GB EMI ALP1014 ハイフェッツ&サージェント エルガー・ヴァイオリン協奏曲
通販レコード→英ラージ・ドッグ、セミサークル金文字盤

GB EMI ALP1014 ハイフェッツ&サージェント エルガー・ヴァイオリン協奏曲

商品番号 34-19674

情熱と厳格さが混淆している。 ― ハイフェッツの演奏の特異性については、完璧・精巧無比・人間の限界を極めた、ヴァイオリン演奏に特化した機械人形。20世紀初頭頃までのクラシック音楽の演奏には曖昧さが許され、またかえってそれをよしとする風潮があったと言える。クライスラーやエルマンの録音からは、技術的問題も含め、譜面に指示のない表現をよく行うことに気付く。その良し悪しについてはひとまず置いておき、当時は奏者の個性を前面に出す事が重んじられていたようである。これに対してハイフェッツは、冷静かつ正確に、一切の妥協を排除した解釈を行なった。現代では作曲者の意図を最も適切に表現する事が重んじられている。鋭い運弓と力強いヴィブラートによって創り出されるその音色は非常に特徴的である。演奏家それぞれの個性などという次元ではなく、ハイフェッツがヴァイオリンを奏でることで、別質の新しい楽器がそこにあるかのごとく錯覚を起こしそうになる。その余りに強烈な個性がハイフェッツのレコード、一枚、一枚に宿っている。ベートーヴェンのコンチェルトも胸がすく。トスカニーニ、ミュンシュとの共演盤があるが、あまりにうますぎ、ベートーヴェンがパガニーニの技巧曲のように聴こえる場面が出てくるが、他の誰よりも速いテンポで健康的に一気呵成に進めつつ、抜群のニュアンスを堪能させてくれる。それが即ち、バッハ=ベートーヴェン=ブラームスと繋がる、ドイツ主流派の音楽では決定的名演と推し難いところだ。ハイフェッツの演奏は『グローバル化』された音。つまり、ロシア生まれだからチャイコフスキーが素晴らしい、と単純に言えない。つまり、ショーソンやサン=サーンスにフランスのエスプリは聴けない。つまり『ハイフェッツ』そのものを聴かされることで終始する。その、いかなる国や地方の文化や歴史からも断絶された『世界統一新規格』になっている。バッハやベートーヴェンにドイツの質実剛健はなく、さらに、バッハとブラームスの様式の差別化もない。しかし、いま聴いてみると、あまりにうますぎただけで、すっとした流れの中になんともいえぬ表情がつき、節回しなどは十二分に個性的だと思う。如何にも完璧・精巧無比・人間の限界と云った言葉が似合う演奏ですね。本盤は1946年6月6日ロンドン、アビー・ロード・スタジオ録音。しかし、魅力は音質だけではない。英国のオーケストラの緻密で繊細な伴奏と、ハイフェッツの名人芸とのコラボレーションで完成度の高さは第一級。ハイフェッツの録音の中でも、クセの無い滑らかなヴァイオリンの音色が良い。
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20世紀ヴァイオリン演奏史に巨大な足跡を残したヤッシャ・ハイフェッツ(JASCHA HEIFETZ, 1901〜1987)は1901年2月2日、ロシア帝国領ビルナ(現リトアニア・ヴィリニュス)生まれのユダヤ人ヴァイオリニスト兼作曲家。“ヴァイオリニストの王”と呼ばれた20世紀を代表する巨匠で、ジム・ホイル名義で作曲も行なう。神童と呼ばれ、5歳でレオポルト・アウアー門下のイリヤ・ダヴィドヴィチ・マルキンに師事し、7歳でデビュー。1910年にサンクトペテルブルク音楽院に入学し、12歳でニキシュ指揮のベルリン・フィルと共演。1917年に米デビューし、1925年には米市民権を獲得。以降、演奏活動をしながら世界各国を訪問。1958年から南カリフォルニア大学で後進の指導にあたり、1972年に演奏活動から引退。1987年12月10日、ロサンゼルスにて死去。86歳没。クライスラーは約四半世紀後輩のアメリカ・デビュー盤を聴いたあとで一言、「私達ヴァイオリニストは、全員膝で楽器のネックをへし折って転職しなければならない」と語った。