34-28077

通販レコード→GB BLUE LINE, 1974年発売, STEREO 4枚組 110㌘/130㌘/125㌘/130㌘重量盤。

GB DGG 2740 120 小澤征爾 ボストン交響楽団 ラヴェル:管弦楽曲集

商品番号 34-28077


《指揮者・小澤征爾Seiji Ozawa死去(2024年2月6日) ― 幸福と孤独を抱えたパイオニアのBEST名盤》

〝燃える小澤の〟がレコード会社のキャッチコピーだった、颯爽とした〝小澤のラヴェル〟。

小澤征爾がボストン交響楽団の音楽監督に就任した直後の1974年と75年に録音されたラヴェルの名曲選。その後の小澤とボストン響の黄金時代を予見させる精緻でダイナミックな演奏です。

ラヴェル生誕100年記念にあたってボストン交響楽団で、ドイツ・グラモフォンは全集録音を企画した。その第一弾。まだまだシャルル・ミュンシュの残影が残っていたボストン響。精緻さと豪胆さを兼ね備えていたミュンシュの魂が乗り移ったと言ったら大げさか。抜群のオーケストラコントロールで、名門ボストン響から、しなやかで、美しい響きを引き出すとともに、ダイナミックな迫力をも感じさせる若さあふれる演奏。人気名曲、評判良いレコードがすでに数多くあった。流れを第一に考えた小澤は自身のやり方で「ボレロ」を振った。いささか力こぶの入った生真面目な演奏ながら、小澤とボストン響がスタート当初から理想的な関係にあったことが分かる。このところ話題になっている原作への脚本の弊害に似て、ラヴェルの作品意図を逸して欧米オーケストラで常識化していた突出する管楽器ソリストのスタンドプレイを抑制して、禁欲的と言えるまで全体のリズムを重視。鋭いリズム感、絶妙なバランス感、オーケストラの掌握力など小澤の美質が十分に現われた演奏だ。小澤もこの成功でさらに有名になった。ボレロだけは録音し直せばよかったのに、全く惜しい。と柴田南雄著『名演奏のディスコロジー〜曲がり角の音楽家』(音楽之友社刊)の「小澤とマルティノンのラヴェル」の章で書かれているが、1970年代にメジャーから、それもドイツ・グラモフォンやオランダ・フィリップスからこうした名曲群を立て続けにリリース出来た小澤の実力を素直に評価したい。

