モントゥー唯一の録音 ― 豊かな響きに支えられた、壮大かつ凝縮力のある演奏。 ― フィンランドの国民的大作曲家シベリウスは、7曲の番号付きの交響曲を残していますが、最もポピュラーなのがこの第2番。北欧の森と湖の自然を思わせる抒情性とロマンティックな情熱に満ちた名作です。シベリウスの《交響曲第2番ニ長調 作品43》はフランス生まれの大指揮者ピエール・モントゥーが残した唯一のシベリウス録音として知られる、洗練の中にもぬくもりを忘れない格調高い演奏で、モントゥーを語る上では欠かせない晩年に遺した名盤の一つ。イギリスには以前よりシベリウスの演奏史が多くあるため、シベリウスが活躍したフィンランドに限らず北欧以外のヨーロッパにおいてはオーケストラにとっても十分親和性の高い曲であり、晩年のモントゥーにとってレアな曲とは言え慈しみのある解釈はステレオ初期においても名盤と評価されていました。また、1963年の第6回大阪国際フェスティヴァルでの来日時に、「エニグマ変奏曲」と共に日本で演奏されたことでも広く知られています。モントゥーの指揮は冒頭から引きつけるものがある。一言で表現すれば〝大人の風格〟か、明快さ、明朗な演奏。若手のやる気満々の指揮者のような情熱の発散ぶりに驚きを禁じ得ません。メカニックな響きはどこにもなく、細部を緻密に掘り下げるのではなく、全体の曲の雰囲気作りと大きな有機的なフレージングを信条とした演奏は、今聴いても新鮮です。曖昧な部分がなく、それでいてスケールは極めて大きい。テンポにもフレージングにもまったく無理がなく、表情はさりげないのに味わいがあって滋味豊か。モントゥーは、ブルーノ・ワルターと同じで70歳を過ぎてから益々意気盛んといった感じの人物者。健康的な快速テンポはこの老人の何処に潜んでいるのだろうか、微妙なニュアンスの豊かさ、スポーツ的にとどまらない陶酔感、推進力を裏付ける音楽性 … 。晩年残された録音は全て傾聴に値するといいたくなるほどの名演揃いで、加えて、最晩年になってもあまり衰えることの無かった気力・体力にも恵まれた所為か、ステレオ録音にも素晴らしい演奏がたくさん残されている。何かと共通点の多いワルターとモントゥー、永遠に其の名を刻む大家と言えよう。若いが年寄りめいた指揮者が多い昨今、モントゥーのような指揮者が現れる事希求します。しかし思うにモントゥーというマエストロは、「春の祭典」のセンセーショナルな初演等々近代音楽で名を馳せましたが、晩年に近づくにベートーヴェンやブラームスなどの古典モノに傾倒した指揮者ですね。同時期のドヴォルザークの交響曲第7番も唯一の録音。響きの豊かさでもさることながら、気品がありながらも高揚する場面も随所に備えた、まさにこの曲を味わうには最適の盤です。当時まだ第7番はそれほど録音される機会は少なかった作品であり、どちらかと言うと有名な第8番や第9番と多少異なり、民族色を前面に出した解釈が多い曲でしたが、いち早く曲の魅力をグローバルに打ち出したモントゥーの指揮は出色でした。現在では英デッカ・レーベルで聴くことが出来るが、初発はRCA LIVING STEREO レーベルからリリースされた。録音場所はキングスウェイ・ホールで音質は低域は厚くないが明確で良好。もちろん本盤は欧州セッションですから、蜜月関係にあった英デッカチームのミシャエル・プレムナー、エンジニアは大御所ケネス・ウィルキンソンが担当した録音だ。
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北欧の街には足を踏み入れたことがない。オーロラの風景、あるいは白夜 … 、興味をそそられる自然の大いなる力。いずれ旅してシベリウスやグリーグなど大作曲家の墓などを詣で、かの地の自然と芸術に触れてみたいと常々思う。久しぶりにシベリウスの、それも最も有名とされる第2交響曲をパーヴォ・ベルグルンドがヨーロッパ室内管弦楽団と録音したレコードで聴こうと棚を探ったら … 、出てきた。ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団録音盤。確かにあるはずなのにいつだったか探しても見つからなかったレコードを偶然見つけた。RCAのレコードは、LIVING STEREOのカバー表紙は、CDでも馴染んでいる。それでもレコードの表紙はどこか違っている。それでイメージが結びつかなかったのか。日曜日の例会のあとで、ナタン・ミルシテインの録音は正規のキャピトル盤はモノラルしかなく、モノラル・マスターをステレオにしたCDマスターを使っているが、正真正銘のステレオ録音が通販専門レーベルで聞くことができる。という話をしていた。本盤も、RCAで発売されていながら現在では音源を持つデッカがCDにしている。この交響曲は一歩間違えるとロマンティックなメロディに浸りきりの自己陶酔になるのだが、さすがにピエール・モントゥー。あくまで品を失わず、すっきりと仕上げている。シベリウスとはまったく違った解釈の、いかにも大時代的な印象を与える音楽だが、耳を澄ませば〝大自然の音〟がそこかしこに聴きとれ、シベリウスが望んでいた音はこういうものだったんじゃなかろうかと思える。ベルグルンドはフィンランドの指揮者。3度の交響曲全集を完成させるなどシベリウスのスペシャリストとして世界的に有名。その他、協奏曲や管弦楽曲の録音もかなりの数にのぼりますから、名実ともにシベリウス最多録音記録保持者として、シベリウス・ファンにはまさに表彰状ものの指揮者です。ベルグルンドはまた、シベリウス研究者としても著名な存在で、自らの校訂譜による細密なアプローチには以前から定評があります。演奏は、細部まで徹底してベルグルンド色に染め上げられた凄いもので、ピンと張り詰めた透明なテクスチュアと、個性的なフレージングの組み合わせがおもしろいことこの上なし。かなり強引な改変と写る箇所でも、シベリウスらしさがまったく損なわれていないのは、長年の蓄積の賜物といったところでしょうか。ともすると後期ロマン派的に響きかねない第1番と第2番でも、ベルグルンドの演奏は通常のアプローチとは大きく異なる様相をみせ、鋭利に研ぎ澄まされた感覚が随所に民族的な響きを刻印させていて新鮮な驚きを連続で味わわせてくれます。それでもベルグルンドの解釈は、このモントゥーの演奏に比較すると、都会的センスの少々洗練された、というよりいかにもソフィスティケートされ過ぎたきらいがなくもない。本盤演奏には人間臭い中に自然が合わせて感じられ、そこが宇宙とつながってゆく … 、それでいて美しく感動的。晩年のモントゥーは、いかにも悟っているようだ。そうそう、この感覚を探していたんだ。ようやく渇きが癒される。
1958年6月18〜20日ロンドン、キングスウェイ・ホールでのモノラル&ステレオ録音
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