ハイフェッツのテクニックは完璧であり、音色の輝かしさは他の追随を許さず、録音から窺う限り、ハイフェッツの演奏スタイルは生涯変わらなかった。スタイルに変化がないだけではなく、解釈と内容も変わっていない。進歩していないのではない、20歳未満にして彼の芸術は完成されていたのである。16歳の初録音から、「ラスト・コンサート」と名付けられた1972年、71歳のライヴ・レコーディングに至るまで、もちろん年齢の加算による深まる覇気の質の違い、共演者や録音会場の影響は認められるが、好不調の波も僅かで、いかなるときも破綻を来たすことはなかった。数多くのレコードは、古典派の名曲から近現代のショーピースまで及び、完璧な技巧はハイフェッツが活躍した時代を共有した人々を驚かせ、感嘆させた。ピアノなどと違って自分で音程も音色も作らなければならない、この扱いにくい楽器・ヴァイオリンの演奏精度を、これまた極限まで高めた音楽家として20世紀の大ヴァイオリニストとしてクライスラー、ハイフェッツ、シゲティのベスト3は揺るがない。コンクール制度によって技術的水準が天井知らずに上がってゆく現代でも、現今のすべてのヴァイオリニストにとってハイフェッツは神様のような存在だが、演奏史上の格付けに「最高」の評価を与えない評論家、愛好家は今以って少なくない。SPレコード時代、「あれは音楽ではない。機械だ」といわれた。精神主義華やかりし、フルトヴェングラーやトスカニーニが君臨した「音楽が人々にとって偉大であった時代」。作品の背景や、解釈から、いきなりスパっと割り切れた名人技を示されたのだから、人々が戸惑ったのも無理からぬ処であろう。
批評家も生き馬の目を抜く商売だから、ハイフェッツを批評しようとして結局他者と同じことを書かざるをえないと拒絶反応を示してしまうものです。それほどハイフェッツの音楽は単純な動機で成り立っている。ハイフェッツは優れた技巧を駆使し早いテンポで明確流麗に音楽を弾き込んでいく人だった。過剰な程にかけられるヴィブラートやポルタメントは柔な感傷性を排した機械人形といえる精緻な音色を表現していく。デビューのレコードを聴いたクライスラーの発言通りで、それは生涯変わることなかった。ハイフェッツが、その強力なテクニックを駆使して早いテンポで、ぐいぐい弾いて行く様はあまりにも明快で、サー・マルコム・サージェント指揮するロンドン交響楽団は伴奏者として脇を固め、完全に音楽に嵌った感じで完璧なアンサンブルのもと一体となって燃え上がり激走する。協奏曲の分野でのそういう演奏は、曰く、技巧や音ばかり磨かれて、曲の深い精神性が無視されている、優雅な面が軽んじられている、と戸惑ったのだろうか。否、彼らがドイツ・オーストリア系でない奏者であることも手伝って、評論の指標がなかったからではないか。其のようなハイフェッツの演奏の特異性については、情熱と厳格さが混淆していることを説明する最も良い例が、本盤。エルガーのヴァイオリン協奏曲と言えば、やはりこの演奏だ。1960年代にLPレコードの収録時間が増え、メンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲がレコード一枚で楽しめるようになると、ベートーヴェン、ブルッフ、ブラームスとされていた3大ヴァイオリン協奏曲の座は崩れ、この曲も1曲で50分を超えるからか1970年代はまるで流行らなかったほどで、1975年のレコード芸術の総目録には1枚も載っていない。メジャーレーベルの国内盤新譜としては1977年のチョン・キョンファの DECCA 盤がずいぶん久しぶりだったと記憶する。1980年代に名録音と絶賛されたのは、以前紹介したパールマン&バレンボイム盤があるくらいで、CD時代になった1990年代にはいってから新録音が増え始める。ハイフェッツは1950年代の中頃からオーケストラを無視して、ひとり先へ先へ弾く傾向が芸風として顕著になっていくが、1940年代~50年代前半の自然な息づかいで精神的な余裕が感じられる演奏時期。ハイフェッツは高いテクニックを駆使し、懐深いおおらかな歌を聴かせています。