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《春休みに鑑賞しておきたい名曲》

各曲の個性を鮮やかに弾き分けたグリュミオーの名盤。

ヒューマンな心の歌を奏でるのをモットーとしていたグリュミオーには珍しいレパートリー。グリュミオーの柔軟な表現が作品に新たな光を投げかけています。

ヴァイオリンの艶やかな美しさと端正でエレガントなスタイルで人気を博した名手アルテュール・グリュミオー。グリュミオーは、あらゆるジャンルにわたってヴァイオリン作品を幅広く演奏・録音した。そのレパートリーは、バッハやヴィヴァルディといったバロック音楽の作曲家をはじめとして、モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスといった古典派やロマン派の協奏曲やソナタ、ヴィオッティの協奏曲、パガニーニの超絶技巧協奏曲やその他協奏作品、フランクやフォーレのソナタといった近代以降の定番や、ヴュータンのようなお国ものに加えて、ベルクやストラヴィンスキーのような20世紀の音楽までに及んでいる。ヒューマンな心の歌を奏でるのをモットーとしていたグリュミオーのレパートリーには珍しい20世紀の作曲家の作品2作をおさめた貴重な録音です。ストラヴィンスキーの音楽は常に革新的であると同時に新古典主義にみられるように過去の音楽に、その本流を探り、また12音技法の導入とジャズヘの関心という新しいものの弛まぬ摂取欲、そして作品の独創的な楽器編成、響きの不調和および独特なリズムへの関心は今までの音楽の殻を破るものであった。12音技法の中に深い抒情をたたえたベルクと、晴れやかで乾いたストラヴィンスキーとの描き分けが見事なグリュミオーの名盤。特に、グリュミオーのヴィブラートはヴァイオリンの演奏史上最も美しいと称される。いずれの曲目においても、グリュミオー独特のヴァイオリンの艶やかな音色と、瑞々しいまでの抒情性が抜きん出ており、同時に気高い品格を感じさせるのがグリュミオーの演奏様式の特色である。グリュミオーの柔軟な表現が作品に新たな光を投げかけています。ピカソのように曲のスタイルを変えるとまで言われたストラヴィンスキーのイタリア趣味が表現された協奏曲で、グリュミオーは一人称で対応する。メロディやパッセージが表情を変えようとも演奏する主体は「私」である。これはバッハやラロのスペイン交響曲でも同様だった。1935年8月11日に完成されたアルバン・ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》には、「ある天使の思い出に」(Dem Andenken eines Engels)の献辞が付されている。この「天使」とは誰のことか、親しくしていたマーラーの娘マノンが19歳の若さで急死した訃報を聞いたベルクが一気に書き上げたとか、虫刺されから敗血症を起こしたベルクは、この作品が自分自身へのレクイエムになるであろうと予測していた通り、その年のクリスマスに急逝、というところに興味惹かれて聴いた最初が、グリュミオー盤だったのが運悪かった。その「私」を押し出した美しいヴァイオリン演奏に、その後「作曲家」のスコアにそった演奏が味気ないものに思えたままいる。そんな思いが長く続いていて、ベルクのヴァイオリン協奏曲を聴きたかったら、このレコードは危険ですと商品ポップに書いたら叱られた。もっぱらストラヴィンスキーの《ヴァイオリン協奏曲》演奏を比較する時のリファレンスとして、長く付き合うことになったレコードです。

カメレオン作曲家、ストラヴィンスキー。

イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキーは、ペテルブルグ近郊のオラニエンバウムで三男として生まれた。父フョードルは、ペテルブルクのマリインスキー劇場で26年も務めた有名な主役バス歌手であった。家には図書館並みの20万冊もの蔵書があった。大学でニコライ・リムスキー=コルサコフの息子と知り合い、20歳の時リムスキ=コルサコフに作曲を学ぶ機縁となった。両親は息子を音楽家にするつもりはなく、このまま1905年卒業まで法律を一応学んだが1902年末に父が亡くなり、この時すでに作曲家になる決心をしていた。ストラヴィンスキーの音楽の特徴は、西欧とは異なったビザンツ系の文化形態にあったロシアの音楽に端を発すると思われる。1908年、自作曲『スケルツォ・ファンタスティック』と『花火』を初演すると、ロシア=バレエ界に君臨したディアギレフに見出されバレエ音楽『火の鳥』(1910)、『ペトルーシュカ』(1911)を次々に作曲しパリで初演し、その名を不動のものとした。その生涯は実に旅行による一生といってよくヨーロッパの多くの国に滞在し、それぞれの地で多くの作品を生んでいる。ストラヴィンスキーの旋律、和声、リズムは独特といえ、対位法を持たない彼の音楽が管弦楽法の楽器の使い方で特徴づけられていく。第一次世界大戦勃発とともにフランスに住み、初期の表現主義、原始主義的作風から新古典主義に移っていく。

