HU Hungaroton SLPX11650-52 ヤーノシュ・フェレンチク リスト・聖エリーザベトの伝説
通販レコード→洪イエロー・ラベル茶文字盤

HU Hungaroton SLPX11650-52 ヤーノシュ・フェレンチク リスト・聖エリーザベトの伝説

商品番号 34-17331

ワーグナーを意識した全曲を通じて特徴的なライトモチーフの使用が聴き逃せない。 ― フンガロトンにリストの作品を多数遺したフェレンチクによる決定的な録音。フンガロトン(Hungaroton)はハンガリーの国営レコード会社。半世紀を越える歴史を数え、ここでしか聴けない本国バルトーク、コダーイの作品から、さらにチェリストのペレーニやピアノのアニー・フィッシャー、シフ、コチシュなど注目のタイトルを共産国時代の演奏がクリアな録音で聴ける。今の商業録音のポリシーの中でこういう演奏が録音される可能性はまずゼロである。共産主義というものは真の演奏芸術を保存するという意味においては鮮度の高い間保持されていただろう可能性を秘めていたとも思う。この録音はその証しだろう。
フランツ・リストがワイマール時代に着想し、ローマ時代の1857-62年に書き上げた大作オラトリオ「聖エリーザベトの伝説」R.477。バイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈されたこの作品は、実在したハンガリーの王女エリーザベト(エルジェーベト Erzsébet, 1207年7月7日〜1231年11月17日)の生涯をベースにしている。わずか4歳で王女エリーザベトは、チューリンゲン方伯(ルートヴィング家)ルートヴィヒの未来の花嫁として、ヴァルトブルクに連れてこられた。中世以来、主にドイツのザクセン地方、テューリンゲン地方を支配してきたヴェッティン家と政情対立していたルートヴィング家にとって、王女であり東ローマ帝国皇帝とも親戚に当たるエルジェーベトは貴重な政略結婚の具といえた。仲睦まじく幸福な結婚生活を送り、三児をもうけたエリーザベトは、16歳のときにアッシジのフランチェスコの教えに触れて信仰心を篤くした。20歳の時、第6回十字軍に従軍中だったルートヴィヒが疫病のため死去し、若くして未亡人となる。長男のヘルマンはまだ5歳だったため、摂政となったルートヴィヒの弟ハインリヒ・ラスペにヴァルトブルク城を追われた。豚小屋に住む境遇にまで身をやつしたと伝えられている。それを伝え聞いた伯母がエリーザベトと子供たちを迎えに行き、自らの伯父の居城であるバンベルク城に送った。この伯父はエリーザベトに再婚を薦めたが、拒否して貞節を守った。夫の遺骨を修道院に埋葬した21歳、聖フランシスコ会に入会して、マールブルクに病院を建設して貧民・病人のために尽くした。エリザベート自身も貧民のような生活を送り、24歳で夭折した。彼女は、その過酷な運命に絶望することなく貧者への慈善活動にはげみ、死後に聖人の列に加えられ、聖エルジェーベト、聖エリーザベト、聖エリザベートなどとして知られている。彼女の名を冠した教会は各地にある。エリーザベトはテューリンゲン、ヘッセン、未亡人、病人、パン焼き職人、織師の守護聖人とされている。エリーザベトの墓には死の直後から奇跡が起き始め、巡礼が来るようになった。召使のイルムガルトの証言によれば、遺体を3日間だけ公開したところ巡礼者が殺到し、聖遺物としてエリザベートの顔を覆っていた布、爪、果ては指を切り取って持ち去る者があったという。1235年の聖霊降臨祭の日、教皇グレゴリウス9世はエリーザベトを列聖した。1236年、聖遺物として祀るために彼女の遺体から頭部を取り外す儀式「改葬」(translatio)が行われ、彼女の頭骨は神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世自らの手で冠を被せられて聖遺物容器に入れられた。