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この四重奏団に会いたい、これでやっと永年夢みていたピアノ四重奏と五重奏の録音ができそうだ。 ― 情感豊かでスケールの大きいルービンシュタインのピアノと、密度の濃いアンサンブルを誇るグァルネリ四重奏団と合体した、充実感を残す演奏によりロマン派室内楽の名作が奥深く堪能できる。ルービンシュタインの常として付きまとってくる大仰さとは正反対の、派手さとは縁遠いそれは、多分ルービンシュタイン自身がそうした地味にブラームスと対峙することを志向していたからと思われる。ゆっくりとしたテンポで音楽を進めていく。これは弛緩ではなく、この1音1音の響きこそをしっかりと聴かせて進むスタイルは、この曲の求めているものではないか。特に室内楽のルービンシュタインのセンスがすばらしい。音楽性を引っ張る、出るところは出る、他の楽器を引き立てるべきところは伴奏に徹するなどピアノの理想的な役割を果たしています。とてもいいブラームスです。ただこのテンポをルービンシュタインだけでは支えきれないようで、これにルービンシュタインのパートナーとして世に出されたと言っていい若い四重奏団がしっかり合わせている。しかし、ルービンシュタインはどうして彼らとの録音を希望したのだろうか。当時のレコード評でも、四重奏団の若さというか、表現の踏み込みの弱さのようなものを指摘しているものが多かったけれど、現在は、このようなスタイルだと間が持たないだろうが、聴いていてほっとさせられる深々とした余裕を感じられる。
1965年の6月、私はルービンシュタインとベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の新録音のプレイバックを聴いていた。聴き終わり、私とルービンシュタインはその演奏に大いに満足してたばこで一服していたが、私はルービンシュタインに、「ちょっと普通じゃない録音があるのでお聴かせしたんですが」ともちかけた。それからしばらく二人でグァルネリ四重奏団のモーツァルトのK.590の四重奏曲の第1楽章のテープを聴いていたのだが、満面の表情をたたえていたルービンシュタイン氏は、曲が進むにつれてどんどん没入していき、演奏が終わるやいなや、演奏の自在さとパワフルさを絶賛しはじめた。そして、「この四重奏団に会いたい、これでやっと永年夢みていたピアノ四重奏と五重奏の録音ができそうだ」。 コンサートのスケジュールの関係で実現するまでに一年を要したが、ついに1966年の12月26日に、この四重奏団の面々はルービンシュタイン氏のニューヨークのアパートメントをついに訪問した。5分もたたないうちに、ルービンシュタイン氏はピアノに座り、プラームスのヘ短調の五重奏曲の響きが部屋を満たしはじめた。私はそれを押しとどめることができない自分に苦笑しながら、彼らと共にその演奏を堪能したのである。リハーサルは2時間以上に及び、テンポやバランスやフレージングについての事細かな打ち合わせがなされた。全員が胸をわくわくさせながら12月28日10時からのウェブスター・ホールでの録音セッションを待ち望むこととなる。そして翌29日の昼頃にはブラームスの録音は完成した。 その最後のセッションの日、ルービンシュタイン氏は到着するやいなや、シューマンの変ホ長調の五重奏曲のピアノ・パート譜を取り寄せてくれと言い出した。そして譜面が届くやいなや、全曲弾き通したのである。「君らはこの曲できるかね。わたしとしてはどうしても明日シューマンのこの曲を録音したいのだが」。その日のブラームスのセッションが終わるやいなや、ルービンシュタイン氏は自宅に引き返してシューマンの練習を始め、グァルネリの面々も、アーノルド・シュタインハートのアパートに押しかけて、この曲のリハーサルをすることとなる。 第1楽章は翌日の午後1時には録音終了。更に夜の11時半までかかって演奏はテープに収められた。シャンパンの栓を明ける響きがウェブスター・ホールに響きわたる。我々はこうして紙コップでこの3日間の労をねぎらいあったのだった。
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アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887〜1982)はポーランドのユダヤ人家庭に生まれ、1898年にベルリンでデビューした。ヨーロッパで長く活動した後、第二次大戦前にアメリカへ渡り世界的な名声を得た。祖国愛、政治的亡命、アメリカでの成功と、いかにもアメリカ人が喜びそうなサクセス・ストーリーが見え隠れしている。彼の祖国への愛に嘘偽りがあるとは思わないが、どうもプロモーション上、そういうイメージが作られていたような気がする。1940年代に結成した「百万ドルトリオ」も然り。ルービンシュタインは、この呼び名を嫌ったらしい。ハイフェッツとピアティゴルスキーのコンビとは袂を分かちている。ルービンシュタインほど数多くのリサイタルを開いたピアニストはいないとも言われ、超過密スケジュールのリサイタルをこなすその体力に皆が一様に驚嘆していたそうで、 ルービンシュタインは聴衆の前でピアノを弾くことを心の底から楽しんでいました。