HU HUNGAROTON SLPD12480 シャーンドル・ショーヨム=ナジ ワーグナー・オペラ歌曲集
通販レコード→洪イエロー・ラベル黒文字盤

HU HUNGAROTON SLPD12480 シャーンドル・ショーヨム=ナジ ワーグナー・オペラ歌曲集

商品番号 34-15342

バイロイトの常連で、主役から脇役まで歌っている息の長い活躍 ― フンガロトン(Hungaroton)はハンガリーの国営レコード会社。半世紀を越える歴史を数え、ここでしか聴けない本国バルトーク、コダーイの作品から、さらにチェリストのペレーニやピアノのアニー・フィッシャー、シフ、コチシュなど注目のタイトルを共産国時代の演奏がクリアな録音で聴ける。今の商業録音のポリシーの中でこういう演奏が録音される可能性はまずゼロである。共産主義というものは真の演奏芸術を保存するという意味においては鮮度の高い間保持されていただろう可能性を秘めていたとも思う。この録音はその証しだろう。
ワーグナーのオペラは、処女の献身で世界が救済されるテーマで、どの作品も貫かれているが、と同時に大きな父性の存在がある。それは絶対者である神であったり、最強の力を誇る魔法使いであったり、腕の良い職人で喉も見事な親方であったりするが、それぞれが地位を勝ち得るために犠牲にしたものを持っているところ、もとは向こう見ずな若者だったところも共通している。どうもワーグナーは父親だと思って育った後に、母親が再婚した相手が遺伝子上の父親だったことを、生涯こだわり続けたのだろう。シャーンドル・ショイオム=ナジ(Sandor Solyom-Nagy, 1941年12月21日〜2020年12月30日)はハンガリーを代表するバリトン歌手。クロアチアとの国境に近いハンガリー南部の街シクローシュ生まれ。ブダペストのリスト音楽院で学び、1966年にプッチーニの歌劇《トスカ》のスカルピアを歌ってハンガリー国立歌劇場にデビューした。その後、世界各地の歌劇場に出演。ヴェルディ・バリトンとして名を馳せた。80を越えるレパートリーを持ち、1991年にハンガリー芸術評議会の会長に就任するなど、ハンガリー・オペラ界の重鎮だった。2020年12月30日にブダペストで亡くなった。79歳だった。息の長い活躍を続けていたバリトン歌手で、バイロイト音楽祭には1981年から2001年まで出演を重ねた常連で、主役から脇役までを演じ、ワーグナー・オペラの精通者だったといえる。本盤の8曲は楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」からハンス・ザックの4つのモノローグ・第2幕から《ニワトコのなんともいい香りがする》、第3幕から《狂気だ!狂気!どこもかしこも狂気だ!》、《あなたがたはふつつかな私に》、《マイスターの芸術を尊敬 しなさい》、歌劇「タンホイザー」第2幕から《この貴きまどいを見渡せば》と第3幕から夕星の歌《死のごとく、夕闇が地を覆い》、舞台神聖祝典劇「パルジファル」第1幕からアンフォルタスのアリア《やめろ!覆いを取ってはならん》、楽劇「ラインの黄金」から《夕べの空は陽に映えて城は美しき灼熱に》。父性なるもののの尊さと、いずれは誰か、乗り越える存在が現れる畏れへの危うさが歌われている。
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ハンガリーは同じヨーロッパにあっても西ヨーロッパ諸国とは歴史も風土も違う。しかし、地図上で見ると音楽の都ウィーンのあるオーストリアの東隣に位置する。だから音楽とは常に身近な恵まれた立地環境にあった。もう一人のワーグナー(ヨゼフ・フランツ・ワーグナー)にマーチの名曲「双頭の鷲の旗の下に」というのがあるが、これはハプスブルク王朝のオーストリア・ハンガリー帝国を歌ったもので「双頭の鷲」はハプスブルク家の紋章である。ハンガリーは16世紀初頭にオスマン・トルコに敗北してから、不遇の道をたどる。一世紀半後には奪還するも国土は荒廃し、人口は激減、ブダとペストの両町も没落して、ハンガリーはヨーロッパでも一番の後進国へと没落してしまう。やがてハンガリーはハプスブルグ家の支配下に属することとなり、この時オーストリアとハンガリーはそれぞれの首都を持つといった特殊な国となる。こんな環境下にあって、ハンガリーはウィーンと違った自分たちの音楽である民族音楽や大衆音楽が栄え、独自の音楽文化を形成して行く。そのような風土に生れたハンガリーの音楽家たちは多かれ少なかれ、このような影響を子供のころから受けて成長し、そして母国最大の音楽家であるリスト・フランツの音楽院で学び世界に巣立っていった。