幸福と孤独を抱えたパイオニア。その足跡。

小澤征爾が令和62024年2月6日に東京都内の自宅で心不全で亡くなったこと、葬儀は親族のみで執り行ったことが、2月10日に発表された。享年88歳だった。今日から小澤が遺したレコードの評点を、星1つ引き上げるが、それを考慮して他と比べてもらいたい。
小澤征爾がボストン交響楽団に客演して実現した最初のレコード録音は、1969年。RCAヴィクター・レーベルに行ったカール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」。ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」と「火の鳥」の音楽から。その評価もあってか、ボストン交響楽団が出演していたタングルウッド音楽祭とレナード・バーンスタインの助手を経て、1970年にサン・フランシスコ交響楽団の音楽監督に就任。1972年2月にはボストン交響楽団に音楽顧問として招かれ「1972〜1973年シーズン」定期演奏会に登場。モーリス・ラヴェルの管弦楽曲集は、半世紀前、小澤征爾がボストン交響楽団音楽監督に就任して作曲家生誕100年記念にスタートした全集完成を目指した録音。第1弾となった「ボレロ」の演奏は、今振り返れば小澤の生涯を象徴している音楽だ、ボストン交響楽団の公式ホームページのディスコグラフィにリストされている通り組み合わせを変えて数多くのバージョンがリリースされている。ミュンシュの薫陶を受けたボストン響と38歳の若き小澤のダイナミックな指揮がマッチした名演です。マエストロと呼ぶのが似合うようになっていった、小澤征爾がボストン響と成し遂げた名演のひとつ。音楽監督就任まもない小澤征爾が、ドイツ・グラモフォンのカタログ・レパートリ拡充に大きく貢献した録音のひとつがこのラヴェルと言えましょう。ボストン響の持つ重厚さと小澤が引き出した明敏なリズム+透明感のあるサウンドが見事に一体となって、ラヴェルの傑作を十全に表現しつくしている。ミュンシュの薫陶を受けたボストン響の音色を最大限に生かした、ラヴェル演奏のスタンダードと言える名盤です。
小澤征爾の旺盛な意欲が思い切りの良い初期の覇気や勢いもあって魅力的だ。これ以降、音楽的な質が高く磨かれるとともに生硬さが耳につくが、老練に期待していました、〝オザワの音楽〟が間近に到来しそうではあったが。ディスコグラフィの充実も中途半端な終わりとなったが。これからマエストロと称することはないが、実績と功績に、名前は遺ったが。
小澤はウィリアム・スタインバーグの後任として1年間の音楽顧問を経て、1973年のシーズンからボストン交響楽団の音楽監督に就任。日本人指揮者では初めての国際的なレーベルからのリリース。日本では「ボレロ」「スペイン狂詩曲」「ラ・ヴァルス」がリリース、1975年度「芸術祭参加作品」となった全集が発売された。小澤の録音のなかでも記念すべき名盤として知られる。いささか力こぶの入った生真面目な演奏ながら、鋭いリズム感、絶妙なバランス感、オーケストラの掌握力など、小澤の美質が十分に現われた演奏だ。
明快な指揮ぶりと鋭敏なリズム感、絶妙なまでのバランス感覚、そしてオーケストラの能力をフルに発揮させて圧倒的なクライマックスを築き上げてゆく彼の手腕は、この指揮者とオーケストラがスタート当初から理想的な関係にあったことが分かります。
ボストン響との録音としては既にベルリオーズの劇的物語『ファウストの劫罰』等もあったが、作曲家の生誕100周年を記念した『ラヴェル管弦楽集』はこのコンビにとって最初の大きなプロジェクトだった。
『ボレロ』(Bolero)は、その第1弾として『スペイン狂詩曲』(Rapsodie espagnole)、『ラ・ヴァルス』(La Valse)の2曲と共に、1974年の3月から4月にかけて録音された。小澤がボストン響の音楽監督に就任して間もないころの録音。ドイツ・グラモフォンのカタログ・レパートリ拡充に大きく貢献した録音のひとつがこのラヴェル。
〝音楽を物語る〟情熱の指揮者シャルル・ミュンシュの薫陶を受けたボストン響の音色を最大限に生かした、ラヴェル演奏のスタンダードと言える名盤。ミュンシュ以来の伝統を誇るボストン交響楽団とミュンシュの後継者を自認していた小澤征爾が見事に合体したと云える〝音楽を物語る情熱〟の復活。しなやかで繊細流麗せんさいりゅうれい、色彩感も申し分なく、全曲に亘り現代的リズム感が沁み渡っているよう。まるでミュンシュが乗り移ったような気迫がある。小澤盤では「メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い」は殆ど感じられない、メロディーを奏するソロ奏者の手足を縛ったストイックさにこそあるといえる。短いフレーズが次々と受け渡されていく管楽器のソロにあまり歌わせず、禁欲的と言えるまで全体の統率、機械工場になりきったリズムを重視。流れを第一に考えた小澤ならではの手法が3曲全てに見られる。自身のやり方で「ボレロ」を歌い上げたこの成功で、〝オザワ〟はさらに有名になった。小澤の中では比較的プレスの多いLPであり、それだけ海外でもポピュラーに聴かれたということだろう。
この後、小澤の指導で弦楽器奏者の弓使いまで変わってしまう、ボストン響の持つそれまでの重厚さと小澤が引き出した明敏なリズム+透明感のあるサウンドが見事に一体となって、ラヴェルの傑作を十全に表現しつくしている。
聴き終わった後の満足感。響きの良さで知られるボストン・シンフォニーホールで行なわれた。録音も浅いアンビエンスで、リズムを刻む管楽器を強調する。技術陣もまた小澤の演奏のコンセプトを理解して取り組んでいる。
オリエンタリズムに接近しようとしていたラヴェルの音楽を東洋人指揮者が、どう表現して見せたいのか。ヨーロッパの録音チームの好奇心を喚起するほど、レコード録音の面でも新鮮な関係を小澤は創った。
ジョージ・セル、レナード・バーンスタイン、ヘルベルト・フォン・カラヤンの時代から、ロリン・マゼールやダニエル・バレンボイムら楽団員としての視点を持って音楽を共同して作り上げていく指揮者らへの変化の時代に、スイッチングを強いられたのが小澤の恵まれたことだ。
日本でレコード発売された年、小澤はもうひとつの手兵だったサン・フランシスコ交響楽団を率いて凱旋し、「ダフニスとクロエ」全曲をメインとする演奏会を行った。前半プログラムはピーター・ゼルキンをソロにしたブラームスのピアノ協奏曲2番で、アンコールはピチカート・ポルカ。テレビ放送もされた。
まだ鬼才の雰囲気を存分に湛えていた頃。この時期の小澤指揮ボストン響のラヴェル管弦楽曲集のシリーズは全てひっくるめて素晴らしいと評価できるが、全集には至らず中途半端なコレクションとして結局途中で頓挫、ドイツ・グラモフォンはプロジェクトをバレンボイム指揮パリ管弦楽団で仕切り直し、「ボレロ」「ダフニスとクロエ」から録音。明るく色彩的なラヴェルの音楽に、それだけではない陰影を加味した深みある演奏で尻拭いをした。

