GB EMI ASD 3912 アンドレ・プレヴィン&LSO ラヴェル・ボレロ/ダフニスとクロエ/亡き王女のためのパヴァーヌ
通販レコード→英ラージドッグ・セミサークル黒文字盤

GB EMI ASD 3912 アンドレ・プレヴィン&LSO ラヴェル・ボレロ/ダフニスとクロエ/亡き王女のためのパヴァーヌ

商品番号 34-20214
「アナログ技術がテクスチャーの色と豊かさを失わずに、最も洗練されたディティールを提供できることを示している」と英誌で絶賛された名録音。 ― アンドレ・プレヴィンは、ロンドン交響楽団の首席指揮者を10年以上にわたって務め、ロンドン交響楽団首席指揮者の最長期在職となっていました。この間、プレヴィンは《モーカム&ワイズ》のような人気の番組とクラシック音楽を多くのイギリスの視聴者に紹介した《アンドレ・プレヴィンのミュージック・ナイト》に出演し、オーケストラと彼自身を有名にしました。プレヴィンがロンドン響と主に英EMIのために残した名盤は、アナログ・レコーディングの黄金期に生まれました。プレヴィンの演奏は、あくまでも淀みのない流れと瑞々しいリズムが信条。このロンドン時代のプレヴィンこそ、若き日にジャズピアニストとして培ったリズム感と、ハリウッド映画の作曲を通して身に付けた音楽のわかり易さと手際良さ、そして指揮法の師であるピエール・モントゥー譲りのオーケストラを自在に操るテクニックとが一気に開花した絶頂期にあった。レパートリーにはプレヴィンが得意とするラフマニノフやチャイコフスキー、プロコフィエフなどのロシアのロマン派作品、およびウォルトンやブリテンなどのイギリス作品が含まれ、かつ彼の多才さを示すドビュッシーやハイドンなどの多様なレパートリーも含まれています。プレヴィン指揮のラヴェル管弦楽曲集《ボレロ》は、前年にザ・ビートルズのレコーディングで有名なアビーロード第1スタジオでセッション録音した《亡き王女のためのパヴァーヌ》、《ダフニスとクロエ》第2組曲との組み合わせで発売されたアナログ末期の超優秀録音。いかにも、この曲に相応しい爽やかなテクスチュアと無理のないテンポが心地よく、奇を衒ったところのない素直なフレージングがどこまでも続きますが、さりげなく施されている内声の絡み合いの充実ぶりに、プレヴィンの天才的な冴えを感じずに入られません。
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アンドレ・プレヴィンの出生名はドイツ名でアンドレアス・ルートヴィヒ・プリヴィン(Andreas Ludwig Priwin)といい、アンドレ(André)はフランス風の名乗りである。1929年ドイツ・ベルリン生まれ。ベルリンのユダヤ系ロシア人の音楽家の家庭に生まれ、ベルリン高等音楽院でピアノを学び、一時期ナチス政権を逃れて9歳でパリ音楽院に入学。1938年から家族に連れられアメリカへと渡り、1943年に合衆国市民権を獲得した。10代の頃からジャズ・ピアニストとして演奏し、1940年代当時黎明期にあった初期モダンジャズのビバップスタイルに影響を受けたプレイで「天才少年」として注目されライオンのイラストが可愛いピアノ・トリオでのアルバム『キング・サイズ』(King Size, 1958年)、ダイナ・ショアと共演した『ダイナ・シングス、プレヴィン・プレイズ』(Dinah Sings Previn Plays, 1960年)、シェリー・マン&ヒズ・フレンズでの『マイ・フェア・レディ』(Modern Jazz Performances of Songs from My Fair Lady, 1956年)などが代表盤に挙げられる。キャリア初期のロサンゼルス時代にはハリウッドの大手映画会社MGM専属となり、多くの映画において映画音楽の作曲や編曲、音楽監督を務めている。彼のその多彩な活動の当初は映画音楽の分野において頭角を現し、4回ものオスカー賞を獲得する傍ら、ピエール・モントゥーにも師事し指揮を学んで、1963年には指揮者としてもデビューします。『キス・ミー・ケイト』(1953年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『ジーザス・クライスト・スーパースター』(1973年)など時代の好みを反映させ、ハリウッドの著名人にはよくあるようにプレヴィンは結婚回数の多い人物であり、音楽家、男としての興味の衰えない姿を見せる存在だ。