新古典主義時代の作品。

ストラヴィンスキーの新古典主義作品をあらためて聴いてみると、ラヴェル、ミヨー、プーランクあたりの新古典主義とは随分趣が違うように感じる。かなり新鮮に聴こえるものです。ストラヴィンスキーが1931年に作曲した、この《ヴァイオリン協奏曲》は、非常に変わったスタイルを持っています。ストラヴィンスキーの説明によると、バロック音楽に敬意を払って作曲したということですが、果たして、これはどうだか。かなり怪しく、胡散臭い。でも、この胡散臭さが、この作品の魅力になっています。全3楽章の構成であるが第2楽章のアリアを2つに分けることがあるため、「トッカータ」、「アリアⅠ」、「アリアⅡ」、「カプリッチョ」の4楽章構成。この構成を見ても判る通り古典的な協奏曲とは違う、上辺は古典曲の殻をかぶせてあるものの、その中身はまったくの現代音楽になっているというディヴェルティメント風で滅法楽しい。おそらく、この手の作品には古今の様々な作品のオマージュやらパロディが隠されているような気がしてなりませんが、「アリア」冒頭のヴァイオリンの和音はワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」第2幕冒頭の引用かと思われますし、終楽章はバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番を連想させます。まるで、おにぎりを食べたのに、その具は生ウニだったみたいな感覚。多くの現代音楽とストラヴィンスキーの代表作品、さらにヴァイオリン協奏曲の歴史を知っていれば知っているほど面白く聴くことができる曲です。バロック音楽から借りてきたスタイルということなんでしょうが、ヴィヴァルディとも良く似たところがある。ストラヴィンスキーの場合、ソロ・ヴァイオリンの動きを阻害するパートは一切削除されており、簡潔なオーケストレーションが施されておりヴァイオリンの動きが良くわかる。それでいて、音色のパレットは非常に豊富です。ヴァイオリンと他の楽器1種類をパートナーに、刻々と進行されていくオーケストレーションの工夫。これがまた舞踏会でパートナーを変えていくという風でもあり、他の作曲家から借用して来たメロディーが原曲が何か気が付かないで通りすぎるほどにストラヴィンスキー流にアレンジされて登場する。果ては自作の火の鳥の有名な旋律がちらりと出てくる、どこからどこまでが本物で、どこからどこまでが偽物なのか、こうした聴き方というのも面白いものです。古典をベースに独自の視点で洗練していく、そこをストラヴィンスキーは新古典主義の目標に見据えていたのでしょう。

ウィーン音楽の伝統を20世紀に継承・発展させた。

アルバン・マリア・ヨハネス・ベルク(Alban Maria Johannes Berg, 1885.2.9〜1935.12.24)は新ウィーン楽派の一員として、アルノルト・シェーンベルク、アントン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヴェーベルンと共に活躍したオーストリアの作曲家。師のシェーンベルクのもと、ヴェーベルンが未来を志向したと言われるのに対し、ベルクは過去と密接に繋がって無調や十二音の作品でさえ後期ロマン派的で濃密な気配を感じさせたのがポイント。裕福な商人の家庭に生まれたベルクは最初、文学や演劇に関心を持った少年でしたが、15歳から独学で作曲の勉強を開始し、歌曲などを書いています。この頃、恋愛事件によって自殺未遂まで追い詰められるなど、きわめて多感だったベルクでしたがシェーンベルクとの出会いによって、作曲家として身を立てることを決意したのも同じ頃のことでした。彼がシェーンベルクに師事したのは1904年から1910年までのことで、その間、ピアノ・ソナタ作品1や、4つの歌曲作品2、弦楽四重奏曲作品3を作曲しています。1911年には、オペラ歌手志望のヘレーネ・ナホヴスキーと結婚。翌年には《アルテンベルク歌曲集》を完成し、同作品は1913年3月31日にシェーンベルクの指揮によって演奏された際、大騒ぎを巻き起こし遂には警察沙汰にまでなるという反響を呼びました。シェーンベルクに批判されたベルクは、それに応えるため師の指示通りにオーケストラのための小品を書きます。が、実際の作品は小品とは名ばかりの強烈な作品となり、マーラー風の音楽をシェーンベルク的な語法で要約したかのような印象的な作品となりました。ちなみに同作品には、マーラーが第6交響曲で用いた「ハンマー打撃」の手法が用いられているのも興味深いところです。

