僕がルービンシュタインを何故嫌いかというと姿勢が良いわけ。 ― ということは上半身の力が全部鍵盤にかかるわけ。すると、もう割れんばかりの強い音が出るけれども、汚い音になる ― 坂本龍一がグレン・グールドの演奏から聴こえ出るピアノの音と姿勢の関係を語るところで、引き合いに出されている。20世紀のアメリカが求めたショーマンシップもシンボリックすぎるほど見事だった世紀の巨匠、アルトゥール・ルービンシュタイン。1935年の初来日の後、 2度目に彼がやって来たのは1966年6月、すでに79歳の高齢であったが、その舞台のなんという素晴らしさだったことだろう。演奏も舞台姿も円熟の極み、風格豊かで一切の無駄と虚飾を取り去った音楽の本質がそこにあった。しかも、どんなに枯れていても若い頃の道楽者には艶福の名残りがあった。「私は40歳までは女ばっかりだった」とルービンシュタインは指揮者の岩城宏之に語ったそうだが、まあ話半分としても求道者よりはプレイボーイ的な演奏であることは確かだ。しかし、そうした遊びを芸の肥やしにして壮年から老年にかけてのルービンシュタインの深まり方は只事でなく、ほとんど奇蹟のような出来事であった。SPレコード時代はもちろんだがモノーラル時代、そしてステレオ時代に入ってからも、その初期の頃のルービンシュタインには大味なイメージが強い。そんなアメリカの外面的なヴィルトゥオーゾが、70歳代も半ばを超えてから急速に円熟への道を歩み始めた。若い頃は放蕩と道楽の限りを尽くし、60歳代に至るまで効果を狙うだけのピアノを弾いていた最も人間臭い人間ルービンシュタインが、やっとその脂ぎった演奏に抑制を効かせ過度に華やかだったタッチを是正した結果が、ピアノを弾くのが楽しくてたまらない。という風情で、まさに人生の達人の姿がそこにあった。いかなる激しい演奏場面においても背骨がピンと伸びきって、身体のあらゆる部分に無駄な動きが全くないのには驚かされる。そんなルービンシュタインの演奏にはいやらしさが寸毫も感じられない。それは歌舞伎の名優が舞台上で大見得を切っても、演技が少しも下品にならないのと似ている。華のあるステージであり、華麗な音楽創りをしているのに思わせ振りがない。1世紀に一人か二人しか出現しない、この人はまことに「大名人」としか表現しようのない音楽家であった。
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しかも、世紀の巨匠は人懐っこい人柄であった。怪人プロデューサーの自宅アパートで深夜、部下の事業部長が打ち合わせをやっていたら、ガサゴソと音がして食堂の大型冷蔵庫の扉が開いた。手に何か食べ物と飲み物を抱えてベッドルームへ去ろうとしている小柄な男がいた。斯くも「大名人」は気兼ねない人物だった。アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887〜1982)はポーランドのユダヤ人家庭に生まれ、1898年にベルリンでデビューした。ヨーロッパで長く活動した後、第二次大戦前にアメリカへ渡り世界的な名声を得た。祖国愛、政治的亡命、アメリカでの成功と、いかにもアメリカ人が喜びそうなサクセス・ストーリーが見え隠れしている。彼の祖国への愛に嘘偽りがあるとは思わないが、どうもプロモーション上、そういうイメージが作られていたような気がする。1940年代に結成した「百万ドルトリオ」も然り。ルービンシュタインは、この呼び名を嫌ったらしい。ヤッシャ・ハイフェッツとグレゴール・ピアティゴルスキーのコンビとは袂を分かちている。名伯楽フレッシュ門下のシェリングが世界の舞台へ躍り出る契機を作ったのは、メキシコに演奏旅行をし、当地で彼と共演しその才能に驚嘆した同国人ルービンシュタイン。シェリングはよく〝成熟〟というタームで語られがちですが記念すべき彼らの最初の共演たるこの録音を聴けば、様式的な構想力においてヘンリク・シェリングには最初からから頭抜けたものが備わっていたことは明白でしょう。ルービンシュタインとシェリング、ポーランドが誇る二人の天才の共演によるブラームスの《ヴァイオリン・ソナタ》全集。端正なピアノと味わい深いヴァイオリンが融合し、ブラームスの重厚さを見事に描ききっている。70歳代であったルービンシュタインが、同じくポーランド出身で40歳代のシェリングと組んだ当ディスクは、《ソナタ第3番》の第3楽章で顕著なように、いささかピアノ主導型の演奏に傾斜しがちですが、しかし、シェリングの端正な音色と表現が、力感と味わいを兼ね備えた老巨匠のピアノと巧みにマッチしており、両者ともに必要以上ののめり込みを感じさせないタイプだけに、ブラームスの世界を潤い豊かに描き出すことに成功しています。この曲のようにピアニストでもあった作曲家のヴァイオリン・ソナタはピアノが雄弁に傾く傾向は強いが、ルービンシュタイン主導型の爆演でもなく。ヴァイオリンが真摯、ということでバランスがとれるのではないのか。
