34-19263

商品番号 34-19263

通販レコード→英ラージドッグ・セミサークル金文字盤

交響曲第8番が出色 ― トスカニーニの最晩年の演奏がこのような音質で提供されていれば、彼に対する評価は全く違ったものになっていた。 ― 世界的指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤンは来日した際に、「君が代」を聴いて、「世界の国歌の中で最も荘厳な曲」と評価した。1973年にカラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて来日公演を開いた初日では、まず君が代、続いて西ドイツ ― 当時 ― 国歌が演奏された。戦時中は演奏会の最初や最後に『星条旗』 ― 星条旗よ永遠なれ ― を演奏することも多かった。『星条旗』を演奏する際アルトゥーロ・トスカニーニは、リハーサルや録音であっても、チェロを含む全員を起立させて演奏したと言われている。イタリアへの母国愛を終生抱き続けたトスカニーニであったが、だからこそ米国人にとっての母国である米国への愛を尊重していたのだと思われ、トスカニーニの人となりがわかる。トスカニーニは戦前・戦中・戦後初期を代表する大指揮者で、ヨーロッパではヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アメリカではトスカニーニと人気を二分した。フルトヴェングラーのロマンティックの極みに対してトスカニーニは、イタリアのエミリア・ロマーニャ州の県都パルマ出身ということから当地で高名なワイン、弱発砲性赤ワイン・ランブルスコのようにすっきり系ですが、すっきりまとめているからといって、そこには軽さは感じられず力強さが感じ取れます。トスカニーニは1898年31歳の時にはイタリア・オペラの総本山とも言うべきミラノ・スカラ座の指揮者に迎えられます。そのデビュー公演でワーグナーを取り上げ楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を1ヶ月以上に亘る猛烈な訓練の後に演奏、この公演はスカラ座の歴史に残る程の大成功を収めワーグナー指揮にみせるトスカニーニの才能のほどを内外に確認させる事となった。ドイツ系指揮者以外はまだ誰も足を踏み入れていないバイロイト音楽祭から1930年63歳の時に出演要請を受け歌劇「タンホイザー」と楽劇「トリスタンとイゾルデ」を指揮してバイロイト音楽祭始まって以来の外国人指揮者登場の第一歩を標す。そこにはアドルフ・ヒットラーを嫌い「バイロイトを人種の別なく音楽の聖域としたい」と考えていたリヒャルト・ワーグナーの忘れ形見ジークフリートの思想が働いていた。彼は外国人のトスカニーニに積極的に出演を要請して、このバイロイトを開かれたものとしたのですが生憎トスカニーニが初めてのデビューを飾った、この1930年の夏にジークフリートは突然亡くなってしまいます。バイロイトはナチスの牙城としての色彩を強めていく。トスカニーニは翌1931年には歌劇「タンホイザー」と舞台神聖祝典劇「パルジファル」を指揮し、更に翌々年の1933年にはバイロイトの名誉市民の称号も得て、いよいよ念願の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を指揮する予定になっていた。演奏会で指揮している分は良かったのですが、「是非今年の公演の折りには直接会ってナチス第三帝国の首相として御礼を申し上げたい」という大変遜った文面の手紙がナチスからトスカニーニに届く。ヒットラーのユダヤ人政策に徹底して反対していたトスカニーニは「現在のような状況のもとではバイロイトに足を運ぶわけにはいかない」と断っており、「この間バイロイトで指揮できたこと、それ自体が私にとっての報酬である。」として、この時のバイロイト音楽祭の出演料は一切受け取らなかった。この当時、利用するだけ利用されたブルーノ・ワルターは演奏活動が出来ないところまでナチスに追いつめられ、娘は娘婿だったナチス将校に銃殺される。危機を感じて帰宅しないで演奏会場に駆け込んだワルターの急場を救うべく指揮を代行したのがトスカニーニだった。→コンディション、詳細を確認する
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程なくフランス経由でイギリスへの逃避行を手引した。1936年引退を決意してニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を辞任し、イタリアへ戻ったアルトゥーロ・トスカニーニに翌1937年にはラジオ放送を通じて一度に何百万もの人々に演奏を聴いて貰おうと言うアメリカの放送局からの提案を受け入れ再びニューヨークに復帰すると、1937年トスカニーニのためにアメリカRCA社が創設したNBC交響楽団の指揮者となります。ブルーノ・ワルターの晩年にアメリカ・コロンビア社が結成したコロンビア交響楽団の先駆けみたいですが、当時のアメリカの財力は有名指揮者にオーケストラをプレゼントするとは凄まじい。商魂逞しい米国のメディアが投資するトスカニーニには、剛毅で、集中力が高く、熱気にあふれ、人を引き付ける何かがあった証左であろう。後輩のヘルベルト・フォン・カラヤンでさえ持つことが出来なかった強大な影響力を生み社会現象になった初めてのマエストロではなかろうか。ダイナミックこそ無いのはマイクが現代のコンデンサータイプとは違うから。SPレコードの音はシャーシャー言うイメージがあるようですが、それはシェラック盤が鉄針と擦れて立てる音。再生音では聞こえないものです。SPレコードの録音ですが、針音がしないで、どうこうとのコメントはナンセンス。真空管のマイクが捉えた、SP時代に最高と謳われたトスカニーニとNBC響による1939年録音のベートーヴェン・交響曲第5番「運命」は、創立3シーズン目のNBC響による初のベートーヴェン・チクルスの録音で、トスカニーニのベートーヴェン解釈を語る上で重要な名演でした。本盤はトスカニーニ最晩年の実に味の濃いベートーヴェン。今度は、交響曲第8番の演奏が出色。1952年3月22日(5番)、11月10日(8番)録音。1867年3月25日、トスカニーニはイタリアのパルマに生まれた。パルマ王立音楽院を卒業後、チェリストになるが、1886年6月30日、ヴェルディの歌劇『アイーダ』南米公演の際に急遽指揮者としてデビュー。以後、トリノ王立歌劇場、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・フィルでキャリアを重ね、1937年には彼のために創設されたNBC響の首席指揮者に就任、数多くのコンサート、録音を行った。1954年4月4日、カーネギー・ホールでのコンサートを以て引退。1957年1月16日にニューヨークで亡くなった。
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  • 1950年優秀録音、名演、名盤
  • GB EMI ALP1108 アルトゥーロ・トスカニーニ べートーヴ…
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Toscanini Collection
Arturo Toscanini
RCA
2012-05-01