IT  MELODRAM  221 キルステン・フラグスタート オペラ歌曲集
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IT MELODRAM 221 キルステン・フラグスタート オペラ歌曲集

商品番号 34-13190
切り貼りのない、不世出の声 ― キルステン・フラグスタートがヴィルヘルム・フルトヴェングラーとワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の歴史的全曲セッション録音をした(6月10~22日)直前にベルリン、ティタニア・パレスで行ったジョルジュ・セバスティアン指揮RIAS交響楽団との二晩のリサイタル。1952年5月9日の、ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」から第1幕前奏曲、第1幕2場からイゾルデのモノローグ、第3幕の終りの部分から愛の死。ヴェーゼンドンクの五つの歌。1952年5月11日の「パルジファル」の聖金曜日の音楽、楽劇「神々の黄昏」から終幕のブリュンヒルデの自己犠牲、リヒャルト・シュトラウス:「最後の4つの歌」から3曲。フラグスタートは1895年生まれ。1952年は57歳ということになる。イギリスDECCA録音のフラグスタートの声はひ弱な印象がぬぐえないが、本盤で聴く歌声は非常に強靭で力があり、ひ弱な印象はまったく無い。フラグスタートの声を質感も十分に捉えた録音の価値には非常に高いものがあると思われます。1982年初発、2枚組。
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ジョルジュ・セバスティアン(Georges Sebastian, 1903.8.17-89.4.12, ハンガリー〜フランス, マジャル名シェベシュティエーン・ジェルジ)は、ブダペストの生まれ、ブダペスト音楽院でバルトークやコダーイに学ぶ。1922年にはミュンヘンの歌劇場でブルーノ・ワルターに師事した。24年から25年にはハンブルクの歌劇場、25年から27年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者と成り、27年から31年まではベルリン市立歌劇場の首席指揮者を務めた。31年にはモスクワ放送交響楽団の指揮者となった。46年にパリに移り、オペラ座の首席指揮者に就任した。また、オペラ・コミークやフランス国立放送交響楽団も指揮をした。66年にはフランス国立放送交響楽団とともに来日した。89年、パリ近郊で死去。
キルステン・フラグスタート(Kirsten Flagstad, 1895.7.12〜1962.12.7, ノルウェー)といえば、歴代ワーグナー歌手の中でも最高の名声をほしいままにしたことでも知られる伝説的な存在。現在の100ノルウェー・クローネ紙幣に彼女の肖像を見ることができる。フラグスタートの声を聴いて本当にいい歌手だと感じた。「不世出」という言い方があるがまさにその言葉がふさわしい。1930年代なかばにはすでに世界的な大歌手として活躍していたフラグタートは、1953年にはオペラのステージから引退してしまいます。しかし幸いなことにデッカは、引退していた彼女を粘り強く説得し、優れた録音技術によって、その偉大な声を良い音質で残すことに成功したのです。彼女のすばらしい名唱を聴くことができるワーグナー『ヴェーゼンドンクの詩』では、深い洞察から生まれる感銘深い歌唱を聴かせてくれます。最後の録音は62歳だったとは思えない、圧倒的な完成度を持って描かれています。ノルウェーのハーマル出身で18歳の時にオスロ国立劇場でオペラ歌手としてデビューした。当初は北欧での活動が主で、国際的に注目を集めるようになったのは1933年にバイロイト音楽祭に出演して以降のことである。ただし、ワグネリアンでもあったアドルフ・ヒトラーの影響力が強かった当時のバイロイトではノルウェー人のフラグスタートはさほど重用されなかった。1935年にはメトロポリタン歌劇場に登場し1941年にノルウェーに帰国するまでワーグナー歌手として活躍する。ノルウェー帰国は夫がナチス・ドイツに協力していたのを説得してやめさせるためとされ、1947年までの間ほとんど演奏活動は行っていない。全盛期はSPレコード時代に属するが、2つの世界大戦の間で評判は伝説を伝え聞くことが出来るだけで、良い録音に恵まれていない。1950年にはヴィルヘルム・フルトヴェングラーとの共演でリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」を初演している。しかし、それに続くフルトヴェングラーと録音したレコードにしてもシュワルツコップの声で一部置き換えられてしまった。この演奏会のあとで6月10~22日にスタジオ・セッションでフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で《トリスタンとイゾルデ》の全曲録音を行っている。この録音セッションでシュワルツコップフがフラグスタートの歌う部分の一部を代役で歌ったことがスキャンダルになり、精神的なダメージを負いフラグスタートは引退同様になってしまい引っ込んでしまった。フラグスタートが本来歌うべき第2幕の冒頭のハイCが、実はシュワルツコップの代役によるものと判明して大きな物議をかもした。1953年にパーセルの「ディドーとエネアス」に出演したのを最後に舞台からは引退したが、その後もリサイタルや録音で活動を続けた。引っ込んでしまったフラグスタートを引っ張り出したのが英DECCA のプロデューサー、ジョン・カルショウだ。カルショウによってクナッパーツブッシュの指揮でヴェーゼンドンクの5つの歌、ローエングリン、パルシファルから4曲、それとスヴァンホルム、ヴァン・ミルを加えてワルキューレ第1幕の録音が残された。その時期にデッカ・レコードで実現したゲオルク・ショルティ指揮「ニーベルングの指環」のスタジオ録音にも出演している。元来フラグスタート中心で予定されたが、当初指揮者として開始したクナッパーツブッシュが放棄。順風満帆と行かずに、8年間を要しフラグスタートは「ニーベルングの指環」の第一作「ラインの黄金」でフリッカ役を歌うにとどまり降板してしまう。1962年、オスロで死去。

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