34-30630
商品番号 34-30630

通販レコード→GB WHITE & GOLD ED1初版 STEREO 150㌘盤[オリジナル]
《春休みに鑑賞しておきたい名曲》

今まさに、上質なイギリスの水彩画を鑑賞しているような錯覚を得る、精彩を放つ、どの演奏も夢を見るように美しい。

大富豪にして名指揮者のビーチャム卿が自ら設立したロイヤル・フィルを率いてイギリスEMIに録音した名盤。母国の作曲家ディーリアスと親交を結び、彼の音楽の普及に最も貢献した指揮者トーマス・ビーチャムと手兵ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるステレオ録音。録音も素晴らしくオーディオファイルにも推薦します。希少なW&Gオリジナル盤です。

ビーチャムと言う往年のこの指揮者をどれだけの人が好んでいるだろうか?
80歳を過ぎたとは思えないこの若々しさ。齡い85歳を過ぎて、ロンドン交響楽団の首席指揮者になり死去するまでその地位にいたピエール・モントゥーや84歳で演奏会から引退、CBSレコード(現在はソニー・クラシカル)から乞われて、85歳に心不全で没するまでロサンジェルス付近の音楽家により特別に結成されたコロムビア交響楽団とレコード録音をし続けたブルーノ・ワルター、91歳で引退を表明93歳で没したエイドリアン・ボールト、94歳でCBSレコードと契約更新して100歳まで現役を続けて、デジタル録音も予定されていたレオポルド・ストコフスキーらとは少し違った意味でも、いつもビーチャム卿のレコードを聴くと元気を貰っています。
卿は20世紀前半のイギリス音楽界に君臨した大立て者で、大金持ちだった為に自らオーケストラを組織し大活躍した人である。又、その行動も個性を極めたような人だったらしい。この個性は金持ちから来る余裕というか、ゆとりの人生観を見せていて当時の演奏会常連衆であるヨーロッパ上流社会に受け入れやすかったのではないか。しかし、スイスのエルネスト・アンセルメと並んで同時期、クラシック音楽をレコード録音して広く大衆に普及に寄与した貢献は称賛する事実です。
ビーチャムは幅広いレパートリーを誇り、1937年に世界初録音したモーツァルトの歌劇「魔笛」はじめ、ヘンデルの「メサイア」、ハイドンからベルリオーズやシューマンなどロマン派の作曲家、ロシア国民楽派、プッチーニ、グリーグ、シベリウス、そしてディーリアスといった正規レコーディングだけでも採り上げた作曲家の数は69人、そして録音曲の数は477曲を数えたという。ロシアものに関しては主要な作品はことごとくレコーディングしている。リヒャルト・シュトラウス、シベリウスも親交の篤かった作曲家であり、一説にはイギリスでシベリウス演奏をメジャー化する嚆矢となったのがビーチャムだと言われている。ビーチャムは1907年以来ディーリアスと親交を結び、ディーリアスの詩情あふれる音楽を高く評価し、数多く演奏してイギリスのコンサート・プログラムに定着させた。
「未完成」や「ザ・グレート」の有名曲だけでなく隠れたシューベルトの交響曲普及にも尽力。フランスのクラシック音楽専門誌「ディアパゾン(Diapason)」が推薦する必聴録音として編んだシューベルトの交響曲選集にビーチャムの交響曲第3番ニ長調 D.200(1958〜1959年録音)を選んでいる。
自慢の財力と持ち備えたセンスで、若い頃から大々的な活動を繰り広げたビーチャムを突き動かしたのは、ある意味「音楽の開拓者」という使命感だったと言われている。
