34-22289

商品番号 34-22289

通販レコード→英プラム銀文字 Minigroove盤

気品、高貴、透明度、落ち着き、さりげなさ。 ― ハスキルってみんなが騒ぐほど凄いピアニストなの?って問う人がいます。とても、正直な言葉だと思います。ウラディミール・ホロヴィッツのようなピアニストの凄さは誰にでもすぐに分かります。もちろん、それはとても凄いことなのですが、ハスキルはコンサートホールに詰めかけた聴衆を興奮の渦に巻き込むような名人芸とは全く縁のない人でした。クララ・ハスキルは、ピアニストについて語る時に忘れてはならない。1895年にルーマニアに生まれ、1960年に亡くなったが、生前ヨーロッパでの彼女の名声は非常に高かった。7歳の時ウィーンでデビューし、14歳でパリ音楽院を一等賞を得て卒業した経歴ばかりでなく、少女時代からガブリエル・フォーレ、アルフレッド・コルトー、フェルッチョ・ブゾーニに師事し、フォーレ、ウジェーヌ・イザイ、ジョルジェ・エネスコらの大音楽家との交友が彼女の芸術に多くの養分を与えたことは想像に難くない。若い頃の彼女の演奏会は気心の知れた仲間内でのサロンという風情のものが大部分でした。彼女に転機が訪れたのは1950年代以降でした。パブロ・カザルスやチャーリー・チャップリンとの交友などを通して彼女の演奏が世間に知られるようになります。そう言う意味では彼女のキャリアはほとんど50歳をこえてからのもでした。名指揮者のカルロ・マリア・ジュリーニがロンドンのロイヤル・フェスティヴァルホールに、ショパンのピアノ協奏曲第2番のリハーサルのため訪れた時のことです。まだ時間も早くだれ一人いないはずの舞台で、一心にピアノをさらっているピアニストがハスキルでした。彼が入ってきたことに立ち上がったこの小柄で、繊細すぎる精神のピアニストに対して、ジュリーニは「まず最初に何をしたらいいでしょう」と尋ねました。そこで、ハスキルは「では自分がまず全曲を弾くので、後で意見を言って下さい」と言ってショパンの協奏曲をオーケストラのパートまで全てを、最初から終わりまでピアニッシモで弾き通したのです。ジュリーニによると、ダイナミクス・レンジは狭いのだが、音楽に込められたあらゆる思い、情感が全て完璧に表現されていたそうで、それは正に奇跡のような体験だったと、後に「自分自身の音楽体験の中の最高の出来事」として述懐しています。レコードのレパートリーは極めて広く、スカルラッティからバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ショパンからデ・ファリャに及び、そのいづれにおいても彼女の演奏は作品に生き生きした情感を与えている。みんなが凄いと褒めている演奏家を「これはつまらない」とダメ出しをするのはとても難しいことです。とりわけモーツァルトの作品では、彼女の鮮やかしい、しかもまろやかなタッチが生み出す音色はニュアンスに富んでいて、モーツァルトの精妙なる明暗の変化を見事に再現している。そして何よりも彼女の解釈を貫いている自由な精神が、演奏に闊達な雰囲気を与え、この天衣無縫の音楽家の作品に相応しい伸びやかな気分と美しい流動感をもたらしている。全く何もしていないように見えるほどに淡々と演奏しているのに、聞き進んでいくうちにじんわりと涙がこぼれてくるような演奏をする人でした。ハスキルが友ディヌ・リパッティを始めとして多くの若いピアニストに大きな影響を与えたのも当然であろう。我々は残されたレコードで今は亡きハスキルの演奏を味わえることを幸福と思わないで入られない。パウル・ザッハーの伴奏は決して派手さはないが、落ちついたとても良い響きをウィーン交響楽団から引き出していて、序奏の部分だけで気分がよくなる。そして、そこに入ってくるハスキルのピアノの気品、高貴、透明度、落ち着き、さりげなさ。節度を持って喜悦の時間が続く。ハスキルの慎ましさや優美さを存分に味わうことができる。聴き終える頃には、すっかり心が落ちつく演奏なのである。
