商品番号 34-9150
オーケストラの各楽器を英EMIのノウハウを十全に駆使して力強く荒々しく、時にはハッと生演奏のような錯覚すら覚えます ― 内なる情熱を秘めた感動の質の高い演奏。
サー・マルコム・サージェントは決して派手な芸風を売り物にする指揮者ではなかったが、20世紀イギリスを代表する指揮者の一人であり、遺された録音もイギリスの音楽作品を中心に高水準の名演がめじろ押しです。
何故かイギリスの指揮者は、ブリテンの青少年の管弦楽入門を例にとるまでもなく将来の顧客ないしは演奏家になるであろう子供達にクラシック音楽を啓蒙したい傾向が有る様です。私たちは幼い時から年末には必ず、彼の作品に親しんでいるのですが、それを知らずに育っているのです。ケント州のアシュフォードに生まれた20世紀イギリスを代表する名指揮者。石炭商人を務めながらも聖歌隊の指揮者、オルガニストとして活躍した父のもとで音楽に親しみ、サージェントは教会音楽についてじゃ少年時代から抜きん出た才能を見せた。またギルバート&サリバンの作品についても早くから親しみ、終生変わることのない愛情を抱き続けた、初め教会のオルガニストとしてキャリアをスタートさせているが、1921年ヘンリー・ウッドが主催していたプロムスに招かれ、自作の管弦楽曲「強い嵐の日の印象」(Impression on a Windy Day)作品9を指揮した。オーケストラはクィーンズホール管弦楽団で、これはサージェントがプロのオーケストラを初めて指揮したデビュー公演でもあったのだが大きな成功となり、以来、ウッドの勧めもあってサージェントは指揮者としてロンドンを中心に活躍するようになった。32年ビーチャムがロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を創設すると、その中心的な指揮者の一人となっているし、39年〜42年にはリヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者も務めている。また合唱指揮者としての名声はつとに知られるところとなり、28年から亡くなる67年までロイヤル・コーラル・ソサエティの指揮者として人気を博したし ― その合唱とオーケストラのために「きよしこの夜」を編曲 ― 、この間の31年にはリーズ音楽祭でウォルトンの「ペルシャザルの酒宴」を初演している。また大戦中は戦禍の中、国内に留まり、慰問コンサートなどに尽力、国外に逃れる格好となったビーチャムに代わりイギリスでの人気を不動のものとした。戦後はさらに人気を高め、BBC交響楽団の指揮者として活躍した他(50〜57年)、プロムスの中核的指揮者として終生出演を続けた。またBBCを通して彼の解説も親しまれた。外国への演奏旅行では〝イギリスの音楽大使〟として愛された。ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」(46年)、ウォルトンの交響曲第9番(58年)の初演も行っている。47年ナイトの称号を授与されている。決して派手な存在感を誇る指揮者ではないし、レパートリーも限定されているが、内なる情熱を秘めた感動の質の高い演奏を聞かせた。録音もイギリスの作品を中心に不滅の名演がならんでいる。67年に亡くなるが、音楽好きのチャールズ皇太子との交流が晩年の巨匠を勇気づけ、絶筆は皇太子へのエルガーのチェロ協奏曲のレコードの献呈文だといわれている。さて、本番はイギリス音楽ではなくて、北欧の大作曲家シベリウスの《交響曲第1番》。2023年の現在からすると、古典的な交響曲扱いにもなるが、録音時は同時代の交響曲作品。ここではサージェントも、大人も十分楽しめる雰囲気を持って取り組んでいます。そうした心構えに応じるオーケストラの各楽器を英EMIのノウハウを十全に駆使してのレコーディング。そのサウンドは力強く荒々しく、時にはハッと生演奏のような錯覚すら覚えます。一連のホルストの作品と、イギリス人が大好きだったシベリウスにの音楽に関しては、完全に「手の内」に入った音楽です。中庸を好む英国人指揮者と明るめの音はサージェントとは珍しいBBC交響楽団という組み合わせによるのかも知れない。歌うべきところはしっかり歌っている、そして畳み込むべきところはしっかりとオーケストラを追い込んでいる人間味溢れる演奏は聴いていて実に楽しいレコードです。
- Record Karte
- 1956年8月27日ロンドン、キングスウェイ・ホールでの録音
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