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隠れた名盤と呼ぶに相応しいもの。バランスの良い録音も魅力。

フリューベック・デ・ブルゴスはお国もの以外では大編成オーケストラが得意な印象がありますが、「カルミナ・ブラーナ」のような合唱付きの曲は特に見事。生命力みなぎる躍動感は、他の追随を許さないほどの名演。合唱の充実とソリスト質の高さも特筆に価します。フリューベック・デ・ブルゴスの隠れた名盤の初期盤です。

2014年6月11日に癌のために80歳で亡くなったスペインの大指揮者、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスはファリャ作品の録音をはじめとするスペイン音楽の第一人者として知られますが、オルフの《カルミナ・ブラーナ》やモーツァルトの《レクイエム》など、非スペイン音楽でも名盤を残しました。彼の録音キャリアは50年以上に及び、1960年代の初期録音の大半はEMIのために行われました。
このラテン系指揮者の《カルミナ・ブラーナ》は、お国もの以外の中では、群を抜いて素晴らしい演奏。隠れた名盤と呼ぶに相応しいものです。フリューベック・デ・ブルゴスはこういった合唱の入る大規模な作品では抜群のうまさを発揮しますが、その切れのいい豪快な指揮の下、充実した合唱、質の揃ったソロが一体となって、熱っぽい演奏を繰り広げています。生命力みなぎる躍動感は、他の追随を許さないほどの、合唱の充実と、ソリスト質の高さも特筆に価する。
1966年の録音ですが、オーケストラ、コーラス、独唱のバランスの良い録音も魅力のひとつです。録音秀逸オーディオファイル盤なのは言うまでもない。録音された時代と同じ空気を感じられるのが初期盤収集の楽しみを十二分に与えてくれる名盤です。
  • Record Karte
  • ルチア・ポップ、ゲルハルト・ウンガー、レイモンド・ウォランスキー、ジョン・ノーブ、ワンズワース・スクール少年合唱団、ニュー・フィルハーモニア合唱団。
  • 1966年録音。

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  1. GB EMI SAN162 フリューベック・デ・ブルゴス オルフ・「…
  2. GB EMI SAN162 フリューベック・デ・ブルゴス オルフ・「…

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オルフ:カルミナ・ブラーナ
ニュー・フィルハーモニア合唱団
EMIミュージック・ジャパン
2006-09-20


スペイン名曲集(UHQCD)
ブルゴス(ラファエル・フリューベック・デ)
ワーナーミュージック・ジャパン
2017-05-17


ファリャ:恋は魔術師
ミストラル(ナティ)
ユニバーサル ミュージック クラシック
2002-03-27


ビゼー:歌劇「カルメン」全曲
ゴンチャレンコ(ベルナール)
ワーナーミュージック・ジャパン
1996-07-17



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カール・オルフ(Carl Orff, 1895.7.10〜1982.3.29)は子供の音楽教育プログラムに情熱を注ぎ、今ではこの分野での開祖的な扱われ方をしています。この《カルミナ・ブラーナ》(Carmina Burana)は、南ドイツのボイレン修道院で作曲者が見つけた13世紀頃に書かれた歌集を下敷きに作曲された、大編成の合唱とオーケストラ、そして舞台装置付きの上演形式を想定して書かれた大がかりな作品です。この歌集は教会に出入りした様々な民衆が残した歌を綴った俗っぽい内容です。曲を構成している形式、和声、メロディー、リズムも実にシンプルなゲルマン魂の熱いものを感じさせてくれるものです。
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