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クララ・ハスキルはルーマニアのブカレストの生まれだが、8歳になる以前にウィーンに移住していてルドルフ・ゼルキンと同じ師であるリヒャルト・ローベルトに学び、9歳の時にウィーンでデビューした。わずか10歳でモーツァルトの『ピアノ協奏曲第23番』をオーケストラと共演。11歳にはパリ音楽院でアルフレッド・コルトー、ガブリエル・フォーレに師事、後にフェルッチョ・ブゾーニに学んだというのだから、大音楽家たちに可愛がられた天才少女の当時の才能ぶりは余程すごかったのだろう。ハスキルの抜群の記憶力と音楽的才能を示すものとして6歳の時、モーツァルトの『ピアノ・ソナタ』の、ある楽章を人が弾いたのを一度聴いただけで楽譜も知らずに、そのまま弾いたという伝説が残されている。元来、身体が弱く4年間病床にあったが1921年に復帰、1927年からパリで活動を続けた。戦後、数々のレコーディングを行っていてモーツァルト弾きとして知られた。ネコ好きおばさん。モーツァルトを得意とする女流ピアニストは数多く、リリー・クラウス、イングリット・ヘブラー、マリア・ジョアン・ピレシュ、内田光子などがいるが、そのなかでもハスキルは特別な存在として尊敬されている。粒立ち良く、軽快で絶妙な右手のタッチから生み出されたモーツァルトの『ピアノ協奏曲』は特に絶品の演奏だった。彼女の演奏には独特のタッチと音色に特徴があるが残された録音を聴いた限り、使用している楽器もスタインウェイとは異なる独特の柔らかい響きを持つピアノを使用している。ハスキルはスタインウェイ・アーティストとしての記録もあるが録音での楽器は、おそらくベーゼンドルファーだろうか。ハスキルのモーツァルトの録音は『ピアノ・ソナタ』などの独奏曲よりも、ピアノ協奏曲の方が数多く残されている。ステレオ録音ではモーツァルトの『ピアノ協奏曲第20、24番』があり、マルケヴィッチの指揮とあいまって、晩年近いハスキルの名演として極めて高く評価されている。少女時代にも弾いたモーツァルトの『ピアノ協奏曲第23番』は控え目に始まる演奏だがハスキル独特の粒のようなタッチで全面的に覆われ終楽章は、そのタッチが跳躍する。他にも端正に弾かれたショパンの『ピアノ協奏曲第2番』もあるが、ベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ第17番、18番』やシューベルトの『ピアノ・ソナタ第21番』も得意としたレパートリーだった。
霊感に満ちた美しく感動的な演奏で今も人気の高い名ピアニスト、ハスキル(Clara Haskil, 1890〜1965)。音楽ファンに忘れがたい感動を与えた彼女の、詩情に満ちた気品あふれる比類ない、モーツァルトだと断言出来ます。チャーリー・チャップリンが生涯に会った天才として ― 自分は人生で3人の天才に会った。ウィンストン・チャーチル、アルベルト・アインシュタイン教授、クララ・ハスキルの3人である。正規の教育を受けた音楽家ではない私だがこれだけはいえる。彼女のタッチは絶妙で、表現は素晴らしく、テクニックは並外れていたと ― 指折った、そのハスキルは芸術・文化の中心パリでピアノを学びました。15歳でパリ音楽院を卒業した後、若くて美しい天才的なピアニストが華々しく活躍する様を想像しますが、実は闘病生活を虐げられていたということです。ハスキルは1913年(18歳)から1918年(23歳)まで、脊髄の病気のためフランス北部のベークで療養生活を送りました。その後パリに戻りますが、演奏会 において病気のために演奏が中断してしまうのではないかという恐怖に襲われてしまいます。病気との戦いは彼女の人生を大きく支配するものとなりました。病気に加えて第二次世界大戦はユダヤ人であるハスキルに過酷な運命をもたらしました。また、同じルーマニア出身のディヌ・リパッティとは深い友情に結ばれていたようです。しかし、そのリパッティの天才は若くして白血病に奪われてしまいました。というような彼女の生き様から、逃れられない運命に直面したときの人間の強さと孤独感を聞き取ることが出来ます。そして一方で限界に追い込まれたときの人間の本当の友情、優しさを感ずることも出来ます。戦後もスイスとオランダを拠点として、1950年を境に脚光を浴び始める。ヘルベルト・フォン・カラヤンを始めとする著名な指揮者や、またパブロ・カザルス、チャップリンとの交友にも恵まれ、フランスを始めとするヨーロッパ諸国での演奏活動も、熱狂的な聴衆に支持されるようになった。