ビーチャムの演奏は常に生き生きとした演奏をして、聴衆を大いに喜ばせた。 ― 英国EMIには、ブルーノ・ワルターやフェリクス・ワインガルトナーら、さらに売れ筋アーティストがSPレコード時代にはいたため。サー・エイドリアン・ボールト、サー・マルコム・サージェント、サー・ジョン・バルビローリら後輩のイギリスの指揮者のレコードもよく売れ、概してステレオ黎明期に残した曲は、何故かテンポの速い軽快な名曲が多くが、使命感を負わされずにビーチャムが走っている感じ。ジョン・エリオット・ガーディナーは『アート・オブ・コンタクティング』の中で「彼の演奏は玉のような宝石があふれ出てくるようである」と評している。
エリザベス皇太后より〝ロイヤル〟の称号を贈られた名門オーケストラ ― ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)は1946年、当時イギリス随一の指揮者であったサー・トーマス・ビーチャムによって創設されました。ロンドンの格式あるオーケストラの中でも唯一その名称に〝ロイヤル〟を使うことを許され、エリザベス皇太后をパトロンに持つことを誇りとしています。その演奏は世界各地で絶賛され、独特の熟成した美しいアンサンブルとマイルドでエレガントな音色は、ビーチャムの時代から変わらぬ名演に満ちています。
大富豪の家に生まれたビーチャムは、その持っていた財力をすべて大好きだった音楽に注ぎ込むことのできた幸福な人だった。彼は自身の財産を投じてオーケストラや合唱団、歌劇組織を創設したが、それが現在でも活動を続けているロンドン・フィルハーモニー管弦楽団やロイヤル・フィル、ナショナル・オペラだ。
19世紀に発足した器楽コンサートを主催する協会が運営するオーケストラが「ロイヤル・フィル」を名乗っていましたが、これはビーチャムが1932年に創設したロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の母体となったものでしたが、第二次世界大戦中はアメリカとオーストラリアで活動を行ったことを理由に、戦後に帰国すると演奏を拒否されたため新たに組織、つまり、フィルハーモニック協会とも王室とも運営上の関係は無かったわけで、ビーチャムの死後、エリザベス2世から正式に「ロイヤル」の称号を使うことが許され、故エリザベス皇太后がパトロンになるという経緯を持っています。
ビーチャムは音楽を正式に学んだことは一度としてなく、全て独学だったが、それでいて、指揮者として楽員に心底尊敬され、イギリス屈指のオーケストラに育て上げた。ここは大事なところ。趣味の拡大ではなくて天性の音楽家が、たまたま大金持の家に生まれ、好きなだけ使えたお金を「正しく」使ったということだ。半世紀以上にわたって活動を続け、彼の「財力と指揮活動」によってイギリスに紹介された作品も数多い。いや、偉大な趣味人だったのかも。
ビーチャムは職業指揮者ではないので、ビーチャムの音楽観でまとめられた録音ばかりだ。批評家が何を書こうが怖くなかったし、人気と支持を受け続ける必要などなかった。自分が育てた庭の果実を味わうだけで良かったのだから。特別な空間で生きている大物だったから、その伸び伸びとした音楽を満喫できるんだろうな。
その手腕はコンサートに、オペラに発揮され、その音楽は魅惑とエレガンスに満ち、高揚すると火を噴くような激しいものとなりました。機知に富んだビーチャムの粋な音楽作りはここでも一際生彩を放っている。
  • Record Karte
  • Side-1
    1. ブリッグの定期市〜イギリス狂詩曲 - Brigg Fair (An English Rhapsody)
    2. 夜明け前の歌 - A Song Before Sunrise
    3. マルシュ・カプリス〜奇想行進曲 - Marche Caprice (No. 1 Of "Two Pieces")