ポーランドの巨匠アルトゥール・ルービンシュタインがメキシコでの演奏旅行の際に共演し、その才能に驚嘆したと言われているのが同国人でメキシコに帰化していたシェリングは、ルービンシュタインが世に知らしめたことをきっかけに世界的な名手とみなされるようになりました。ヘンリク・シェリング(Henryk Szeryng, 1918〜1988)も同じくポーランド出身のユダヤ人だが戦前にメキシコに移住し音楽教師をやっていたところ、1956年に当地を訪れたルービンシュタインに見いだされアメリカ・デビューを飾った人物である。彼にとってルービンシュタインは恩人であるばかりでなく、室内楽演奏のパートナーとしてしばしば呼び出される大親分であった。シェリングのヴァイオリンは秀逸である。過度にロマンティックにならず、さりとて辛口過ぎることもない。中道を行く演奏である。シェリングは、ベートーヴェンやブラームスなどのドイツ物を得意としている。渋みと甘味の調和した音色で、精神的にも充実した格調高い演奏を繰り広げてくれる。やや速めのテンポだが、テクニックで捲し立てることはなく、むしろ軽やかな歌になっている。ソロのときのイメージと好い意味で違って、ルービンシュタインの室内楽もなかなかよく、シュリングも委縮していません。さて、この二人が録音したベートーヴェンとブラームスの 『ヴァイオリン・ソナタ』のデータは欄外にまとめてしまいましたが、時系列にスケジュールを並べると、ベートーヴェンの「スプリング」と「クロイツェル」ソナタの録音が、1958年12月30と31日。一年置いてブラームスのソナタは一番から番号順に録音。1960年12月28~29日に『ソナタ第1番』、30日に『ソナタ第2番』と『第3番』。年末年始を挟んで、翌1961年1月3日にブラームスの『ソナタ第3番』の続きと、ベートーヴェンの『ソナタ第8番』を録音して完成している。なにぶん年末年始である、ホワイトハウスで行われるパーティで演奏したり、ニューイヤー・コンサートに出演したりとリハーサルや録り直しを含めたスタジオ録音としてはやはり過密なスケジュールといえるのではないだろうか。録音スタジオに腰を落ち着かせてはいなかったことが想像に容易いし、演奏者の共演歴によって大きく異なるだろうが、二人の演奏家は息もピッタリと「覇気」も見せながらもブラームスの内省的な面にも迫っている。現代は誰もが見ているテレビ番組や音楽で共通性が希薄なので、パロディやものまねをするのがショーマンに悩みとなっているというが、こと70歳代の老巨匠と40歳代前半の若いヴァイオリニストには課題はなかったようだ。オットー・クレンペラーとダニエル・バレンボイムの関係を思い出す。確かにピアノの音が少し大きいですが、第1番の出だしなんて、もう美しい以外に表現のしようがないほどで、それでいて嫌になることはない。ほどほどに抑えている。第3番の第3、4楽章ではピアノが暴走する凄みで、ちょっとかすれた音色の味わいが特徴のシェリングのヴァイオリンの音がマスキングされている。音質も、録音年代を忘れる程優良で名匠同士の音楽の対話を味わえる格好の一枚だ。
収録曲はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調 Op.47「クロイツェル」、ソナタ第5番ヘ長調Op.24「スプリング」、ソナタ第8番ト長調 Op.30-3。2枚目はブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調 op.78『雨の歌』、ソナタ第2番イ長調 op.100、ソナタ第3番ニ短調 op.108。1958年12月30,31日、60年12月28日、12月30日、61年1月3日ニューヨーク、アメリカ芸術文化アカデミーでの録音。
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