マインツ、トリーア、ブレーメンの大司教、多数の司教、テューリンゲン方伯ハインリヒ、エリーザベトの子供のヘルマンとゾフィー、その他多数の諸侯や貴族、そして無数の民衆がそこに詰めかけていた。祝いは10日間続いた。かくして、生前は女性の中で一番酷い虐待を受けたエリーザベトは、死後、最高の栄誉に輝いたのだった。マールブルクには巡礼が絶えず、町は経済的に栄え、ヘッセンの中心都市となってゆく。リストがワイマール時代に、オーストリアの画家モーリッツ・フォン・シュヴィント(Moritz Ludwig von Schwind, 1804年1月21日〜1871年2月8日)のフレスコ画から霊感を受け、ドイツのテューリンゲンの聖人エリーザベトの物語を題材とすることを着想し、ヴァイマル時代の1857〜58年に作曲に取りかかり、1862年のローマ移住後に完成した。フレスコ画から霊感を受けてから8年。初演は1865年8月15日にリスト自身の指揮によって行われた。当時のリストは既に神父服を身に纏って舞台に立っており、その効果は絶大なものだったと思われる。『聖エリーザベトの伝説』(Die Legende von der heiligen Elisabeth)は、リストが作曲した3つのオラトリオのうち第1作目で、リストにとってこのオラトリオは、上演に2時間30分を要する巨大作であり、生前は、その上演回数も非常に多く、会場は常に満員であった。それは全てが慈善事業の義援金募金のためのものであったためである。1866年の5月1日、5月10日にミュンヘンでビューローの指揮で上演された。曲はバイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈された。ルートヴィヒ2世はこのすばらしい芸術作品のたのしみは純粋で曇りなきものである。との限りない賛辞を述べている。全曲を通じて特徴的なのがリヒャルト・ワーグナーを意識したライトモチーフの使用で、聴き逃せないポイントとなっている。粗筋は聖エリーザベトの育ちから生涯の行跡を述べたもので、後期ロマン派に作曲された宗教的・人道を説くオラトリオとなった。ただし、リストならではの愛情劇ともなっている。このオラトリオの終曲、バヴァリア国王フリートリヒ2世が登場して、「皆の者、家来たち諸君、このエリーザベトの墓に詣でよう。」と言って、若い十字軍戦士ルートヴィヒをたたえ、群衆の合唱が流れる。そして、我々は今、エリーザベトを墓に運ぶのだと高唱する。合唱にはさらにドイツとハンガリーの司教たちの合唱が加わって、聖エリーザベトの葬送と、オラトリオ全曲が終結する。後者は、有名な「バラの奇跡」の場面や、夫が戦死したとの悲報を受け、生まれ故郷のハンガリーに戻って、戦死したルートヴィヒをいつも心に、静かに幼かりし頃の思い出に耽って懐かしみ、孤児たちの面倒をみながら専ら祈りと信仰の道をすすむ。孤児たちと天使の合唱と共にエリーザベトが浄化される場面では、聖エリーザベトに関するハンガリーの聖歌が現れる。日本での初演は1973年11月23日に行われた。折しも、ハンガリー・フンガロトンにリストの作品を多数遺したヤーノシュ・フェレンチクによる決定的な録音、つまり本盤が発売された。共産主義が育んだ優秀な歌手、演奏者で重心の低い美しさが際立つ演奏は胸を打つ。
関連記事とスポンサーリンク
ハンガリーは第1次世界大戦後、オーストリアとの二重帝国体制から引き離され、領土をルーマニアとチェコ=スロヴァキアに侵食された。両国の支配に反対して王制が成立するが、第2次世界大戦では枢軸国側に属して、ナチスの助力を得ながら領土を回復していくことになる。1944年に民族主義革命により王制は倒れ、ソ連から容赦なくブダ=ペストを占領されてしまい民族主義勢力は除かれ、ハンガリーは共和国として歩み出す。そして、国家という強固なバックボーンをもち、国費で育てられた優秀な人材が安定的に供給される。
