聴いていると元気になってくる ― 疫病退散。〝アマビエ・チャレンジ〟はじめ、ステイホームでできることをやり尽くしてしまったのか、一年半に及ぶ自粛要請に疲弊してしまったようで、オリンピック東京大会も心から楽しめるようなところがなく、新型コロナウイルス禍に重く垂れ込める雰囲気を払拭するのに最適。イツァーク・パールマンの力強いヴァイリオンも大変に良い。どんな曲でも難なく弾きこなす天才パールマン。その技巧の素晴らしさはいうまでもありませんが、暗く重苦しい曲も明るく華麗な曲も、パールマンの手にかかると澄み切った青空を映し出すように鮮やかに生まれ変わり、一度耳にするともう忘れることなど出来ません。レパートリーは極めて広く、協奏曲・ソナタのみならず、また純粋クラシック音楽以外の分野も手がけ、ユダヤの民族音楽を歌ったものやスコット・ジョプリンのラグタイム集などの演奏等の業績も見られるパールマンだが、本盤は持ち味の明るい面とフリッツ・クライスラーの作品の良さが最高の形で表れたもの。クライスラーの洒落た小品を格調高く弾ききっている。饒舌でありながらも崩れることのない造形力と持ち前の甘美な音色とのバランスが良い。澄み切った美しい音色とともに、ヴァイオリンがメロディ楽器としてどれだけ素晴らしいかを身をもって教えてくれるパールマン。その演奏の魅力を知るにはうってつけのアルバムだ。若きパールマンの最も輝いていた1970年代半ばの録音。美しい音色とこの歌心。魅惑の旋律を弾く天才の指さばきに注目を。小品を弾かせたときに分かる巨匠の実力が、ここに如実に示されています。パールマンの類稀な才能を改めて知らしめる。情感たっぷり歌う表情の豊かさと密度の高い音色は他のヴァイオリニストには容易に真似できないもので、ヴァイオリンという楽器の表現力の大きさを思い知らされる。完璧なまでのテクニック、美音はもちろんのこと、その朗らかで優しい性格から醸しだされる〝音楽を奏でる喜び〟に満ち溢れたヴァイオリンの響きは、たとえようもなく美しく、まるで神々の演奏を聴いているかのような感動を与えてくれます。パールマンを聴くということは、ヴァイオリンの本当の音を聴くということなのかもしれません。パールマンは持ち前の美音と包容力豊かな表現力を発揮して、すべての曲を最高級に再現しています。クライスラー編曲による様々な作曲家の名曲もちりばめられており、バラエティ豊かに楽しめます。デュオのサミュエル・サンダースの伴奏には定評があった。プログラム・ビルディングも併せて、クライスラーの作品集ではNo.1の楽しさ、その作品の素晴らしさが出ていて秀逸。このクライスラー曲集ではそうした技巧に加え、メロディの美しさを伝える楽器としてのヴァイオリン技術にも眼を見張らせ、音楽家パールマンの真骨頂が聴けます。クライスラーにはこのような明るさが必要なんだと改めて感じさせてくれる格好の演奏。その音を一生心に刻み続けるであろう至福のひとときをお過ごしください。世界中で愛奏される〝クライスラー小品集〟のなかでも本盤は別格の1枚です。
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イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)は1945年8月31日、イスラエルのテルアビブ生まれ。4歳3ヶ月のとき、ポリオ(小児麻痺)にかかり、下半身が不自由になってしまう。それでもヴァイオリニストになる夢をあきらめず、幼少ながらシュミット高等学校でヴァイオリンのレッスンを続ける。その後、アメリカ=イスラエル文化財団の奨学金を受けて、テル・アヴィヴ音楽院でリヴカ・ゴルトガルトに師事し、10歳で最初のリサイタルを開いた。これを機にラジオにも出演。その後、アイザック・スターンの強い推薦を得てジュリアード音楽院に入学、名教師イヴァン・ガラミアンとそのアシスタントのドロシー・ディレイのもとで学ぶ。アメリカでの正式デビューは、1963年3月5日、17歳の時にカーネギー・ホールに於いて弾いたヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第1番であった。彼が22歳の時に録音した最初のコンチェルト・グループ ― チャイコフスキー、シベリウス、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番 ー の入れなおしを完了した時、これらの初録音を未熟だと思っていると言っていた。パールマンほどの名手になると、若き日の録音はそれなりに価値があり、一人の偉大なアーティストの成長の軌跡をたどることの出来る貴重なドキュメントというべきだろう。パールマンは13歳の時、エド・サリヴァン・TVショーのゲストに招かれて、渡米して研鑽を深めるきっかけを掴んだが、このレコードの発売当時、彼は自己を語っている。