親しかった少女への追悼であると同時に、ベルク自身へのレクイエム曲。

ベルク最後の作品となった「ヴァイオリン協奏曲」。昭和10年に完成した、この曲は20世紀クラシック音楽を代表するヴァイオリン協奏曲の名曲。第2次世界大戦が苛烈になり、数多い悲劇を起こし始めた頃に作曲された。新ウィーン楽派の一員として、シェーンベルク、ヴェーベルンと共に活躍したオーストリアの作曲家、アルバン・マリア・ヨハネス・ベルク(1885.2.9〜1935.12.24)は、裕福な商人の家庭に生まれた、文学や演劇に関心を持った少年でしたが、15歳から独学で作曲の勉強を開始し、歌曲などを書いています。この頃、恋愛事件によって自殺未遂まで追い詰められるなど、きわめて多感だったベルクでしたが、シェーンベルクとの出会いによって、作曲家として身を立てることを決意したのも同じ頃のことでした。師のシェーンベルクのもと、ヴェーベルンが未来を志向したと言われるのに対し、ベルクは過去と密接に繋がって、無調や十二音の作品でさえ後期ロマン派的で濃密な気配を感じさせたのがポイント。マーラー風の音楽をシェーンベルク的な語法で要約したかのような印象的な作品となりました。代表作のひとつであるヴァイオリン協奏曲には「ある天使の思い出に」(Dem Andenken eines Engels)の献辞が付されている。この曲は、ヴァイオリニストのルイス・クラスナーによって依嘱されたものですが ― ベルクはヴァイオリンの曲は十分に書いたと考えていたし、何より、「ルル」というオペラの作曲中だった為その依頼を受けるかどうか迷った。当時ベルクは、ナチス政権の締め付けによって経済的な問題をかかえていた。しかし、クライナーの提示した報酬が1,500ドルと高額だったため、引き受けることに決めたとも伝わっている。
ベルクがヴァイオリン協奏曲の構想を練り始めて間もない頃、アルマ・マーラー(作曲家マーラー未亡人)がヴァルター・グロピウスともうけた娘マノン・グロピウスが小児麻痺で急逝したことを聞く。たった18歳の若さであった。マノンを大変かわいがっていたベルクにとって、彼女の死は辛いものだった。

調性音楽の残滓ざんし ― ヴァイオリン協奏曲「ある天使の想い出に」》

バロック音楽時代後期に、ヴィヴァルディが創始した急緩急の3楽章構成の独奏協奏曲concerto soloが習慣だった伝統を破り、この協奏曲は2楽章構成で成り立っている。宇宙の始まりような密やかな序奏で始まり、ヴァイオリンのソロは純粋無垢、穢れをしらないマノンを象徴しているようである。優雅に、愛らしく、マノンの姿を描きながら曲は進み、ウィーンのワルツ風の音楽が現れる。遠くでは、オーストリアのケルンテン州という地方思わせるように、とベルクが楽譜の中に記述している民謡「スモモの木で一羽の鳥が」(Ein Vogel auf'm Zwetschenbaum)が聞こえている。ケルンテンはベルクとマノンが初めて出会った場所なのだ。羽が生えてふわふわ飛翔するようなフレーズが幻想的なのだが、ヴァイオリン・ソロとオーケストラがバラバラに存在しているように、旋律らしいものは浮かんでは、沈みを繰り返すばかり。

この曲を支配する12音技法の手法所以ですが、熊本地震を体験して改めて聞くこのレコードは愛着を深めさせるものになった。12音音楽はもともと調性の束縛から逃れるためのものであったのにも関わらず、アルバン・ベルクがこの曲で提示している12音音列は、長調と短調、そして全音音階をミックスさせた、あえて調性音楽の残滓を残すものだ。それが、この曲が12音音楽でありつつも、私たちに親しみを感じさせ、何度も再演されるような人気の曲にした理由の1つではないかと思う。初めて聴いた時から、心地よさを説明できないものでしたが、災害や病気の悲しみより、先のはっきりしない不安が曲を聴いた時の感銘を違える曲ではないか。

なおも無邪気にワルツを踊ろうとするマノンを病魔がとうとう捉えると、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータ第60番「おお永遠よ、汝雷の言葉よ」(O Ewigkeit, du Donnerwort)にも使われていたので、ベルクはこれがバッハの作品だと思っていたコラール(第5曲)が厳かに美しく奏でられる。バッハのカンタータのなかでも受難曲に近い独創性を感じさせる、マタイによる福音書第9章18~26節 「会堂司の娘がイエスによって生き返る」という場面です。このフランツ・ヨアヒム・ブルマイスターによるコラールの歌詞は、ベルクの楽譜にも書き込まれている。「もう十分です。主よ、どうか私に休息を与えてください。私のイエス様がいらっしゃる、この世界よ、さようなら、苦しみはこの世に残して心やすらかに、私は天国へと旅立ちます。もう十分です。」遠くから再び、ケルンテンの懐かしい歌のメロディーが聞こえてくる。すると穏やかに、この世の思い出を馳せるように。「もう十分ですEs ist genug」と、ヴァイオリンで一段と高く、今一度そう呟かれると、よろよろと音は降下し、ぷつり、と不自然に途切れ終わる。

