34-19297
通販レコード→ラージ・ドッグ・セミサークル黒文字盤

GB EMI ASD2906 トルトゥリエ エルガー・チェロ協奏曲

《自らの道を迷わず歩む求道者のような暖かく愉悦感にあふれた演奏には御大の人柄がにじみ出ている ― 芯の太い音色で、それに伴う音色、表現の微妙な変化、自然とトルトゥリエの世界に誘われます。》『音楽を弾く』ことは、録音から半世紀経った聴き手にも演奏会に立ち会っている錯覚に誘うのだろうか。円熟の巨匠の手になる、落ち着いたテンポによる、端正かつ的確な解釈の気品と余裕に満ちた演奏です。良い意味でリラックス、楽しんで弾いている空気感が録音から伝わってきます。それだけでなく、彼の音楽に対する姿勢は、一音一音の、音の長さ、強弱、運指、弓の動き、それらを微細に探求されていながら、そして最終的に大きな目で見てみると驚く程全てが美しく構成されているということがよく分かります。芯の太い音色で、それに伴う音色、表現の微妙な変化、自然とトルトゥリエの世界に誘われます。トルトゥリエは、1914年3月21日にパリに誕生。6歳でチェロを習いはじめ、10歳のときにパリ音楽院に入学、16歳でチェロ科を一等賞で卒業し、パリでデビュー・リサイタルを開くほどの早熟の天才でしたが、トルトゥリエは再びパリ音楽院に通い、今度は対位法と作曲を学び、ハーモニーの部門で一等賞を得ます。パリ音楽院をあとにしたトルトゥリエは、まずモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団の首席奏者に迎えられ、2年後にはボストン交響楽団の首席に転進、第二次世界大戦中はパリ・フィルハーモニー協会管弦楽団の首席をつとめ、終戦後2年間はパリ音楽院管弦楽団の首席奏者として活躍、1947年からはソリストとして演奏活動をおこなうこととなります。以後、40年以上に渡って世界的な名声を博したトルトゥリエは、演奏理論書のほか、独特の形状のエンドピンまで考案する多才な人でもありました。1990年12月18日、トルトゥリエはパリ郊外の音楽学校でチェロを教えていましたが、その際、自室に楽器を取りに行ったときに心臓発作に襲われ、チェロにもたれかかったまま亡くなっているのが発見されたということです。いつもパワフルで気さくだったトルトゥリエを象徴するかのような最期でした。収録は1972年10月。チェロをアップで録るのではなく、自然な音場感を提示した中にチェロをそれらしいサイズに定位させる好録音。トルトゥリエの演奏は音楽に没頭するのではなく、その力みのないさりげない演奏は作曲者の意図を冷静に客観的に楽しみたい時に、まさにピッタリだし、よりエルガーらしいともいえる。彼はあのジャクリーヌ・デュ=プレの師としても知られている。両者を結びつけるところも感じられ高名な弟子のデュ=プレ盤と比較試聴するのも一興かと思います。1919年、「ブリンクウェルズ」で完成された《チェロ協奏曲》は、とても美しい曲だが、悲劇の匂いが感じられて、それが離れることがない。この曲が作曲された翌年エルガーの愛妻アリスが世を去ってしまう。つまりアリスが最後に聴いたエルガーの新作が、この曲であったのだ。第1楽章は、その哀しみを暗示しているかのように切ない。エルガー自身がこの曲の録音をする際に2度ともに起用した女流チェリストのビアトリス・ハリソンの演奏によって、この曲は広く親しまれるようになったが、その演奏スタイルは後のジャクリーヌ・デュ・プレの神々しいまでの演奏の出現を予感させる。1965年20歳のデュ=プレは、ジョン・バルビローリとロンドン交響楽団の伴奏で、この曲の録音を行い、今なお決定盤としての地位は不動である。「グラモフォン」誌が選定した20世紀の名録音という企画で、1位に輝いたショルティの《指輪》に続いて第2位に選ばれたのは決して過大評価ではない。このエルガーの《チェロ協奏曲》は、アリスの突然の死とデュ・プレの悲劇という2人の女性の運命を連想することなしに聴くことはできない。エルガー62歳の時、アリスは70歳になっていた。この頃になるとアリスの体調が思わしくなかったので、養生のためにまた夏の間に滞在するために、ウェスト・サセックス州のフィトルワース近くの山荘を見つけ名付けた家が「ブリンクウェルズ」。アリスの静養という面においても有効であったが、第一次世界大戦が起こり、戦争がエルガーの周りの何もかもを狂わせてしまった。彼の作品は「時代遅れ」の烙印を押され、世評の冷たい攻撃にさらされることもあった。またエルガーの作品を最初に評価してくれたドイツでも敵対国の作曲家ということで人気は凋落してしまっていた。心身共に疲れ果てたエルガーもまた体調を崩してしまい静養を求めていた。その中で内省的な室内楽を中心とした ― ヴァイオリン・ソナタ、弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲、チェロ協奏曲 ― 美しい作品群が作曲された。地味ではあるが、エルガーが作曲家として達した最後の境地と言えるだろう。「木々が私の曲を歌っている。或いは私が彼らの曲を歌うのか」というエルガーの言葉は生き続けている。翌年春、アリスは71歳の生涯を閉じる。エルガーは書いている。「私が成し遂げたことは妻のお陰によるものが大きい」。どれもこれも郷愁と懐古に満ちた白鳥の歌を思わせる清らかさを持っている。特にアリスが気に入っていた作品ばかりである。2人とっては、この世で過ごした最後の楽しい夏であった。
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