『ぼくは、ぼくが13歳で信じがたいほどの驚異的天才であったとは信じていない。OK、ぼくは才能に恵まれてはいたが、アブノーマルな天才じゃなかったな ― 天才とは、良かれ悪しかれ、アブノーマルなもんでしょう。ぼくの場合には、それは健全な才能だったし、ぼくの生活からかけ離れたものじゃなかった(グラモフォン誌 1981年9月号)』フリッツ・クライスラーとヤッシャ・ハイフェッツのレパートリーを現代に更新し充足しうるヴァイオリニストと言ったら、パールマンを措いて他にないだろう、と期待が大きかった時代を邂逅できるレコード。全ての音程は完璧に制御され、徹底的な美音、暖かで繊細・豊麗な歌い回し等が彼の演奏の特徴である。レパートリーは極めて広く、協奏曲・ソナタのみならず、クライスラーなどの小品集でも高い評価を受ける。また純粋クラシック音楽以外の分野も手がけ、ユダヤの民族音楽を歌ったものやスコット・ジョプリンのラグタイム集などの演奏等の業績も見られる。パールマンが弾く楽器は、1986年に得たグァルネリ・デル・ジェスの「ソーレ(Sauret, 1740〜1744)」と、同じく1986年にユーディ・メニューインより購入した、ストラディヴァリウスの黄金期に類される1714年製「ソイル(Soil)」。前者はかつてフランスのヴァイオリニスト、エミール・ソーレが所有していた、後者はパールマンが23歳の時にメニューインに弾かせてもらい恋に落ちた楽器で、「もし手放す気になった時には是非僕に売ってください」とお願いしていた。
イツァーク・パールマンの演奏がいつどこで行われても、常に完璧そのものなのは演奏中に彼が心の中で行う〝インスタント・プラクティス〟のせいだといっているのである。まことに凄いといわざるを得ない、しかし、コンチェルトは合わせ物といわれるだけあって気の合った同士が良い。レコーディングのパートナーとしてパールマンが選ぶ指揮者といえばアンドレ・プレヴィンとか、ダニエル・バレンボイムだ。彼らとは仲間意識があり、時間的な制約の中で最高の演奏を手に入れ無くてはならないレコーディングでは、彼らとの協演が最も愉しいし、その成果も計算以上のものがある。バレンボイムがパリ管弦楽団の音楽監督に就任したのが1975年の秋のことだが、最早バレンボイムはパリ楽界になくてはならぬ重要な存在となっている。ヴュータンのヴァイオリン協奏曲はパリを背景として書かれており、そのオーケストラの響きはマイヤベーア時代のゴージャスなパリの響きにあふれている。ミシェル・デボストのフルート、モーリス・ブルグのオーボエ、ドゥリュアルのクラリネット、セヌダのバスーン、ジョルジュ・バルボトゥのホルン、フランシス・ピエールのハープなどパリ管の首席奏者たちの響きはゴージャスでしかもメロウである。当代最高のヴィルトゥオーソと共演する相手として、これ以上のアンサンブルも求め難いであろう。フランスには古いヴァイオリン音楽の伝統がある。それはベートーヴェンよりもはるか以前にまで遡ることができるが、フランスは主として19世紀から20世紀にかけて、ヴァイオリン音楽に大きな貢献をしてきた。作品でいうとフランク、フォーレ、ショーソン、あるいはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルといった作曲者名を挙げるだけで、そのことが明らかになるだろう。パールマンの使用楽器は黄金期に製作されたと云う1714年製ストラディヴァリウスのソイル。倍音タップリ乗った音質は微塵も色褪せてはいません。フランス芸術というと必ずラテン的な感覚美が問題にされる。それは決して間違ってはいないが、フランスの芸術はさらに国際的な広がりを志向してきたのである。ところがパリは最もフランス的な都会であると同時に、世界でもまれに見る国際的な都市として知られている。そこでフランスの有名な演奏家はもとより、ここでは世界中のヴァイオリニストを聴くことができる。しかも第2次大戦後30年を経た今日、各国のヴァイオリン楽派はこぞって偏狭な地域性をかなぐり捨て、より合理的で高度な演奏を目指して進んでいる。
昔ならともかく、今やフランスのヴァイオリニストだから粋な感覚を売り物にし、ロシアのヴァイオリニストが名技主義的であるといった先入観は、ものの見方を誤らせる危険性があろう。このような状況のなかでフランスは優れたヴァイオリンの音楽と演奏家を生み出してきたわけだが、そこにもっともフランス的な精神が息づいていることと同時に、最も普遍的な芸術が育てられてきたことを見落とす訳にはいかない。そこでフランスのヴァイオリン音楽にしても、その普遍的・国際的な一面が発揮されることになるのは当然である。往年のフランスのオーケストラならではの明るく美しい色彩の世界を心ゆくまで堪能させてくれた、イツァーク・パールマンがジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団と共演したフランス音楽は、その典型とも言えるが、言うまでもなくパールマンはフランスのヴァイオリニストではない。