    Side-2
    1. 2つの小オーケストラのための小品 春初めてのかっこうを聞いて - On Hearing The First Cuckoos In Spring (No. 1 Of "Two Pieces For Small Orchestra")
    2. 2つの小オーケストラのための小品 河の上の夏の夜 - Small Night On The River (No. 2 Of "Two Pieces For Small Orchestra")
    3. そり乗り(冬の夜) - Sleigh Ride (Winternacht) (No. 2 Of "Three Pieces")
    4. 歌劇「フェニモアとゲルダ」間奏曲 - Intermezzo (From "Fennimore And Gerda")

販売レコードの写真

  1. GB EMI ASD357 ビーチャム ディーリアス:管弦楽曲集
  2. GB EMI ASD357 ビーチャム ディーリアス:管弦楽曲集
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フランスの村で人生のほとんどを過ごしたドイツ系英国人。

19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて書かれたディーリアスの音楽は、ロマン派や印象派の雰囲気を感じさせる自由なもので、魅力的な旋律に恵まれた仕上がりの美しい作品が多いのが特徴となっています。有名な管弦楽作品の数々で聴かれる耳になじみやすい独特の雰囲気は、必ずしもディーリアスの全作品に一貫するものではありませんが、それでも随所にはかなくこだまするような憧れを感じさせる心の音楽が聴かれる作品が多いのはディーリアス好きにはたまらないところです。2つの小オーケストラのための小品「春初めてのカッコウを聞いて」(Side-2 1曲目)では、クラリネットでかっこうの鳴き声を描写しています。自然の美しさが伝わる曲が多いのが好みなのかもしれません。ドイツ人を両親に英国に生まれ育ったディーリアスは、22歳の年に渡米し、音楽教師をしながら作曲もしますが、24歳のときにはドイツのライプツィヒ音楽院に進み、26歳で卒業後はパリに移住、35歳でパリ郊外のグレ=シュール=ロワン村に居を構えてからは、72歳で亡くなるまで同地で人生を過ごすこととなります。つまりディーリアスが英国にいたのは人生最初の22年間と、戦時の疎開などの一時的滞在くらいで、その疎開の際にもグレ=シュール=ロワン村を故郷のように懐かしむなど、生活の拠点はあくまでグレ=シュール=ロワン村にあったようです。このイギリスとフランスに加え、最初の仕事場で現地女性との間に子供までいたともいわれるアメリカ南部や、若き日に過ごした北欧といった地域からの影響が、ディーリアスの音楽に複雑な魅力を与えているのかもしれません。ディーリアスの作品の特徴は、自然の中に移ろう光と影、風のささやき、木々や花の風情などを控えめな描写で音楽として表現している点でしょう。それが日本人の感性によく合い、今で言うところのヒーリング系の作曲家と言えると思われます。 夏の風情や田舎の夕暮れの描写などに優れ、難しい技法で書いていない素朴な美しさをもった曲を作っていました。黒田清輝、安井曽太郎、浅井忠、津田清楓といった黎明期の日本の洋画家たちが訪れたことでも知られるグレ=シュール=ロワン村は、画家たちや芸術家、文化人が集まる場所として有名で、ディーリアスがこの地に移り住んだのも、パリで知り合い恋愛関係にあった画家のイェルカ・ローゼンが、絵を描くためにこの村の別荘に住むようになったからでした。ディーリアスの音楽の普及に当たり、非常に大きな力となったのはビーチャムでした。彼は若い頃からディーリアスの音楽に惚れ込み、自身のコンサートでたびたび取り上げるなど協力を惜しまず、SPレコード時代から数多くの録音を残してもいますが、ここでは自身による編曲も含めた管弦楽の有名曲を中心に収録しています。

ロイヤル・フィルは1813年ロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティの発足以来、その所属の管弦楽団で指揮者は初代のG.スマート以後、ウェーバー、メンデルスゾーン、ワーグナーらの大作曲家も指揮にあたりベートーヴェン、サン=サーンスをはじめ多くの作曲家が作品を寄せた。1946年、指揮者ビーチャムによって改組されてから独立して活動している。
蓄音機時代から言われていることかはわからないが、コロムビア盤をヴィクトローラで聴けというのがある。
ロイヤル・フィルの高雅そのものといった音は、EMIの機材、スタジオを使用した純然たるイギリス録音がアメリカ・プレスの「コロムビア・マスターワークス」のLPレコード初期盤で聴くと放縦な気風が加わった感触に変わる。そのことがビーチャムの演奏の印象を左右もしている。