小澤征爾Seiji Ozawaの音楽武者修行》

1935年、中国のシャンヤン(旧奉天)生まれ。幼いころからピアノを学び、成城学園中学校を経て、桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を学んだ。
1959年、ブザンソン指揮者コンクールで第1位を獲得。当時ボストン交響楽団の音楽監督であり、このコンクールの審査員であったシャルル・ミュンシュに翌夏タングルウッド音楽祭に招かれた。その後、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインに師事、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者、シカゴ交響楽団ラヴィニア・フェスティバル音楽監督、トロント交響楽団音楽監督、サン・フランシスコ交響楽団音楽監督を経て1973年にボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任、アメリカのオーケストラ史上でも異例の29年という長期にわたって務めた。
ボストン響の音楽監督としてオーケストラの評価を国際的にも高め、1976年のヨーロッパ公演および1978年3月の日本公演で多大の成果を挙げる。1981年3月には、楽団創立100周年を記念して、アメリカ14都市演奏旅行を果たし、同年秋には、日本、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリスを回る世界公演を実施。その後も1984年、1988年、1991年にヨーロッパ公演と198年、1989年、1994年、1999年には日本公演を行い、いずれも絶賛 を博す。
1978年には、中国政府の公式招待により、中国中央楽団と1週間にわたって活動したのをはじめ、1年後の1979年3月にはアメリカのオーケストラとしては初めてボストン響を率いて再度訪中し、意義深い音楽・文化交流を果たした。それ以来、中国とは深い関係を築いている。他にも、1973年6月にはサン・フランシスコ響を率いて、ソビエト連邦当時のモスクワを訪れ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと共演している。
2002年秋には、東洋人初のウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任、2010年春まで務めた。
欧米での評価と人気は絶大なものがあり、これまでにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとする多くのオーケストラ、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、フィレンツェ歌劇場、メトロポリタン・オペラなど主要オペラハウスに出演している。
日本においては、恩師・齋藤秀雄を偲び、没後10年の1984年に、秋山和慶らの仲間に声を掛け、メモリアル・コンサートを東京と大阪で開催。それを母体としてサイトウ・キネン・オーケストラへと発展させ、1987年、1989年、1990年にはヨーロッパ公演を、1991年にはヨーロッパ、アメリカ公演を行い絶賛を博した。1992年からは、芸術的念願であった国際的音楽祭〝サイトウ・キネン・フェスティバル松本〟へと発展させ、総監督に就任(心不全で亡くなるまで継続した)。その後もサイトウ・キネン・オーケストラは、1994年、1997年、2001年、2004年、2010年、2011年に海外ツアーを実施。フェスティバルは、2015年より、〝セイジ・オザワ 松本フェスティバル〟として新たなステージに踏み出した。
また、1996年にサイトウ・キネンの室内楽勉強会から始まった室内楽アカデミー奥志賀を、アジア圏の優秀な学生に門戸をひろげる小澤国際室内楽アカデミー奥志賀として2011年にNPO法人化。一方で、実践を通して若い音楽家を育成するための〝小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト〟(2000年〜)、および〝小澤征爾音楽塾オーケストラ・プロジェクト〟(2009年〜)を公益財団法人ローム ミュージック ファンデーションの支援を受けて精力的に展開。2005年にはヨーロッパにおける音楽学生を対象にしたSeiji Ozawa International Academy Switzerlandをスイスに設立し、教育活動に力を注いでいる。その他、水戸室内管弦楽団とは1990年の創立時より親密な関係にあり、2013年からは同楽団の総監督を務めると共に水戸芸術館 館長も務めている。さらに、新日本フィルハーモニー交響楽団とは創立に携わり、長期にわたり活動を続けた。
これまでに国内外で受賞した賞には、朝日賞(1985)、米国ハーバード大学名誉博士号(2000)、オーストリア勲一等 十字勲章(2002)、毎日芸術賞(2003)、サントリー音楽賞(2003)、フランス・ソルボンヌ大学名誉博士号(2004)、ウィーン国立歌劇場名誉会員(2007)、フランス・レジオン・ドヌール勲章オフィシエ(2008)、フランス芸術アカデミー外国人会員(2008)、日本国文化勲章(2008)、イタリア・プレミオ・ガリレ2000財団・金百合賞(2008)、ウィーン・フィルより日本人として初めて「名誉団員」の称号(2010)、高松宮殿下記念世界文化賞(2011)、渡邉暁雄音楽基金特別賞(2011)、ケネディ・センター名誉賞(2015)などがある。2016年、サイトウ・キネン・フェスティバル松本 2013で録音された小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによるラヴェル:歌劇「こどもと魔法」のアルバムが、第58回グラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞。同年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、東京都名誉都民の称号を贈られる。2022年3月、日本芸術院会員に選ばれた。