ヴァイオリン協奏曲としては50分を超える超大作を、気が付くと、すっきりとした気分で聴き終えている。SPレコードも長年経験を重ねてきていたハイフェッツだから、録音の精度が良くなった程度の平静な取り組み。ハイフェッツ壮年期の録音だけに、何という凄まじいテクニック。しかもそれを感じさせず、例のハイフェッツ独特の無関心さで弾きとおす。それがまた、高貴な表現になっているところが素晴らしい。エルガーの曲は超難度なので、ハイフェッツ級のヴィルトゥオーゾで聴きたい。サージェント指揮ロンドン交響楽団も十全。録音も当時の最高レベルで聴きやすい。オーケストラの序奏から独奏ヴァイオリンが入ってくるくだりで感極まって涙が出てくる。それはテンポこそ速めの進行ながら、ひっそりとした静けさを感じさせる。これは曲への深い共感にあるものでエルガーで聴きたいと思うそのものを聴かせてくれているという所以、エルガー好きも改めてエルガーが好きになること間違いなしの推薦盤。ハイフェッツの録音を数々聴き重ねてきたら、その僅差を楽しむことが出来るようになった時に、第一級の完成度を良く楽しめる。歳を重ねていくことで経験は多くなるものですが、バッハやベートーヴェンの日常を体験できるわけではない。思い入れを廃して楽譜通りに演奏するだけでエルガーの心境に共感できていることに驚きと、感慨を持たずにいられない。
19世紀までは聴衆にも、各地の演奏家にも有名演奏家が演奏旅行をするときにレパートリーとして貰うことで広まっていった作曲家の名声。20世紀になるとラジオで自作が演奏されるのを楽しむ様になった。英国を代表する、この作曲家は、そうしたメディアの時代に乗り合わせ国際的に評価を受ける存在になっていく。マイクロフォンの登場を受けて、エルガーは彼自身の指揮で数多くのレコードを残した。「名作曲家イコール名演奏家」ではないが、ことエルガーに至っては彼自身が熱心にレコード録音として後進の指揮者に目的を遺した。近代イギリスを代表する作曲家、サー・エドワード・ウィリアム・エルガー( Sir Edward William Elgar )は、経済的に恵まれなかったため正規の音楽教育を受けることができず、ほとんど独学で勉強したそうですが、ピアノ調律師で楽器商を営んでいた父親のウィリアムは生業のかたわら聖ジョージ・ローマ・カトリック教会のオルガニストを務めていたそうですから、やはりその血の中には音楽家の資質が備わっていたということなのでしょう。1857年生まれ。1934年没。英国の作曲家・オルガニスト。イギリス音楽を再興した重要な作曲家。オルガニストの父から手ほどきを受けるが、その後は独学で作曲などを学ぶ。作風はロマン派で民俗的ではないが、いかにも英国的気品がある。若きエルガーはシューマン、ワーグナーの作品にはとりわけ強く影響を受けたとされています。代表作のひとつである『エニグマ(謎)』変奏曲がハンス・リヒターの指揮によって初演され、オラトリオ『ゲロンティアスの夢』はリヒャルト・シュトラウスが絶賛したことで、その名声はヨーロッパ中に広まります。エルガーのもっともポピュラーな作品である行進曲『威風堂々』第1番中間部の有名な旋律は、今日『希望と栄光の国』として愛唱されイギリス第2の国歌とまで称されています。1914年(旧吹込み)以来エルガーはレコーディング活動にも積極的であり、1920年にマイクロフォンによる電気吹き込みの技術が新しく開発され、エルガーは自身の代表作を次々とレコーディング、ビートルズが使用したことで有名な EMI のアビー・ロード・スタジオで初録音をおこなったのはエルガーでした。ヴァイオリン協奏曲は、エルガーが自身の最も親しんだこの楽器のために書いた唯一のものであり、当時のスーパー・スターであるフリッツ・クライスラーが初演、彼に捧げられました。しかし1932年、クライスラーとの録音を考えていたのだが都合がつかず急遽、当時16歳のユーディ・メニューインに白羽の矢が立てられエルガー自身の指揮ロンドン交響楽団で初録音( GB EMI ALP1456 )されたのだった。