彼は第2次大戦が終結した直後にイスラエルで生まれ、ジュリアード音楽院に留学してイヴァン・ガラミアンに師事、1964年のレヴェントリット・コンクールで優勝したという経歴である。だがここでまず問題なのは彼の経歴や国籍ではなく、その音楽性である。サン=サーンスやショーソンの作品にしても、まずはフランス的であるかどうかということより、単純に音楽としての格の高さを問題にせねばなるまい。とするとパールマンと作品の触れ合いもそこから出発する。当然である。このヴァイオリニストは自らの体質をさらけ出し、ごく自然に、率直に作品に対している。かつてしばしば音楽の造形面における憑依的な崩れがフランス的な洗練という名目によって容認されてきたが、それが仮にフランスの芸術家の手で行われたとしても結果的にフランス音楽の一つの面だけを誇張したことになるのはやむを得ない。さいわいパールマンは現代の演奏家として、そうしたことを認めてはいない。彼の演奏は、譜面に対して正確である。従って造形はあくまでも端正に処理され、表情がどれほど情熱的な場合も感覚的に濁りがない。今やフランスの演奏家といえども、そうしたことを求め実行しているのであるから、結果的にパールマンのフランス音楽がフランス的であるか無いかというより、音楽的であろうとするのは当然である。あえていえば彼のフランス音楽は、その国際性と現代性において、全くフランス的と形容して良いのである。こうした場合、これらの作品もその厳しさとたくましさに耐えて、いっそう底光りのする真価を発揮するが、マルティノン指揮のパリ管弦楽団が、そうしたパールマンに対して、あらゆる意味で見事な同質性をもって融合していることは、いわばパールマンのフランス音楽における正当性の証明である。
Itzhak Perlman – Itzhak Perlman Plays Fritz Kreisler
Side-B
- ウィーン奇想曲 Caprice Viennois Op. 2 Composed By – Fritz Kreisler
- マルティーニのスタイルによるアンダンティーノ Andantino Im Stile Martinis Composed By – Fritz Kreisler
- ボッケリーニのスタイルによるアレグレット Allegretto Im Stile Boccerinis Composed By – Fritz Kreisler
- ジプシーの女 La Gitana Composed By – Fritz Kreisler
- スラヴ舞曲第3番ト長調(ドヴォルザーク/クライスラー編) Slawischer Tanz Nr. 3 G-Dur Composed By – Antonín Dvořák, Arranged By – Fritz Kreisler
- ルイ13世の歌とパヴァーヌ Chanson Louis XIII. Und Pavane Im Stile Louis Couperins Composed By – Fritz Kreisler
- 美しきロスマリン Schön Rosmarin Composed By – Fritz Kreisler
- 愛の喜び Liebesfreud Composed By – Fritz Kreisler
- スペイン舞曲(デ・ファリャ/クライスラー編) Danse Espagnole Composed By – Manuel De Falla, Arranged By – Fritz Kreisler
- 愛の悲しみ Liebesleid Composed By – Fritz Kreisler
- レシタティーヴォとスケルツォ・カプリッチョ Rezitativ Und Scherzo-Caprice Op. 6 Composed By – Fritz Kreisler
- タンゴ(アルベニス/クライスラー編) Tango Composed By – Isaac Albéniz, Arranged By – Fritz Kreisler
- ベートーヴェンの主題によるロンディーノ Rondino Über Ein Thema Von Beethoven Composed By – Fritz Kreisler
- 中国の太鼓 Tambourin Chinois Op. 3 Composed By – Fritz Kreisler
- Record Karte
- 1975年8月、ステレオ・セッション録音、Artwork – Jürgen Schumacher, Recorded By [Tonmeister] – Michael Gray, Producer – Suvi Raj Grubb.
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