この協奏曲を「ある天使の想い出にDem Andenken eines Engels」と題して親しかった少女の死を悼んだレクイエムであると同時に、自らの死を予感した自伝的作品にもなった。何より、「ルル」というオペラの作曲続行を中断してまで書き終えた。その結果、作曲直後にベルク自身も亡くなり、これがベルクの最後の作品となり、したがって作曲中だった「ルル」は未完に終わった。

一貫して美しい音色と完璧なイントネーション。

アルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux, 1921.3.21〜1986.10.16)はベルギーのヴァイオリニスト。ヴィレール・ペルワン(Villers-Perwin, ワロン地域のエノー州)で生まれた。労働者階級の出身だが、祖父の奨めにより4歳でヴァイオリンを学び、6歳でシャルルロワ音楽院に入り、11歳になるまでにシャルルロワ音楽学校のヴァイオリン科とピアノ科の両方で首席をとった。1933年ブリュッセル音楽院に進み、名教師アルフレッド・デュボワに師事。デュボアはウジューヌ・イザイの弟子にあたり、グリュミオーはまさにベルギーのヴァイオリン演奏伝統を一身に受け継いだ訳です。1949年にはグリュミオー自身も、そのブリュッセル王立音楽院のヴァイオリン科で教鞭を執った。パリに留学してジョルジュ・エネスコに入門もして、早くからその才能は認められました。第2次世界大戦中は、ナチス・ドイツ占領下のベルギーで室内楽の演奏旅行を行なった。戦後になってからソリストとしての名声がうなぎ上りとなり、とりわけルーマニア王国出身のピアニストのクララ・ハスキル(Clara Haskil, 1895.1.7〜1960.12.7)をパートナーに迎えて行なった演奏活動は「黄金のデュオ」と評された。その美しい音色と華やかで流麗な芸風は〝ジャック・ティボーの再来〟と言われ、実演に、LPレコードに活躍しました。1953年に開始されたグリュミオーのフィリップスへの録音は、折しもレコードは78回転SP盤に代わるLPという新しい再生メディアの黎明期であり、録音再生技術の向上とともにより鮮明な再生音を家庭で手軽に味わうことが出来るようになった時代。グリュミオーの洗練された演奏は、繊細な音色までをも細かく収録することのできるこの新しいメディアの、そして戦後の新興レコード会社の一つ、フィリップス・レーベルの象徴ともなったのです。1960年にハスキルが急死してからは、一個人としても演奏家としても虚脱感に見舞われている。1961年には来日も果たしています。グリュミオーは音楽界への貢献が認められ、1973年に国王ボードゥアン1世により男爵に叙爵された。その後も持病の糖尿病に苦しめられながらヴァイオリンの指導を続けたが、1986年に心臓発作によりブリュッセルにて他界した。1727年製の愛器ストラディヴァリ《エクス=ジェネラル・デュポン(“Ex-General Dupont”)》を駆使したグリュミオーの美音は、まさにモーツァルトには打ってつけで、この作品群の最高至福の演奏が聴ける。ヴァイオリンはほかに、グァルネリ・デル・ジェス:1744年製「Rose」。ストラディヴァリウス:1715年製「ティティアン(”Titian”)」も所有。ジャン=バティスト・ヴィヨーム:1866年製は「エクス=グリュミオー」として知られ、現在はジェニファー・コウが所有している。肩当ては、ドイツのGEWA社のModell ll を使用していた。

上品なイメージがある、オランダ・フィリップス盤。

ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、オランダ・フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から1960年にかけてのレコードには、本盤も含め米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。


  • Record Karte
    • アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、イーゴリ・マルケヴィッチ(ベルク)、エルネスト・ブール(ストラヴィンスキー)指揮。
    • 1967年1月(ベルク)、1966年12月(ストラヴィンスキー)アムステルダム、コンセルトヘボウでのステレオ録音。

CDはアマゾンで

Stravinsky, Berg, Tchaikovsky: Violin Concertos
Arthur Grumiaux
Eloquence Australia
2010-03-16


Philips Recordings 1955-1978
Grumiaux, Arthur
Philips
2007-01-09


Baroque Violin Sonatas
Castagnone
Eloquence
2007-10-23



Arthur Grumiaux: Mozart Recordings
Arthur Grumiaux
Decca
2015-05-28


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