34-19686

GB EMI ASD2498 デュ・プレ&バレンボイム シューマン・チェロ協奏曲/サンサース・チェロ協奏曲1番

商品番号 34-19686

通販レコード→英モノクロ切手ラベル

天才は夭折する。 ― 豊かなメロディと不気味さが同居したシューマンの不可思議な魅力、サン=サーンスのきらびやかな技巧性とある種のエキゾティシズム。ジャクリーヌ・デュ=プレはこの2曲に対し、力強さと繊細さ、大きなスケールとしなやかさで挑んでいます。激情と優しさが同居した奇跡的パフォーマンスがここに記されています。表紙の幸せそうな少女の写真から、彼女が42歳で生涯を閉じると誰が想像しただろうか。患ったのは多発性硬化症のために筋力が無くなり、身体を動かす自由が奪われていく病気。1971年、若干26歳の演奏家は指先などの感覚が鈍くなってきたことに気付く。その2年後の演奏旅行中には既に満足のいく演奏が行えなくなっていた。直後に、チェロ演奏家として事実上引退。1961年から1973年までの約12年間の活動期間中に残された録音の多くは、集中度の高い情熱的な演奏が特徴で、現在も名盤。デュ=プレは、1966年にダニエル・バレンボイムと21歳の若さで結婚、この録音が行われたのは1968年(ロンドン、アビー・ロード・スタジオ)、まだ23歳である。これは不治の病を発症する直前の演奏でもある。デュ=プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、何かに取りつかれたような底知れぬ情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。若い情熱を隠すことなく迸らせた熱演は、髪を振り乱したデュ=プレのイメージと見事に合致する。デュ=プレの奏でる調べは、我々の魂の深いところに響く。ひとはジャクリーヌを妖精と呼んだ。たとえ目の前に落とし穴や障害物がいっぱいあっても、ジャクリーヌは大股で踏み入っていく。ジャクリーヌの天性の感は行く道を誤ることがない。1961年、16歳でデビュー、「カザルスに匹敵する」と絶賛を浴びてから9年。レコード会社の肝いりでコンサートツアーとなると協奏曲の演奏を求められるわけで、そこでは作曲家に襲い掛からんばかりの気迫で曲を征服してしまう彼女だが、本当の彼女のチェロは、弾く事を心から楽しむ、自然な演奏にあったのではないだろうかとふと感じました。短く逞しく生きた夭折の天才というイメージは激情系のチェリストとして認知されているが、室内楽を弾かせても抜群の味付けが出来たということがわかります。「天才とは神が与えた重荷だ」というが、4年後に多発性硬化症が発症して28歳でチェロ演奏家として引退するとは思ってもいなかっただろう。デュ=プレをその後襲った悲劇をわたしが思ってしまうからか、命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ=プレに声援を送っている。特に、シューマンの最晩年の人生への諦観や寂寥感、深遠な抒情の表現した傑作であるだけに、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものだ。
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商品名GB EMI ASD2498 デュ・プレ&バレンボイム シューマン・チェロ協奏曲/サンサース・チェロ協奏曲1番

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