「演奏会を開くのがどんなにつらい仕事か」と誰かが口にしたとき、「演奏会を開くことは仕事ではありませんね。それは喜びですよ。ピアノに向かって座り、美しい音楽を弾く。これほど楽しいことが他にありますか?」とルービンシュタインはきっぱりと言ったそうです。ルービンシュタインは怠惰を勤勉に置き換えることによって、現存のもっとも賞賛される芸術家となった。「怠惰」から「勤勉」に切り替わるきっかけとなったのがアニエラ・ムリナルスカとの素晴らしい出会い、結婚、 そして幸福な家庭に恵まれたことでした。そして多くの聴衆の心をつかみ、世界中の多くの人たちとの交流を大切にし、彼らを愛しました。そして聴衆は皆、ルービンシュタインを愛していました。当時73歳のルービンシュタインが、ロンドンで〈モーツァルトのピアノ協奏曲第17、20、23番〉を録音した時のこと。ルービンシュタインは、彼の弾く全ての音が自分の聴衆に聴こえなくてはならない、とカルショーに何度も言っていた。カルショーにはその意味がよくわからなかったが、セッションが始まるとすぐに理解した。初めから終わりまで、情け容赦もないほど強大にピアノを響かせたい、ということだと。ルービンシュタインが指名した指揮者のクリップスは、ルービンシュタインの要望どおり、オーケストラの音をできるだけ小さくして演奏し、ルービンシュタインは逆に雷鳴のごとくピアノが響くように大きな音量で弾いた。バランスエンジニアは対応不可能。その頃はピアノとオーケストラを2つのトラックに直接録音していたので、バランス調整ができなかったのだ。この録音セッションを委託したRCAも、このルービンシュタインのフォルティシモへの情熱に耐えてきたらしく、この録音を聴いた結果、モーツァルトの協奏曲を発売するより費用を無駄にすることを選ぶ、とカルショーに伝えてきた。実際に、その録音は公開されていない。
「僕がルービンシュタインを何故嫌いかというと姿勢が良いわけ。」ということは上半身の力が全部鍵盤にかかるわけ。すると、もう割れんばかりの強い音が出るけれども、汚い音になる ― 坂本龍一がグレン・グールドの演奏から聴こえ出るピアノの音と姿勢の関係を語るところで、引き合いに出されている。20世紀のアメリカが求めたショーマンシップもシンボリックすぎるほど見事だった世紀の巨匠、アルトゥール・ルービンシュタイン。1935年の初来日の後、 2度目に彼がやって来たのは1966年6月、すでに79歳の高齢であったが、その舞台のなんという素晴らしさだったことだろう。演奏も舞台姿も円熟の極み、風格豊かで一切の無駄と虚飾を取り去った音楽の本質がそこにあった。しかも、どんなに枯れていても若い頃の道楽者には艶福の名残りがあった。「私は40歳までは女ばっかりだった」とルービンシュタインは指揮者の岩城宏之に語ったそうだが、まあ話半分としても求道者よりはプレイボーイ的な演奏であることは確かだ。しかし、そうした遊びを芸の肥やしにして壮年から老年にかけてのルービンシュタインの深まり方は只事でなく、ほとんど奇蹟のような出来事であった。SP時代はもちろんだがモノーラル時代、そしてステレオ時代に入ってからも、その初期の頃のルービンシュタインには大味なイメージが強い。そんなアメリカの外面的なヴィルトゥオーゾが、70歳代も半ばを超えてから急速に円熟への道を歩み始めた。若い頃は放蕩と道楽の限りを尽くし、60歳代に至るまで効果を狙うだけのピアノを弾いていた最も人間臭い人間ルービンシュタインが、やっとその脂ぎった演奏に抑制を効かせ過度に華やかだったタッチを是正した結果が、ピアノを弾くのが楽しくてたまらない。という風情で、まさに人生の達人の姿がそこにあった。いかなる激しい演奏場面においても背骨がピンと伸びきって、身体のあらゆる部分に無駄な動きが全くないのには驚かされる。そんなルービンシュタインの演奏にはいやらしさが寸毫も感じられない。それは歌舞伎の名優が舞台上で大見得を切っても、演技が少しも下品にならないのと似ている。華のあるステージであり、華麗な音楽創りをしているのに思わせ振りがない。1世紀に一人か二人しか出現しない、この人はまことに「大名人」としか表現しようのない音楽家であった。しかも、世紀の巨匠は人懐っこい人柄であった。怪人プロデューサーの自宅アパートで深夜、部下の事業部長が打ち合わせをやっていたら、ガサゴソと音がして食堂の大型冷蔵庫の扉が開いた。手に何か食べ物と飲み物を抱えてベッドルームへ去ろうとしている小柄な男がいた。斯くも「大名人」は気兼ねない人物だった。
グァルネリ弦楽四重奏団のメンバーはアーノルド・シュタインハルト(第1ヴァイオリン)、ジョン・ダレイ(第2ヴァイオリン)、マイケル・トゥリー(ヴィオラ)、デヴィット・ソイヤー(チェロ)。収録曲はブラームスのピアノ四重奏曲第1番ト短調 Op.25、第2番イ長調 Op.26、第3番ハ短調 Op.60。2枚目はシューマンのピアノ五重奏曲変ホ長調 Op.44。1966年12月録音。
GB RCA SER5628-30 ルービンシュタイン&グァ…
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