情熱と理性の調和。 ― 原作意図を尊重した協調性の美。機械のようなボレロ。

小澤征爾は一度だけ辞任を考えたことがあると自伝「私の履歴書」に書いている。
タングルウッド音楽祭の講習会を改革した時だ。40年に当時の音楽監督セルゲイ・クーセヴィツキーが創設した際はボストン交響楽団の楽員が講師だった。なのに私的なつながりでポストが占められるようになり、僕の時代には一層ひどくなった。教える能力より人間関係が優先された。1997年、思い切って講師を全員辞めさせ、ボストン響の楽員を代わりに選んだ。僕の決断を「ニューヨーク・タイムズ」は痛烈に批判した。「失敗したら音楽監督は辞めるべきだな」と覚悟を決めた。この時、「セイジが正しい」とボストン響の理事たちを説得に来てくれたのが、バイオリンのアイザック・スターン、イツァーク・パールマン、チェロのヨーヨー・マ、ピアノのピーター・ゼルキンらだ。ほとんどの理事と楽員の支持も得られた。在任中、僕は楽員の待遇をいつも気にかけていた。根底には日フィル(日本フィルハーモニー交響楽団)分裂時の苦い教訓がある。ストライキだけは絶対に避けたかった。理事長のネルソン・ダーリンに頼み、楽員の給料を上げてもらった。オーケストラとしては珍しく、彼は遺族年金の制度まで作ってくれた。
閑話休題、ヨーロッパで活躍してきた指揮者が、アメリカのオーケストラでレコード録音をするためにスタジオで思い通りに吹かない奏者に口説いくらい熱心にリハーサルをして、翌日いざ本録音は安心だ、と指揮棒を振り上げたら初めての顔が並んでいたという、こぼれ話が有る。ヨーロッパはまず書類選考があり、通った人のみオーケストラが招待状を出す方式だけど、アメリカは広くチャンスを与えるようになっているようだ。
アメリカには〝League of American Orchestras〟という、労働組合と解釈して良い組織がある。ここは毎年全米のオーケストラの待遇一覧表を発行していて、最低賃金はもちろん、1週間のリハーサル数と本番数、年間の労働週、個人年金などの福利厚生はもとより、さらにはツアーに出た時は一人部屋かどうかなどまでオーケストラ毎に、こと細かく比較してある。文化芸術の創造活動に望ましい 雇用形態・労働環境とは何か。
アメリカにはオーケストラという文化芸術の世界でも「成果主義」を導入しようという動きがある。2015年3月にCNNに発表された世界のオーケストラ・ランキングではニューヨーク・フィルハーモニックが一番だが、やはりビッグ6(ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストン、クリーブランド、シカゴ、ロサンジェルス)とメトロポリタン歌劇場のオーケストラの賃金は高かった。ただ金額では若干ニューヨーク・フィルに劣るけれど、周りの物価が安いから全米一待遇の良いオーケストラはクリーブランド管弦楽団という説が有力。金管奏者に言わせると、全米のオーケストラでも随一の美味しいポジションはシカゴ交響楽団の第3トランペットだとか。というのも第3トランペットまで必要な曲は少ないから、ソロ活動をしていてもシカゴ響楽団員としての最低賃金は保証されている。
前置きしたうえで、さて、かんじんのラヴェルだが、カラヤン盤ではサクソフォーンやトロンボーンが各ソロの箇所で、ここぞとばかりにたっぷりとした演奏を繰り広げる。もちろんカラヤンのリズムの刻みは厳格だ。スネアドラムは自分の世界に入りかけているサクソフォーンなどに引き摺られまいと必至に堪えているのがよくわかる。一方、小澤盤では無難にまとまっているのだが、後半のテナー・トロンボーンのソロがボストンらしくもないことで、ここは全曲の中心部の極めて目立つ箇所なのにグリサンドや装飾音等がぜんぜん生きていない、と柴田南雄著『名演奏家のディスコロジー』(音楽之友社刊)の「小澤とマルティノンのラヴェル」で言及されているが、ヒューエル・タークイの著書『分析的演奏論』(音楽之友社)の中に(この時期の)ボストン響は主として金管部門に悩みをもっている。トロンボーンはだらしなくなりがちだし,楽団ではいま首席ホルン奏者と首席トランペット奏者を捜している。他の点では以前と変わらぬ偉大なオーケストラである。(新しい金管奏者たちの選考は小沢が最終的な断を下すことになっている - それゆえ楽団の運命は文字通り小沢の耳にかかっている。)と書いている。