そして、スコアの扉にスペイン語で「ここに・・・・・の魂が秘められている」と謎の引用句が記されている。ここは正しくは5つの臥せ文字。エルガーは真相を明かすことはありませんでしたが同時代の仲間や後世の研究家が様々名前を予測し、それがこの協奏曲の難解さを助長、聴く人の好奇心を刺激するポイントにもなっている。これはアラン=ルネ・ルサージュという作家の「ギル・ブラス Gil Blas」という小節の一句だそうですが、曰く5文字は画家ジョン・エヴァレット・ミレーの娘でエルガーが「アネモネ Windflower 」の愛称で呼んでいたアリス・ステュアート=ワートリー男爵夫人( Alice )であるという説。エルガーの元カノだったヘレン・ウィーバー( Helen )だったという説。エルガーのアメリカの友人であるユリア・ワージントン( Julia )であるという人。更にはエルガー夫人のアリスその人、いやエルガーの母だという意見もある上に、実はエルガー本人( Elgar )だという意見も登場するほど。他にも7~8人にも及ぶようです。音楽も正にそれを反映し、この協奏曲には3つの楽章に登場するテーマは7つか8つほど。第1楽章第2主題、第2楽章冒頭、第3楽章の第2主題は、それぞれ異なる女性を想わせ、第2楽章と第3楽章でエルガー得意の表情記号である Nobilimente で出現する言わば「貴族の主題」の人物は重要で、怪人二十面相宜しく、変形されたモチーフで特に第2、3楽章の多くの箇所に登場します。こうした登場人物たちは3つの楽章で複雑に絡み合い、時には変奏されることから、このヴァイオリン協奏曲を難しくしている根本です。ヴァイオリンの奏法はバロック時代に確立しきっていますが、特に第1楽章第2主題がエルガーの発明になるという弦のピチカート・トレモロに導かれて登場する主題は「謎」の鍵かもしれません。エルガーらしい甘美な旋律もさることながら、細かなオーケストレイションやピツィカート・トレモロといった特殊なテクニックを要する箇所も登場します。エルガーの曲というのは、如何に優れたテクニックでも描き切れない「心」の部分がある。作曲家と演奏家の、心のある資質が同化した瞬間にエルガー作品の名演奏が生まれるのだと思う。特にこの曲の場合、そこに難しさがある。確かに技巧的な要素も求められてはいるのだが、それ以上に求められているものがあるのだ。それに応えられるかどうかで決まってしまう。
サー・マルコム・サージェントは決して派手な芸風を売り物にする指揮者ではなかったが、20世紀イギリスを代表する指揮者の一人であり、遺された録音もイギリスの音楽作品を中心に高水準の名演がめじろ押しです。何故かイギリスの指揮者は、ブリテンの青少年の管弦楽入門を例にとるまでもなく将来の顧客ないしは演奏家になるであろう子供達にクラシック音楽を啓蒙したい傾向が有る様です。私たちは幼い時から年末には必ず、彼の作品に親しんでいるのですが、それを知らずに育っているのです。ケント州のアシュフォードに生まれた20世紀イギリスを代表する名指揮者。石炭商人を務めながらも聖歌隊の指揮者、オルガニストとして活躍した父のもとで音楽に親しみ、サージェントは教会音楽についてじゃ少年時代から抜きん出た才能を見せた。またギルバート&サリバンの作品についても早くから親しみ、終生変わることのない愛情を抱き続けた、初め教会のオルガニストとしてキャリアをスタートさせているが、1921年ヘンリー・ウッドが主催していたプロムスに招かれ、自作の管弦楽曲「強い嵐の日の印象」(Impression on a Windy Day)作品9を指揮した。オーケストラはクィーンズホール管弦楽団で、これはサージェントがプロのオーケストラを初めて指揮したデビュー公演でもあったのだが大きな成功となり、以来、ウッドの勧めもあってサージェントは指揮者としてロンドンを中心に活躍するようになった。