サー・ジョンも歌の人だな。 ― 思い入れたっぷりの間の取り方、「崩し」とも思えるほどの入念な表情をつけて、〝ワタシ、この旋律が好きなんです〟という思いが伝わってくるくらいに、情動的でロマンティックでおセンチ。英国式の演歌か。これほどまでに個性的にロマン色溢れた演奏は、作品解釈とは別腹に好きです。ジョン・バルビローリ(Sir John Barbirolli, 1899年12月2日〜1970年7月29日)は第二次世界大戦に従軍。〝サー・ジョン Sir John〟の愛称で知られる。1943年にハレ管弦楽団の音楽監督に就任するが、バルビローリが戦地から戻ると、オーケストラの楽団員は戦死したり、傷を負っていて演奏会どころではなかった。どれほどのオーケストラだったといえども指揮者だけでは何もならない。まずはオーケストラの立て直しからがバルビローリの仕事だった。しかし健全な男性奏者は集まりそうにない。空襲で荒廃した街に音楽を響かせるために、女性奏者を募ったり、バルビローリはオーケストラの再興に尽力しました。演奏会以外の時間はそういうことに費やし、一日は24時間じゃないとも頑張った指揮者でした。「一日16時間の仕事」、「一日1食も珍しくない」といった勤勉ぶりで、技量やアンサンブルは超一流とはいかないがバルビローリ自らが採用したメンバーを含む心あたたまるサウンドは、感興の豊かさ初々しさは段違い。戦後間もない演奏で、演奏者の技量はまだまだながら音楽で復興を応援する気概に魅了される。古いところではバルビローリが自ら組織した室内管弦楽団との1928年録音から、膨大なセッション録音を残している。バルビローリが壮年期の充実の時を迎え、目覚しい発展の途上にあったハレ管弦楽団との、1950年代の録音を集めた名曲コンサート。レハールのワルツ「金と銀」をはじめ、魅惑の名演が楽しめる。この時代の指揮者は「巨匠」とよばれるような人でも、決してその様な「小品」を馬鹿にするような態度は取りませんでした。そして、そう言う「巨匠」達の中でもバルビローリは「歌わせる」事に関しては天下一品の腕前を持っていましたから、《金と銀》のような作品は彼にとってはピッタリの音楽でした。このワルツは、レハールにしては珍しく、オペレッタの中の作品ではなくて単独の作品として作曲されました。1902年の謝肉祭の間に催されたパウリーネ・メッテルニヒ侯爵夫人主催の舞踏会のために作曲されたらしくて、《金と銀》というタイトルは、この舞踏会の課題にそったものだったようです。彼女はこの時代の音楽家にとってはパトロン中のパトロンとも言うべき存在であり、その交友関係はワーグナー、リストなどを筆頭に多岐に及んだ。夫はオーストリア帝国の宰相だったメッテルニヒ侯爵の一人息子であり、外交官であった夫に従ってザクセンやパリの社交界で重きをなし、夫が亡くなってからはウィーンに戻ってヨーロッパ社交界の指導者とも言うべき地位にあった、そのウィーンでのサロンでは数多くのオペラを簡略した形で上演をし、その中には「ニーベルングの指環」も含まれていたというのですから驚かされます。そんなパウリーネがこの世を去ったのは第1次世界大戦直前の1912年だったというのは幸せなことだったのかもしれません。故にこの《金と銀》から、滅び行く古き良きヨーロッパの姿が匂い立ってくることに気づくべきなのです。 メインはバルビローリの傑作として有名なレハールの《金と銀》で、本盤の録音の前後に、1952年4月5日と1966年12月30、31日のレコードもある。ヨハン・シュトラウス作品では時に嫌味と思える崩し方、遊び方もここでは曲の趣向と融合している。サラリと行くところはほとんど無いが、気持ち込めきって、ヴィブラートの不揃いも胸をかきむしる。お馴染みのメロディでは、プロムス・ラスト・ナイトで聴衆と一体になっているサー・ジョンの指揮姿が思い浮かぶかのようである。
関連記事とスポンサーリンク
Sir John Barbirolli Dirige Orchestra Halle' Di Manchester – John Barbirolli Dirige ...