その結果の出来なのか、『ボレロ』の録音時、ボストン響のトロンボーンの首席奏者は休暇中。この録音のトロンボーンのソロはエキストラが吹いていると言われていることが真実か。要はメロディーを奏するソロ奏者がスタンドプレイにならないよう自制させたのは小澤だ。

小澤征爾は2002年、ボストン交響楽団の音楽監督を離れた。就任から29年。アメリカのオーケストラの音楽監督として最も長い在籍期間だ。小澤は38歳の若さで1973年にボストン響の音楽監督に就任します。以来、その演奏は国際的なレーベル、ドイツ・グラモフォンから発売されるようになり、しかもこの国際的なレーベルから、その演奏が発売された日本人指揮者では小澤が初めてのことでした。大きなオーケストラに唯一人対峙する指揮者。NHK交響楽団や日本フィルハーモニー交響楽団との事件は彼の指揮者として目指していくスタイルを確信させた。「世界のオザワ」がはじめて持った、「自分のオーケストラ」はトロント交響楽団で、1965年秋に音楽監督に就任した。欧米の名門オーケストラを若いうちから指揮する機会に恵まれたのは、小澤が物珍しい東洋人であったからだろう。遡ること、レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督と成っていた1960年。小澤はバーンスタインとパーティーで会うと、街に連れ出され、飲み明かした。小澤には知らされていなかったが、この時点で彼をニューヨーク・フィルの副指揮者にすることが内定していた。明るくスマートでアクも少なく、リズムの扱いもていねいで好感が持てる。このオーケストラは翌1961年4月下旬に日本公演を予定しており、話題作りとして日本人を起用してみようと考えたらしい。 欧米のクラシック音楽の中心にはドイツ音楽精神が根強い。小澤の得意のレパートリーは何か、何と言ってもフランス音楽、そしてこれに次ぐのがロシア音楽ということになるだろうか。それは近年の松本でのフェスティバルでもフランス音楽がプログラムの核であることでも貫かれている。ロシア音楽について言えば、チャイコフスキーの後期3大交響曲やバレエ音楽、プロコフィエフの交響曲やバレエ音楽、そしてストラヴィンスキーのバレエ音楽など、極めて水準の高い名演を成し遂げていることからしても、小澤がいかにロシア音楽を深く愛するとともに得意としているのかがわかるというものだ。小澤が着任した時のボストン響は、どちらかと言えばきれいで色彩豊かな音を出していた。かつての音楽監督シャルル・ミュンシュやよく客演していたピエール・モントゥーらフランス人指揮者の影響だろう。その代わり、ドイツ的な重みのある音楽はあまり得意じゃなかったように思う。しかし小澤自身はドイツ系の音楽もしっかりやりたい。例えばブラームス、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー。あるいはやはり重みが必要なチャイコフスキーやドヴォルザークもやりたかった。そこで重くて暗い音が出るように、弦楽器は弓に圧力をかけて芯まで鳴らす弾き方に変えた。だけど小澤が就任した時のコンサートマスターのジョセフ・シルヴァースタイン ― その後、彼は指揮者となり成功している。 ― はそういう音を嫌がり、途中で辞めてしまう。それでも辛抱強く時間をかけて、ボストン響はドイツの音楽もちゃんと鳴らせるようになった。それでいてベルリオーズの「幻想交響曲」といったフランス物も素晴らしい演奏ができる。フランスの洗練とドイツの重み、両面を持つ良いオーケストラになった。「メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い」は殆ど感じられない、工芸品の美しさに人種の息吹を知るといったふうに小澤らしさとは、メロディーを奏するソロ奏者の手足を縛ったストイックさにこそあるといえる。本盤は若き小澤が、アグレッシヴで瑞々しい感性を持ち合わせていた頃の芸風を知るにも恰好の一組です。