32年ビーチャムがロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を創設すると、その中心的な指揮者の一人となっているし、39年〜42年にはリヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者も務めている。また合唱指揮者としての名声はつとに知られるところとなり、28年から亡くなる67年までロイヤル・コーラル・ソサエティの指揮者として人気を博したし ― その合唱とオーケストラのために「きよしこの夜」を編曲 ― 、この間の31年にはリーズ音楽祭でウォルトンの「ペルシャザルの酒宴」を初演している。また大戦中は戦禍の中、国内に留まり、慰問コンサートなどに尽力、国外に逃れる格好となったビーチャムに代わりイギリスでの人気を不動のものとした。戦後はさらに人気を高め、BBC交響楽団の指揮者として活躍した他(50〜57年)、プロムスの中核的指揮者として終生出演を続けた。またBBCを通して彼の解説も親しまれた。外国への演奏旅行では“イギリスの音楽大使”として愛された。ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」(46年)、ウォルトンの交響曲第9番(58年)の初演も行っている。47年ナイトの称号を授与されている。決して派手な存在感を誇る指揮者ではないし、レパートリーも限定されているが、内なる情熱を秘めた感動の質の高い演奏を聞かせた。録音もイギリスの作品を中心に不滅の名演がならんでいる。67年に亡くなるが、音楽好きのチャールズ皇太子との交流が晩年の巨匠を勇気づけ、絶筆は皇太子へのエルガーのチェロ協奏曲のレコードの献呈文だといわれている。リムスキー=コルサコフはロシア国民楽派五人組の最も年少者、教養が高かったのと、管弦楽法の名人で、その作曲には手の込んだ技巧的なものが多い。ムーソルグスキーの荒削りな作品に手を入れて、名作を我らに遺してくれたのはもう一つの手柄である。交響組曲「シェエラザード」は代表作である。アラビア夜話に取材して、豪華な夢を織りなす手際は見事だ。レコードではストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団を指揮したのが絶対的に良い。歌劇「サドコ」は面白い曲だ。がこの中の「インドの歌」だけがいろいろの人に歌われたりヴァイオリンに編曲されたりして入っている。歌劇「金鶏」の「太陽への讃歌」も有名だが取立てて言うほどのものはない。と、あらえびすこと野村胡堂は紹介しているが、「金鶏」は、占い師によって与えられた予言の鳥「金鶏」によって皇帝が翻弄され、最後は死を迎えるというもの。当時の政治体制を批判するリムスキー=コルサコフのメッセージが読み取れます。ヨハン・ゼバスティアン・バッハのオルガン曲をエルガーがオーケストラ番に編曲した《幻想曲とフーガ》を初演したり、シドニー交響楽団のホールにその名が付いているサー・ユージン・グーセンス(1893.5.26 - 1962.6.13) ― 3代続きの指揮者で、名オーボエ奏者として有名なレオンは弟に当たる。ロンドン生まれ。英国王立音楽院でヴァイオリンと指揮を学び、ビーチャムの下でアシスタントを務めた。1921年に「春の祭典」を英国初演するなど活躍。後に渡米して31〜46年の間シンシナティ交響楽団の首席指揮者、47年にはオーストラリアのシドニー交響楽団の初代常任指揮者に迎えられ、同響の発展に寄与した功績によりサーの称号を得た。ところが56年にポルノ写真を国外に持ち出そうとして空港で逮捕され、名声に傷が付く一幕も。だがオーケストラを大きく鳴らす能力は本物で、「ローマの祭」(1958年)などド迫力。リズムは少々危なっかしいが、当時の指揮ぶりを偲ぶなら得意の「春の祭典」(1960年頃)も面白い。モダン・オーケストラの能力を最大限効果を上げ、英 EMI のノウハウを十全に駆使して時にはハッと生演奏のような錯覚すら覚えさせる、聴いた後の爽快感がいい。

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