モノラル期及び初期ステレオ期の古い録音を通して、独特な「繊細で」かつ「愛らしい」ピアノ音楽を聴くことができます。そして敬虔ともいえるほどの彼女の音楽への関わりを感ずることができます。すべてセッションで行われているため、モノラル音源の場合でも聴きやすい水準にあり、ハスキルの美しいタッチを十分に味わうことができます。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはクララ・ハスキルやアルテュール・グリュミオー、パブロ・カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家が犇めき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から1960年にかけてのレコードには、米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
〝響きの美しさ〟よりもオーケストラの音の重量感としてのバランスが見事なのがハイファイ・ステレオ・ラベル ― この時代は名盤目白押しで、この頃の、フィリップス・トーンの特色といえば、しっかりとした彫りの深い直接音と少々控え加減の空間情報を豊富に持った間接音の見事なバランス感覚に魅力がある。多少の出費は覚悟して も、絶対にゲットすべきだ、と思う。後日、後悔することは、まずないといってよい。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。また、この頃のコンセルトヘボウ管弦楽団の音の美しさも絶品で、特にオーボエをはじめとする木管楽器の温かみのある音は、これ以降、ほかの ― コンセルトヘボウも含む ― どこのオーケストラからも聞くことは不可能である。その録音は〝響きの美しさ〟よりも、オーケストラの音の重量感に心惹かれる。ステレオ録音での最初のレーベルは、小豆色 ― 海外のディーラーは「マローン(栗色)」と呼ぶことが多い ― の地の色に大きな銀色の文字で 「HIFI-STEREO」と印刷されたレーベルである。これを多くのわが国のレコード・ファンは文字どおり「ハイファイ・ステレオ・ラベル」と呼んでいる。フィリップスは1982年10月21日コンパクト・ディスク・ソフトの発売を開始する。ヘルベルト・フォン・カラヤンとのCD発表の華々しいCD第1号はイ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディ作曲の協奏曲集「四季」 ― CD番号:410 001-2。1982年7月のデジタル録音。ちなみにCDプレスは当時の西ドイツのポリグラムのハノーファー工場 ― で、それに先立つ1979年11月12~13日に初のデジタル録音を、アムステルダムにて行ったのがサー・コリン・デイヴィス指揮によるロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による演奏で、ムソルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)と「はげ山の一夜」(ニコライ・リムスキー=コルサコフ編曲)だった。
  • Record Karte
  • ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 K.271《ジュノーム》ウィーン交響楽団、パウル・ザッハー(指揮)、1954年10月モノラル録音。 《ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調 K.386》ウィーン交響楽団、ベルンハルト・パウムガルトナー(指揮)、1954年10月モノラル録音。
  • GB PHIL ABL3143 クララ・ハスキル モーツァルト・ピア…
  • GB PHIL ABL3143 クララ・ハスキル モーツァルト・ピア…
モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番&第23番
ハスキル(クララ)
ユニバーサル ミュージック クラシック
2007-01-24