モーツァルトが伝えたかったことを解釈して聴かせるのではなく、現代社会を投影しようとした。 ― オペラの観劇が日常的な英国ならではの演奏。 ― オットー・クレンペラーは他の多くのドイツ系指揮者同様、オペラ指揮者として様々な歌劇場で指揮をしている。しかし、不幸な亡命生活から残念ながら本盤のモーツァルトの一連のオペラと、ワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」位しか全曲の演奏記録は残されていない。ただ晩年の演奏だけに、これらのオペラの録音は新しい同曲の演奏が出てきても決して忘れ去られることのないと思う。しかも、このオペラ《フィガロの結婚》の録音ではオーケストラの編成を減らしているので、両翼配置も相まってピリオド演奏の先駆だったとも言える。ただ、テンポは極めて遅い。でも、そのことでモーツァルトが凝らしたメロディーの魅力が際立って聞こえる。クレンペラーの創り出す音空間は柔らかな響きで、ゆったりと深遠なフィガロの世界を垣間見させてくれる。この全曲盤に際して素晴らしいところは、序曲の弦楽器のレガートの美しいこと。また巨大なスケールは、このオペラがブッファ的なものではなく壮大な物語の始まりなのだということを宣言しているようで、幾分冷ややかな表現ながら毎度のごとく音楽は冷たい色のまま白熱して行く。英EMIのオペラのレコードは、歌手と演奏を最上のコンディションでオペラを楽しめる。また、このような豪華メンバーを揃える事は現在では不可能。オペラが日常の中にあるから、ドラマの成り行きに気を取られない。ディートマル・ホラントという学者は
クレンペラーはここで、一般にモーツァルトの音楽と結びつけて考えられているもの全てを徹底的に排除してしまっている。と論じているが、《フィガロの結婚》を題材にしてモーツァルトが表現したかったこと、そのモーツァルトの音楽を再構成し、現代人向けの《フィガロの結婚》に結実しているレコードだからこその芸術だ。このシンフォニックなクレンペラーの音作りが評判となり、後に「ドン・ジョヴァンニ」、「コシ・ファン・トゥッテ」に繋がったのは云うまでもない。DECCAやドイツ・グラモフォンと違ったオペラのレコードの楽しみ方がEMI録音盤の面白みだ。
関連記事とスポンサーリンク
英EMIの偉大なレコード・プロデューサー、ウォルター・レッグの信条は、アーティストを評価するときに基準となるようなレコードを作ること、彼の時代の最上の演奏(録音)を数多く後世に残すことであったという。指揮者オットー・クレンペラーは、それに良く応えた。本盤も、そのような基準盤の一枚で、レッグの意図する処がハッキリ聴き取れる快演だ。クレンペラーの解釈は揺るぎのないゆっくりしたテンポでスケールが大きい。ゆったりとしたテンポをとったのは、透徹した目でスコアを読み、一点一画をおろそかにしないようにとも思いたくなる。この気迫の籠った快演は聴き手に感動を与えずにはおきません。また何度聴いても飽きません。フィルハーモニア管弦楽団はまさにクレンペラーの為にレッグが作り出した楽器だと言う事、しみじみと感じました。フィルハーモニア管(PHILHARMONIA ORCHESTRA LONDON)は、英ロンドンを拠点とするオーケストラ。愛称は〝ザ・フィル〟。ドイツ・グラモフォンのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や、DECCAのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団同様に、フィルハーモニア管といえばEMIのレーベルが同時に思い浮かぶほどに、この楽団の演奏は随分レコードあるいはCDで聴いてきた。1945年にレッグが創設。レッグの主目的はやはりEMI(当時の英コロンビア)のレコード録音のためのオーケストラを作ることにあった。設立当初から主にドイツ、イタリアから指揮者、独奏者を招いて盛んに活動した。優秀な演奏家の積極的な採用が効を奏し、例えば名ホルン奏者デニス・ブレインも創立当初から首席奏者を務めた。その後、リヒャルト・シュトラウス、ヘルベルト・フォン・カラヤン、アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなどの巨匠を指揮者に迎え、一躍ヨーロッパ楽壇で注目される。多くの録音を残したカラヤンと欧米各地に演奏旅行するほか、クレンペラー、リッカルド・ムーティ、ジュゼッペ・シノーポリが首席指揮者に就任。1997年にクリストフ・フォン・ドホナーニ、2008年にエサ=ペッカ・サロネンが首席指揮者に着き、創設以来の〝録音の多いオーケストラ〟の伝統を堅守。1996年以降、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールを本拠地として活躍している。
