である。それにもかかわらず、この5曲は、歴史的に不滅の作品になっている。ベートーヴェンの非凡な才能の結実である。しかも、この5曲が初期、中期、後期に分散しているので、この5曲でベートーヴェンのチェロの扱い方はもちろんのこと、チェロ・ソナタというジャンルに対する考え方の変化も、如実に伺えるのである。ベートーヴェンは、これらの曲でチェロのカンタービレの特性を考慮し、それをできるだけ生かすようにしていて、歌わせる可能性のあるところでは、それを見逃さずに常にチェロを存分に歌わせている。しかも、チェロを使うということで曲全体が重く沈みがちになるのを、チェロの各種の技巧やピアノとのバランスで救済するようにした。それに加えて、5曲の中で短調のものは1曲しか無い。やはり特定の人物のために作曲したので、音楽の明るい効果を尊重したからだろう。5曲の構成はまちまちである。ただ、5曲を通してみると、緩徐楽章をどうするかについて、ベートーヴェンは、かなり考えたようである。中期まででは、緩徐楽章をおかずに、緩やかな序曲を書いている。これも、全体の流れが重くなるのを避けるためだったのかもしれない。
1976年12月7,8日(第1番)、1976年12月6日(第2番)、1976年12月7日(第3番)、1976年12月9日(第4番)、1976年12月8日(第5番)ニューヨーク録音、1977年リリース、2枚組。
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