クラシック音楽の指揮者としては、その後アメリカ、イギリスのオーケストラ音楽監督を歴任し、着実なキャリアを重ね、管弦楽曲の演奏・録音が活動の中心であり、とりわけスラヴ系の音楽とイギリス・アメリカ近現代の音楽の録音で評価を得てきた。近年では、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振って最もウィーン・フィルらしさを引き出させるなど、ウィーン・フィルとの間に厚い信頼関係を築きあげています。クラシック音楽における自作品としては、ウラディーミル・アシュケナージへの献呈作『ピアノ協奏曲』やハインリヒ・シフに献呈された『チェロ協奏曲』、2002年に当時の新妻アンネ=ゾフィー・ムターのために作曲した『ヴァイオリン協奏曲』、ジョン・ウィリアムズのために書かれジャズバンドも加わる1971年の珍しい『ギター協奏曲』、金管アンサンブルでは『金管五重奏のための4つの野外音楽』、また声楽のジャンルでは最初のオペラとなった『欲望という名の電車』(1998年にサンフランシスコにて初演)や歌曲集『ハニー・アンド・ルー』、室内楽では『オーボエ、ファゴット、ピアノのための三重奏曲』などが挙げられる。一方ではジャズ・アルバムも制作し、また自らが作曲を手掛けた新作のオペラを録音するなどアグレッシヴな活動を展開しています。
イギリス版「題名のない音楽会」や「オーケストラがやって来た」の番組を持ち、クラシック音楽を多くのイギリスの視聴者に紹介した。その経験はアンドレ・プレヴィンの音楽に磨きをかけたし、BBC放送がプレヴィンの音楽にテクスチュアの確かさを認めていたからでしょう。本盤の初発は1980年。1979年、イギリスEMIによるアナログ最後期のセッション・レコーディング。LP時代に名録音として知られたアルバムで、その初発時の英グラモフォン誌で、イヴァン・マーチ氏が「あらゆる点で第1級のカップリング。録音は華麗である。《ボレロ》には LP 片面全部が与えられ、クライマックスは素晴らしくよくとらえられ、豊かで、クリアーだ。《ダフニスとクロエ》第2組曲は、あらゆる点で非常に優れた演奏だ。このレコード全体を通じて、アナログ技術がテクスチャーの色と豊かさを失わずに、最も洗練されたディティールを提供できることを示している。」とレビューしている。「ボレロ 」の作曲者ラヴェル自身が、この曲では遅いテンポを好んでいたことは善く知られている。『亡き王女のためのパヴァーヌ』も豊かな色彩とエレガントなフレージングが印象的な美しい演奏。プレヴィンの指揮する演奏は、息づかいが自然で無理がなく音楽が気持ちよく流れてゆく。作為が感じられずに、音楽そのものを楽しめる演奏になる。もちろん、聴かせどころではそれなりに工夫しているのだが、あざとくないので気持ちよく聴けてしまう。こと音楽を快適に聴けるということに関しては、この人以上の指揮者は誰だろうか。プレヴィンは1968年から1979年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務めており、この録音は任期の終わりにおこなわれたものということになります。語弊覚悟で表現するとフィルム・スコアを手掛けるように楽譜が眼前に繰り広げられるようで、一見脳天気風な紙芝居にピタリとつけるロンドン交響楽団の饒舌さとともに、指揮者プレヴィンの充実期の記録です。落ち着いたテンポで大きなスケールで描いた《ボレロ》は1979年6月26日ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音で、プロデュースはインド人のスヴィ・ラジ・グラッブ。《亡き王女のためのパヴァーヌ》と《ダフニスとクロエ》第2組曲は1978年7月14日ロンドン、アビイロード・No.1スタジオでの録音で、プロデュースはクリストファー・ビショップ、エンジニアはどちらもクリストファー・パーカー。パーカーはイギリスEMIのベテラン・エンジニアで、特に1970年代後半のジュリーニなどの優秀録音で高い評価を得ていました。演奏は楽譜の細部まであらわす緻密な美感が特徴的なもので、ロンドン響のサウンドの魅力をじっくりと味わうことができます。
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