ヤーノシュ・フェレンチク(János Ferencsik, 1907年1月18日-1984年6月12日)は1907年、ブダ=ペストに生まれる。幼くしてヴァイオリンやオルガン、作曲に幅広い才能を示し、20歳代で、バイロイトでアルトゥーロ・トスカニーニのアシスタントを務めたことから指揮者のキャリアが始まる。ただし、その後は国内の劇場を中心に叩き上げでステータスを高めていき、国外でも評価されていった。1948年から3年間はウィーン国立歌劇場 ― 戦災で被災したためアン・デア・ウィーン劇場を間借りしていた時代 ― の首席客演指揮者としても名前を刻んでいる。国外での指揮活動がなくなったわけではないが、フェレンチクの主戦場はあくまでハンガリー国立歌劇場、及び、そのオーケストラであるハンガリー国立管弦楽団であった。ザルツブルク音楽祭をはじめ、世界中をまわっての指揮活動は続け、来日も多いが1984年に没するまで、ハンガリー国立管弦楽団の首席指揮者のポストを手放さなかった。ジェルジ・レヘルと並んでハンガリーから外に出なかった国宝級の指揮者である点では、ジョージ・セル、フリッツ・ライナー、ゲオルグ・ショルティ、ユージン・オーマンディ、フェレンツ・フリッチャイ、イシュトヴァン・ケルテスなどが西側に出たのに対し、国に残って自国の楽壇を支えた。米国に渡った指揮者らが選んだ「スコアを正確に明晰に鳴らす演奏」スタイルは、イタリア移民であるトスカニーニに倣うところが顕著な、当時の米国の音楽メディアが圧倒的にラジオ放送依存だったことに関係がある。残響の少ないオペラハウスで情熱的なイタリア・オペラを振ってきたトスカニーニの音楽性は適任だった。同様に、ハンガリー人亡命指揮者たちの理知的で明晰さを重んじる音楽性もその流れに沿ったものだった。一方、低音を基盤としたピラミッド型の音造りと、教会のオルガンの残響の多い音響は欧州で伝統的である。フェレンチクの演奏はまず、重低音の美しさが際立っている。ハイファイ 的な高音域、低音域の強調は全くなく、中音域が厚めのオーケストレーションが見事に鳴っている。それ故、弦楽器セクションのヴィブラートのかけ方ひとつを追っていくだけで充実した楽しみとなるだろう。効果的な響きのコントロールと、アーティキュレーションの明解さによって、フェレンチクは自由に作品からメッセージを引き出すことができる。しっかり脇を締めながらも弱奏部における木管や金管の音色はのんびりとした伸びやかさがあるとともに自然な膨らみがあり。ノン・ヴィブラートの弦楽器の音色には弾力性があり、人々が対話をしているようだ。ひとつの目的に向かって人々が歌いながら自由への闘いに臨むような、巨大なエネルギーを生み出しながらも、全体的には奇を衒わない品のいい演奏であるだけに明確なメッセージとなる。フェレンチクの演奏は傷ついた民族のこころを温めるのに、いかにも効果的だっただろうと思われる。
コロシュ・コヴァーチュ(Bs:チューリンゲン方伯へルマン)、エルジェーベト・コムロッシ(Ms:方伯夫人ゾフィー)、シャーンドル・ショイオム=ナジ(Br:その息子、方伯ルートヴィヒ) ほか、スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団、ブラチスラヴァ放送児童合唱団。1973年6月14日-7月17日、スロヴァキア・フィルハーモニー、コンサート・ホール録音、1974年初発。

販売レコードの写真

  1. HU Hungaroton SLPX11650-52 ヤーノシュ・フ…
  2. HU Hungaroton SLPX11650-52 ヤーノシュ・フ…
商品名HU Hungaroton SLPX11650-52 ヤーノシュ・フェレンチク リスト・聖エリーザベトの伝説