  • Record Karte
    • 演奏:小澤征爾指揮、ボストン交響楽団、タングルウッド音楽祭合唱団(合唱指揮:ジョン・オリヴァー)、ドーリオー・アンソニー・ドワイヤー(フルート、ボストン交響楽団首席奏者)
    • 録音:1974年3月,4月,10月ボストン、シンフォニーホールでのセッション、ステレオ録音。
    • ラヴェル生誕100年記念録音
    • プロデューサー:Franz-Christian Wulff
    • 録音監督:Thomas Mowrey
    • エンジニア:Gernot Westhäuser(ボレロ, スペイン狂詩曲, ラ・ヴァルス, マ・メール・ロワ, 古風なメヌエット, 道化師の朝の歌), Hans-Peter Schweigmann(クープランの墓, ダフニスとクロエ, 高雅で感傷的なワルツ, 道化師の朝の歌, 海原の小舟, 亡き王女のためのパヴァーヌ)
    • 録音アシスタント:Joachim Niss(ボレロ, スペイン狂詩曲, ラ・ヴァルス, マ・メール・ロワ, 古風なメヌエット, 道化師の朝の歌)
    • ラヴェル:
        1. 「ボレロ」
        2. 「スペイン狂詩曲」
        3. 「ラ・ヴァルス」
        1. 「マ・メール・ロワ」
        2. 「古風なメヌエット」
        3. 「クープランの墓」
      1. 「ダフニスとクロエ」
        1. 「高雅で感傷的なワルツ」
        2. 「道化師の朝の歌」
        3. 「海原の小舟」
        4. 「亡き王女のためのパヴァーヌ」
    • ラヴェル生誕100年記念。小澤がボストン交響楽団の音楽監督に就任した直後の1974年と75年に録音されたラヴェルの名曲選。その後の小澤とボストン響の黄金時代を予見させる精緻でダイナミックな演奏です。小澤の中では比較的プレスの多いLPであり、それだけ海外でもポピュラーに聴かれたということだろう。現地では非常に高い評価を受けている。ブックレット付属。

CDはアマゾンで



Ravel: Orchestral Works - Vol. 1
Boston Symphony Orchestra
Eloquence
2008-09-16


Ravel: Orchestral Works - Vol. 2
Boston Symphony Orchestra
Eloquence
2006-02-20


Ravel: Orchestral Works - Vol. 3
Boston Symphony Orchestra
Eloquence
2006-02-20


ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》 (SHM-CD)
小澤征爾
Universal Music
2024-04-24


関連記事とスポンサーリンク