イギリス楽壇の名物男

アイロニー、ユーモア、ウィットに富んだサー・トーマス・ビーチャム准男爵。

サー・トーマス・ビーチャム(Sir Thomas Beecham, Bart., C.H.)は1879年4月29日、英国ランカシャー生まれの指揮者。また、アイロニー、ユーモア、ウィットに富んだイギリス楽壇の名物男でした。1961年3月8日ロンドンにて没。
オックスフォード大学を中退し、サー・ヘンリー・ジョゼフ・ウッドとモーリッツ・モシュコフスキに個人的に作曲を師事した他は、ほとんど独学で音楽を学んだ。1898年、急病のハンス・リヒターの代わりにハレ管弦楽団を指揮してデビュー。まずは巡業オペラ団を結成し、これは数年続いた。セルゲイ・ディアギレフが主宰した伝説的なバレエ団「バレエ・リュス」の指揮者も務めました。
同時代音楽の擁護者としてフレデリック・ディーリアスやリヒャルト・シュトラウス、ヤン・シベリウスとの交流はよく知られています。
1909年には大富豪であった父の財産をつぎ込んで、ビーチャム交響楽団を設立、リヒャルト・シュトラウスなどの作品を英国に紹介した。
1910年からはロイヤル・オペラ・ハウスを自腹で借り切って、自分の思うとおりのオペラ上演を開始した。半分以上はロンドン初演で当たり外れも大きく、決して充実した実入りにはならなかったものの、足らずと損失補填分は父に借財してどうにか凌いだ。
1915年にはイギリス・オペラ・カンパニーを創設、しばらくはオペラ指揮者として活動したが1932年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(The London Philharmonic Orchestra)を創設、1946年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(The Royal Philharmonic Orchestra)を組織し現在も活動している。
それ以前にも、1906年の新交響楽団(The New Symphony Orchestra)、1909年のビーチャム交響楽団(The Beecham Symphony Orchestra)を組織、ビーチャムは生涯4つのオーケストラを創設し亡くなるまで指揮者を務めた。
現在まで続く製薬会社・ビーチャム製薬(現:グラクソ・スミスクライン)創業家一家の御曹司であった彼は、その類まれなる行動力と潤沢な資金を元手に気儘にオーケストラを創設し、自腹で音楽祭でのオペラ公演やコンサートをしていた。
莫大な私財を投じて英国楽壇に貢献した功績は大きく、指揮者としては同時代の作曲家ディーリアスの作品の紹介に務めたことでも知られている。現在コンサートの前に演奏者などがプレトークと言って解説をすることもあるけれども、これもビーチャム卿が最初に始めた。
ヘルベルト・フォン・カラヤンより先駆けて初のステレオ・レコードとして発売され、英EMIのカタログから消えることなく50年間以上も多くのクラシック愛好家が代々忘れずに愛聴しているのですから、評価の方も高いことは証明されているでしょう。
ビーチャムは82歳まで生きた長寿だけども、1960年に自分の為に創設、編成したロイヤル・オーケストラ後継者にルドルフ・ケンペを指名して引退。1961年に他界しています。
現在でも世界4番目と言われる製薬会社の御曹司に産まれたビーチャムは、やりたいことをやって生き抜いた音楽家として満足でしょう。
あまりの才能と財産に恵まれすぎていたイギリスの生んだ最後の偉大な変人。― ウォルター・レッグ