ハンガリーは第1次世界大戦後、オーストリアとの二重帝国体制から引き離され、領土をルーマニアとチェコ=スロヴァキアに侵食された。両国の支配に反対して王制が成立するが、第2次世界大戦では枢軸国側に属して、ナチスの助力を得ながら領土を回復していくことになる。1944年に民族主義革命により王制は倒れ、ソ連から容赦なくブダ=ペストを占領されてしまい民族主義勢力は除かれ、ハンガリーは共和国として歩み出す。そして、国家という強固なバックボーンをもち、国費で育てられた優秀な人材が安定的に供給される。ゲオルグ・ショルティは、ハンガリーは「日々の暮らしの中で音楽が重要な部分を占めている。」という。民謡、ジプシー音楽、自国・他国の名曲、いろいろな要素を取り込んで独自の味付けをした軽音楽などがあって、そのおかげで人口1千万人の国ながら、多くの音楽家を輩出している。ハンガリー人のピアニストなら、ゾルタン・コチシュ、アンドラーシュ・シフ、デジュ・ラーンキの三羽烏がハンガリーの演奏家をわたしが初めて意識し、それまでに気になる存在だった、ジョルジュ・シフラがそうであることに驚いたことが、すぐ浮かんでくる。それ以前に、アニー・フィッシャー、ゲザ・アンダ、ヤーノシュ・フェレンチク、アンタル・ドラティ、エルンスト・フォン・ドホナーニ、フリッツ・ライナーなどなど、優秀なピアニストや指揮者が数多い。ヴァイオリンに関してはコダーイ・ゾルタン以前から有名で、19世紀にイェネ・フバイ、ヨーゼフ・ヨアヒムという不世出の名人がいるほか、その弟子筋のヨーゼフ・シゲティへと受け継がれていく。歌手ではソプラノのシルヴィア・シャシュが最も有名でしょうか。母国で基礎を学び、ウィーンの学校で更に腕を磨いた音楽家が数多い。
ヤーノシュ・フェレンチク(János Ferencsik, 1907-1984 )は1907年1月18日、ブダ=ペストに生まれる。幼くしてヴァイオリンやオルガン、作曲に幅広い才能を示し、20歳代で、バイロイトでアルトゥーロ・トスカニーニのアシスタントを務めたことから指揮者のキャリアが始まる。ただし、その後は国内の劇場を中心に叩き上げでステータスを高めていき、国外でも評価されていった。1948年から3年間はウィーン国立歌劇場 ― 戦災で被災したためアン・デア・ウィーン劇場を間借りしていた時代 ― の首席客演指揮者としても名前を刻んでいる。国外での指揮活動がなくなったわけではないが、フェレンチクの主戦場はあくまでハンガリー国立歌劇場、及び、そのオーケストラであるハンガリー国立管弦楽団であった。ザルツブルク音楽祭をはじめ、世界中をまわっての指揮活動は続け、来日も多いが1984年6月12日に没するまで、ハンガリー国立管弦楽団の首席指揮者のポストを手放さなかった。ジェルジ・レヘルと並んでハンガリーから外に出なかった国宝級の指揮者である点では、ジョージ・セル、フリッツ・ライナー、ゲオルグ・ショルティ、ユージン・オーマンディ、フェレンツ・フリッチャイ、イシュトヴァン・ケルテスなどが西側に出たのに対し、国に残って自国の楽壇を支えた。米国に渡った指揮者らが選んだ「スコアを正確に明晰に鳴らす演奏」スタイルは、イタリア移民であるトスカニーニに倣うところが顕著な、当時の米国の音楽メディアが圧倒的にラジオ放送依存だったことに関係がある。残響の少ないオペラハウスで情熱的なイタリア・オペラを振ってきたトスカニーニの音楽性は適任だった。同様に、ハンガリー人亡命指揮者たちの理知的で明晰さを重んじる音楽性もその流れに沿ったものだった。一方、低音を基盤としたピラミッド型の音造りと、教会のオルガンの残響の多い音響は欧州で伝統的である。フェレンチクの演奏はまず、重低音の美しさが際立っている。ハイファイ 的な高音域、低音域の強調は全くなく、中音域が厚めのオーケストレーションが見事に鳴っている。それ故、弦楽器セクションのヴィブラートのかけ方ひとつを追っていくだけで充実した楽しみとなるだろう。効果的な響きのコントロールと、アーティキュレーションの明解さによって、フェレンチクは自由に作品からメッセージを引き出すことができる。しっかり脇を締めながらも弱奏部における木管や金管の音色はのんびりとした伸びやかさがあるとともに自然な膨らみがあり。ノン・ヴィブラートの弦楽器の音色には弾力性があり、人々が対話をしているようだ。ひとつの目的に向かって人々が歌いながら自由への闘いに臨むような、巨大なエネルギーを生み出しながらも、全体的には奇を衒わない品のいい演奏であるだけに明確なメッセージとなる。フェレンチクの演奏は傷ついた民族のこころを温めるのに、いかにも効果的だっただろうと思われる。
1983年ハンガリー録音、プレス盤。

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