Side 1Side 2
- Franz von Suppé - Cavalleria Leggera
- Hector Berlioz - Marcia Ungherese
- Otto Nicolai - Le Allegre Comari Di Windsor
- Franz Lehár - Oro E Argento
- Emil Waldteufel - I Pattinatori
- Amilcare Ponchielli - Danza Delle Ore
〝良質なワインのように、年を経るにつれて芳醇な味わいを醸し出した指揮者〟と評されているように、サー・ジョン・バルビローリは多くの名指揮者を生み出したイギリスの最高の名匠である。生まれたのも没したのもロンドンだったが、祖父も父もイタリアのヴァイオリニストで、バルビローリが生まれた時、〝ジョヴァンニ・バッティスタ〟とイタリア風の名前が付けられたという。ロンドンの王立音楽院でチェロを学び、1916年にクイーンズ・ホール・オーケストラの最年少の楽員となり、翌年チェリストとして初のリサイタルも開いたが、19歳頃に指揮者に転身、ロンドンでオペラやコンサートを振りながら修練を積んで、1933年にスコティッシュ管弦楽団(現スコティッシュ・ナショナル管弦楽団)の首席指揮者に就任した。1936年にニューヨーク・フィルハーモニックにデビュー。翌年に首席指揮者に就任したが、前任者がアルトゥーロ・トスカニーニであったためか楽員と肌合いが合わず、1943年に辞任してイギリスに戻った。同年マンチェスターのハレ管弦楽団に懇望されて首席指揮者となり、同オーケストラを飛躍的に成長させて名声を博し、1949年に〝サー〟に叙され、楽団からは終身指揮者の栄誉を贈られた(後の桂冠指揮者)。1968年に勇退後も同オーケストラとは親密な関係が続いた。この間の1961〜1968年にはヒューストン交響楽団の音楽監督も兼任して、アメリカでも絶大な信望を得た。バルビローリは典型的な大器晩成型で、40歳代終わり頃から魅力的な演奏を聴かせた。極めてヒューマンな人柄と、リハーサルのたびごとに「その音符を愛してください、愛がそこから湧き出るように」と楽員に呼びかけたという音楽への奉仕者の姿は、聴衆と楽員の双方から敬愛を浴びた。その第一の理由はイギリス近代の作曲家たちの作品に、しみじみとした味わいの名演を聴かせたことで、残された多くの名盤ではハレ管とのディーリアス『管弦楽曲集」(1968〜1970年)がまっさきに挙げられる。これも十八番にした北欧音楽では、やはりハレ管弦楽団とのシベリウスの交響曲全集(1966〜1970年)が代表作だが、絶対に聞き逃せないのがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのマーラーの交響曲第9番(1964年)。前年にベルリン・フィルに客演した際、感激した楽員の提案によって録音されたというエピソードで有名な、このマーラーにこそバルビローリの人と芸術の精華が結実しているとも言える。
英PYEは大資本レーベルであるEMIやPHILIPSと違って、どちらかといえば独立系レーベルに近いような存在でした。傘下には本場のR&Bの普及に貢献したPYE INTERNATIONALレーベルなどがあります。元々はテレビやラジオの製造メーカーだったが、1953年にNixaレーベルを買収し事業参入、PYE Nixaに。マーキュリーやウェストミンスター等との共同製作で、1956年からステレオ録音を開始し、ステレオLPの開発も独自に行い、1958年4月にV/L ― 縦横2方向の振動で左右の信号を記録する方式を発表しますが、直後に45/45方式が標準規格として採用されると、いち早く取り入れ、メジャー・レーベルに先駆けて1958年6月にヨーロッパ初のステレオLPを発売した。ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団のベートーヴェン『交響曲1番&8番』(CSCL-70001)が、EMIに移行する前のPYE社でのレコードです。1959年からPYEを名乗る。EMI、Decca、英Philipsとともに英国4大レーベルで括られるが、大資本の他3社に比べると比較的小規模なレーベルだった。レーベル統括だけでなくPYEとしてザ・キンクスやドノヴァンらのレコードをリリース。また、コレクターに人気のプログレッシヴ・レーベルDawnを1969年に設立している。Golden Guineaは1960年代前半の廉価盤レーベルのようで、MARBLE ARCHの前身と想像される。他に初期のA&Mレコードなど、Pye Internationalのレーベルで発売されていた時期がある。ニニ・ロッソの「夜空のトランペット」が大ヒットしたとき、イタリアのDURIUMレコードの発売元もイギリスではPYEでした。しかし、ステレオ装置が直ぐに普及しなかった事や、メジャー・レーベルとの競合、そして、1959年に入ると、ATV(アルファ・テレビ)に吸収され、本社の引っ越しやスタッフの入れ替えが行われる等、大きな変更があった為、最初のCSCL70000シリーズの発売は、あまり順調には行かず、確か50枚程で終了したといいます。ジャケット裏写真でご覧頂けるように、最初は何らステレオである事を強調していない、ごく簡素な体裁ですが、恐らくメジャー・レーベルのステレオLP発売が出揃った1958年秋以降は、何か目立った表示が必要になり、スタッフの多くが前に在籍していたEMIに倣って、独自のデザインでステレオのメタル・シールを作ったのかも知れません。国内盤は、日本ウェストミンスターから発売。
- Record Karte
- スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲(1957年6月28、29日)、ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲(1957年8月9日)、レハール:ワルツ「金と銀」Op. 79(1957年5月3日)、ワルトトイフェル:スケーターズ・ワルツ Op. 183(1957年5月3日)、ポンキエルリ:歌劇「ラ・ジョコンダ」〜時の踊り(1957年8月11日)
YIGZYCN
.
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。