34-15961

商品番号 34-15961

通販レコード→英ラージ・ドッグ・セミサークル黒文字盤

ラトルのリズムの刻みはおそろしく正確で細かい。 ― 指定された人物を別の世界に送り込むという要件を請け負った青山は、相手に遭うために乗ったタクシーの中でヤナーチェクの『シンフォニエッタ』を聴く。そこからはじまる、村上春樹の小説『1Q84』の爆発的な売れ行きによって、どちらかと言えばマイナーな存在だったヤナーチェクの曲に、突如として脚光があたり、テレビのクラシック音楽番組で話題にもされ、CDのセールスランキングの上位に位置することになった。いまではポピュラーな曲の仲間入りを果たしたとさえいえる。ヤナーチェクはチェコのブルノ生まれの作曲家で、スメタナ、ドヴォルザークと並んで、現在ではチェコの国民的作曲家と見なされている。《シンフォニエッタ》以外の他の楽曲としては、管弦楽曲では《タラス・ブーリバ》、オペラでは《利口な女狐の物語》、声楽曲では《グラゴル・ミサ》がよく知られている。こうしたヤナーチェクの管弦楽曲は、LPレコード時代はチェコのスプラフォン・レーベル盤で聴くことぐらいでした。チェコ出身指揮者が、ドイツ・グラモフォンに録音したレコードは地味な印象で、英デッカのクラウディオ・アバドの《シンフォニエッタ》のレコードをオーディオ・リファレンスにしていました。そういう頃に、サイモン・ラトルの録音が発売された時は新鮮だった。日本でもようやく「次代を担うイギリスの新鋭指揮者」として認識されてきた頃で、当時27歳だった若きラトルの瑞々しい感性が弾ける。1977年のグラインドボーン音楽祭デビューを《利口な牝狐の物語》で飾ったことでも推測されるように、ヤナーチェクはラトルにとって、デビュー当時から思い入れの深い重要なレパートリーだ。ラトルはヤナーチェクに積極的に取り組んでおり、《グラゴル・ミサ》は、その後に続くヤナーチェク録音の最初になった意欲的なもので、狂詩曲《タラス・ブーリバ》の他、歌劇《利口な女狐の物語》も録音しています。ラトルはザ・ビートルズを輩出したことで有明な、リヴァプールに生まれた。リバプールにはモーツァルト・オーケストラという伝統あるアマチュアオーケストラがあり、昔ここの常任指揮者はズービン・メータで、リバプールのコンクールで優勝したあとまだ全然仕事がなくて、このアマチュアオーケストラの指揮者をしていた。ラトルは高校生の頃、 ここでティンパニを叩いていた。リバプールといえばビートルズだけど、たいした街だ。小説『1Q84』の、もうひとりの主人公・天吾が、コンクールに代役で『シンフォニエッタ』のティンパニを叩いているが、打楽器出身というだけあって、ラトルのリズムの刻みはおそろしく正確で細かい。彼のまなざしと感覚は聴き手の心をかき立てずにはおかない興奮的な名演をひき出す。本盤でも最後は、レコードを聴いていることを忘れて身をのり出し、手に汗を握った。
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ヤナーチェクは祖国への愛国心、民族主義という側面からこの曲を作った。作曲家としての集大成ともいえる音楽。ヤナーチェクの『グラゴル・ミサ』は、その作曲家の晩年になる1927年に初演されています。教会スラヴ語の典礼文に曲付けされた、独唱者と合唱、管弦楽のための作品ですが、信仰心をもってこのミサ曲を作曲したのではなく、民族主義の発揚や顕彰が目論まれた特殊な作品で、性格的にも厳粛というより、劇的で情熱的な作品です。バッハの音楽にみられるような、淡々としていて聞いていて心があらわれるような、平和で耳ごこちのよい音楽とは明らかに違います。「グラゴル(glagolskaja)」とは、古代スラブ人が使っていた最古の文字の一種である「グラゴル文字」を指し、ヤナーチェクがどうやら信じていたようには、奉神礼で使われていた聖句を指しているのではないそうです。話は9世紀に遡るのですが、モラヴィアのロスティスラフ王子が862年に、東ローマ帝国の皇帝に、キリスト教についての指導を得るための使節団の派遣を要請しました。それに応えて派遣されたのが、コンスタンチン(もしくは、キュリロス)およびメソディウスでした。彼らは、聖書やその他の聖典をこの地域で用いるために翻訳する必要があったのですが、その際に用いたのが「マケドニア・ブルガリア古代スラヴ語」と呼ばれるものだったそうです。この「マケドニア・ブルガリア古代スラヴ語」は原スラヴ語(Proto-Slavic)と非常に似ていたようです。そして、その言語を標記するために用いられたのが「グラゴル文字」と呼ばれる文字でした。グラゴル文字は煩雑であったため、後に、その点を改良したキリル文字が発明されました。そして、ヤナーチェクが作曲したがったテキストも「キュリロスとメソディウスの言葉」でした。 この後、古代スラヴ語は、ラテン語もしくはギリシア語の使用、それぞれの地方方言への拡散、政治的状況などにより1100年頃までには用いられなくなっていったようです。ヤナーチェクは、汎スラヴ主義の強力な支持者で、このミサ曲はスラヴ文化のための奉祝音楽であると見なされています。ソプラノ、アルト、テノール、バスの4名の独唱、混声合唱、管弦楽、オルガンという大編成を必要とし、さらにすたれてしまったグラゴル文字をしているため、実際の上演にはかなり困難を伴う。自国の語源となるグラゴル語を用いて作られ、それをミサ曲にするという点で崇高的な感じに仕立てた作品ではあり、ヤナーチェクが信じていたようなものではなかったものの、神をたたえる、喜びに満ちた言葉が並びます。金管主体の華々しいファンファーレによる初楽章(入祭文 Úvod)、終楽章(イントラーダ Intrada)に、美しい響きと軽快なリズムの独唱・合唱部(キリエ:あわれみの賛歌 Gospodi pomiluj、グローリア:栄光の賛歌 Slava、クレド:信仰宣言 Vĕruju、サンクトゥス:感謝の賛歌 Svet、アニュス・デイ:平和の賛歌 Agneče Božij)がはさまれた構造になっており、終楽章のイントラーダの前には、劇的なオルガンのソロによる独創性あふれる無窮動が導入されています。
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  • ソプラノ – フェリシティ・パーマー Felicity Palmer, テノール – ジョン・ミッチンソン John Mitchinson, メゾ・ソプラノ – アメラル・ガンソン Ameral Gunson, バス – マルコム・キング Malcolm King, Chorus – CBSO Chorus, Chorus Master – Nicholas Cleobury, Conductor – Simon Rattle, Orchestra – City Of Birmingham Symphony Orchestra, オルガン – ジェーン・パーカー=スミス Jane Parker-Smith. Engineer – Michael Sheady, Producer – John Willan. 1981年1月バーミンガムでのデジタル・ステレオ・セッション録音。
  • GB EMI ASD4066 パーカー=スミス ヤナーチェク・グラゴ…
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