34-7285
商品番号 34-7285

通販レコード→英プラム"Minigroove 33 1/3"銀文字盤
傑作の森― ストラヴィンスキーは、ペテルブルグ近郊のオラニエンバウムで三男として生まれた。父フョードルは、ペテルブルクのマリインスキー劇場で26年も務めた有名な主役バス歌手であった。家には図書館並みの20万冊もの蔵書があった。大学でリムスキー=コルサコフの息子と知り合い、20歳の時リムスキ=コルサコフに作曲を学ぶ機縁となった。両親は息子を音楽家にするつもりはなく、このまま1905年卒業まで法律を一応学んだが1902年末に父が亡くなり、この時すでに作曲家になる決心をしていた。ストラヴィンスキーの音楽の特徴は、西欧とは異なったビザンツ系の文化形態にあったロシアの音楽に端を発すると思われる。1908年、自作曲『スケルツォ・ファンタスティック』と『花火』を初演すると、ロシア=バレエ界に君臨したディアギレフに見出されバレエ音楽『火の鳥』(1910)、『ペトルーシュカ』(1911)を次々に作曲しパリで初演し、その名を不動のものとした。その生涯は実に旅行による一生といってよくヨーロッパの多くの国に滞在し、それぞれの地で多くの作品を生んでいる。ストラヴィンスキーの旋律、和声、リズムは独特といえ、対位法を持たない彼の音楽が管弦楽法の楽器の使い方で特徴づけられていく。第一次世界大戦勃発とともにフランスに住み、初期の表現主義、原始主義的作風から新古典主義に移っていく。第二次世界大戦を前にアメリカに渡りハリウッドに定住、戦後の作風は創作上の新しい書法となった。シェーンベルクの死後12音技法をも取り入れ、それまで否定的であったセリー音楽を取り入れて、新たな創作の可能性を開く。振付家バランシンと組んだ都会的なニューヨークの摩天楼が似合う、クールでしかもいくらかスノビッシュなところもあるニューヨーカー達のための音楽という気がしてならないバレエ音楽『アゴン』(1957)を初め、『エレミアの哀歌による「トレニ」』などを作曲。その晩年にかけては『レクイエム・カンティクルス』(1966)など古典的宗教音楽を多く作曲し1969年にニューヨークに転居、その後1971年春に89歳で没する。彼の音楽は常に革新的であると同時に新古典主義にみられるように過去の音楽に、その本流を探り、また12音技法の導入とジャズヘの関心という新しいものの弛まぬ摂取欲、そして作品の独創的な楽器編成、響きの不調和および独特なリズムへの関心は今までの音楽の殻を破るものであった。ストラヴィンスキー最晩年の「傑作の森」。セリー主義の宗教音楽である。初演時に「春の祭典」ばりのスキャンダルを巻き起こしたとの事。確かにインパクトは強かったろう。正直なところ一般的なクラシック音楽の愛好家からすれば、これほど敷居の高い作品群もないような気もします。1959年作曲のセリー音楽でとっつきにくそうだが、バッハの晩年の作品を思わせる複雑な書法が続く部分は素晴らしい。この長大な作品は、ちょっとやそっと聴いたぐらいでは「判った」という気にならないのですが無調だの十二音技法だのを忘れれば、今やニュースや映画音楽やCMなどに満ち満ちている音楽の一つの源流。1970年代のプログレで鍛えられ耳慣れた私達には心地よい音楽。ストラヴィンスキーはロックに直結した作曲家だったといえるのかもしれない。また彼の初期の有名なバレエ音楽3部作の改訂を何度も行った理由がおもしろい。そのままではアメリカに住む彼の元に著作権料が入ってこないからであったという。そうした経済観念や世界を飛び回って情報通でもあり、音楽家離れした感覚をもっていたストラヴィンスキーは現在の商業音楽業界のプロデュース的感覚にも通じる才能をも持ち併せていたのは確かだ。
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20世紀最大の作曲家、イーゴル・ストラヴィンスキー(1882〜1971)の自作自演録音はストラヴィンスキーが1939年にアメリカに定住したことを知ったコロンビア・レコードが、その威信をかけ30年間に亘って制作し続けた。ストラヴィンスキーは後期ロマン派からセリー(十二音技法)主義まで多彩な作風の変遷を経ながら数多くの作品を残していますが、彼は同時に卓越した指揮者・ピアニストでもあり最晩年を除き、生涯にわたって自作を中心に演奏家としての活動も行なっていました。録音にも早くから関わり、既にSP時代の1928年から仏コロンビアに指揮者・ピアニストとしての演奏を残しています。コロンビア・レコードのA&Rプロデューサー、ゴッダード・リーバーソンは、もともと作曲家でもありストラヴィンスキーによる自作自演の録音プロジェクト「ストラヴィンスキー・コンダクツ・ストラヴィンスキー」を企画し、翌1940年から始動させます。戦後になり録音技術の進歩とともに、モノラル~ステレオと、より鮮明な音質での収録が行なわれるようになると、リーバーソンは1956年にコロンビア・レコードの社長に就任し、その肝いりでプロジェクトは進められ、希代の作曲家も89歳という長寿に恵まれたため、最終的にストラヴィンスキーの主要作品を、ほぼ全て網羅することになりました。特にステレオ時代になってからはブルーノ・ワルターのプロデューサーとして知られるジョン・マックルーアがプロデュースを担当し、コロンビアの誇る「360サウンド」で捉えられたワイド・レンジの鮮烈なサウンドは作品の魅力を余すところなく伝えています。ストラヴィンスキーによる指揮は余分な誇張なしに書かれた音符をそのまま辿るというのがモットーで、それによって作品の本質がくっきりと浮かびあがってくるのが特徴です。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはハスキルやグリュミオー、カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
「トレニ(預言者エレミアの哀歌)」は1959年1月5、6日、ベサニー・ビアズレー(ソプラノ)、ベアトリス・クレブス(アルト)、ウィリアム・ルイス(テノール)、ジェームス・ウェイナー(テノール)、マック・モーガン(バリトン)、ロバート・オリヴァー(バス)、ザ・スコラ・カントールム(合唱指揮:ヒュー・ロス)、コロンビア交響楽団。バレエ音楽「アゴン」は1957年6月18日、ロサンゼルス祝祭交響楽団とのステレオ録音。
GB PHIL ABL3329 ストラヴィンスキー 哀歌-預言者エレ…
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