不滅の巨匠 ― 玉のような宝石があふれ出てくるようである。

わがまま、自己満足、力を誇示するために録音された文化遺産になるレコード。

ビーチャムと言う往年のこの指揮者をどれだけの人が好んでいるだろうか?
80歳を過ぎたとは思えないこの若々しさ。齡い85歳を過ぎて、ロンドン交響楽団の首席指揮者になり死去するまでその地位にいたピエール・モントゥーや84歳で演奏会から引退、CBSレコード(現在はソニー・クラシカル)から乞われて、85歳に心不全で没するまでロサンジェルス付近の音楽家により特別に結成されたコロムビア交響楽団とレコード録音をし続けたブルーノ・ワルター、91歳で引退を表明93歳で没したエイドリアン・ボールト、94歳でCBSレコードと契約更新して100歳まで現役を続けて、デジタル録音も予定されていたレオポルド・ストコフスキーらとは少し違った意味でも、いつもビーチャム卿のレコードを聴くと元気を貰っています。
卿は20世紀前半のイギリス音楽界に君臨した大立て者で、大金持ちだった為に自らオーケストラを組織し大活躍した人である。又、その行動も個性を極めたような人だったらしい。この個性は金持ちから来る余裕というか、ゆとりの人生観を見せていて当時の演奏会常連衆であるヨーロッパ上流社会に受け入れやすかったのではないか。しかし、スイスのエルネスト・アンセルメと並んで同時期、クラシック音楽をレコード録音して広く大衆に普及に寄与した貢献は称賛する事実です。
ヘンデルはユージン・グーセンス版の『メサイア』のほか、自身の編曲による楽曲もいくつか指揮している。ディーリアスは自身の作品に他人の手が入ることを極度に嫌っていたが、「ビーチャム校訂版」だけを例外としたほど親交を交わし、ビーチャムはディーリアスの印象を「枢機卿のようだ」と回想している。また、ウォルター・レッグ曰く「ディーリアスはビーチャムが完全に自己同化できる作曲家」だった。
ドイツの大作曲家のいわゆる「3大B」 ― バッハ、ベートーヴェン、ブラームスのことを少々意地悪に、音楽史上の「3大退屈男」と呼んだことがある。とはいえ、はなから拒絶したわけでもなくベートーヴェンは全交響曲や協奏曲をしばしば演奏し、レコーディングも行っている。現在では「トルコ行進曲」と序曲しかレコーディングされることがほぼない劇付随音楽『アテネの廃墟』全曲をレコーディングしている。
自慢の財力と持ち備えたセンスで若い頃から大々的な活動を繰り広げたビーチャムを突き動かしたのは、ある意味「音楽の開拓者」という使命感だったと言われている。その演奏は世界各地で絶賛され、独特の熟成した美しいアンサンブルにマイルドでエレガントな音色はビーチャムの時代から変わらぬ名演に満ちています。英国音楽界を牛耳っていたとも言われるほどの存在だった怪物だからこそ成し得た、満足できる音楽を自由にやりたいように演奏、録音をした。
その演奏内容の多彩さには驚くべきものがあります、定評あるディーリアスでは独特の空気感を伝える絶妙な美しい演奏をおこなう一方、フランス音楽やベートーヴェン、モーツァルトなどでは、ときに過激なまでの思い切った表情付けで楽想をえぐり、さらにハイドンではスケール大きく懐の深い演奏を聴かせるといった具合で、それぞれの作品に真摯に向き合う姿は実に感銘深いものがあります。
また、レオポルト・ストコフスキーを初めとして1950年代にレコードをたくさん録音した指揮者は楽譜にはない演奏を良くしていますけれども、ビーチャムのレコードもそういった演奏がとても多くあって新鮮に楽しむことが出来ます。
ビーチャムは幅広いレパートリーを誇り、正規レコーディングだけでも採り上げた作曲家の数は69人、そして録音曲の数は477曲を数えたという。ビーチャムの演奏は常に生き生きとした演奏をして、聴衆を大いに喜ばせた。ジョン・エリオット・ガーディナーは『アート・オブ・コンタクティング』の中で「彼の演奏は玉のような宝石があふれ出てくるようである」と評している。レコード録音のレパートリーのスタンダードも構築したような業績もあるので、親しんでいる曲からでもビーチャムの録音盤と聴き比べるのは面白く勉強に成る事でしょう。
プチ贅沢でなく、秀吉の黄金の茶釜や金箔をふんだんに使った屏風絵が圧倒するだけの金持ちのおもちゃには思えないように、数ある指揮者や歌手のわがまま、自己満足、力を誇示するために録音されたレコードの中でもツタンカーメンの黄金のマスクに匹敵する文化遺産になるレコードです。
録音のためのスタジオから、当時最新だった録音機まで気配りも怠りなかっただけに面白いサウンドに仕上がっています。ステレオ録音が未だ実験段階だった時期の録音なのですが、それが俄に信じ難いほどの優秀録音です。