戦後、活動の場に窮したヘルベルト・フォン・カラヤンを英国に呼び、レコード録音で音楽活動が出来る場を用意したことで知られる。ウィーン国立歌劇場の指揮者だったカラヤンは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるムジークフェラインザールで英EMIのために、モーツァルトを録音していた。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの急逝でカラヤンは、ウィーン・フィルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を手に入れるが、ウィーン・フィルが英DECCAと専属契約を結んでいたので、英EMIを去り、英DECCAの指揮者になる。カラヤンのレコーディング・オーケストラとしての印象は強いが、カラヤン中心になる前には英国のサー・トーマス・ビーチャムに始まり、ドイツのオットー・クレンペラー、フルトヴェングラー、カラヤンを、さらにイタリアからはアルトゥーロ・トスカニーニ、カルロ・マリア・ジュリーニ、そして夭折したグィド・カンテッリなどが指揮台に立った。カラヤンがベルリン・フィルに行き、カンテッリが急死したこともあって、クレンペラーが浮上する。クレンペラーとの関係は、1959年の常任指揮者就任から始まり、亡くなる1973年まで14年間続くことになる。〝録音の多いオーケストラ〟の伝統は今も続いており、多い時は年間にセッション数250回にも及ぶこともある。これは色んな音楽、様々な指揮者の下で一定水準以上の演奏が可能になる実力を有することによってはじめて実現するものであって、ただ即応性があるだけでなくその裏には〝高い演奏技術〟と〝柔軟性〟が存する現れであるともいえる。オーケストラの呼称は2度にわたり変更される。1964年に資金不足によりウォルター・レッグが手放して英EMIの専属が切れると、イギリスの自主運営となりニュー・フィルハーモニア管弦楽団に変更、その間例の幻の来日に終わったジョン・バルビローリとの万博公演時も〝ニュー〟の呼称であった。のち、1972年からリッカルド・ムーティが常任につき、5年後にもとの〝フィルハーモニア管弦楽団〟に戻している。そのため、アナログレコードとCDでの、オーケストラ名の表記は混乱を感じる。英COLUMBIAでレコード発売していた頃は、「フィルハーモニア・オーケストラ、ロンドン」を名乗っていたことで、かつてビーチャムが創設した「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」と間違われているケースがある。〝フィルハーモニア管弦楽団〟に戻ったムーティの後は、ジュゼッペ・シノーポリが首席指揮者となり、1990年はシノーポリ、2007年はエリアフ・インバル指揮により、「マーラー・チクルス」東京公演を行う。1997年クリストフ・フォン・ドホナーニが首席指揮者に就任。2008年からはエサ=ペッカ・サロネンが首席指揮者およびアーティスティック・アドヴァイザー。サロネンはヘルシンキ生まれの指揮者、作曲家。絶え間ない革新によって、クラシック音楽界において最も重要な芸術家の一人とみなされている。iPadのアプリを開発、Apple社のCMに楽曲が使用されるなど先進的な試みも注目される。デジタル技術を使った教育や聴衆の開拓などにも先鞭をつける。現在はサロネンの他に、終身名誉指揮者にドホナーニ、桂冠指揮者にウラディミール・アシュケナージという陣容となっている。
ガブリエル・バキエ、エリザベート・セーデルストレム、レリ・グリスト、ゲライント・エヴァンズ、テレサ・ベルガンサ、アンネリース・ブルマイスター、ヴェルナー・ホルヴェーグ、ヴィリ・ブロクマイアー、マイケル・ラングドン、クリフォード・グラント、マーガレット・プライス、テリーザ・ケイヒル、キリ・テ・カナワ。1970年1月ロンドン、アビーロード第1スタジオでの録音。4枚組。
YIGZYCN
.
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。